Thursday, December 29, 2005

バーネットの「新地政学:世界グローバル化戦略」

国際政治を専門に分析する欧米のアカデミック界では、
大きくわけると、ほぼ三つの理論(セオリー)のみによって成り立
っていることになっている。
参考までにその三つを具体的に挙げてみると、
1.リアリズム(現実主義)
2.リベラリズム(自由主義)
3.コンストラクティビズム(社会構成主義)、もしくは
 その他(マルキシズム等)
ということになる。これをそれぞれものすごく簡単に説明すると、
以下のようになる。
1.リアリズムは「国際政治は力の闘争で成り立っている」という視
 点から国際関係を分析し、
2.リベラリズムは「国際政治は人間の理性を信頼し、とくに経済な
 どによる相互利益を活用すればうまくいく」という立場、そして、
3.コンストラクティビズムは「国際政治は政治を動かす人物たちの
 使う言葉や考え方によって成り立っている」という分析の仕方を
 する。
ということである。
もちろんどの理論が究極的に正しい、というのはなかなか判断がつ
けにくいのだが、「国際政治を戦略的に考える時にどの理論が有効
か」ということになると、がぜん1.のリアリズムが強いということ
になる。
事実として、第二次世界大戦直後からアメリカの国際戦略を考える
人間たちは、すべからくこのリアリズムという学問の分析法を使っ
て、「アメリカは世界戦略をどうするか」ということを、冷戦時代
を通じてずうっと考え続けてきた。
▼冷戦後のアメリカの戦略は?
ところが1990年代に入ってからすぐ、アメリカの戦略家たちに
とっては天地を揺るがすような事件が起こった。アメリカの長年の
「敵」であった、ソ連の崩壊である。
リアリズムからすれば、これはかなり理論的にはかなり「ありえな
い事件」である。なぜならリアリズムではその理論の前提として「
国家というものは、自国の存亡(サバイバル/生き残り)のために
命をなげうって戦争を起こすほどだ」という想定をしているからだ。
事実として、第二次世界大戦の時の日本はまさにそういう状態で泥
沼の戦いをしていた。マッカーサーの言う「日本が(大東亜)戦争
を戦ったのは、主に自衛のためだった」という米国上院委員会での
有名な発言には、一面の真実が含まれていたと考えるべきである。
ところがアメリカとソ連が対決した冷戦では、追い込まれていたソ
連が、戦争を起こさずに、しかも自国を崩壊させてしまったのであ
る。つまり、リアリズムの理論が教えていることとは全く正反対の
ことが起きてしまったのだ。
このような事情から、欧米の国際政治を論じるアカデミック界では
、冷戦直後から2.のリベラリズムや3.のコンストラクティビズムが
、一気に「リアリズム叩き」を始め、このような視点から、「アメ
リカはこうして行かなくてはならない」という風に書かれた文献が
、それこそ雨の後のタケノコ、いや、市場開放後の中国の工場のよ
うに、一気に増えてきたのだ。
それでもアメリカの戦略家たちにとっては、これがすぐさまリアリ
ズムの理論を否定する、ということにはならなかった。
理由は簡単。この理論を使うと「冷静に戦略的に考えられる」とい
う部分が、まだまだ有効だからだ。
事実として、アメリカの国際政治言論界でも、要所要所ではキラリ
と光を放つリアリズムの理論によって書かれた文献が、1990年
代を通じていくつか書かれて有名になっている。題名もかなり直球
勝負で、「アメリカのための大戦略」みたいなものが多かった。
▼「グローバリズム」の研究
ところが冷戦後の1990年代に入ると、アメリカの国際戦略云々
とは全く関係のないところで、社会学的なアプローチから「国際社
会のグローバル化」という現象をとらえて研究するものが多くなっ
た。
「グローバル化」(Globalization)というのは、アメリカ主導の
IT開発や、交通機関などの発達によって、世界の情報・政治・経
済・人的交流が密接になってきた現象のことを言うのだが、これが
なぜここで問題になってくるのかというと、今までの国際関係論の
三大理論というのは、結局のところは国際政治の実体というものを
「一つの変化しない型」として分析するものだったという部分があ
るからだ。
ところが90年代に入って盛んになった「グローバル化」という現
象の研究というのは、当たり前だが「世界が怒涛の流れで変化して
いる」ということを前提にして、その「ダイナミックさ加減」や「
移り変わりが与える影響」みたいなものを分析する。
ようするに、いままで国際関係論の理論などとは分析のアプローチ
が根本的に違うわけで、「ある一定の静止したモデル」を研究する
国際関係論の理論に対し、グローバル研究のほうは「流れものの、
水もの」を研究するといえるのだ。
これをいいかえれば、国際関係論の三大理論のほうが「国際政治は
どういうものか?」という質問設定をしているのに対して、グロー
バル化の研究のほうは「国際政治はどう変化しているのか?」とい
う質問設定をしているのだ。
グローバル化についての研究として有名なのは、一般書の分野では
なんといってもトーマス・フリードマンというニューヨークタイム
ズのユダヤ系名物コラムニストによって書かれた『レクサスとオリ
ーブの木』(1999年刊)という本である。
現在はこの続編とも言える"World is Flat"という本が欧米でバカ売
れしており、邦訳ももう間もなく出ることになりそうだ。
アカデミック界のほうではデヴィッド・ヘルド(David Held)とい
うロンドン政経学院(LSE)の教授の研究が特に有名であり、著
作の数も膨大である。日本でも何冊かは邦訳が出ているので、その
分野ではそれなりに知られている。
この「グローバル化」の研究なのだが、すでに述べたような、動き
や変化そのものにあまり注目していない国際関係論の三大理論とは
考え方が根本的に違うため、ここからアメリカの戦略を考えるとい
うところまで考えられたものはほとんどなかった。
たしかに「グローバル化はアメリカの陰謀だ」とか「アメリカ主導
のグローバル化を批判する」というような内容のグローバル化系の
本は掃いて捨てるほど出版されたのだが、これを「行う側」から戦
略的に論じたものはほぼ皆無だった。
その証拠に、『レクサス~』においてフリードマンは「グローバル
化は自然に進行していくプロセスなのだから、この波に乗り遅れな
いようにしないといけない!」という感覚で書かれており、フリー
ドマンは「グローバル化を利用してアメリカは世界展開せよ!」み
たいな戦略的なことはあまり主張していない。
▼バーネットの「グローバル化戦略」
ところが2004年に入ってから、このようなグローバル化の視点
を持ちつつ、アメリカの国家戦略に結び付けて論じた本が登場した。
トーマス・バーネット(Thomas P.M. Barnett)という海軍大学の
教授が「エスクワイア」という雑誌向けに書いた記事を元にして膨
らませた『ペンタゴンの新しい地図(The Pentagon's New Map)』
という本である。日本では『戦争はなぜ必要か』というタイトルで
邦訳本も出ているので見かけたことのある人もいるかも知れない。
この本で述べられていることを簡単にまとめて言えばこうなる。
まず冷戦後のアメリカの戦略はどうあるべきかと考えると、アメリ
カにとってはソ連のような「最大の敵」がいなくなってしまったと
いう事実がまず大きい。ところが冷戦後でもスケールの小さい地域
紛争は多発しているし、アメリカとしても必要に迫られて軍事介入
しなければならいケースもあった。
しかしアメリカのペンタゴン内部では、結局のところでは対処療法
的に軍事介入しているだけで、大きい意味では自分たちが一体これ
から何を目指しているのか、国際戦略としてどうして行こうとして
いるのか、自分たち自身でさえ認識できないでいたのだ。
ところがバーネットは、冷戦後にアメリカが武力介入していた地域
を分析してみて、あることに気がついた。
それはアメリカが冷戦後に軍事介入してきた地域のほとんどが、「
グローバル化の進んでいなかった地域」に集中していたという事実
である。しかもそれとは対照的に、グローバル化が進んだ地域では
、アメリカがわざわざ介入しなくてはならないような軍事紛争はほ
とんど起こっていないのだ。
ここでバーネットがひらめいたのが、「コア」(Core)と「ギャッ
プ(Gap)」という世界の単純な色分けである。つまりグローバル化
が進んだ地域が「コア」で、進んでない地域が「ギャップ」という
わけだ。
バーネットが冷戦後のアメリカの軍事政策を分析してみた時に見え
てきた大きな地図というのは、単純にいえば、世界警察のアメリカ
が主に「ギャップ」という「田舎」だけで紛争介入しており、「コ
ア」という「都会」ではほとんど用無しであった、ということを教
えていたのだ。
これを踏まえてバーネットは、世界警察であるアメリカがこれから
目指していかなければならないのは、結局のところは「世界をグロ
ーバル化させる」ということではないか、と考えた。
そこから方法論として出てくるのが、「それだったらアメリカは自
ら進んで紛争の温床である"ギャップ"を縮める努力をすればいい」
、ということになる。これを単純にいえば、「世界を都市化して田
舎を少なくせよ」、つまり「積極的に世界のグローバル化を推進せ
よ!」ということにならざるを得ない。
受身の状態だと思われていたアメリカの軍事政策なのだが、実は無
意識的にある一定の方向へ向かっていた、とバーネットは気づいた
のだ。だったら積極的に意識して行け!というのが彼の提言の真髄
である。
▼バーネットの理論と地政学の理論
このようにバーネットは「グローバル化推進」というアメリカの進
む方向、もしくは使命のようなものを提言したわけなのだが、この
ように大きなビジョンによる進むべき方向性を示すことは、特に冷
戦後のペンタゴンの指導部のような組織にとってはありがたいこと
になる。
なぜなら、少なくとも自分たちがどの方向に向かっているかを教え
てくれることにより、細かいことを気にしなくて済むからだ。よい
意味で「思考停止」の状態を与えてくれるわけであり、しかもやる
べきことが明確になるから、仕事もしやすくなる。
このような大きなビジョンによる「大戦略の構築」という意味では
、彼の戦略は「地政学」(ジオポリティクス)という学問と非常に
密接な関連性を持っていることがよくわかる。
「地政学」というのは、思いっきり単純に言えば「国家戦略のため
の学問」のことだ。
この地政学というのは、歴史的にナチス・ドイツとの関連からその
名前が忌み嫌われているのだが、欧米のアカデミック界では、その
ような地政学の伝統が、リアリズムの中の「グランド・ストラテジ
ー(大戦略)」という分野の議論の伝統へと忠実に受け継がれてい
る。
近代地政学の祖とされるイギリス人のマッキンダーは、二十世紀前
半に地政学の理論を構築する際に、これからイギリスのとるべき大
戦略とは「自国をシーパワーであると自覚しつつ、ランドパワーの
勃興を抑えること」と位置づけたのだが、ここで注目すべきなのが
、マッキンダーの言う「シーパワー」と「ランドパワー」という二
分法である。
簡単にいえば、「シーパワー」とは海洋的な戦略志向を持つ島国国
家のことであり、「ランドパワー」とは大陸的な戦略文化を持つ陸
国家のことである。
マッキンダーはこのように世界を二つの異なる戦略文化の陣営にハ
ッキリと色分けして、「世界の歴史はこの二つの陣営の戦いである
」、と断言した。イギリスは海洋国家なのだから、陸、つまりユー
ラシア大陸から脅威を出さないようにしなければならない、と言っ
たのである。
意外かもしれないが、アメリカもその実態は海洋国家であり、戦略
文書などを読むと「島国意識」というものが非常に強いことがよく
わかる。本当に優秀なアメリカの戦略家たちは、自分たちを「ヨー
ロッパ(つまりユーラシア)大陸の沖にある島国だ」と本気で考え
ているのだ。
よって、アメリカも当時のイギリスにならって、海洋国家戦略を志
向しつつ、ユーラシア大陸から脅威を出さないような戦略をとって
いることは言うまでもない。
ここでなぜこの地政学とバーネットが関係してくるのかというと、
それは他でもない、バーネットの「世界グローバル化戦略」という
ものが、地政学と同じような二分法的な対立によって描かれている
からだ。
地政学の祖であるマッキンダーは、「シーパワーとランドパワー」
という風に世界を二分的に見たというのはすでに述べた通りだが、
新世代のバーネットのほうは、冷戦後のアメリカの戦略を提言する
際に「コアとギャップ」という二分法を提唱したのである。
傍目にはこの二つの二分法の基本的な概念はそっくりであるし、世
界地図を使ってビジュアル的に説明しているやり方もそっくりであ
る。
ところがこの二人には決定的な違いがある。
それは、旧世代のマッキンダー及び彼を受け継ぐリアリストたちが
「シーパワー(イギリス、アメリカ、日本)はユーラシアからのラ
ンドパワーの脅威(ナチスドイツ、ソ連、そして中国)に備えなけ
ればならない」と言って、どちらかといえば対決的な姿勢を示して
いたのに対し、バーネットのほうは「コア(アメリカ・日本を含む
いわゆる先進国)はギャップを取り込んでいかなければならない」
ということを主張したことだ。
これを簡単にいえば、
―旧地政学:「シーパワーとランドパワーの対決」
―新地政学:「コアによるギャップの同化」
ということになるのだ。この際に、バーネットの理論でカギとなる
のが、「つながり(connectivity)」というコンセプトだ。
なぜなら、この「コア」と「ギャップ」、つまりは世界の「都会」
と「田舎」を区別しているのは、グローバル化している世界とどれ
だけ「つながっているかどうか」という度合いだからである。
つまりバーネットは、世界の田舎を都会化させて"つなげる"ことが
世界の安全保障、ひいてはアメリカの安全保障に"つながる"という
ことを言ったのだ。
マッキンダーのような「ランドパワーを外側からけん制して封じ込
めよ」という「分離政策」とは根本的に違い、バーネットのほうは
「関与政策」を勧めていることになる。
▼新しい本で示された具体的な政策
バーネットがアメリカの戦略家たちから熱い注目を浴びた『ペンタ
ゴンの新しい地図』では、以上のようなことが論じられたのだが、
その続編というものが今年の夏にアメリカで発売された。
その名も『行動のための青写真:理想的な未来のかたち』
(The Blue Print for Action: A Future Worth Creating)という
題名であり、一冊目で示された戦略的ビジョンを達成するための行
動指針という位置づけで書かれている。
日本ではメディアの注目が低く、現在では韓国の新聞の日本語サイ
トで「バーネットが新刊で北朝鮮をつぶせと言っているぞ!」とい
う感じで報道しているものが目に付く程度だ。
私もこの報道を目にしてから本を買いに行ってくわしく読んでみた
のだが、たしかに北朝鮮をつぶせということが書いてある。
ところがそこに至るまでの理由づけというのは、ニュース記事の紹
介でわかるような単純なものではない。バーネットは彼独自の「グ
ローバル化戦略」の考えから、かなり大きな地政学的な変化を及ぼ
すような、過激で大胆な戦略の一環として「北朝鮮をつぶせ」と言
っているのであり、北朝鮮などは大きな戦略地図の、ほんの一部の
枝葉の問題でしかないのだ。
また、こんな大胆なことが書かれても、「所詮はたった一人の元軍
人が書いたものだ」として無視することもできよう。
ところがこのバーネットという人物はかなり曲者である。なぜなら
彼はアメリカ国防省(ペンタゴン)の中の一部の声を代弁している
と考えられているし、実際に彼の理論は前著の発表のころからアメ
リカ中の戦略家や政治家の間でもかなり注目され、浸透してきてい
るからだ。
バーネットは海軍大学の教授という役職につきながらペンタゴンで
アメリカ軍の軍事革命(RMA)に関する政策作成にも関わってい
たし、これは私が個人的にも聞いた話なのだが、軍需関連の戦略家
のほとんどは、去年の末の時点ですでに彼のブリーフィングを受け
ている。
政治家の方面や評論家、そしてメディアの注目もあるため、その影
響力は無視できないものになっているのだ。
アメリカのこれからの軍事・政治戦略を占う上で、このバーネット
の新しい地政学を知ることは日本のこれからの国際戦略を考える意
味でもかなり重要な作業となるはずである。

簡潔にいえば、バーネットの大戦略の新しさというのは、従来の国際関係論の理論から引き出されるような「静止したモデル」から導き出されるものではなく、冷戦後の世界の「グローバル化」というダイナミックな流れを意識して、これに順応したアメリカの戦略を立てようという、というものであった。
これをうまく説明するために、バーネットはアメリカの戦略家たちの話題をさらった前著の『ペンタゴンの新しい地図(邦題:戦争はなぜ必要か)』において、世界には「コア/都会」や「ギャップ/田舎」という二つの地域があり、アメリカはグローバル化を主導するという立場から、この「コア」という都会の地域を拡大し、「ギャップ」という田舎を縮小していかなければならない、という大きな戦略を打ち出したのだ。
世界をこのように二つの地域に区別し、そこから大きな戦略を導き出すというのは、まさに古い形の「地政学」の方法とそっくりなのだが、それとの大きな違いは、バーネットのほうが経済・法律・社会的な結びつき、つまりコアとギャップの国や地域の間にある「つながり」(コネクティビティ)というものを重視したことである。
バーネットの言いたいのは、結局のところは「つなげて都会化してしまうことがグローバル化時代のアメリカの戦略だ」ということであり、国際関係論で言えば、まさに新しい「リベラリズム」(自由主義)の理論そのままなのだ。つまりクリントンが大統領時代に国策として行っていたように、国と国とを経済的に結びつけてしまえば紛争がなくなる、ということに他ならない。
旧地政学やリアリズムが得意としていた大戦略の構築の際に、新しいグローバル化の研究と、ジョセフ・ナイやロバート・コヘインで有名になった「複合的相互依存」(complex interdependence)というリベラリズムの概念を一歩進め、「ギャップ」を縮めて世界中の国家の「つながり」を増加させよ、と主張することにより、バーネットはアメリカの新しい大戦略を提唱する、新世代のヒーローになったのである。
▼ バーネットの新刊の内容前著『ペンタゴンの新しい地図』で示されたこのような戦略を、バーネットはこのたび出版された新著『行動のための青写真(A Blue Print for Action)』で、さらに具体的な形で発展させている。
内容的には奇抜と思われるような提案もけっこう含まれているのだが、グローバル化推進、ギャップ縮小という筋はしっかり通してあるので、なかなか説得力のある面白いものになっている。
また極めて重要なのは、本書にはこれからのアメリカの世界的な軍事再編や、それに関して過去数年にペンタゴン内部で行われていた議論がよくわかる、という点だ。もちろん内容はかなり高度なのだが、親切な専門用語の解説もあり、文体も口語的にくだけて書かれていることもあって、この手の分野の本としてはかなり読みやすくなるよう工夫がされている。
では具体的にその内容を見てみよう。まず本書は大きく見ると五章に分かれているのだが、細かく見ると、以下のようになる。==============================まえがき専門用語の説明
第一章:"戦闘部隊"と"平和維持部隊"との区別第二章:対中東・テロ戦略の説明第三章:対アジア戦略の説明第四章:ギャップ縮小しなければいけない理由第五章:グローバル化の歴史が教える「アメリカの使命」
結論:これから出現する未来のヒーローたちあとがき:未来のブログの見出し
==============================前稿で紹介した韓国の新聞のウェブサイトに報道されて話題になった部分は、最後の「あとがき」の部分にのっていた、五年ごとのブログの見出しによる未来像の紹介の部分からの引用である。
たしかにバーネットは「2010年のブログの見出し」として、金正日が政権から引きずり降ろされたという未来予測をしているのだが、これは基本的には5年ごとに区切って未来予測したものを2025年の時点まで四つに分けて書いてある最初の予測のごく一部からの引用だ。他にも面白いものがけっこうあるので、これらも後ほど紹介していくことにしよう。
それでは各章のポイントを、それぞれ細かく見てみよう。
▼ 第一章この章のタイトルは"What the World Needs Now"、つまり、「世界が今もっとも必要としているもの」ということになるのだが、彼の言いたいことを簡単にまとめれば、ギャップ縮小戦略のためには、アメリカは軍隊を"戦闘部隊"と"平和維持部隊"という役割にハッキリとわけて考えるべきである、ということにつきる。
まずバーネットは軍隊における"戦闘部隊"のほうを、イギリスの大哲学者トマス・ホッブスが聖書に出てくる海の怪物を主権国家になぞらえて有名になった名前を借りて、「リヴァイアサン部隊」(Leviathan forces)と名づけている。
それに対して"平和維持部隊"には、なぜか「シスアド部隊」(SysAdmin forces)という奇妙な名前をつけているのだが、これは「システム・アドミニストレーション」(System Administration)という言葉を略したものであり、彼自身でも「IT慣れした新世代にアピールするようにつけた名前だ」と書いている。
これを直訳すれば「システム管理部隊」ということになるが、まあ日本語訳では「平和維持部隊」というほうがわかりやすい。
ではバーネットがなぜこのように軍隊の機能をわざわざ区別するのかというと、彼にすればアメリカの世界ギャップ縮小戦略の際に最も大切になってくるのが、軍の上層部が「戦闘部隊」と「平和維持部隊」という役割分担を意識することだからだ。
たとえば今回の第二次イラク戦争。
アメリカは軍事的、つまり「戦闘」では、たしかに圧倒的な力を見せ付けてイラク軍に勝利したわけで、フセインをとらえて政権から引きずり降ろし、イラクという国の外科手術には大成功している。ところが占領後の統治、つまり「平和維持」という面では成功しているとは言いがたい。
バーネットに言わせると、これはペンタゴンの内部で「リヴァイアサン」と「シスアド」の役割分担がハッキリなされていなかったからだ、ということになる。
つまりアメリカ軍の「リヴァイアサン」は、圧倒的なテクノロジーを背景とした破壊力で立派にその役目を果たしたのだが、肝心の「シスアド」の機能を軽視していたというのだ。なぜなら占領統治を行う「シスアド」のほうには、機械ではなく、人手によるノウハウ等の大量のマンパワーが欠かせないわけで、ただ破壊することよりも難易度が高いのだ。
これはヤクザの場合で考えてもよくわかる。
「リヴァイアサン」というのはつまり「ヒットマン」ということであり、縄張り争いの際に他の組の事務所などに切り込みにいく特攻隊的な役割を果たすのだ。かなり勇気のいる仕事だし、失敗したら殺される危険もある。
ところがそれよりもむずかしいのが、自分たちの「シマ」を確定したあとのシスアド的な作業、つまり占領・統治であり、ショバ代の徴収やボディーガード的な作業がこれにあたる。ヒットマンの数は少数でもいいのだが、シマの統治には人数と時間、つまり組の組織力というものが必要になってくるのだ。
ネオコンの論者として有名なチャールズ・クラウトハマーも、ワシントンポストに何年か前に書いた記事で「イラク戦争の戦闘はアメリカ軍だけがやり、あと始末の平和維持活動などは国連軍などにやらせろ」ということを書いていたと記憶するが、彼が言っていたのも、ようするにこの「リヴァイアサン」と「シスアド」の区別を言っていたにすぎない。
つまりクラウトハマーが言いたかったのは、アメリカはヒットマン的な作業だけやればいいので、あと始末はすべて国連や多国籍軍にまかせろ、ということだったのだ。
イラク戦争でハリバートンなどの軍事企業にペンタゴンが仕事を外注するという面がクローズアップされたのも、バーネットの理論から言えば、つまりはアメリカが「シスアド」的な面を軍だけではまかないきれなくなったからだ、という事情が絡んでいることは言うまでもない。
ちなみにバーネットはアメリカ軍の軍事外注には反対の立場をとっており、こういう「シスアド」的な仕事もアメリカ軍がやらなければならない、としている。
▼軍部内での対立構造バーネットはこのような軍の役割分担を、「軍事革命」(RMA)におけるペンタゴン内の対立構造にすでに見て取れるということをハッキリ書いており、とても興味深い。この対立構造は、以下のような二つの陣営にわかれてくる。
リヴァイアサン     vs     シスアド戦闘部隊        vs    平和維持部隊戦争に勝つ機能   vs    平和を保つ機能空軍 (海軍)     vs    陸軍・海兵隊機械           vs    戦士ラムズフェルド長官  vs    シンセキ参謀総長A・マーシャル     vs    T・ハメスNCO  vs    4GW
また、バーネットはこのような対立がアメリカの「防衛知識人」(defence intellectuals)と呼ばれる戦略家の間でも表面化したことを指摘しているのだが、これは私も個人的に知っていることだったので非常に印象に残っている。
これは具体的には海兵隊の将校トーマス・ハメス(Thomas Hammes)が書いた『The Sling and the Stone』という本で提唱された「第四世代戦争」(Force-Generation Warfare:4GW)という概念が出てきたことによってハッキリしてきた。
私は去年、この本を防衛知識人のサークルのある人物から読めと強く勧められたのだが、海兵隊の将校が書いたことからもわかる通り、この本の中では米軍にはテロ戦争という新世代の戦争を戦うための、いわゆる「シスアド」的な機能を強化することが大切である、ということがまんべんなく主張されている。
ちなみに軍事革命という概念の元祖といわれるアンドリュー・マーシャルが、これとは反対に主張しているのがこの「ネットワーク・セントリック・オペレーション」(NCO)という概念であり、空軍・海軍を中心にITでネットワーク化して徹底的に軽量化することによって、米軍の戦闘能力、つまり「リヴァイサン」的な機能を高めようとしているのだ。余談だが、いわゆるミサイルディフェンス構想(MD)というのも、とどのつまりはこのNCOの一つの形態であると言ってよい。
バーネットはまた、ラムズフェルド国防長官とシンセキ参謀総長(当時)の対決が、まさにこの「リヴァイアサン」と「シスアド」の対立がペンタゴン上層部で政治問題になっていたことを指摘している。
この二人の対決は、そもそもイラク戦争にどれだけ兵隊が必要かということで意見がわかれたことに端を発しているのだが、陸軍出身の参謀であったシンセキ(日系人)は「多数の人員が必要だ」とする「シスアド派」であり、一方、空軍の深いコネクションを持つラムズフェルド(及びネオコン)は、「少ない人員で平気だ」とする「リヴァイアサン派」だったのだ。
バーネットはこのような対立が起こることがそもそもおかしいと主張している。
つまりラムズフェルドやネオコンは「リヴァイアサン」によってイラクを倒すには少ない数の兵士でよいと言っていたのであり、シンセキ参謀はイラクの占領統治にはもっと莫大な人数が必要であると言っていたのだ。つまり両方とも正しかったわけであり、「リヴァイアサン」も「シスアド」も、両方とも強化しなければならないとバーネットは主張しているのだ。
このような対立から類推してわかるのが、アメリカが軍事革命によって行っている空軍・海軍主導による軍事再編というのは、とどのつまりはアメリカの「リヴァイアサン(戦闘)部隊」への特化事業である、ということなのだ。
たとえばアメリカは沖縄から海兵隊(=シスアド部隊)を7000人撤退すると発表しているが、それとは対照的にグアムやインド洋に浮かぶディエゴガルシアなど、ユーラシア大陸から遠隔地にある基地では、空軍や海軍を中心とする米軍のリヴァイアサン的な機能は強化されつつあるのだ。
まさにバーネットの説明した対立構造のままに軍事革命(RMA)が空海軍主導で進んでいることがうかがえるのだが、バーネットはそもそも「海兵隊を陸軍に組み込んでシスアド部隊として一体化させろ!」と主張しているくらいだから、RMAの政策作成に深く関わっていた人物という立場から、このような「リヴァイアサン主導」の軍事再編のバランスの悪さに我慢ならなかったところがあるのだろう。
また、バーネットは国際裁判所(ICC)の機能がアメリカ軍に及ぶことにも反対している。その理由なのだが、アメリカの「リヴァイアサン」という戦闘部隊に「殺す」という役割があるので、戦争犯罪的な罪からは逃れるように配慮しておかないとまずいことになる、という所にある。
バーネットのこのよう主張から垣間見られるのは、アメリカは世界の警察官である、という思想であり、現在のアメリカは世界警察の機能の中でも、とくに特殊部隊(SWAT)的な面、つまり「リヴァイアサン」的な部分だけやって行こうというバランスの悪い考えをしている、ということである。
▼ 第二章この章のタイトルは「Winning the War through Connectedness」、つまり直訳すれば「つなげることで戦争に勝つ」ということなのだが、具体的には「中東対策、とくにテロ戦争をどうすればいいのか」ということが書かれている。
まずこの章のはじめを読んでビックリするのは、バーネットが自分の四人目の子供を養子にしており、その子をなんと中国から迎え入れた、ということを書いていることだ。
後の章でも書いているが、この子供を養子にした日付が2004年の8月15日であり、なんとも因縁めいた日付を選んだものだと感心してしまう。中国ネタについては次の章で触れられているので、細かい解説も次の章の部分で触れることにする。
第二章のはじめでは、バーネットはブッシュ・ジュニア政権が特に2001年のテロ事件のあとにとり始めた「中東全域グローバル(民主制)化構想を全く否定してはいない。しかし自分の戦略ではこれが「中東におけるビッグバン」(Big Bang on Middle East)となるべきだとしている。
シャランスキーというユダヤ系の知識人の意見に触発されたブッシュの場合は、中東のすべてを民主化することによりテロを撲滅しようという野心的なスタンスをとっていたのだが、バーネットの場合は「民主化させるかどうか」ということは問題にしていない。彼にとって重要なのは、政治制度の質ではなく、その国の社会がグローバル化によって世界とつながっているかどうか、という部分のみだからだ。つまり「つながって」さえいれば、独裁でもなんでもかまわないのだ。
その他にも、バーネットは9/11以降の「テロとの戦い」というのものが、特定の個人を捕まえる作業、つまりアメリカという世界の警察官が、オサマ・ビンラディンやサダム・フセインのような、特定の犯罪人を追及するような形になったということを示している。
たしかに「テロとの戦い」というものは、知識人や戦略家の間では「戦争」(War)なのか単なる「犯罪行為」(Criminal Act)なのかという部分で議論を交わされてきた部分がある。バーネットはハッキリとは断言していないのだが、テロとの戦いはつまり「テロという個人の起こした犯罪の取り締まりである」という立場をとっていることがよくわかる。
すでに述べたように、テロというのはすべて「ギャップ」、つまり世界の田舎の地域で起こっているという認識をバーネットは持っているのだが、ここを「コア」という都会にしてしまえばテロという犯罪の温床がなくなってしまう。
だから何はともあれ「民主化」よりも「都会化」のほうが大切だということになるのだ。
▼中東グローバル化に必要な大胆な提言このような考えを基礎におきながら、バーネットはテロ撲滅の一番の近道は中東全域へのグローバル化(民主化ではない!)を促進することであり、それにはまずパレスチナ問題やイラン問題を解決することが重要だと説いている。
それにはどうすればいいのかというと、なんと大胆に「パレスチナに国家を与え、イランを核武装化させてしまえ」というのだ。ここが普通の単なるリベラルとバーネットの大きな違いである。
なぜイランに核武装をさせてしまうことが良いのか。
バーネットにすれば、アラブ全域にはイスラエルに対する劣等感がある。つまり何度かの中東戦争でもアラブ連合は、イスラエルに軍事的に一度も勝てなかったという不名誉な実績がある。だから逆にイスラム圏の最大国家であるイランに核武装をさせてしまえば、ひとまず彼らのユダヤ人国家に対する軍事的な劣等感は解消されるだろうし、大規模な戦争を起こそうという気も少なくなるだろう、ということなのだ。
イランの安定というのは、カスピ海周辺で資源を欲しがっているインドや中国のエネルギー政策にもポジティブな影響を及ぼすことになる。またイランはイラクの多数派であるシーア派とのかかわりがあることから、この国に影響力を持たせれば隣のイラクの安定にも貢献するようになるという魂胆なのだ。
つまりアメリカはイランに「コア側」としての力をつけさせ、中東地域でのリーダーシップを発揮させたいということなのだ。これが終われば、次はアフリカと中央アジアのほうにも本腰を入れてグローバル化に取り組めるからだ。
このような大胆な提言のほかにも、バーネットは第二章の最後で「世界貿易機構」(World Trade Organization:WTO)をマネして「世界対テロ機構」(World Counterterrorism Organization: WCO)を作れ、などと提案している。
これは結局のところは彼の言う「コアという都会主導のルールセットを統一させて、ギャップという田舎にも守らせろ!」という彼の「コア主導のグローバル化戦略」の適用であるのは間違いない。
ところがすでに述べたように、アメリカ軍には「リヴァイアサン部隊」という強力な「ヒットマン集団」があるわけで、この機能を損なわないためには、アメリカは「国際犯罪裁判所」(ICC)から戦闘行為に関する罪の是非を問われないようにしておかなければならない、ということになる
つまりバーネットは、国際的な統一裁判機構のようなものができるまで、アメリカは正義のためなら犯罪人の人権も無視するようなダーティー・ハリー(クリント・イーストウッド主演映画の主人公)のままで行け!ということを言いたいのである。
なんだか不公平なような気がするが、バーネットの中では世界の警察官であるアメリカには天から受けた使命があると考えているため、このような主張をしても彼自身の内部には矛盾がないことになるのだ。
▼第三章
前回ではバーネットの新刊『Blue Print for Action』の第二章まで
の内容を説明したが、今回は第三章以降の紹介をする。
最初の二つの章で、バーネットはグローバル化戦略に必要なものと
して、まずは「戦闘部隊」、つまり「リヴァイアサン部隊」と、「
平和維持部隊」、いわゆる「シスアド部隊」というものの両方の役
割をバランスよく発展させることが重要であると主張しており、こ
れを踏まえた上での中東地域に対する具体的なグローバル化戦略な
どをくわしく説明したことはすでに述べた通りである。
そしていよいよ第三章では、日本も絡んだ「東アジアグローバル化
戦略」について細かく述べている。
この章のタイトルは「東(アジア)を安全にすることによってコア
を拡大する」(Growing the Core by Securing the East)というも
のなのだが、実質的にはアメリカの「対東アジア戦略」を簡潔に述
べたものであるといえる。
まずこの章は今後のアメリカの外交政策の重要課題となる対中国戦
略の説明からはじまるのだが、その前に結論として、彼は東アジア
に北大西洋条約機構(NATO)のような組織をつくり、そこに日
本や統一朝鮮(!)だけでなく、中国とインドも参加させるという
大胆な構想をいきなり述べているのだ。
▼「超親中派」のバーネット
すでに述べたが、バーネットは二〇〇四年の八月十五日に、自分の
四人目の子供として中国生まれの女の子を養子に迎えている。この
ことからもわかる通り、彼はアメリカの戦略家ながらも、極端な親
中派であることがうかがえる。
養子を迎えるというのは、中絶を拒否する彼の宗教(カソリック)
とも関係あるのかも知れないが、とにかくアメリカの戦略家として
はかなり型破りである。なんせ自分の家族に中国人の女の子を迎え
ているくらいだから、アメリカの潜在的な敵国となる中国と衝突さ
せないという強い覚悟が彼の行動からハッキリとうかがえるからだ。
彼がどのような経緯からこのようなことを思い立ったのかはくわし
く述べられていないのだが、バーネットの一冊目の本の中国語訳は
北京大学で出版されており、彼はそこで何回か講演も行っていて、
豪華なレストランで中国政府の要人たちと歓談している様子なども
記されている。これらのエピソードからもわかる通り、バーネット
は中国政府のエリート層ともかなり深いつながりがあることが見て
取れる。
余談だが、バーネットはそのような人物たちから「中国政府のため
の戦略家にならないか?」とかなり本気で(?)話を持ちかけられ
ているほどだ。谷垣財務大臣や橋本元総理のように、すでに中国政
府から寝技をかけられているのでは?と勘ぐりたくなってしまう。
まずこの章でバーネットが主張していることで最も注目すべきなの
は、「今の中国は、十九世紀後半頃のアメリカと同じ状況である」
というものだ。このような比較というのは、日本人の私たちからす
れば明らかに怪しいものなのだが、アメリカの戦略家の間では意外
と単純に受け入れられているものだ。
たとえばYS氏が以前この国際戦略コラムでも紹介された「フォー
リン・ポリシー」という雑誌で行われたブレジンスキーとミアシャ
イマーの討論があるが、そこでも「十九世紀後半のアメリカ」と「
現在の中国」は、「多民族国家による新興国」という意味では状況
が似ていることを前提にして、激しい議論が交わされている。
ではバーネットが中国政府の独裁的な面に批判的ではないかという
と、そういうわけではない。
彼の場合は、いずれ中国が完全にグローバル化に組み込まれるとそ
ういった独裁的で閉鎖的な部分も開放的にならざるを得なくなるか
ら、当面の独裁状態には目をつぶっておこう、ということなのであ
る。その証拠に、バーネットはこのままの状態が続けば、中国は
2025年までに民主化するとハッキリと明記しているほどだ。
なぜここまでバーネットが「中国はアメリカの敵にはならない」と
楽観視できるのかというと、やはり昔のアメリカとの対比である。
たとえばバーネットは「アメリカは世界で最も長期間、多民族によ
る政治・経済体制を維持できた成功例であり、逆に中国は世界で最
も長期間、多民族による政治・経済体制を維持できなかった失敗例
である」ということを述べている。つまり基礎的な部分では似通っ
ているという、アメリカの知識人にありがちな中国に対する幻想を
匂わせているのだ。
その次に、どんな国でも新興国の時は政治体制が独裁的でないとや
っていけないものだ、ということも述べている。アメリカもその例
にもれず、十九世紀末の上り坂を駆け上がっている時は今の中共政
府ほどではないとしても、アメリカ中央政府も掌握力が必要だった
から、というのがその理由である。
また、バーネットは中国の掲げる共産主義も、ただの建前/念仏で
あるということには充分気がついている。たしかに現在のアジアで
は中国がその周辺国を「資本主義」で牽引している面が大きいし、
バーネットはこれを「逆ドミノ現象」(reverse domino effect)だ
と指摘しているほどだ。
このように中国のグローバル化、つまり国外とのつながりだけでは
なく、国内の「都会化」をも大歓迎するバーネットなのだが、彼に
とって何が一番怖いのかというと、それはズバリ、中国の鎖国化で
ある。
これもアメリカのリベラル派、グローバル化派の意見として根強い
典型的な意見だが、もし中国を鎖国化により世界市場から失ってし
まえば、世界で進行中のグローバル化という動き自体も止まること
になる、だからある意味で、中国を世界経済に組み込むことこそが
大国間戦争防止の最後の砦だ、ということになるのだ。
この延長線上で、バーネットは台湾問題についても記している。結
論からいえば、彼は台湾の独立は支持しておらず、将来的にもムリ
だろうといっている。
だから独立を宣言せずに現状維持で行けということなのかといえば
、そうではない。それよりもむしろ台湾は中共に吸収されるべきだ
という、驚くべき発言をしているのだ。
理由は単純である。台湾が中国に組み込まれると、それにつられて
民主化された台湾が本土全体に民主主義的な面でポジティブな影響
を与えるからだ。つまり、台湾吸収によって中国側もグローバル化
の影響をさらに受けるから良い、ということになる。
▼北朝鮮をどう料理するか
このように超親中派的な発言を繰り返すバーネットだが、北朝鮮に
対しては手厳しい。この主な理由はすでに皆さんもお分かりの通り
、「北朝鮮がグローバル化しないから」である。
対中国戦略を述べたあとのバーネットは、コアには新・旧二つのタ
イプがあり、アメリカは「新コア国家」と性格的に近いものを持っ
ているというのだ。これを以下にあげてみると、
新コア国: 中国、インド、ロシア、ブラジル、アメリカ
旧コア国: 西ヨーロッパ諸国、日本、
ということになる。バーネットはアメリカがグローバル化の速度を
増加したがっている点から新コア国に分類されるというだが、グロ
ーバル化戦略を推し進める際に重要になってくるのが、新コア国と
旧コア国を衝突させないことだと説く。
概して旧勢力というのは新興勢力に対して恐怖を感じやすいもので
あるし、ここから様々な紛争が起こりやすくなるのは事実なのだが
、バーネットにとって重要なのは「とにかくコアを拡大すること」
なので、ここでコア同士が無駄な紛争をするべきでないし、またで
きないだろうというのだ。
ところが北朝鮮のようにグローバル化しない国に対しては、バーネ
ットは冷酷で容赦がない。たとえばアメリカが日本と共同開発しよ
うとしているミサイル防衛計画があるが、これは直接的、建前的に
は北朝鮮の脅威によるものであるため、北朝鮮の脅威が消滅しない
限りは計画が推進されてしまうことになる。
ちなみにバーネットはこのミサイル防衛が、最終的にはグローバル
化最後の虎の子である中国に対する、「日米共同のグローバル化阻
止」への動きにつながる可能性を指摘して、厳しく批判している。
こういう意味からも、彼は徹頭徹尾「親中派」なのだ。
このような日米中の衝突のきっかけを作っているという北朝鮮に対
して具体的にどうするかというと、バーネットは以下のような三つ
戦術を提案している。
1.、「政権亡命」:金一族に国外亡命をさせる(delocation)
2.、「政権交代」:政権トップだけの交代を狙う、いわゆる"首切り
         戦略"(decapitation)
3.、「脅迫」:ひそかに使節を派遣し、暗殺するぞと強烈に脅す
       (blackmail)
バーネットは1.が最も望ましい戦術で、3.が最もダメだといってい
るのだが、とにかくアメリカはこれらのうちの一つを、遅くとも
2010年ころまでには実行しなければならないとしている。
第三章の最後に、バーネットは現ブッシュ政権が任期中(~2008
年末)までに東アジアでやることとして三つの政策をあげている。
1.、台湾に独立を宣言させない
2.、中国をグローバル化推進にさらに参加させる
3.、北朝鮮の金政権を崩壊させる
そしてこれらを行なっていくのは、世界で最初にグローバル化を果
たしてきたアメリカの「使命」であるとして、第三章を締めくくっ
ているのだ。
▼第四章
この章は基本的に前の本で主張した戦略的コンセプト、つまりなぜ
ギャップの縮小化を目指さなければならないのかという戦略の再確
認をしているといってよい。
題名もズバリ、「疎外を終了させることによりギャップを縮める」
(Shrinking Gap by Ending Disconnectedness)である。
バーネットはこの章の最初で、戦略家としてこれからのアメリカの
進むべき方向、つまり「問題の認識と、その解決への道のり」を鮮
やかに示したことを、数多くの人間に非常に感謝されたことをまず
紹介している。
その後、バーネットは結局のところグローバル化というのが波のよ
うに地域全域を飲み込む形で起こるという、すでに述べたような「
逆ドミノ論」を再び展開し、最終的にはグローバル化による「バン
ドワゴン状態」を起こすことが目標だとして、これを効果的に起こ
すために6つ、もしくは7つの戦略シナリオを描いている。これら
を以下にそれぞれあげてみると、
1、「ならずもの国家シナリオ」:イランを温存して北朝鮮をアジ
  ア版NATOでつぶす。その後は南米に集中し、コロンビアの
  内戦を終わらせてベネズエラのチャベスを狙う。アフリカにと
  りかかるのは最後。
2、「イスラム円弧シナリオ」:まずイスラム世界をコアに組み込
  むことに集中。北朝鮮はつぶさない。基本的にシーパワー連合
  重視で、中国とは組まずにインドと海軍で協力。
3、「破綻国家シナリオ」:テロの温床である破綻国家を優先して
  コアのマーケット経済に組み込む戦略。まず中央アジアに行き
  、それからアフリカに取り掛かる。アフリカは中国にまかせる。
  ヨーロッパの支持を得られやすいと指摘。
4、「国土防衛シナリオ」:アメリカ本土周辺の問題解決に集中。
  カリブ海周辺や南アメリカからのドラッグ流入などの防止を主
  に行う。
5、「エネルギー独立シナリオ」:東アジアにはあまり関心を向け
  ず、アメリカのエネルギーが供給できるところ、つまりペルシ
  ャ湾岸、中央アジア、そして次にアフリカの問題解決に集中。
  軍事的にはコストが最もかからないかもしれないが、コア諸国
  の間に植民地時代のような資源争奪戦を生み出してしまう可能
  性あり。
6、「人道救助シナリオ」:いわゆる超孤立政策であり、人道的な
  救助以外はアメリカは海外に派兵しないというもの。中東政策
  が失敗してアメリカが内向きになったときに起こりやすい。ギ
  ャップの状態が悪化してしまう恐れ大。
7、「その他のビックリシナリオ」:アメリカ国内で大量破壊兵器
  がテロ攻撃に使われたり、中国が東アジアの覇権を狙って軍事
  的に暴走すること、その他にも環境破壊が大規模で起こること
  や、中東で大戦争が勃発することなど。
ということになる。この後、「グローバル化」は「アメリカ化」で
はないことを、日本などのコア国の例やフリードマンなどの論者の
説を使って説明しつつ、最後にバーネットはギャップ国がグローバ
ル化してコア国になるために必要な三つの要素を主張している。
この三つとは、
1、「良い政府」:かならずしも"民主的"ではなくてもよい。むし
ろある程度独裁的なほうが効果的であるから良いという認識。
2、「女性への教育」:女性への教育が行き届いた国はテロリズム
の温床にはならない。女性をどう扱うかによってその男の本性がわ
かるということわざから、国家が女性をどう扱うかによって程度が
わかるとしている。
3、「個人投資家が資本へアクセスできること」:もちろんグロー
バル化のカギとなる経済的な結びつきには金のめぐりが重要という
考えから。
この三つが揃ったときに国の都会化が促がされてグローバル化が進
む、というのがバーネットの持論なのだ。

Tuesday, December 20, 2005

政権転覆と石油利権

▼リビア犯人説はアメリカのでっち上げ?
 今年8月、スコットランド警察の元警察幹部が爆弾証言を行った。彼は以前、1988年にパンナム航空機がスコットランド上空で爆破され、のちにリビアの政府ぐるみの犯行とされた事件の捜査を担当していた。彼は、このパンナム機事件について「リビア政府の犯行と断定する際の証拠となった時限装置の断片は、アメリカの諜報機関CIAが事故後、現場近くに置いたものだ」と証言した。
 パンナム機事件の犯人とされた北アフリカの国リビアは、1990年に米英から犯人と名指しされた。リビアは当初、事件への関与を否定していた。だが、アメリカや国連から経済制裁を発動されて窮したため、リビアは事件から11年後の1999年に、米英当局が「犯人」と名指ししたリビア政府諜報機関の要員2人を第三国のオランダで裁判にかけることに同意し、国連は対リビア制裁を棚上げした。その後、2003年にリビア政府がパンナム機事件への関与を認めたことを受け、アメリカも制裁を解除した。
 裁判が終わり、リビア政府が関与を認め、事件が解決したと皆が思った後になって、捜査を担当していた元警察官が「実はアメリカのでっち上げでした」と暴露したのである。彼は、裁判で有罪とされ終身刑を受けているリビア人諜報部員アブデルビセット・メグラヒの弁護士に対し、自分の証言を署名入りで提出した。弁護士は再審請求をしており、メグラヒは再審で無罪になる可能性が出てきている。
 確かに、パンナム機事件をリビアの犯行と断定するには、無理な点がいくつかあった。明白な証拠は時限装置の電子基板の断片だけで、基板をリビア政府が買ったことがあるのでリビアが犯人だ、という筋立てだったが、スイス製のその基板は、リビアのほかにいくつかの政府による購入経歴があった。
 裁判では、容疑者の一人は証拠不十分で無罪になっている。リビアが犯人だという話は事件直後には出ていなかったが、事件から1年ほどたって、事故現場から数キロ離れた森の中で電子基板の断片が見つかった後、急に「リビア犯人説」が浮上した。

▼真犯人はイランとシリア?
 しかし、リビアでないなら、誰が犯人なのか。実は「リビアは犯人ではない」と証言している人物はもう一人いる。かつてCIAで働いていたが、CIAのやり方に腹を立てて辞め、その後はジャーナリストなどをしているロバート・ベーアという人で、2002年に彼が行った証言によると、真犯人はイランとシリアだという。
 1988年7月、イラン航空の旅客機が米軍によって撃墜され、290人が死ぬ事件があった。米側は「誤射」だと主張したが、イランはそれを信じず、シリアに支援されたパレスチナ人ゲリラ組織PFLP-GCに金を出し、報復として同年12月、パンナム機を爆破して270人が死ぬ事件を引き起こした、というのがベーアの語る筋書きである。
 米政府は、事件捜査を進めるうちにイランとシリアの犯行だと分かったが、当時はちょうどアメリカがイラクを相手に湾岸戦争を挙行しようとしていたときで、イラクに隣接したイランとシリアを敵に回したくないと考え、犯人でもないリビアに濡れ衣を着せたのだという。
 ベーアは、さらに奇怪な説明もおこなっている。PFLPがどうやってパンナム機を爆破したか、についてである。墜落したドイツ発アメリカ行きのパンナム機には、毎週、CIAがヘロイン(麻薬)を詰めたトランクをいくつも載せて運んでいたのだが、PFLPのメンバーCIAを騙してトランクの一つを時限爆弾入りのものにすり替えることに成功し、爆発を起こしたのだという。
 この話は、1979年のソ連のアフガン侵攻以来、CIAがアフガニスタンの麻薬をアメリカに密輸してカネに換え、それをイスラムゲリラ(のちのアルカイダ)に資金提供していた、という話に始まり、アフガン戦争後、ゲリラがテロ活動に転じた後もCIAは資金提供を続け、その結果911が起きた、という話につながるのだが、話の奥が深すぎて、今回のリビアの話から大きく外れてしまうので、別の機会に解説する。
▼イスラエルの敵でなくなったので濡れ衣も終わりに
 ベーアの証言は、いろいろと興味深い示唆に富んでいるのだが、彼がこのような発言をする背景を見ていくと、別の興味深い点に行き当たる。それは、彼が中東諸国の政権転覆を試みるネオコンの一派であると思われることである。
 ベーアはアラビア語使いで、CIAでは、アラブ人のテロ組織などにスパイを送り込む仕事をしていた。彼は90年代前半にはイラク北部のクルド人がフセイン政権を倒すゲリラ活動を支援したが、米政界の上層部(中道派)がイラクの分割に反対し、1995年のゲリラ決起を前に、クルド人支援を抑制したことに腹を立て、CIAを辞めた。
 当時から、イラクのクルド人を最も支援していたのは、イスラエルとその「アメリカ支部」であるネオコンだった。ベーアはCIA辞職後、サウジアラビアやシリアの政権転覆を主張する言論人となり、ネオコンと歩調を合わせた。
 リビアは、1980年代にはイスラエル敵視の戦略を持ち、パレスチナ人ゲリラを支援したり、アラブ諸国統合の思想を喧伝していた。アメリカで1981年、イスラエル系勢力(今のネオコン)が高官に多数入り込んだレーガン政権が誕生すると、同政権はリビア敵視策を採った。同年中にリビア沖で、米空軍機がリビア空軍機を撃墜する事件が起き、米・リビア関係は一気に悪化した。アメリカがリビア政府をパンナム機墜落事件の犯人と名指ししたことは、この延長線上で起きている。
 しかしその後、リビアの独裁的指導者カダフィは、アメリカに譲歩して方針転換し、1990年代にはアラブ統合ではなく、アフリカ統合の理想を声高に語るようになった。その結果、イスラエルにとってリビアは大した脅威でなくなり、イラクやイラン、シリアの方が主な敵になった。それで、パンナム機爆破の犯人は、リビアではなくてイランやシリアである方が、イスラエルやネオコンにとって都合が良くなったのだろう。
 最近では、イスラエルのシャロン首相がタカ派から中道派に転換し、ガザ撤退を実現したことを受け、シャロンがリビアを訪問する構想や、逆にリビアのカダフィがイスラエルを訪問する構想が取りざたされている。相互訪問は実現していないものの、もはやリビアがイスラエルの敵ではないことは、ほぼ確かである。
▼リビアの転換は「先制攻撃」への恐怖からではない
 リビアは、世界第8位、アフリカ最大の石油埋蔵量を持つとされる産油国で、カダフィ大佐が一人で権力を握っている独裁の国である。カダフィは27歳だった1969年に王制を倒す将校団のクーデターを率いて成功し、それ以来支配し続けている。
 彼は「直接民主制」を掲げ、自分の肩書きも全部なくしてしまった。だが、これは建前の姿勢にすぎない。実際には、カダフィは石油を輸出したカネを国民に配分することで権力を維持してきた。リビアの国家収入の大半は、石油の輸出収入である。
 リビアは豊富な石油資源を抱えているが、パンナム事件によって国連やアメリカから制裁された結果、世界の石油会社はリビアの石油の開発を禁じられた。リビアは、油田の修繕や新油田の開発を欧米企業に頼っていたため、制裁を受けてから何年かたつと、石油が出にくくなって国家収入が減り、国民の不満の高まりを背景に、1993年や98年に国内で反乱が起きた。窮したカダフィは99年、パンナム機事件の容疑者とされた諜報部員2人を引き渡すことに同意した。
 国連の制裁は棚上げされたが、その後もタカ派傾向を強めるアメリカは、リビアに対する制裁を解除しなかった。リビア政府は、アメリカがイラクに侵攻した直後の2003年4月、パンナム機事件への政府の関与を認め、被害者の遺族に補償金を出し、開発中の大量破壊兵器も廃棄すると表明した。それを受け、アメリカはリビアに対する制裁を解除し、欧米や日本の石油会社が、待ちに待ったリビアの油田開発に殺到することになった。
 リビアがパンナム機事件の責任を認めるとともに、大量破壊兵器開発を破棄したことは、ブッシュ政権の単独覇権主義の成功例であると喧伝された。日本でも著名な「中東専門家」の中には「アメリカが先制攻撃や政権転覆の方針を掲げ、実際にイラクのフセイン政権を倒したことが、カダフィを震え上がらせ、従順にさせたのだ」といった解説をする人が目立った。
 しかし、事態を詳細に見ていくと、こうした分析は間違いであると感じられてくる。カダフィが欧米に対して従順になったのは、経済制裁によって欧米などの石油会社がリビアで操業できない状態がずっと続くと、石油収入が減って国内政情が不安定になるからである。注目すべきは、1999年の段階でリビアが罪を認めても強硬姿勢を変えなかったアメリカが、その後「先制攻撃」を言い出し、もっと強硬になった2003年のイラク戦争後に、リビアを許す方針に転じたことの方である。
▼ペルシャ湾岸の代わりとしてのリビア
 おそらく米政界では、イラクに侵攻し、次はイランやサウジアラビアの政権を転覆することに着手しようという段階になって、石油産業などから「それでは最重要の石油供給源であるペルシャ湾岸地域が長く不安定になり、世界的な石油供給に支障が出る」という苦情が出たに違いない。石油価格の高騰を防ぐための次善に策として、ブッシュ政権は「それならペルシャ湾岸からではなく、リビアから石油を買えばいい」という方針を出し、リビアを許してやることにしたのだろう。
 つまり、本当はアメリカの方に、リビアに接近する新たな必要性が生じた結果、アメリカはリビアと仲直りしたのであるが、ブッシュ政権は自己宣伝のために「われわれの戦略の正しさが証明された」と言い、対米従属の日本政府も、国民がアメリカの行為に疑問を持たぬようにしたのだろう。
(もともと世界的に中東研究者は、パレスチナ問題などでアメリカを批判する傾向が強かったが、911以後、日本では外務省が、傘下の研究機関や大学におけるアメリカ批判の論調を止めようとする傾向を強め「ブッシュの作戦が功を奏してカダフィは態度を改めた」といった、外務省にとって便利な分析を発表する人々がマスコミで重宝される傾向が強まった。以前から著名だった人々は、自分の発言に注意するようになった。アメリカの中東研究者も、米政府から似たような圧力を受けている。日米では、隠然とした言論抑圧が続いている)
 リビアの首相や外相は、石油価格が高騰してアメリカがリビアからの石油購入を止められなくなった後の2004年2月、マスコミの取材に対し「われわれが(パンナム機事件の被害者遺族に)補償金を払うことにしたのは(アメリカからの攻撃を受けない)平和な状態をカネで買っただけだ」「われわれは自国の政府職員の行動に責任を持つとは言ったが、パンナム機の爆破に対して責任を持つとは言ってない」と表明している。リビアは石油収入を増やすため、あえて一時的に濡れ衣をかぶる戦略を採ったということである。
 欧米は最近まで、リビアが大量破壊兵器を持つことに懸念を表明し続けてきたが、その裏では正反対の行動をしている。リビアがアメリカから制裁を解かれる直前、イギリスのブレア首相がリビアを訪問したが、このときブレアはカダフィに、イギリスの戦闘機と、リビア軍の将校をイギリス軍の学校で訓練するサービスを売り込んだ。リビアに独自に大量破壊兵器を作るのを許さなかったのは、高い武器を売りつけるためだったらしい。高値の軍事技術とバーターすることで、イギリスはリビアの石油が安く手に入る。
 イギリスの狡猾なところは、フランスを誘って同様の売り込みをさせたことである。こうすれば「国際社会」が皆でやっていることだから、イギリスが非難を受けずにすむ。イギリスのやり方は、1910年代にフランスを誘って中東を分割したころから変わっていない。日本も憲法を改定して武器輸出を解禁すれば、60年ぶりに、この金儲け事業に再参加できるようになる。
▼ペルシャ湾岸の代替地を作り切れず石油価格が高騰
 リビアのカダフィ政権は、アメリカがネオコンの戦略に基づき、イラク、イラン、サウジアラビアといった、イスラエルの潜在敵であるペルシャ湾岸の産油国に対して政権転覆を試みる際に、代わりの石油供給源として、アメリカから存続を「許された」と考えられるが、ネオコンがペルシャ湾岸諸国の代わりの石油供給源として指定した場所は、リビア以外にもある。ナイジェリアなど西アフリカや、アゼルバイジャンなど中央アジアの油田も、ペルシャ湾岸の代用として有望だと、米政権の中枢に陣取ったネオコンから提案されていた。
 しかし、ペルシャ湾岸の代替地を用意する戦略は、今のところあまりうまく機能しておらず、石油価格の高騰を招いている。リビア自身は産油国としての有望さは失われていないが、他の代替地である西アフリカは内戦がひどくなり、中央アジアもアメリカが「民主化」を扇動した結果、不安定になっている。
 イラク侵攻の前年、アメリカとイスラエルに拠点を置くネオコン系シンクタンクIASPSは「サウジアラビアなどペルシャ湾岸諸国から石油を買うのをやめて、代わりに西アフリカから買うべき」と主張し、米政府や石油業界にロビー活動を展開した。「これまで、石油の世界で『湾岸』といえばペルシャ湾岸をさしていたが、そんな時代はもう終わる。これからは、湾岸といえば西アフリカのギニア湾岸のことをさすようになる」といった調子の論文も出された。
 ところがその後、ギニア湾諸国の中心をなすナイジェリアでは、油田地帯がある海岸部の諸民族が「油田からの収入が地元に還元されず、内陸の民族が支配する中央政府に吸い取られている」と主張し、武装した分離独立運動を激化させ、油田を占拠しかけている(ナイジェリアは250の民族から成っている)。その結果、シェブロンやシェルといった、ナイジェリアの油田を採掘しているアメリカの石油会社は、操業を止め、従業員を撤退させざるを得なくなった。
 もう一つの代替地である中央アジアでは、カスピ海岸の産油国アゼルバイジャンの首都バクーから、欧米に石油を運ぶタンカーが出発するトルコの地中海岸の港ジェイハンまでのパイプラインが最近完成し、来年から送油を開始する。これは今後、石油価格を引き下げる要因となりそうだが、その一方で、油田があるアゼルバイジャンでは、選挙で不正があったかどうかをめぐって反政府派がデモを行い、政情が不安定になっている。カスピ海対岸の産油国カザフスタンなども、潜在的に似たような政治不安を持っている。
▼ロシアを強化してネオコンを潰す
 911以後、ネオコンがブッシュ政権の中枢で「中東民主化」という名目のペルシャ湾岸産油国破壊作戦を開始し、同時に代わりの石油供給源としてリビアや西アフリカ、中央アジアを用意する動きも展開されたが、この動きとほぼ並行して、ロシアやベネズエラといった、その他の産油国では、ネオコンの戦略を阻害する方向の動きが起きた。
 ロシアでは911直後まで、大手石油会社「ユコス」を所有するホドルコフスキーら、ユダヤ系中心でイスラエルと親しい新興諸財閥「オリガルヒ」が、石油利権を支配していた。彼らは、エリツィン前政権を牛耳っていたが、2000年から大統領になったプーチンは、オリガルヒを1人ずつ潰し、石油利権を再国有化していった。
 この過程では、アメリカのキッシンジャー元国務長官や、イギリスのジェイコブ・ロスチャイルド卿といった、前回の記事 の末尾で私が「黒幕ではないか」と考えた人々が、最初はオリガルヒを支援していた。ところが彼らは、ホドルコフスキーがプーチンと最終戦争状態になったところで、ホドルコフスキーに対する支援を突然に打ち切ってはしごを外し、プーチンを勝たせてしまった。
 プーチンはその後、石油価格高騰で急増した国家収入を使い、欧米から借りていた金を前倒しして返し、欧米からの内政干渉を止めたうえで、中国やイランと組んでアメリカに対抗するようになり、アフガン戦争後、アメリカの軍事的影響が一時増していた中央アジア諸国でも、アメリカが「民主化」をごり押しして嫌われているのをしり目に、ロシアの影響力を復活させた。
 キッシンジャーやロスチャイルドがオリガルヒを支援し続けていたら、ロシアは引き続き弱いままで、中央アジアはアメリカのものになり、オリガルヒは安い石油をアメリカに供給していただろう。キッシンジャーやロスチャイルドは、ネオコンの戦略を潰すため、プーチンのロシアを強化してアメリカに対抗させたのではないか、というのが私の「黒幕説」の根拠である。
 一方、キッシンジャーやロックフェラー財閥の人々は、しばしば中国を訪問し、共産党政権に対するアドバイスを続けている(キッシンジャーは、ロックフェラー家の政策顧問でもある)。
▼石油価格高騰も「百年戦争」の一環?
 石油消費量が急増して輸入先の拡大を急いでいる中国は、同じく石油消費量が増えそうなインドや、戦略的同盟関係になったロシアとともに、イランや中央アジアの石油利権を獲得し始めている。中国は、アメリカの石油輸入の4分の1を占めるベネズエラとも関係を強化し、アメリカが輸入している石油を横取りしようとしている。中国は、アメリカが世界的に嫌われるようになったことで、漁夫の利を得ている。
 ロックフェラーやロスチャイルドといった大財閥は、もともと世界の石油利権を獲得することで大きくなった歴史があり、彼らにとっては、ネオコンが勝手に「サウジを潰す代わりにリビアの石油を開発する」「イラクを3分割し、親イスラエルのクルド人国家を作り、キルクークの大油田からイスラエルに送油する」といったシナリオを描くことは、許すことのできない行為だろう。
 しかし大財閥が反撃しようにも、ブッシュ政権は911というクーデター的な出来事によって、ネオコンに牛耳られている。そのため大財閥は、世界を「多極化」することで、ネオコンの謀略を潰そうとしているのではないかと思われる。
 昨今の石油価格高騰は、需給関係の要因よりも、国際投機筋が高騰を演出している観が強いが、この投機筋の動きも、ネオコン戦略を潰す方向に働いている。ロックフェラーやロスチャイルドは石油産業の中枢にいるのだから、投機筋を動かすことができるはずである。
 ネオコンはシオニスト(イスラエル建国運動家)の一派だが、以前の記事に書いたように、ロスチャイルドはシオニズムを支援するふりをしてイスラエルを封じ込めており、両者の間では百年戦争が続いている。911以来のアメリカの大波乱は、この百年戦争の一環と見ることができる。
▼日本もリビアに乗り換え
 アメリカの大波乱は、日本の石油戦略にも大きな影響を与えている。その一つは、イランからリビアへの、油田開発先の乗り換えである。
 リビアは、アメリカの制裁解除を受けてから、2回にわたり、自国の未開発の油田の開発について、国際入札を行っている。入札は、世界から100社近くの石油関連企業が参加する競争の激しいもので、日本企業勢は、今年1月の1回目の入札では一つも鉱区をとることができなかった(15鉱区のうち11鉱区はアメリカ企業が主導権を落札)。しかし10月2日に結果が発表された2回目の入札では、26鉱区ついて国際入札した結果、特に有望な6鉱区について、日本石油、帝国石油、国際石油開発といった日本企業勢が落札した。
 この落札には、日米関係が影を落としている。日本企業勢は日本政府の肝いりで2004年2月、イラン政府との間でイラン南部のアザデガン石油を開発する契約を結んだが、その後、ブッシュ政権は日本政府に対し、アザデガンの開発を中止し、その代わりにリビアの石油開発ら落札して取り組め、と04年夏に要請している。
 もともと、日本がイランのアザデガンの油田開発を希望するようになったのは、1957年からアラビア石油が採掘していたサウジアラビア・クウェート沖のカフジ油田の採掘権延長交渉が2000年に失敗し、代わりの開発輸入先を探す必要があったためだ。当時はまだ911以前で、アメリカはイランのハタミ政権の穏健路線を評価し、イランへの敵視を止める可能性があった。
 実際には、米政界では1998年ごろからネオコン・タカ派的な強硬路線が強くなっていたのだが、日本政府はイランにこだわり、石油業界をアザデガンの開発に参加させることを決めた。ところが、アメリカがイランとの関係を改善する可能性は911の発生によって失われ、ブッシュ政権は小泉政権に対し、アザデガンの契約を調印するなと圧力をかけるようになった。
 この時点で日本政府内には、エネルギー源の確保を重視する経産省・石油業界などと、日米関係を重視する外務省などとの食い違いがあったようで、日本政府は煮え切らない態度を続けたが、結局、日本側(国際石油開発)はイランとの調印に踏み切った。
▼絵をほめて油をもらう
 とはいえ、日本政府にとってアザデガン開発の調印は「とりあえず」のものだったようだ。米政府はその後日本に「アザデガンをやめてリビアに変えろ」と秘密裏に要請し、それを受け、今年3月には柿沢弘治元外相や石油業界の代表がリビアを訪問して経済関係の修復を試み、今年4月にはカダフィの息子で後継者と目されるセイフ・アルイスラム・カダフィが訪日し、小泉首相らと会っている。
 セイフ・カダフィは絵を描く人なので、彼の訪日期間中、日本側は彼の絵の展覧会を東京で開いてやった。開催費の4分の3を石油業界が負担し、皇室や自民党政治らが展覧会場を訪れ、絵をほめた。これらの日本側の、おそらく官邸主導の外交努力が実り、日本勢はリビアの油田開発権を手にした。
 その後、日本勢は、アザデガンの油田開発をめぐり、イラン側と対立を起こしている。アザデガン油田はイラン・イラク国境に近く、1980年代のイラン・イラク戦争で100万発といわれる地雷が敷設され、そのままになっている。イラン側は、油田地帯に敷設された地雷のうち90%を除去し終わり、これで日本側は油田開発に着手できるはずだと言っているが、日本側は、残りの地雷も除去せよと要求し、対立している。
 イラン側は「除去した90%の地域の石油から開発していけば、残りの10%の地域の地雷は、来年まで除去しなくていいはずだ」「残り10%の地域の中には過去の洪水で水没したままになっている場所が多く、除去には時間がかかる」と反発しており、油田開発は暗礁に乗り上げかねない。
 日本政府は「イランをやめてリビアにせよ」というアメリカの圧力で、リビアの石油開発に乗り出したことを考えると、このイラン側との対立は、日本側がアザデガンから撤退するための口実として、発生しつつあるのかもしれない。
 もしそうなのだとしたら、日本側は早まらない方が良い。アメリカはイラクの泥沼から逃れるため、イランに協力を求める姿勢をとり始めている。ブッシュ大統領は「完勝までイラクから撤退しない」と先日の演説で宣言したが、議会や国防総省では、もう撤退する以外に方法はないという意見が広がっている。撤退するなら、アメリカは、イランとある程度の和解をする可能性が高い。
 日本がアザデガン油田を放棄し、代わりに中国がアザデガン開発に乗り出すころになって、アメリカはイランへの敵視を緩和し「あのときアザデガンを放棄しなければ良かった」と後悔することになりかねない。そうなっても専門家たちは「アザデガンは油質が悪いので、放棄して良かったですよ」などと、政府の意に沿った発言をするのかもしれない。

Sunday, December 18, 2005

外国と仲良くやることと、交渉力を磨くことは一致しない

国際交渉に参加せず決定を後追いすると、残業だらけになる

 「日下さん、小泉改革って、あれは何ですかね」と聞かれれば、僕は「ああ、あれは大蔵省潰しです。大蔵省潰しの仕上げです」という。それだけで終わり。あとはその人自身が、ウンウン唸って考えるわけだ。

 もし、あとになってその人と2回戦や3回戦があるとすれば、「仕上げとは何ですか」とか、「それは小泉さんが始めたことではなくて、そもそもはどこから始まりますかね」と聞かれることになるだろう。それについては、いろいろないい方ができる。ただ、僕の定義でいえば、「それは三木武夫さんからです」とか、そういうことになるだろう。

 僕は、一言でいって通じるような相手には、わざわざ説明はしない。「では、なぜ三木武夫から始まったのか」というような話は、その相手のほうが詳しいことが多いからだ。

 このように、相手が「なるほど、オレもそう思う」とか、「全然そう思わない」とか考えてくれることを期待して、僕は話す。しかし、たいていはそうはならないから、どうしてそうなるか、根本から説明してくれ、などと言われてしまうのだ。

 こういうとき「あなたはもっと本音をいいなさい」と僕に向かっていうことは、「裸になれ」ということと同じだ。こんな裸でよければ、僕はいくらでも見せるように努力しているが、中には僕の裸を見たくない人、僕のいうことに説明を求めずにただ面白がるような人もいるだろう。

 僕の話を「面白いから聞く」ような人は幸せだ。小泉改革など、どうなってもいい人たちといえる。「どうなってもオレの生活には大して関係ない」「関係が発生したときに努力すれば間に合う」と思っている人たちなのだ。

 かつてヨーロッパが国際標準を決める会議を一所懸命にやっていた。そのとき、経団連で副会長をした造船会社の人が、「国際標準をヨーロッパ主導で決められたら大変なことになるから、国際標準規格会議に日本企業も参加して、そこで頑張っておかなければいけない」と、口をすっぱくしていった。けれども、三井、三菱、住友、日立、東芝のような大企業の人たちは、「決められたら、こちらはパッとうまくやりますからご安心を」と言った。それと同じ構造なのだ。

 国際標準がヨーロッパ主導で決められれば、日本企業は不利な戦いを強いられることになる。たしかに、決められたあとでもその標準に合わせて勝ってしまうという実績は日本にはあるけれど、それゆえ我々日本人は残業ばかりさせられている。だから、「国際会議に出席して、その場で不利な条件は断り、有利な条件を世界に主張しておかなければ、あとが大変ですよ」と、造船会社の人は言ったのだが、大手企業は誰も理解しなかった。

中国の医者には約2000人の日本留学経験者がいる

 以前、南京大学の大講堂に、約500人の学生たちを集めて授業が行われた。みんな日本語が分かる学生たちだ。そこで日本財団会長の笹川陽平さんが日本語で講演スピーチをした。

 笹川さんは壇上に立って、いきなり「私は皆さんが大嫌いな日本人です」といい放った。中国の大学でこんなことを言う日本人は、他にいないと思う。外務省の人も、学者も、企業の社長も言わないだろう。評論家でも無理だ。こういう切り出しから話を始めるのが、笹川さんの偉いところだ。

 実はそれだけ日本語の分かる学生たちが集まるのも、日本財団が長年にわたって中国と友好親善活動をしてきた結果なのだ。要するに、財団の援助で日本に留学させて、日本語の分かる学生を何百人も育てたのだ。

 日本のお世話になって、日本に留学させてもらって、日本語を覚えましたという学生が500人くらいいるわけだから、笹川さんが何を言ったって、誰も反対しない。中国で日本人が何で言える環境を生み出したのは、日本財団の長年の活動のたまものなのだ。

 日本財団は初期の頃、中国の医者を毎年100人くらいずつ日本に呼んで、医学を学ばせて帰していた。それを20年間やると、そうした人が中国に約2000人もいることになる。つまり、中国の医者たちの中で、笹川OB会とか日本留学OB会に所属する人が約2000人にもなっていて、もはや一大勢力になっているのだ。

財団法人の草の根外交と、国家のネゴシエーター育成は
分けて考えよ

 笹川財団はそういうふうに日本と関わりのある人を、中国にたくさん育ててきた。だからこそ、そんな彼らに向かって日本語で話しかければ、みんなに通じる状況が生まれるのだ。

 南京大学の授業のあと、教授が僕のところに来て、「本当に大成功です。ありがとうございました」というから、「この先、あなたの仕事があるだろう。あんたの仕事は何だと思うか」と僕は聞いた。それは、ここに集まった学生、教授に感想文を書かせること。「もちろん、何が出てきたって僕は構わないよ」といった。

 ただし、そこで「日本語を習っておいてよかった。ストレートに話が分かった」と、そういう感想が出てくるはずだと僕は付け加えた。「出てこないなら、あなたたちがそういうふうに教えてやってくれ」と言ったら、「本当にそうだ。今、自分がそう思っている。学生たちにそう伝えます」と、その教授は答えた。このように、中国人も、若いときから日本に留学して、日本語を覚えて、日本に縁が深くなれば、自ずと日本びいきになる。

 逆に言えば、日中の本当の理解というならば、北京の日本大使館は全員が中国語自慢ばかりというのはおかしいのだ。若いときから中国に関係が深くて、「中国語は堪能です、晴れて在中日本大使館勤務になりました、大使になるのが目標です」などという人ばかりが大使館にいるということは、おかしいのだ。彼らの目には、中国のいいところばかりが映っているにすぎないのだから。長年にわたる草の根交流と国益を代表するタフ・ネゴシエーターを養成する仕事は分けて考えなければならない。

アメリカ型の論理が日本の相互信頼社会を打ち砕く

かつて会社は株主のものではなかった

 昔、会社の概要にはたいてい「払込資本金」と書いてあった。古い会社の書類には「授権資本3億円、払込資本1億円」などとあったものだ。これは「この会社は3億円の会社だと書いてあるけれど、株主総会でそういう決議をしただけ(授権)であって、まだ株主から支払われていない分があり、払込済みは1億円しかありません」という意味なのだ。すなわち、実質上は資本金1億円の会社である。

 大正時代に、商法に特例を設けて、払込資本金は3分の1でよいとした。だからそうした会社は、正確な意味での資本主義の会社ではない。定めた通りの資本がないという、不思議な会社だったのだ。

 これは、そのころは株主などはどうでもいいと思っていた証拠といえる。株主のほうも、資本金を3分の1しか払っていないのだから、威張れなかったのだ。残りの足りない部分は、銀行からの借金となる。あるいは金持ちであれば自分のカネを会社に貸した。親類縁者からカネを集めて貸したりしていた。

 「出資」と「融資」の違いは何か。「出資」とはそのお金がなくなれば何も戻ってこないが、「融資」なら担保を取り戻せるというものだ。昔の株式会社では、融資を受けるときに担保になったのは、だいたいが機械だった。アメリカから輸入した機械などを担保にして銀行からカネを借り、これを一生懸命返すというようなケースが多かった。お金を銀行に返している間は、従業員は粉骨砕身、残業して、給料は安くても我慢した。返し終わったら、従業員は“この機械はおれたちのものだ”と思う。おれたちが安月給で働いたおかげで借金を返せたのだから。

 当時の機械というのは、だいたい20年から30年は使えたから、従業員のライフサイクルとちょうど合っていた。最初の10年間は安月給で働いて、会社が銀行からの借金を返済し終わると、その機械は完全に会社のものになる。それでも機械はまだ動くから、あと10年から20年は利益が出る。もう会社は銀行に借金を返さなくていいし、利息も払わなくていい。そうなると機械は古くからの従業員のもの、すなわち“おれのものだ”という発想があった。従業員たちがそう思っていることを、創業者社長もわかっていた。そこでどうなるかというと、「みんなよく働いてくれたから、この機械を売って君たちの退職金にするよ」となっていた。



 それなのに、ライブドアの堀江貴文社長(ホリエモン)が言ったようなアメリカ型資本主義の論理だと、「この機械は全部株主のものです」となってしまう。だから従業員たちは「エーッ」と驚く。それを裁判所に持っていっても、「法律通りに解釈すると、機械は株主のものである」ということになる。そういう経緯をたどって、ニッポン放送の社員約270人は「それなら辞めてやる」といい、フジテレビが彼らを全員引き取ってホリエモンにはもぬけの殻をつかませてやる、という話になった。

 でも、約270人全部が辞めてくれたら、ホリエモンは大喜びなのだ。ラジオ放送の免許だけが残り、人間がいなくなってくれるのが、ホリエモンにとっては一番いいんじゃないかなと僕は思う。ホリエモンから見れば、その270人はろくろく働いていない。クビを切らなくて済むから、いなくなってくれたほうがいいわけだ。

「裁判のための裁判」が始まっている

 こうした「日本の現実」と「法律」との食い違いがあるケースを裁判所に持ち込むと、裁判所の判事も問題となってくる。

 判事には「法律一本やりの秀才判事」と「日本の社会を知っている判事」の2通りがいる。前者は理論主義、後者は現実主義の判事だ。そのうちのどちらの判事に当たるかは、これはもう「運だ」としかいいようがない。

 簡単に言うと、事件が持ち込まれたときに、まず新聞やテレビの報道をよく調べるのが現実派・民俗派の判事。まず六法全書を広げるのが理論派の判事だ。そのどちらの判事に当たるかによっても、判決が大きく変わってくる。とくにM&Aの問題などについては、今はまだ混乱期だから、まだまだこれから判決は変わると思う。判事の責任にばかりせず、法律をきちんと整備すればいい。「まさかそんなやつはいないだろう」というくらいまでカバーして、法律の穴をふさぐこと。それは立法、すなわち政治家の仕事である。

 何でもかんでも裁判するようになると、結局みんな損をすることになる。お金をもうけるのは弁護士ばかり。どうして弁護士商売がアメリカではやるか。それはみんなが裁判を起こすからだ。あまり想像したくないが、日本でもこれからはやるだろう。


 さらにもう1つ、裁判を起こされたときのための用心も必要になってくるわけだ。株主が経営者を相手に裁判を起こすようなことは昔はなかったから、経営者もその点は気楽にやっていたのだが、アメリカからそういう流行が上陸してきた。株主に裁判を起こされると経営者は困る。そのときの用心のために、自分の身の回りにある債権債務関係を全部裁判所に持っていってケリをつけておく。そうすれば、将来に対して、「裁判所が決めたことだから」と言えるわけだ。

 だから、まったく必要ない弁護料を弁護士に払って、負けると決まっていても、それでいいのだ。将来、裁判所に「負けたからこうなったのです」というために、裁判を起こしたり起こされたりして、判決をもらっておく。そういうようなことがもう始まっていて、だんだんと広がってきている。

慰謝料よりも詫び状を要求される不思議

 以前に僕は著書の中で「日本人は何でもきちんと仕上げをやる」という話を書いた。その中で、エレベーターの話を出した。

 到達階の床とエレベーターの床とは、外国では数センチの段差があることが多いのだが、日本の東芝や三菱のエレベーターは1ミリも段差がない。そんなにしなくてもいいのではないか、と思うくらい、誤差は厳しく調整しているのが日本のメーカーの自慢だという話だった。そして、エレベーターの老舗であるオーティスという会社のことにも触れた。

 オーティスは、アメリカで開かれた万国博覧会で、世界で初めてエレベーターというものを出品したメーカーなのだが、かつてオーティス製エレベーターも欧米の常識に従って1~2センチメートル程度の段差があった。ところが、日本のメーカーは煙突のようなエレベーター試験塔を建てて研究開発し、段差のない超高層用のエレベーターをつくった。このように、「仕上げに凝る」という部分では日本が世界をリードしている、というのが僕の文章の主旨だった。

 ところが、オーティスの日本支社長から電話があって、オーティスを侮辱したとか、営業妨害したとか、名誉毀損したとかいわれた。彼は日本人だったが、「日下さん、詫び状を書いてくれ」というのだ。「慰謝料を出せというのではないのですか?」と聞くと、「そこまでは言わないから詫び状をもらいたい」と返事が返ってきた。

 僕としても、そう簡単に詫び状を出すわけにもいかない。そこで、「日本には言論の自由があるし、さらには相手を妨害したり損害を与えようというような意図ではなく公共の福祉のためという気持ちで僕が書いていて、そしてそれが事実ならば、営業妨害とか名誉毀損とかにはならない」と押し返した。そうこうやりとりしているうちに、向こうが泣き言をいうようになった。「書いてくださいよ。日下さんとこんなことをやっていると、弁護士に弁護料をたくさん取られて、我が社は大損害なんですから」と。それならこんなことをやめればいいのに。

 結局のところ、アメリカ本社から何かを言われたときに、「日下さんから詫び状を取ってあります」というのを見せたいだけだったのだ。それならかわいそうだからということで、僕も詫び状を書いてあげた。

 こんなものは、今までの日本であれば、社長が株主に対して説明すれば終わる話だ。ところが得体の知れない株主が、攻撃のための攻撃をするような状況があり、会社もそのためにバリアを張る。そういうシステムになると、何事も弁護士を使って裁判所に持ち込み、命令を出してもらう必要が出てきてしまう。これは無駄なコストになる。

 つまり、日本のような相互信頼社会はコストが安いのだ。アメリカのやり方では、それを壊すことになる。アメリカ国内はそれで困っているから、日本も同じように困らせてやる。そうすると競争条件が同等になる、とアメリカは考えている。

 それに対しては、やはりこちらも勉強して、反論しないといけないだろう。まず日本国に合う民法と商法に改正して、向こうがグローバルスタンダードとか国際常識とかいってきても、断じて日本はこれで行くんだと言わなければならない。民法に国際常識など絶対に存在するわけはないのだから。「結婚とは何ぞや」などということは、国によって違って当たり前なのだから。


公共機関の権利独占をやめさせて、悪循環から抜け出そう

国の買い上げをやめれば教科書問題は解決する


 「教科書問題」が一時期、世間を騒がせた。これはまず教科書の内容が問題となった。内容は教育委員会が決めて、文部科学省は検査だけする。その検査に合格すれば、あとは各地の教育委員会が採用する。しかし、チェックが機能しないままに50年も経つと、あちこちおかしくなってくる。そこで、評論家の西尾幹二さんら「新しい歴史教科書をつくる会」が、“これなら偏りがない”という新しい教科書を作って出版した。その教科書には多くの人が共感したが、教育の現場には採用されていない。

 なぜか。実は背景には、教科書会社のビジネスがある。教科書はものすごく儲かるのだ。教育委員会に採用されれば、中身を毎年ほとんど変えなくても、まとめてたくさん買い上げてくれるわけだから。そこで教科書会社は、教育委員会の委員の子息を社員に採用する。教科書会社に入社した子息は、親に「うちの会社の教科書を採用してください」という。こういう構造になっているそうだ。

 これを根本的に直すには、教科書を国が買い上げて、無料で子供に渡すというシステムをやめればいい。私たちの世代が子どもの頃、教科書は買うものだった。先生に「来年の教科書はこれとこれだから、明日85銭持ってきなさい」などと言われたものだ。85銭といっても、当時はうどん1杯が7銭の時代だから、かなりの金額だ。家で親が「教科書を買わなきゃいけない」とヒソヒソ相談している。それを聞いた子どもは「勉強しなくちゃいけない」と思う。「親が買ってくれた教科書だから、隅から隅まで読まなきゃいけない」と思うのだ。

 それが今は、学校がタダでくれるのだから、ありがたみがない。やはり親がお金を払ったほうが、親の権威がつく。子どもも親に対して、ありがたいと思う。わが家のお金だと思えば粗末にしなくなるだろう。それに、教科書会社のビジネスがどうのという話もなくなるはずだ。それから、文部科学省に対しては、親が文句をいうようになるだろう。「こんなもの買わせやがって」と。今はタダだから、文句をいわない。

 だから、教科書を国が買い上げていることが、教科書問題の諸悪の根源だと思う。国や教育委員会が教科書採用権を独占していることと、無料で配っていることがいけない。でも、今のところそういう議論は出てこない。10年以上前は出ていたが、今は誰もいわなくなってしまった。

 それは、教科書会社は今のままがいいし、文部科学省の役人も今のままがいいし、親もタダのほうがいいから。裏を返せば、税金を払っている人は損をしているともいえる。だから本来ならこうしたことに対して、税金を払っている人が怒らなければいけない。教育制度改革はどうあるべきかという議論をするから、いつまでも議論が終わらないのであって、教科書を親が買う仕組みに変えて、教科書代を払う親の意見を聞けばいいのだ。教科書問題にはそういう答えがあると思う。

放送免許の制限がライブドアとフジテレビ問題の元凶


 ライブドアの堀江貴文社長(ホリエモン)がフジテレビを狙ってニッポン放送にM&Aを仕掛けた事件でも、各テレビ局の報道は中途半端なものだった。「ホリエモンだか楽天だか知らないけれど、それはけしからんと思うが、どうも彼らの言い分も正しいのかもしれないし、時代が変わったのかもしれない。結局、これは裁判所が決めてくださるはず。だから、裁判所がなんというのかだけを報道しよう」という姿勢だった。

 自分たちの意見は言わないで、裁判所の周りに群がって、それに対する批評を適当に集めてきて紹介するわけだ。テレビ局はずるい。報道解説などもないから、公共的な使命を果たしていない。だから、ホリエモンに凄まれたら、すぐにへこんでしまったのだ。「放送局には公共性がある」とテレビ局がいった途端に、ホリエモンは「何を言っているか。テレビ局は視聴率を目的にして、私をおちゃらけ番組ばかりに出しやがって、どこに公共性があるんだ」と批判した。そうしたらテレビ局は黙ってしまった。

 そして、「企業は企業価値を高める必要がある、株主は企業価値に関心があるんだ」とか、テレビ局の報道はそんな内容ばかりになった。では、ライブドアの標的とされたフジテレビにとっての、企業価値とは何か。それは簡単で、放送免許なのだ。問題は、民放キー局の放送免許が5社にしか出ていないこと。これを10社か20社に出せば、値段は暴落するはずだ。

 なぜ5社にしか出ていないのか。それは、ずっと郵政省が出し渋ってきて、それで恩を売り、天下りをして、接待を受けていたからだ。郵政省は放送免許を取り消す権利を持っているから、テレビ局の人は接待しなければならない。郵政省の役人は「お前のテレビ局はろくなことをやっていないから、今年でおしまい。来年は他へ免許を移す」という権限を持っているから、いばって接待を受けている。そのことのほうがよっぽど公共性がない。

 放送免許が今のように出し渋って半独占状態であるなら、そこに価値がある。ホリエモンはそれを買おうとしたのだろう。狙われたのはただの免許なのだから、免許を乱発すればいいのだ。役所が免許制にして、出し渋って、自分たちが甘い汁を吸うという構造から発生した事件なのだから、行政的にはそれで解決したはずだ。

日本の「商法」は外国人向け

 では法律的にはどうなるか。裁判所は、ホリエモンのしたことは「違法でない」などという。「それならそうか、仕方がない」とみんな思うようだが、それでも腑に落ちないところもある。「日本における会社は本来そんなもんじゃない、法律のほうがちょっと杓子定規なんじゃないのか」と。心の中ではそう思っても、「それがグローバルスタンダードだ、商法にもそう書いてあるじゃないか」と言われると、みんな黙ってしまう。

 これは根本的問題で、商法が間違っているのだ。本来、商法は外国人に見せるために書き上げたものであって、外国人を安心させてお金を借りるためのものなのだ。日本人には商法はその通りには適用しないというのが、明治、大正時代の当然の前提だったのである。

 それはもともとは不平等条約に端を発している。ペリーが来航したとき、「お前の国は野蛮国だから」という理由で、外国人だけに特別有利な条件を押しつけた。「野蛮国ではなく文明国です」と説明するのに時間がかかってしまうから、「はい、あなた方と同じ法律です」と、ヨーロッパの商法をそっくりそのとおり翻訳して、見せた。「日本国商法も同じですから、対等につきあってください。だから投資してください」と。これが商法のそもそものスタートなのだ。

 そうして成立した商法を見て、安心し、アメリカの自動車会社が横浜に自動車工場の原型をつくった。それが現在の日産自動車の始まりだ。東芝も、ゼネラル・エレクトリック(GE)が日本につくった提携工場が母体だ。時間が経って、お金を払ったのだろうが、結局は日本が押収してしまうわけだ。そういう話は世界中どこにでもある。

 だから、「商法」は外人用であって日本人用ではない。日本人にはその通りにできないことが書いてあるわけだ。その通りにやったら社会が壊れてしまうことが書いてあるのだ。もともとグローバルスタンダードなどないことがこれでお分かりいただけよう。


政治家や公務員の精神を根本から正す妙案

政治が「商売」になったからおかしくなった

 日本の政治がこんなにおかしくなったのは、議員に給料をたんまり払ったからだと田中角栄元首相が言っていた。町会議員や市会議員にいたるまで、たっぷり給料を払ったから、政治が「商売」になってしまったということだ。

 商売だから彼らはやめられない。元手もかかっているし、再び当選して種銭を回収するためには何でもする。自分の信念も良心もなく、ただ「当選商売」になってしまったのは、給料を払ったせいだ。

 結果、政治家の発言を誰も聞かなくなった。田中角栄元首相がいうには、昔は政治家などは「名誉職」であって、財産のある人が引き受け、損をしながらまとめ役をやっていたから、少々のことはみんなも折り合いをつけていた。それが地方自治であり国家の姿であったのに、それが商売になってしまったからうまく機能しなくなったという。ごり押しの印象が強い田中角栄さんがそういうのも不思議な気がするが・・・。



 そういう「商売政治家」の中にあって、塩川正十郎元財務大臣は例外といえる。塩川さんは財務大臣だったとき、「プラン・ドゥ・シー」を標榜した。すなわち、民間企業では、計画を立てて(プラン)、実行したら(ドゥ)、もう1回それを見直しする(シー)。ところが役所は見直しをしない。プランを立てて予算を配ったら、あとはアフターケアも点検もしていない。「それはいかんから、シーをやれ」と、塩川さんは大臣として命令した。

 そんなことを言っても、周囲はうまくいくわけがないと思っていた。つまり、財務省の人たちがサボるだろうと思われていた。「1、2年の辛抱だから、このくらいでお茶を濁しておけ」という態度になってしまうと思われていた。実際にそうだったようだが、でも塩川さんは穏やかに大阪弁で、「まあ、そんなこと言わんと、ちょっと10人くらい専門の担当者を置いてみたらどうだ」といった。そうすると財務省の公務員たちも5人くらいは置く。そこからレポートが出てくると「おもろいな、もうちょっとやってみたらどないやねん」となる。そして結局、20人ほどのチームができて、動き出すことになる。

 これは僕の想像だが、省内で担当者は「どうせ先の長くない大臣に仕えて、シャカリキにやって仲間に嫌われてバカなヤツだ」というくらいのことは言われていたのではないかと思う。それでも、無駄遣いが250億円くらい発覚した。これを塩川さんは新聞に発表した。省内に、いろいろと理屈の通らないおかしなことがたくさんあった。明白にこれは無駄だという部分が250億円ほど出てきたのだ。

国家や社会を考えて税金制度を見直せ


 旧大蔵省にいた大武健一郎さんは、主税局長、国税庁長官を歴任して、現在は商工中金副理事長を務めている。その大武さんによれば、税金というものは、ただ取ればいいというものではないという。

 税金を取ることによって日本の社会はだんだん変わってきた。旧大蔵省の人たちは、金持ち征伐のためには足並みがそろっていた。金持ちからは6~9割の所得税を取ってしまえ、それが正義だ、というわけだ。長い間そういうことを続けてきた結果、せっかく才能のある人でも、お金持ちにならないように、しゃかりきに働かなくなってしまう。あるいは、外国へ行って働くようになってしまう。そういう影響がだんだん出てきた。そこは根本的に考える必要があると大武さんは言っている。

 また、相続税という税金のために、家族関係がまるで変わってしまった。これもどこかで元に戻さなくちゃいけないと言う。そういう社会政策的なことまで税金でやるのがよいことなのか僕は分からない。ただ、大武さんはそんなふうに、日本国家の根本、個人主義や家族主義などに与える影響まで考えて税金を捉え、仕事をされた。さらに日米関係や日中関係にも、やはり税金の問題が絡む。中国と会議をして協定を結ぶとか、そういうことをやった官僚もちゃんといたのだ。

地方公務員には給料を払いすぎ

 公務員制度改革をうまく進めるために、すばらしい答えが2つある。まず一つ目は、現在はきちんとした労働マーケットがあって、値段がついて動いていくから、昔とは違うということ。公務員法ができたのは戦後すぐだから、そのころは労働マーケットなどは成立していなかった。学校を卒業して就職したら、あとは終身雇用が常識だった。でも今は労働マーケットがある。

 それを考えると、理屈がどうであろうと、公務員に対して長く給料を払いすぎている。それから、仕事が楽なのを放っておいている。仕事が楽で払いすぎな状態を長く続けているわけだから、必ず「うちの息子を、うちの娘を採用してくれ」とやって来る。そこで、逆に給料をあまりケチると、優秀な人から辞めていく。

 地方の市役所などに行くと、確かにみんなコネだらけだと実感するはずだ。「コネだらけ」というのは結局、仕事が楽で給料がいいからなのだ。逆に、中央省庁はどんどん人が辞めていく。「これは」と思う人はどんどん辞めていく。端的な例を挙げると、外国へ留学させた優秀な人が、帰国してすぐに辞めるケースが相次いでいる。

 それなら、こんな議論をする暇があったら、地方の役所へ行ってコネ採用の比率でも調査するべきだ。あるいは、優秀な人がどんどん辞めていく事情の調査でもするべきだ。これがまず、1つめの答えである。

公務員にもスト権を認めよ



 もう1つは、根本的解決として公務員にもスト権をあげればいいという議論がある。これは、橋本内閣のときに首相補佐官(行政改革担当補佐官)として6大改革に尽力した水野清さんが提唱していた。

 公務員でもストライキができるようにすればいい。公務員のストライキは、戦後すぐに公務員法で禁止された。当時はまだ共産党や社会党に勢いがあったから、公務員だけでもということでストは禁止された。そのかわり、給料は民間人よりも上げた。

 身分法上は、クビ切りをなくした。配置転換も恐る恐るやっているのが現状だ。これらをすべて元に戻して、ストライキ自由とすればいい。そうすれば労使関係は民間と同じになるのだから、現在のような議論はしなくてよくなるんだと水野さんは言う。

 スト権を与える。そのかわり、大臣官房人事課長は、思う存分の人事異動をやるし、ボーナス査定もやるし、クビにもする。処遇が不当だと思ったら労働組合をつくってストライキをやりなさいと言う。そうすれば民間の会社と同じなのだから。警察、消防、自衛隊、税務署などは別として考える必要があるが、これは名案だと僕は思う。

 例えそうなったとしても、たぶんストは起こらないだろう。なぜなら今は、国民が公務員に対して気の毒だとは思わないから。1週間ストライキをしても、国民は困らないから、逆に「ここの役所はなくてもいいんだ、このままずっとストライキをしてもらって、みんなクビにするか、大幅な減員をしたほうがいい」ということになる。それが自分たちも分かるから、やらないだろう。

 公務員制度改革には、こうした簡単明瞭な答えがあるのだ。

統計に表れない小さな変化が日本を変えていく 

日本に「変化のマグマ」がたまりつつある

 サマワに行っている自衛隊の人たちに「本当にご苦労さま」と言えば、「自分たちは任務を果たしているだけです。同情は無用です」という答えが返ってくると思う。しかし、気の毒だと思うのは、彼らの上官たちが何の準備もなしに彼らをただ送り出したからだ。それは太平洋戦争のときと同じ。日本の上の人たちは、部下を便利に使って、手柄は自分のものにし、損害が出たら部下のせいにする。そうした構造が太平洋戦争時とまったく同じだから、気の毒なのだ。



 でも、報道の論調が少しずつ変わったおかげか、サマワから自衛隊員たちが帰ってきたときは、地元の政治家が迎えに行った。派遣されるときにはほとんど注目されなかったんだから、わずか数ヶ月間でもそれだけの変化があった。

 そう考えると、靖国神社の問題でも何でも、だんだんと変化へのマグマがたまり、そしてある日、一挙に変わるのだろうと思う。例えば、「ヨン様ブーム」を見ても、ヨン様のような「やさ男」がウケるのかなと思っていたら、ファンの女性に聞くとそうではないらしい。彼はけっしてやさ男ではなく、徴兵で軍隊に行ってきたから上着を脱げば筋肉がムキムキだという。日本の女性はそれを見て「日本の男は頼りない、韓国の男のほうがよい」と思ったという。私が考えるのとは逆の理由を聞かされて、あっと驚いた。

 これから日本国憲法改正などいろいろなことが始まる中で、「日本でも徴兵をやるべきだ」「徴兵とまではいかずとも半年ぐらいは男を集めて鍛えたらどうなんだ」という意見が出てくる。徴兵なんて、いま言えば笑い話で済まされてしまうかもしれないが、一つの変化ではある。

 このような、何でもない兆しでも、たくさん集まるとある日これが連鎖反応を起こす。日本人はなるべく穏やかに物事を進めたい民族だから、基本的には騒がない。でも、変化の兆しがたまりたまって、ある日、ワッと出てくる。少しずつたまっているところを見ていない人は、そういうときに「意外な成り行き」という。マスコミはそう書けば済むかもしれないけど、そんなはずはない。もっと前から、きちんとマグマはたまっているのだ。しかし、統計として出てくるまではそれを見ようとしないのが学者と役所だ。そして学者と役所の発表に頼るマスコミも同じ。

 統計に出ないことを見なければ、未来は見えてこない。私たちは、身の回りの小さな変化を見逃さず、じっくり見ていく必要がある。

自衛隊の医者が100人も辞める理由とは

 自衛隊の医者が、去年1年間で100人辞めてしまったらしい。彼らは昔でいえば軍医にあたる。それが100人も辞めてしまったら、インド洋にしろ、ティモール島にしろ、あるいは新潟の地震の災害派遣にしろ、自衛隊の活動から医療分野がなくなってしまう。「土木作業しかしません」ということになる。現地に対してだけでなく、自衛隊員のための医者も不足する。



 自衛隊は医者をきちんと待遇していない。例えば、自衛隊員が国内の災害で出動したとき、同行した医者は、現地で文字通り不眠不休になってしまう。目の前に患者がたくさんいるのだから、土木作業などよりも、もっと切実なのだ。そういう苦労をしているのにきちんと待遇されなければ、医者たちは報われない。だから、辞めたくなっても仕方がない。

 これは自衛隊を便利に使った報いだ。それで、自衛隊法を改正しようという話になってきた。自衛隊の主任務は「日本国家の防衛にある」というが、法律を読んでいくと、一番最後に「災害出動もする」と書いてある。これでは、災害出動に関する準備を誰もしないのは当たり前だ。一番最後に書いてあるということは、確実に出世街道ではないのだから。

 そんな理由で、間に合わせ的に出動するのに、現地では死ぬような思いをするという状態はよくない。だから自衛隊法を改正しようという議論になっている。これは一歩前進だ。けれども、法律だけを変えればいいというものではない。それ以上の議論がもっと必要になってくるはずだ。災害出動する場合には、医者は大砲や飛行機よりも大切な存在となってくるかもしれない。それなら、それに足るだけの待遇を考えないといけない。

 自衛隊に入って医者になると、だんだん階級が上がっていく。一番上は、昔でいえば少将になるのだが、それは1人だけしかなれないから、出世への道がすごく狭い。そんなことでいいのか、というところまで検討してもらいたい。まだそこまでいう人はいないのが現状だ。

 自衛隊の医者の中にはそうした不満がたまっていて、それで「辞めてしまえ」となっている。1年間で100人も辞めていることを、報道した新聞やテレビがあるだろうか。全体でも約500人と少ないのに、そこから100人も辞めて、それでもサマワ、インド洋など、そこらじゅうに出しているから、自衛隊中央病院は空っぽになってしまっている。

見苦しい財界人はもういらない



 世の中を見ると、バカな人を「バカ」と呼び、見苦しい人を「見苦しい」というようになってきた。日本の財界人は小泉首相に「靖国神社の参拝をやめておけ」といったそうだ。これをアメリカの新聞は「本気で小泉さんに進言しているのではないだろう。北京に向かって、『私は言っておいた』という姿を見せているだけだ」と書いた。“見苦しい財界人”と批評しているのだ。

 財界人が北京に行くと、「投資や貿易をめぐって政冷経熱を是正しよう」と凄まれる。そういうときに日本側は「商売は商売で一生懸命やる。商売と政治は関係ない。まして宗教は関係ない。経は経、政は政で、そこがおたくの国とは全然違う」とはっきりいわなければならないのだ。中国の都合に合わせて、自分の工場だけ意地悪されないようにと動くのなら、そんな財界人は社会にいらない。そんなことで儲けてほしくない。国民はもうすぐ「そこまでするなら、日本は貧乏してもいい」となると思う。「中国投資は全部没収されてもよい。日本はまた働いて回復する。中国は回復不能の打撃を受ける」とね。外務省は中国にそう警告すべきだ。

 スマトラ沖大津波が起きたとき、日本の外務省はタイに20億円のお見舞い金を申し出たが、タイのタクシン首相は「必要ありません。自分たちのことは自分たちでやります」と断った。さすが、タイ国は独立国として立派な対応だったと思う。一方、日本の外務省は20億円余ったから、他の国に細かく分けて配ってしまった。こんなインチキ、国民に対して説明できるのだろうか?

 そもそも、タイは立派な国だから援助を申し出ても受け取らないのではないか、と思わなければいけない。誰もが喜んで受け取ると思い込んでいるところが不勉強だ。なおかつそれを他の国へ分配するなら、他の国に対する金額の算定根拠は何だったのか。これが民間なら必ずそういう議論になるはずだ。

 外務省のODAは、まるで国連常任理事国になるための票集めのようにして行われているが、国民はそんなことを希望しているのだろうか。常任理事国入りに失敗したら、血税乱費として大問題になるにちがいない。

国益を守るための「手段」を自ら規定せよ

第1の国益を戦争で守るアメリカ



 10年ほど前にアメリカで、国益の定義付けをしようという研究会が行われた。上院、下院議員が約10名ずつ集まり、CIA長官も参加した。そのレポートでは、国益が1~5の5つのグレードに分けられた。最も重要な国益である1においては、アメリカ単独でも戦争を行って守るという内容だった。2番目は同盟国と協同して守る国益で、3番目以降は戦争以外の手段でなるべく解決する国益だ。

 グレードに分けるときに、なぜ戦争が出てくるのか。日本人はそう思うかもしれないが、アメリカ人にはそれが当然なのだ。国益であるからには、守らなければいけない。守る方法として一番確かなのは戦争だ。嫌がらせ、ネゴシエーション、恫喝(どうかつ)、さらには友好親善などで守る国益などは、一番グレードが低い。

 では日本はどうなのか。戦争以外の手段で守るわけだから、1番目と2番目がないことになる。領土や主権や拉致など、世界中の誰が考えても1番目で守るべきものが、アメリカでいう3番目以降に該当してしまう。友好親善で守れるだけは守るということだ。

 以前はそれでもある程度は可能だった。でも現在は、友好親善では守れない国益が出てきた。それは、友好親善では相手がつけこんでくるからだ。そこで最近、日本は怒るようになってきた。中国の胡錦濤主席などは、今ごろ大変後悔しているだろうと思う。中国だけでなく、僕はアメリカもそうだと思う。

 先日、僕は講演を頼まれて、とっさにつけたタイトルが「頼られる日本、頼りない日本」だった。それでは誰が頼るのかなと考えると、まずアメリカが頼る。そして中国も、ロシアも頼るはずだ。となると、世界中から頼られることになる。完全に立場が逆転している。だからブッシュは日本にやって来るのだ。

早く宣言してイラクから名誉ある撤退を



 アメリカはイラクへの対処に困ってシリアを攻撃すれば、その先の展望がない。戦死者はどんどん出るし、国内ではハリケーンにも襲われた。それなのにヘリコプターも、トラックも助けに来ない。誰も助けに来ないのはなぜだ?

 地域の災害に対応する米連邦緊急事態管理局(FEMA)という組織があったのに、ブッシュ大統領はこれを「テロ、ゲリラに対処するため」といって国家安全省の下へ入れてしまった。国家安全省はテロ対策しかやらないから、地元災害への対策に対するセンスも経験も何もない。そしてそこのトップが、「想定外だった」と発言してしまった。だからニューオーリンズの人は「国家安全省が守る“安全”の中に我々は入ってないのか」と怒ったのだ。

 ブッシュ大統領は国民の反発が恐い。だからテレビに出てきて、「今は原因究明よりも救うことだ、対策を急ぐことだ」という。そのときの顔つきの情けないこと。すぐ顔に出るという点では、ブッシュ大統領は純情の人だと思うけれど、「今は対策を進めることだ。具体的に手を打つことだ」といいながらも全然自信がない。進退窮まっているのだ。だから、イラクをどう片づけるかについて、日本に役割分担を頼んでくる。要するに、また負担をしろといっている。

 「今まで付き合ったんだから、もういいでしょう」とアメリカに言うつもりなら、日本はきっぱりと早く言ったほうがいい。12月に自衛隊が撤退するとき、名誉ある撤退をするにはどうすればいいのか。まずは、途方もなく立派なことを宣言すればいい。それが通らなければ、帰ってくればいいのだ。

 「地下資源は全人類共通の財産である」とウィルソン大統領はかつて14箇条宣言の中でうたったのだから、日本はそれに基づいて、「地下資源はもともと全人類のものなのだから中東の紛争地帯に石油国際共同管理機構をつくろう」と提案すればいい。その議長国は日本が引き受ける。日本は発言力があり、軍隊も出していて、金もある。

 そのうえ、中東とは昔からの因縁がほとんどない、非常に紳士的な国だ。しかもこれからの日本は、石油が要らない国になろうと思えばなれるんだから、死活的利害は少ないし、なくそうと思えばなくせる。みんな電気自動車やハイブリッドカーに乗ればいいし、原子力で発電すればいいわけだから。そう表明して、中東の国際石油管理機構の議長国に名乗りを上げ、反対されたら「それならやめた」と言って帰って来ればいいのだ。

主権のない日本に死活的問題はない

 前回までのコラムで述べたように、政治学原論のような面からすれば、日本は主権を奪われている。そのことは死活的利害に関わっているのだが、もし「幸せに暮らせるんだからいいや」というのならそれはそれでいいだろう。僕が中学生だった頃の生活をすれば、食料だって自給できるはずだ。日本は狭いと言うが、自給はできる。食料自給率が40%とか50%とかいわれるが、それで生きていけるのだ。

 今は特に、農業が進化している。石油があれば食料増産もできるし、なければ原子力発電所で発電して、ハウスを暖めて栽培すればいい。東北地方でも、温室にして暖房すれば、どんな作物でもつくれる。北海道でメロンをつくっているくらいだから。

 こう考えると、日本に死活的問題などない。残る問題はやはり子どもの教育だが、それでも日本の子どもはしっかりしている方だ。それなら、極論すると何もないじゃないか。となると、そこまで行かなくても守りたい国益というのが出てくる。

 例えば関税自主権などもそうだ。世界の国はみんな持っているのに、日本だけ関税自主権がないのは問題だ。明治以降ようやく回復したのに、戦後の外務省はすべて手放してしまった。「国際協調」「グローバル化」「国際親善」「自由化」「ビックバン」といった言葉に脅されて、日本は関税を真っ先に引き下げた。「世界で最初にどんどん引き下げている国だ」と自慢しながら。それでもいいが、しかし、引き上げるときには引き上げるという主権は持っていなければならない。果たして、そういう交渉をしてきたのか。

「主権」と「手段」はきちんと分ける

 WTO、OECDなど、日本はいろいろな国際機関に加盟している。そうした機関は世界全体を自由経済にしようと考えている。でも、かつてはこれらの機関に関する条約には「戦争に負けた国は別」と書いてあった。これが廃止されたのはほんの5、6年前でしかない。つまり、戦争に負けた日本には、関税自主権がなかった。本来なら、国家の面子にかけて、そういう条文は早期に取り除かなければいけないはずだ。

 アメリカは主権に第1種、第2種、第3種とグレードを付けているわけではない。主権を守る「手段」に対して、1、2、3とグレードを付けている。主権そのものと手段とは、きちんと分けなければいけない。

 主権とは、何でも自分たちで決められるということ。万能で無限だ。アメリカはそれを戦争と関係付けて、1種、2種、3種を設けた。そのことを理解するべきだと思う。日本も同じように、経済力や、米軍と共闘する自衛隊の力などの「手段」に対して、1種、2種、3種とグレードを決めていく議論をすべきだと思う。

 手段に関する決意。「日本をこれ以上脅したら、こういうことをするぞ」と、世界に対して先に言っておいたほうがいい。これが抑止力となるわけだ。こうした宣言については、各官庁あるいは日本中の頭脳を総動員して、きちんと考えなければいけない。

小泉改革は一気に進み、国家主権と防衛が焦点になる

公務員がサボタージュしても改革は進む

 9月の衆議院選挙では、小泉さんが圧勝した。ではこれからどうなるのかというと、いわゆる「小泉改革」が進むことになる。小泉さんが好んで取り上げる問題は政府系金融機関の統廃合だが、これはなんとか進むはずだ。次に国家公務員制度改革があるが、これは「できない」という人が多数派のようだ。なぜなら国家公務員に身を削るような改革を求めても、ありとあらゆる逃げ道を用意するからだ。



 そして次に、三位一体の改革(※注)がある。これは県の知事会が変わってきたから、半分は進んでいる。しかし「道州制まではいかないだろう」などと、みんなが達観している。省庁と自治体の攻防を見ている限りでは、いかにものんびりムードだが、でも僕は、もっと先まで進むと思っている。

※三位一体の改革
「地方自治体への補助金削減」「税源の地方移譲」「地方交付税の見直し」の三位一体改革を巡って中央官庁と地方自治体が綱引きを続けている。

 小泉さんはこれから、もっと「新しい力」を振るうはずだ。多年にわたって付き合ってきた自民党同志や長老を、公認せず切り捨てたくらいだから、国家公務員の局長の10人や20人程度クビにするのは簡単だ。10人ほどクビにしたら、残りの人たちはみんないうことを聞くようになる。そうすれば、小泉さんの改革は進むだろう。それを予想できない自治体は、時代遅れといっていい。

 これまで公務員があらん限りのサボタージュをしてプランを提出しないでいると、アメリカ人が代わりに作って持ってきた。郵政改革などはその典型だ。しかし、そのプランは実情を知らないアメリカ人が書くから理屈が通っていない。でも内閣府にいる民間出身者たちは、「これはいいね、話が通ってるね」と言う。そして小泉さんが見て、「ああそれはけっこうだ、その通り法案に書いておけ」と全面採用した。

 自民党の民族派は「これではアメリカの手先であり、アメリカの陰謀に引っかかっただけだ」と批判する。しかし私がいいたいのは「では肝心の中身はどうなんだ」ということ。中身に関係なく輸入品だからと反発して、反対票を投じたら、今の政局では切り捨てられてしまうだけだ。そういう現実が目の前にある。官僚がサボタージュすれば、世界中からプランが出てくるのだ。そのプランを部分修正して活用したら、新聞は小泉は後退したとか、一歩引いたとか、そんなことばかり書いているが、当の新聞はどんな提案を出したというのか。もっと中身をどう練り上げるかの話をすべきではないか。

 僕は、郵政民営化関連法案の中身については、何でもいいから通しておけと思っていた。数年先にいくらでも変えればいいんだから。どうせ、そんなことをいってる間に国営郵便局などつぶれてしまうんだから。このところの郵政民営化をめぐる対立など、ポーズとポーズのケンカだと僕は思う。

日本は主権を持った国家といえるのか!?

 小泉改革で現在、「課題」だといわれているようなものは、大枠の決着は半年くらいで済んでしまうはずだ。自信があるから「おれは任期が終わったら辞める」と言っている。そこで、次を狙う立場の人たちが、今、名乗りを上げなければいけないと、財務大臣副首相や外務大臣副首相にしてくれといっている。彼らが奮起しつつあるのだ。

 小泉改革が一段落して、次を狙う立場の人たち、あるいはそれよりもっと若い人たちが、出てきたとき何をするべきか。それは、日本国家の根本に触れる改革だ。今こそ日本国家の根本から見直さなければならない。



 タブーやイデオロギーに縛られた人はたくさんいる。彼らはだいたいが理想主義者だから、面と向かっては反対しにくい。例えば、原子爆弾は絶対持たないぞとか、今の憲法は絶対に守るぞとか、国連ほどありがたいものはないとか、そういうことを言う。それに中国には謝らなきゃいけないとかね。日本国籍や日本永住権を誰に与えるかという問題に関しても、彼らは「国際化だ、ドアを開けろ、開けっ放しがいい」などという。

 政治学原論において、国家とは何か。それは領土を定め、国民の国籍を決め、そして主権を持つことだ。学校はそう教えるはずだと思っていた。ところが東大の教授に「そう教えるそうですね」と聞いたら、「いや、今は誰もそう教えていないよ」という答えが返ってきた。「国家とは領土を守り、国民を守り、主権を守るものだ」と学生に言ったとたん、「本当ですか?」といわれてしまう。これでは教授も二の句が継げない。

 領土でも、竹島をとられっぱなしだし、北方領土はいつまでたっても返ってこない。国民を拉致されても助けにも行かない。主権にいたっては、何もかもアメリカと相談ずくで決まっている。となると、日本は国家ではないことになるから、政治学原論を教える人がいなくなるだろう。

「経済」だけで暮らしてきた幸せな日本

 国家の根本を侵害されているのが今の日本だといえる状況の中、みんな幸せそうに暮らしている。経済さえこのままならよいと思いながら、長い間暮らしてきたのに、このところ急に拉致とか、米軍再編成とか、いろいろな問題が起こってきて、対応策について誰もしゃべれない。これは普段から考えていないからだ。

 米軍再編成にしても、日本は沖縄の普天間基地の返還をアメリカに迫った。それで円満になるのなら返してもいい、とアメリカが半分は呑んでいた。


 そして具体的な話になると、アメリカは「あそこに海兵隊がいるが、どこか別のいい場所を世話してくれるなら移るぞ、だけど緊急出動のときに便利な場所でないとダメだよ」と要求してくる。それに対して日本が「ここ」と提案する場所は、周りに町が全然ないへんぴなところが多くて、アメリカに断られてしまう。「そんなところに若い海兵隊員がいられるか」といわれてしまう。

 日本の防衛庁の思惑では、下地島(しもじじま)をアメリカに提案したいようだ。下地島は台湾の台北より少し南に位置する、トライアスロンで有名な宮古島の隣の島だ。真っ平らの三角形で、3000メートルの滑走路があって、昔、全日空と日本航空が飛行機の練習場に使っていた。そこへ航空自衛隊が行くと、いるだけでも抑止力になる。抑止力になりすぎるから自衛隊は遠慮しようというわけだ。必要になったら行くのだから準備ぐらいしておけ、と僕は思うのだが。そういうことはやらない、誰かやってくれと逃げるのが、外務省や防衛庁だ。

日本も海兵隊を作って沖縄に駐留すべき

 かくしてアメリカに「下地島はどうか」と提案すると、「そんな真っ平らの砂原だけのところで若い男が何万人も暮らせるか」と返事が返ってくる。なるほど、と思う。でも、この話を延長して考えると、米軍が駐留しないなら日本が海兵隊をつくって駐留すればいいではないか。なんでもアメリカに頼むからいけない。

 日本の自衛隊は、航空、海上、陸上がお互いに仲が悪くて、対話をしない。情報も共有しない。「うちの情報はうちのもの」というような話もある。かつて米軍もそうだったから海兵隊をつくった。海兵隊の中はワンセットで、将校は戦車の操縦も、飛行機のパイロットも、モーターボートの操縦もやる。みんなひと通り経験してきている。地上戦を知っていないと、航空支援もできないからだ。


 陸海空のいろいろな相互関係を訓練しているから、海兵隊は“使える軍隊”なのだ。それが日本にないのがおかしい。だから、つくればいい。創設して、下地島に置くべきだ。日本人が日本に駐留するのは当たり前なのだから。下地島に行かせるのがさびしくてかわいそうなら、ローテーションで回せばいい。

 どうしても遊びたければ、すぐ目の前なのだから台湾へ行けばいい。まあ、これはちょっとした冗談だが。台湾側は喜ぶはずだ。自衛隊の人も喜ぶはず。“海兵隊になって台湾へ行こう”とスローガンができるかもしれない。台湾は、食べ物は本当においしいからね。

 そんなことを、なぜ誰も考えないのだろう。国の主権や軍隊の話になると、みんな思考停止に陥ってしまう。そういう点で、日本は不自由な国だと思う。

これから追い込まれるのはアメリカだ!

ヨーロッパが作り上げた2つの叡智を無視するアメリカ

 日本は1500年前から歴史がある。アメリカなんて、いくら探したって200年か300年しか歴史がない。いかにアメリカの底が浅いか。これはアメリカに行って住んでみれば分かる。それはしょうがないことだ。アメリカ人の多くはヨーロッパに対する劣等感が心の底にあるから、その劣等感の裏返しとして傲慢に振る舞うわけだ。

 アメリカは、ヨーロッパ文明を尊敬したくないのである。その代わりにその源流とも言えるローマ、ギリシャ文明を尊敬する。ギリシャ、ローマ精神が、アメリカには実に素朴な形で生きている。ヨーロッパの人々が新天地アメリカに植民を始めた当初、カトリックは来ていなかった。だからカトリックの人は基本的には大統領にはなれない。J.F.ケネディは例外だけれど…。

 アメリカ人はヨーロッパの中世につくり上げられたものは嫌いだ。ギリシャ、ローマ時代のものなら喜ぶ。だからワシントンに行くと、官庁の建物はほとんどギリシャ、パルテノン建築。図書館とか博物館とか銀行とか、すべてギリシャ建築だ。しかし、ヨーロッパの中世1000年間はけっして「暗黒時代」などではなく、ヨーロッパ人が一生懸命つくりあげた叡智が2つある。これがアメリカには取り入れられなかった。


 1つは奴隷制の廃止だ。ギリシャ、ローマには奴隷がいた。しかしヨーロッパ1000年の間に彼らは奴隷制を原則的に廃止した。完全に「ない」というと、実はあったという話がまた出てくるので「原則的に」と言っておく。実は、修道院の中にあったわけだから…。

 アフリカ人たちをポルトガルへ連れて来て、奴隷としてヨーロッパ中の修道院や教会が下男がわりに買っていたようだ。その取引記録がマドリッドにある。そのとき売れ残ったアフリカ人がマドリッドに住むようになった。その子孫たちのアフリカ人街がポルトガルにある。

 「何だか知らないけれど、やたらに多くのアフリカ人がここらへんに住んでいるんだよ」と日本のポルトガル大使が言っていたが、少しは事情を勉強してほしい。時には文化外交も担わなくてはならない外務省の人間として、赴任してしばらく経ってからもこの発言というのは、いかがなものか。過去の汚点をポルトガル人は外国人には言わないので、知る由もないのかもしれないが…。こうした抜け穴はあったものの、ヨーロッパには一応、奴隷制はなくなった。ところが、プランテーションの労働力が必要だったアメリカは、欧州大陸のそんな潮流に背を向けて、積極的に奴隷制を取り入れたわけだ。

アメリカの戦争の仕方は、相手のプライドを打ち砕き禍根を残す

 もう1つは戦争の仕方だ。ヨーロッパは散々戦争を繰り返した挙げ句、「我々は同じキリスト教徒だ。戦争をなくすことなどできようもないが、後々まで恨みが残るような戦争の仕方はもうやめよう」というところへ1000年かかって達した。

 アメリカはそうではない。戦争は、単なる利害対立の一つの「調整」の方法にすぎないのに、「神の召名による戦い」などと称して、「俺は正義を体現しているのだから、敵対する国は全て悪の枢軸だ」と相手に恨みを残す戦争の仕方をする。



 その一番の被害者は、日本とドイツだ。「おまえらは正義に対する罪を犯している悪魔の枢軸国だ」「無条件降伏しろ、話し合う余地などない」と言われたので、ドイツはむかっ腹を立てて、このまま帝国の名誉ある滅亡を選ぶとヒットラーは思い詰めたわけだ。もう降伏などしない。このまま誇りあるドイツ人は最後まで戦って滅びて死ぬ。あとのことは考えない。実際、ヒットラーが自決せずに徹底抗戦をするなら、それに従いますというドイツ人はいっぱいいた。彼は決して恐怖だけで国民を支配していたわけではない。ドイツ人としての誇りを取り戻してくれた父性的存在として、男性からも、とりわけ女性からも敬愛されていたのだ。

 その結果、あの戦争は1年半長引いたとか、1年長引いたとか、そういう研究がある。いま本屋へ行くと、吉田一彦さんの『無条件降伏は戦争をどう変えたか』(PHP新書)という本がある。これは、よくぞ執念を持って調べたなと思う内容だ。

 奴隷制度と無条件降伏という人類の悪智…ヨーロッパが1000年間かけてようやく廃止にこぎ着けた人類史上の英断を、アメリカは全てパーにした。そういうことをアメリカにいると本当に感じる。発想がオール・オア・ナッシングでグレーゾーンというものがない。だから浅はかに見えるわけだ。こんな浅はかな国がやたらに実力を持っているというのは世界の不幸だが、それは翻ってアメリカ自身の不幸でもある。つまり、相手の恨みが残るような戦争をすると、自分に跳ね返ってくる。だから、アメリカに対するテロ、ゲリラがなくなることは今後もないだろう。

イラク戦争後、日米の立場は完全に逆転した

 イラク戦争でブッシュ大統領は先人の教え通り実行してみたものの、イラクをこの先どうしていいか分からない。ここへ来て、小泉首相に「ヨーロッパに見捨てられても、お前だけは助けてくれ!」と言うに決まっている。たぶんもう言ってきているはずだ。

 日米の立場は今や完全に逆転している。アメリカは日本にどっぷりと頼ってくる。日本は「もういいよ、おまえさんがこの茶番を始めたんだから、後は自己責任でやってくれ」と言うべきだろう。そのためにも、小泉さんは「全面的にアメリカについて行く」といってはいけない。いろいろな条件をつけて、「このピンポイントにおいてのみ応援する」と逃げきらなければダメだ。それが一国の首相たる者の政治であり、外交というものだ。


 今年9月の総選挙で私が一番不満に思ったことは、外交問題がまったく取り上げられなかったということだ。すべて国内問題だけを争点にして選挙をした。民主党は郵政改革以外のテーマを掲げたけれども、年金問題なんて、これも二大政党の争点としては情けないテーマだ。国内問題だけで総選挙をやっていて本当に済むのかと思ったら、これが済むのだね。つくづく、日本に死活的問題などないのだと感じた。そのくらい幸せなんだな、日本人は。

 ブッシュさんは、今度はシリアを攻撃するつもりだ。アメリカはイラクで襲撃事件を起こす武装勢力がシリア領内から流入していることに不満を強めている。イラクで市民を標的にする多くの自爆テロ犯がシリアからイラクに越境しているとにらんでいるのだ。

 外務省の局長に聞くと、イラク南部のサマワで活動する陸上自衛隊については、英国、豪州両軍がサマワから撤収するのに合わせて、来年早々にも撤収を始める方向で検討しているという。空自については、「陸自ほど危険な任務ではないから、アメリカにもう少し付き合っては」という意見がある一方で、「陸自と一緒に引き揚げなければ、撤収の機会を失う」という意見もある。「どうしたもんですかね」なんて彼がいうものだから「それはあんたの考えることでしょう」と言ったら「だって、結局は首相判断ですから…」。外務省なんて、こういうふうに「柳に風」でやっているんだなと、よく分かる。

外務大臣には外見と押し出しがきく人を

 朝日新聞の取材で「外務大臣は誰がいいでしょうか」と聞かれて、猪口邦子さん以外なら誰でもいいという空気が外務省の中にあると答えた。これは、僕が言っているのじゃないよ。

 日本というのは不思議な国で、外見、容貌、風采を問わない。これは一番進歩した文明の姿だと僕は思うが、アメリカは外見や風貌ばかりをいう。誠実さや真剣味、責任感、そんなことはどうでもいい。口がうまい。みんなを取りまとめて偉そうに上に立つ。そういう人が必要な国だ。

 そこへ日本大使だとか日本の大臣が行くと、向こうの人はびっくりする。こんな風采の上がらない人間が大臣なのかと。でもだんだん分かってくるわけだ。日本は容貌、風采、外見、押し出しを言わない国であると。

 アメリカ人に「日本の総理大臣で誰を覚えているか」と聞くと、答えは森喜朗さんだ。森さんは、容貌、外見、押し出しが相撲取りみたいで、「これぞ指導者!」という大人風に見える。宮沢さんなんて、てんでダメ。だからアメリカと対峙するには、やっぱり容貌、押し出し、外見、度胸、勇気のある人を前面に出した方が得ではある。「では、誰がいいか」と聞かれたから、日本サッカー協会会長の川淵三郎さんと答えた。僕が10年前に本を書いたときは、安部譲二さんを外務大臣顧問にしろと書いたのだけどね。

 親しくおつきあいさせていただいている浜田麻記子さんの持論でもあるが、女性の外務大臣はいろいろと難しい面がある。外務大臣の仕事は、本来は男の役割かもしれない。緊急事態が起きてもどこへでもすぐに飛んで行けるし、おしぼりで顔をぐるっと拭けば、どうにかさまになって人前に出られる。徹夜明けの少し髭が伸びた顔が逆に美しく見える。女性が徹夜して、そのまま人前に出たら見られたものではない。女性はきれいに顔を洗って、お化粧して人前に出てこなければ、健康的に見えないからだ。その点、あらゆるメディアや公的な場で乱れた容姿を見せないアメリカのライス国務長官は、超人的な努力を払っているのだろうね。

国家にとっての「死活問題」とは何か

「領土は100年後に取り返せばいい」と中国人は考える

 太平洋戦争で東京中が焼け野原になった。しかし今、これだけ復興した。「死活」という意味では、あのとき日本は「死んだ」といえる。それに比べれば、最近の北朝鮮のテポドンなど「死活問題」にはなり得ない。10発飛んできても、2、3発当たるかどうかなのだから、これは当たったら運が悪かったという程度の問題といっていいと思う。


 「日本は死んだ」とみんなが思ったけれども、ちゃんと復活した。私のような戦中戦後世代は、それを見てきている。その目から見て、日本にとって重要だったのは「領土」なのか、「主権」なのか、それとも何だったのか。

 中国人は、領土は別に取られたっていい、また取り返せばいいという考え方をする。北方をロシア人に取られても、100年後にはいずれ取り返す。シベリアが全てロシアのものになっても、やがて中国人が住み始めて、結局取り返す。軍事力を使わなくても取り返せるのだ。

 日露戦争のとき、ロシアが南下して満州を取るから、日本は命がけでこれを防ぐことになった。そして、中国、当時の清に「一緒に戦おう」といったら、「いいえ、けっこうです」と断られた。「ロシアは北京まで出てくるぞ」と忠告しても、「けっこうです」という。「北京が取られても、もっと奥へ行けばいい」というわけだ。やがて、100年もすれば、またぽつぽつと中国人が入り込んで、結果、元に戻る。100年のスパンで見れば、土地はなくならない。

 でも日本は、領土は絶対に敵に譲らなかった。これは農家の発想だろう。太平洋戦争は、そういう戦い方をして負けた。多少の領土は譲ればよかったのに、と私は思う。

アメリカの51番目の州になったら、戦争も「嫌だ」とはいえない

 では主権はどうか。「日本はアメリカの51番目の州になればいいんだ」と考える人がいる。そういう人には、もし仮にそうなったときの姿を、責任をもって考えてほしい。

 アメリカ側が完全平等に待遇してくれたとすれば、下院議員の数は人口比でもらえることになる。そうすると、下院議員の3分の1は日本人になってしまう。上院議員は各州ごとに2人しか出せないから、「日本州」の代表も2人となる。今、アメリカの上院議員は100人いるが、それが102人になって、そのうちの2人が日本人ということだ。

 そうなると、日本人以外の上院議員100人が「戦争をする」と決めたら、日本州だけ「迷惑だからやめる」といえなくなってしまう。2票しかないんだから反対しようがない。「仮にアメリカは中国に戦いを挑む」と上院が決めれば、実際に行われるだろう。その戦争の先頭になって攻め込むのは、一番近い日本州と決まるに違いない。大統領命令で「先頭になってがんばれ」といわれたら、日本州はどうするのだろうか。

 そう考えると、国の主権というのは、なかなか重要な問題といえる。日本があの焼け野原からなぜ復興できたかというと、やはり国体が護持されたということは大きかったはずだ。天皇制が残り、そこから出発して日本精神、家族主義、あるいは教育などといったのものが受け継がれていった。ずいぶん形は変わったけど、それらの「種」は残っていたから、日本はまた復活できたのだ。

 家族主義を基盤とした日本精神と子供の教育。それが残っていたから、復興できた。都市が焼け野原になっても、工場が半分つぶれても、精神さえあれば復興するのだ。日本精神と子供の教育を守ることは、やはり日本という国にとっての死活問題だったと私は思う。だから、守るべきものは常に、日本精神と日本の教育、日本語だということだ。

「たとえ原爆を落とされても、国家のほうが大事」
とホーチミンはいった

  太平洋戦争末期の昭和20年ごろ、ベトナムにはフランス軍がおり、フランスの植民地としてビシー政権によって支配されていた。そのとき日本軍もベトナムに駐留しており、結局、日本軍がフランス軍を武装解除したのである。その後、日本が軍政を敷いた。

 その最中にホーチミンが独立を宣言した。国家の始まりはただの宣言だけでいい。仲間が何人かいて「ベトナム人民共和国が成立した、大統領は私である」と言えばいいのだ。「許さない」と言うフランス人はもういない。日本軍は「どうぞご勝手に」と放置していた。王族はのんべんだらりと暮らしていたし、武力も持っていない。そういう状態だからその宣言は成立したのだ。


 でも、宣言だけじゃ無理だよと日本陸軍が示唆して、ホーチミンを中心としたベトナム人に武器弾薬の場所を教えた。そして、彼らは独立戦争を戦い始めた。その後、間もなくして日本軍は敗れ、その兵隊の一部が残って、独立のために戦おうじゃないかということになった。フランス軍が、戦車と飛行機を持って戻ってきたから、ベトナムはアメリカ相手のベトナム戦争と同じことをフランス相手に実行したのである。

 そのクライマックスはディエン・ビエン・フーの戦いだ。谷間にフランス軍を追い詰め、包囲して、周りの山から決死隊が攻め入って、ディエン・ビエン・フーにいた10万人ほどのフランス軍を全滅させるところまでいった。するとフランスは「原子爆弾を使う」といい出した。

 そのときにホーチミンは、「使うなら使え」と答えたという。原子爆弾が恐いからといって、ここで手を緩めたら、またフランスに支配される。たった今できたばかりのベトナム人民共和国という国家がつぶれて、またフランスになってしまう。国家を奪われるということは、国民が奴隷化されて、肉体的にも精神的にも、もう自分でなくなるということである。だから原爆など恐くない。国家のほうがよっぽど大事だ。ホーチミンはそう言ったのである。

 そして「我々の精神」として、子どもの教育にも言及した。つまり、ベトナム人の魂を子どもに教えるということだ。国家を守るというときに、「子どもの教育」が重要なのである。教育こそ国家の死活を左右する。

 日本も同じで、戦後、復興できたのは、子どもをちゃんと教育してきたからだ。しかし戦後、6・3・3制の学制で、男女共学になり、子どもは偏差値競争に巻き込まれ、教育は全滅したかのように言われている。新聞を読むと常に「若い者はなっとならん」と書いてある。若い者はすばらしいなんてどこにも書いてない。でも子どもと付き合ってみれば、案外そうでもない。だが、活字の世界には、「子どもは案外おもしろいよ」という記事はどこにも出ていない。

どんなに時代が流れても、不思議と受け継がれていく「日本」


 今年12月に公開予定の映画「男たちの大和/YAMATO」に関係している知人が、先日、おもしろい話を教えてくれた。戦艦大和は出撃して沈められ、3000人も死んでしまうのだが、その出撃前、乗船予定の兵士全員に休暇が与えられた。その休暇でみんな田舎へ帰ったのだが、戻って来たときには死んでしまうことは目に見えていた。そのときはもう日本全体が敗色濃厚な時期だから、大和も出撃して沈むことはみんな分かっていた。それでも、全員が戻ってきた。

 その兵士たちの中に、少年兵というのがいた。少年兵というのは志願兵で、20歳になって兵役が課される前に志願して兵隊になった若者だ。18歳や19歳、さらには15歳や16歳で志願する者までいた。300人以上いた少年兵も、やはり休暇のあと戻ってきた。みんな揃って戻ってきて、みんな揃って死んでしまった。映画はそういうストーリーだという。

 その少年兵の役を京都の撮影所で募集したら、茶髪やピアスの若者が1000人くらい応募してきた。1次試験、2次試験、3次試験と審査が進むうち、その中で審査員が目を付けた男の子がいた。5次試験くらいになった頃、その子がバリッとした格好と顔つきでやってきた。

 「どうした?」と聞くと、学校の先生に「大和って本当にあったんですか、アメリカと戦争したって本当ですか、日本は負けたって本当ですか」と聞いたら、先生は「みんな本当だよ」と教えてくれた、という。「日本は負けたんだ、そして何もかも失ったんだ」と。

 でも彼にはそれが不思議でしょうがない。世界の国々と比べても、日本は何もかもある国だ。何がなくなったのか、いくら考えても最初は彼には分からなかった。ところが彼は「この前、やっと分かりました」という。続けて「それは道徳です、道徳がなくなったんです」といった。それを聞いて、審査員一同が感動したそうだ。

 茶髪でピアスでジーパンの若者が「道徳がなくなった」と、どうして分かったのだろうか。私も不思議に思う。でも、はっきりした答えは出ない。想像してみるだけだ。

 まずなんとなく想像できるのは、親や友達、親戚や年上の人に聞いたということだろう。では、「道徳だよ」と聞かされたときに、彼が「そうかな」と思った下地はどこにあったか。私は、マンガかな、とも想像する。マンガをバカにしたものではなく、ちゃんと道徳を教えるマンガもある。日本人の魂を教えるマンガだってある。

 このように、どれだけ時代が流れても、やはり火種は消えない。芽は残っている。

 その映画の中で、広島県尾道市に実物大の戦艦大和をつくった。100人以上の若者たちがその模型の上でアクションをすると、みんな真剣になって、本当に兵隊みたいな顔つきになってしまったという。「自分と同い年の少年たちが、こういうふうに戦ってみんな死んだのかと思うと、おろそかな演技はできません」と若者たちは口々に言った。

 こうした話を聞き、私は、日本精神や日本というのは消えないで残っているんだ、と感じた。それが残っていることには、よい面と悪い面の両方があると思うが、それでも不思議と、茶髪でピアスの若者にも受け継がれていくものなのだ。



偏差値によって消えたエリートの気骨

以前、中国の大学でイベントをしたとき、ある日本人の大学教授に「日下さん、私はあなたの教え子です」といわれた。僕が「あなたを教えた覚えはないのですが」と答えたら、その人は「以前に海外赴任したときに、日下さんに習った」と教えてくれた。

 海外に住む日本人が増えた十数年前に、当時の文部省(現・文部科学省)が、ニューヨークやロサンゼルス、シンガポールなどに、日本語小学校をたくさんつくった。そこの先生は文部省から派遣された。毎年20人から30人ずつ派遣して、何年か経ったら日本に戻すわけだ。僕はその派遣される先生たちに、海外で勤める心がけを教えたことがあったのだ。

 日本人小学校の先生は、海外といえども日本人の子どもに日本のことを日本語で教えるのだから、仕事自体はそれほど大変ではない。しかし、そうはいっても海外勤務だから、教える子どもたちの両親はどんな気持ちで、どんな環境の中で働いているのかを、僕が教えてほしいという要請だった。本当はそうした両親は、帰国したときに子どもが高等学校に受かるようにと、偏差値のことしか考えていない。しかし文部省としては、やはり日本人の魂を少しは教えておかないといけない、ということらしい。僕は文部省に頼まれて、先生たちの先生をした。

 それに対して1万5000円ほど支払われる。その支払いのために捺印する紙を見ると、「三等職相当」などと書いてある。そこで僕が「お国のためなのでタダでいいですよ」と言ったら、文部省の人は「タダでは困ります」と答えた。僕にしてみれば、そんなものにペタペタと判子を押すほうが、よほどくたびれるし、1万5000円も、もらうほどのことでもない。しかも「三等職待遇」などと扱われるのも、嬉しくない。それでも文部省の人は「私が困ります」と押し付けてくる。

 ではなぜ「三等」なのかと聞くと、「文部省の中の規定で待遇のいいほうにしました」などと答える。バカ野郎、僕は最初から文部省なんかに入らなかったんだよ。そもそも僕の友達の中でもできが悪い人が文部省に入っているんだから。その場ではそこまで言わなかったけれど、だからといって「文部省の規定で三等職になった」といわれてもね。そんなことをやっているから、逆に講師が来てくれないのだ。

僕の教え子だったという中国の大学の教授は、僕にこんなことを教えてくれた。「本当のことを言います。私が今ここで日本のことを教えていると、生徒は本当にびっくりします。だけどこの生徒たちは、小、中、高では愛国教育を受けているのです。愛国教育の塊が下地にあって、その上に日本勉強があるのです」。ああ、それは確かにそうだろうなと、僕は思った。

 別のときに南京大学で講義をして、たくさんの日本語の分かる学生に「ありがとうございます」と立派な日本語でお礼をいわれた。そこで僕は「だけど君たちは、ずっと愛国教育を受けてきたんでしょう」と聞くと、彼らは「そうです」という。「その愛国魂は失っていないのでしょう」と突っ込むと、「失っていません」と答えた。僕は「嘘をつけ」といった。

 「君たちは愛国魂を失っている。南京大学で日本語を勉強して、日本の会社に勤めて、得しようと思っているだろう。自分個人のために勉強しているのではないのか」といったら、ムニャムニャムニャ……と、みんな口ごもってしまった。そこで僕は、「そんな情ない人たちに、日本を教える気はしない。君たちは立派な中国をつくれ。日本から学べるところは学び、学べないところは学ばないで、立派な中国をつくってほしい。それが日本側の心だよ」といった。

 すると彼らの反応は2通りで、「はあ」とあいまいに答える人と、「うん」とはっきり答える人とがいた。「うん」と唇を引き締めて帰る人は共産党員。「はあ」といって帰る人は党員ではないと思う。党員の総数は約6000万人で、その家族も入れれば2~3億人になる。13億人のうちの2~3億人だから、党員は中国全体の1割から2割は、いるのだろう。

 党員か党員でないかというのは、中国人を見ているうちに、だんだんとわかるようになる。パーティーをしていても、食事をしていても、党員はみんなを仕切るのだ。それから、精神的なこと、どういう精神を持つべきかを話す。つまり、中国13億人の精神の管理者なのだ。だから党員は、他の人に勉強で負けても、収入が低くても平気で、とにかく精神を管理する。

 その精神の基礎部分が、マルクス・レーニン・スターリン・毛沢東だけではダメだというところで、中国共産党は動揺しているわけだ。それでも精神の管理者だから「この中国人には魂がない。精神がない。共産党が教え込むんだ。放っておくと、みんな血縁主義とか、拝金思想だけになってしまう。そんなことでは中国は立っていけないだろう」と思っている。そういう思いがその人の顔つきや動作に表れていて、しばらく注意して見ているとすぐにわかるようになるのだ。

取り仕切るのが仕事と考えるハーバード卒

 アメリカで、それと同じ経験をした。共産主義のような思想はアメリカにはないが、そうではなくて「自分はエリートだ」という、周りを見下している人間がたくさんいるのだ。

 一番わかりやすい例を挙げると、ハーバード・ビジネス・スクールの卒業生がそれに当たる。「オレはMBAを持っているぞ」という人。商売でアメリカに行くと、そういう人たちによく会う。彼らは商売の世界では「エリート」と呼ばれている。そういう人が、年は若くても偉そうに取り仕切るのだ。僕は「取り仕切っているわりにはいいことを言わないな」と思って聞いているのだが、それでも彼ら自身は、「取り仕切るのが自分の役割だ」と思っているらしい。周りもわりと黙って聞いている。

 どこの国にも、“取り仕切るのが自分の仕事”と思っている人がいるわけだ。イギリスなどには、そうした人がたくさんいる。逆に日本には、取り仕切らないのが自慢という人がいっぱいいる。社長になっても、「社長って何をすればいいのか、みんなで決めてください」とかね。

 それが悪いとは思わないが、昔の教育は「根本的にはオレがやるんだ」という根性を叩き込んだものだ。旧制中学校などは、そういった教育の中枢なのだ。旧制中学校に進学する人は、男子の3%とか5%だったのだから。
そもそも旧制中学校は各県に1つだけだった。だから旧制中学校に入学した学生は、もうその時点でエリートの気概を持たなければいけなかった。“少なくともこの県はしょって立つ”と、自分も思い、友達も思い、先生も思い、先輩も思い、後輩も思う。それが日本におけるエリート教育だったし、そうした学生は「根本的にはオレがやるんだ」という根性を叩き込まれたものだった。

 そういうエリート意識というのが、かつての日本にはあった。それが戦後、まるで消えてしまって、自分自身のために勉強するようになった。勉強は個人のため。そうすると、東大に入っても、京大に入っても、社会的な値打ちがないわけだ。昔は「日本のためにがんばって難しい勉強をしてくれ、お前は頭にスッスッと入る人間だから、他のことはあきらめて、それを専門にやってくれ」と応援された。それが奨学金であり、地域の人の応援だったのだ。

 いまのエリートは、地域の嫌われ者になってしまった。地域を踏み台にして東京や京都に出て行って、自分だけが偉くなるわけだから。それが偏差値教育で、出ていった本人もまた、地域のみんなの面倒を見る気がないし、取り仕切る気もない。そういう人たちが日本の役人であり、日本の学者なのだ。だから彼らは、外国から何かいわれても、“自分が矢面に立つ”という気持ちがまったくないわけだ。

 僕はこういうことを繰り返しいってきた。でも「日本はこれだけ幸せになっているのだから、これ以上、そんなエリートはいないほうがいいです」という意見もある。確かに、こうした意見も正しいと思う。ただ、日本の将来を考えると心配になってしまうのだ。

Thursday, December 15, 2005

★米軍のイラク撤退

アメリカは、米軍をイラクから撤退させる方針を固めつつある。国防総省の
発表や、米軍の関係者がマスコミに語ったところを総合すると、現在の16万
人のイラク駐留米軍のうち、12月15日のイラクの議会選挙が終わった後、
2万人をイラクから撤収させ、今年初めの兵力水準だった14万人に戻す。そ
の後、来年中にさらに4万人以上を撤退させ、来年末には10万人を切る水準
間で減らし、再来年(2007年)末までには、残りの軍勢の大半を撤退させ、
2008年にはイラクから米軍のほとんどがいなくなる。
 米軍の撤退は、イラク人の軍隊や警察隊の訓練が順調に進み、米軍に代わっ
てイラク軍がイラクの治安を守ることが前提となっている。米軍の撤退と連動
して、日本の自衛隊やイギリス、オーストラリアなどの軍隊もイラクから撤退
する見通しで、自衛隊は来年8月までにサマワを撤収することを検討している。
 アメリカ政府はイラク撤退を、誰にでも分かる明確なかたちで発表していな
い。11月30日、ブッシュ大統領が今後のイラク占領についてテレビ演説し
た。ブッシュは、イラク軍を訓練し、米軍に代わってイラクの治安維持を担当
させる計画について説明したものの、米軍をいつ撤退させるかという日程には
全く触れず「イラクが安定した民主国家になるまで撤退しない」とだけ表明した。
 この演説を聞いた人は「米軍はイラクから撤退しないのだ」と思ったことだ
ろう。しかし同日、ホワイトハウスは35ページにおよぶ今後のイラク占領計
画を発表し、そちらにはイラク軍の訓練の進展と並行して米軍を撤退させる計
画が明記されている。
 ブッシュは、米軍基地で行ったテレビ演説の中で「勝利」という言葉を15
回も使い、演説の題名も「勝利のための計画」(Plan for Victory)だった。
ブッシュは、アメリカはイラク戦争に勝っているのだという印象を米国民に与
え、低下している支持率の回復につなげようとした。「米軍撤退」は、勝利で
はなく敗北を示唆するので演説から外され、記者や専門家だけが見る計画書の
方だけに記載されたのだろう。ブッシュは、米国民を勘違いさせる広報戦略を
採ったのである。
(撤退を発表すると、アメリカは弱腰だと見たイラクのゲリラが攻撃を活発化
するので、ブッシュは賢明にも撤退を明言しなかったのだ、という見方が米政
界にある。だが、中東の新聞には米軍の撤退が大々的に掲載されており、この
見方は間違いだ)
▼イラク戦争は「神の意志」?
 ブッシュ大統領は、イラク侵攻を皮切りに世界を民主化する構想にまだ強く
こだわっており、今もイラクへの侵攻は良いことだったと確信している。ブッ
シュは12月9日、米ミネソタ州で政治集会での演説で「50年前にアメリカ
が日本を打ち負かして『民主化』したことが世界から評価されているように、
今から50年後には、アメリカがイラクを皮切りに世界を民主化していくこと
が、素晴らしい業績として評価されるに違いない」と語っている。
 ブッシュのこうした確信は「神がかり」ともいうべき、宗教的な原因で起き
ているという見方がある。ブッシュ政権の元高官によると、911事件の後、
ブッシュは「神様は、世界を民主化するために、自分を大統領の座に据えたの
だ」と信じるようになり、その確信に基づいてイラク侵攻を行った。
 その後、2004年の大統領選挙で再選を果たしたブッシュは「神様は、自
分がやっている世界民主化の軍事行動は正しいと認め、再選を実現してくれた」
と考え「イラク占領は必ず成功する。神の意志なのだから失敗するはずがない」
という確信を強めた。
 ブッシュは「イラク占領は失敗するはずがない」と考えているので、側近や
イラク現地の米軍司令官たちがいくら「占領はうまくいってません」と報告し
ても聞く耳を持たず、占領計画の立案は現場司令官たちを全く交えず、政権の
最上層部の人々だけで決められてきた。元高官によると、政権上部は、現場司
令官に対して「政府の方針に反することを公的な場で発言したらクビにする」
と脅し、イラク占領が失敗しつつある状況を隠している。
 ブッシュは「キリスト教会は、多くの信者の犠牲の上に発展する」という格
言を信じ、イラクで米軍に戦死者が増えても、格言通りのことが起きているの
だからかまわないと考えている。神がかりになり、宗教の世界に没頭するブッ
シュは「世界民主化」以外のことに無関心になり、以前よりもさらに多くの意
志決定を、副大統領のチェイニーや、顧問のカール・ローブに任せ、自らは超
然としている傾向が強まったという。
 アメリカの中枢では冷戦後、異なる目標を掲げたいくつかの勢力が暗闘を続
けているようなので、ブッシュが「神がかり」的な確信を持っているという指
摘は、ブッシュに好かれていない勢力による事実と異なる情報リーク作戦かも
しれない。だが「ブッシュ神がかり説」は、以前から何回も繰り返し指摘され
ており、根拠のある話という感じもする。
▼10月までの強硬姿勢から一転
 ブッシュの確信の背景に「神がかり」があるのかどうかは確定できないが、
ブッシュがイラクでの勝利を確信していることは、彼の言動から考えて、ほぼ
間違いない。そして、ブッシュの確信は、アメリカを非常に危険な状態に陥れ
ている。米軍は、もうこれ以上、今の兵力数でイラクで戦い続けることができ
ない状態になっている。
 イラク戦争は米国民の間でどんどん不人気になり、軍の募集に応じる人数が
減少している。募集制を採っている米軍の制度を徴兵制に変えないかぎり、米
軍は兵力を確保できないが、イラク戦争は不人気で、徴兵制など敷くことはで
きない。米軍は全体の兵力を縮小していくことが以前からの長期基本計画で決
まっており、それを変えることもできない。
 特に疲労度が高いのが「年に2週間だけ兵役すればよい」「週末に軍事訓練
に参加し、余暇を使って国に貢献する」といううたい文句で募集されてきた国
家警備隊(州兵)だ。イラク駐留米軍16万人のうち、6万5千人が国家警備
隊である。彼らは6年の任期のうち2年間までしか海外派兵しなくて良いこと
になっているが、その上限を破って2年間のイラク駐留の2回目をさせられて
いる兵士が増えており、装備も戦意も疲弊しきっている。
 ハリケーン「カトリーナ」襲来時には、地元の国家警備隊がイラクに行かさ
れていたので災害対策が不十分だったと米政府が非難されている。米陸軍は、
来年から、イラクに駐留している8旅団のうち6旅団(約5万人)を帰国させ
ることにしており、これが来年の米軍のイラク駐留兵力数の削減の中心である。
 米軍は、国家警備隊以外にも、イラク駐留軍の中心をなす陸軍の歩兵が募集
できず、定員を大きく割っている。国防総省は、戦死の懸念がなく新兵募集が
やりやすい後方支援担当を、定員よりはるかに多く採用することで、全体とし
ての欠員状況を減らし、欠員が深刻でないと見せる誤魔化しをやってきたこと
が、米議会の検査院(GAO)の調査で分かっている。
 新生イラク国家が安定しようがしまいが、米軍はあと1-2年以内にイラク
駐留軍を大幅削減せざるを得ない状況になっている。最近、日本や韓国から駐
留米軍が撤退していると思われる状況が続いているが、ブッシュがイラク占領
の成功を何よりも重視しているのなら、在日米軍を含む、イラク以外の外国に
駐留するすべての米軍の兵士と装備をイラクに結集させろ、とブッシュが国防
総省に命じても不思議ではない。
▼撤退を最も望んでいるのは米軍自身
 占領開始以来、米軍は、イラクで市民を怒らせるような重過失(故意)的な
失策をいくつもやっており、今ではイラク人の80%以上が米軍を嫌っており、
米軍に協力しようとする人は少ない。もはや米軍はイラク駐留を続けても成功
しないのだから、撤退した方が良いという意見は、昨年ぐらいから米言論界の
あちこちで出ていた。だがそれは、米議会で大勢を占める意見ではなかった。
 今年10月19日、議会で証言したライス国務長官は、必要ならイラク占領
を今後10年続けることも辞さないと表明し、イランやシリアに対して米軍が
攻撃を仕掛ける可能性にも言及した。こうした強硬姿勢は、ブッシュ政権の高
官たちに共通していた。
 米政界の雰囲気が変わりだしたのは10月29日、副大統領補佐官だったル
イス・リビーが起訴され、イラクに侵攻する理由となったイラクの核兵器開発
疑惑の根拠である外交文書が偽造だったことが大きな問題となってからだ。イ
ラク戦争に対する米国民の支持が急速に下がる中で、これまでブッシュの戦争
をおおむね支持していた議会が、戦争を批判する姿勢に転換し始めた。
 11月1日には、野党民主党の議員団が議会上院を占拠する実力行使によっ
て、ブッシュ政権に対し、ウソをついてイラクに侵攻した件と、今後イラクの
占領をどう終わらせるのかという件について釈明を求めた。与党の共和党内に
も「ブッシュ政権が、イラク占領を終わらせる日程を国民に説明しないと、来
年の中間選挙や、再来年の大統領選挙で勝てない」という懸念が広がり出した。
 11月17日には、これまで一貫して歴代政権の戦争に賛成してきた米軍出
身の民主党下院議員ジョン・マーサが、米軍内の不満を代弁するかたちで、ブ
ッシュ政権に対し、イラクからの即時撤退を求める決議案を提出した。即時撤
退に対しては反対意見が多く、マーサの議案は否決されたものの、米議会は、
イラクからいつどのように撤退するのか計画を示すようブッシュに求めた。
 今アメリカで「イラク撤退」を主張している最大の勢力は「軍」の人々であ
る。彼らは、米政府が「快勝できる」と言って大した準備もせずに始めたイラ
ク戦争が泥沼化し、兵士たちが防弾チョッキや防弾装甲車も満足に与えられな
いまま、異常に長期間の戦いを強いられていることに怒っている。イラクが大
量破壊兵器を開発しているという話もウソだったし、この戦争は失敗なのだか
ら、早く撤退した方が良い、という主張である。
▼いやいやながらの撤退計画
 これに応じるかのように、3日後の11月20日、イラク駐留米軍司令官か
らラムズフェルド国防長官に対し、駐留軍の兵力数を、現行の16万人から、
来年末には10万人以下の水準にまで下げる計画が提出されていたことが明ら
かにされた。
 翌11月21日には、シーア派、スンニ派、クルド人といったイラクの諸勢
力が、エジプトの仲裁(おそらくアメリカの肝いり)で、カイロで会議を開き、
米軍撤退後を見据えた初めての和解交渉を行った。
 11月23日には、ライス国務長官も「20万人のイラク人の新生軍隊の訓
練が進んでいるので、彼らが米軍と交代することで、駐留米軍兵力数は、間も
なく削減できるようになる」とテレビのインタビューで述べた。つい1カ月前
に「10年の駐留も辞さず」と言っていたのが嘘のような転換である。
 これと前後して、イギリスやオーストラリアでも、イラク駐留軍の撤退が検
討されていることが明らかになった。イギリスは来年5月にムサンナ州から撤
退する予定で、ムサンナ州のサマワに自衛隊を駐屯させている日本政府も、撤
収の検討に入った。
 11月27日には、ホワイトハウスのマクレラン報道官が、ブッシュ政権は
イラクから撤退する計画案を持っていることを表明した。これは積極的な発表
として行われたものではない。1週間前に民主党から出された撤退計画案につ
いてコメントを求められた報道官が「あの案は、われわれが作った案と良く似
ている」と述べ、自前の撤退計画の存在に初めて言及した。
 こうした経緯からは、イラクから撤退したくないブッシュに対し、「もう戦
えない」と考える米軍と、「このままではアメリカは国力を浪費して自滅する」
と考える米議会が圧力をかけ、撤退を決めさせたことが感じられる。

▼米軍撤退とともにイラク軍も壊滅?
 米軍の撤退は、新生イラク軍(軍隊と警察隊)を訓練して強化し、地方都市
の市街地などから順番に、治安維持の権限を米軍からイラク軍に委譲していく
ことで実現される。しかし実は、イラク軍の強化は、うまく行きそうもない。
アメリカが占領下で作ったイラク軍(軍と警察)には20万人の兵力があると
されるが、その大半は給料がもらえるから応募しただけで、実際にはゲリラと
戦う気がない人々である。彼らは戦場に駆り出されると、武器を捨てて逃げた
り、ゲリラ側に寝返ったりしてしまう。
 さすがにこのままではまずいということで、米軍は今年9月、新生イラク軍
の実力を計るため、部隊を「技能も忠誠心もあり、独力で戦える1級部隊」
「忠誠心はあるが技能がないので、米軍の指示や援護を受ければ戦える2級部
隊」「忠誠心がある人とない人が混じっており、米軍の支援を受ければ一部が
戦える3級部隊」「忠誠心のない人ばかりの4級部隊」という4つに区分した。
 その結果は、軍と警察の115部隊のうち、1級部隊はわずか1部隊だけだ
った。軍の部隊は、2級が3分の1、残りは3級で、警察の部隊は3級と4級
が半分ずつとなっている。イラク軍のうち115分の1の兵力しか独力で戦え
ないのだから、米軍が撤退したら、イラクはすぐにゲリラの圧勝となり、アメ
リカが作った政権も倒されてしまう。
 米軍はすでに、南部のシーア派の聖都カルバラとナジャフ、中部のスンニ派
の中心都市ティクリートで、市街地の警備を地元の民兵団に委譲し、市街地の
外に撤収している。また、北部のクルド人地域の多くも、クルド人の準軍隊
(ペシュメガ)に、すでに治安維持が移管されている。
 シーア派の民兵は、サドル師ら反米的な聖職者が率いている。スンニ派の民
兵は、かつてフセイン政権時代に軍人や秘密警察員だった人々で構成されてい
る。クルド人のペシュメガも10年以上の歴史を持ち、イスラエルから密かに
訓練を受け、かなりの軍事力を持っている。米軍が撤退すると、新生イラク軍
は雲散霧消し、シーア、スンニ、クルドの3つの民兵団に分散吸収される可能
性が強い。
 アメリカは2003年夏ごろから新生イラク軍の募集や訓練を本格化してお
り、訓練期間はすでに2年に及んでいるが、戦えるイラク軍を作れていない。
その理由は、新生イラク政府が侵略者アメリカの傀儡だとイラク人から見られ
ているためである。
 もはやイラク人のほぼ全員が反米意識を持っている以上、親米のイラク軍を
創建し、その後米軍が撤退するという計画の実行は、まず不可能である。こう
した現実はかなり前に明らかで、ブッシュ政権の人々も知っているはずだ。米
政府は、実行がほぼ不可能だと最初から分かっている戦略を実施しようとして
いる。
 なぜ失敗すると分かっている戦略が打ち出されるかといえば、すでに述べた
ように、米軍がもう今の駐留兵力数を維持できない状態になっているからであ
る。おそらく米政府は、新生イラク軍の創建がろくに実現できなくても「創建
できた」ことにして、マスコミに歪曲した情報を流し、米軍撤退を実施するつ
もりだろう。
▼ベトナム型の空爆作戦でさらに泥沼化か
 米軍の大半が撤退すると、アメリカはイラクでの戦争を終えるのかというと、
そうではない。撤退するのは地上軍である。米軍は、地上軍を撤退させた後、
主要な戦法を戦闘機による空爆に切り替え、ゲリラと戦い続けるのではないか
と予測されている。
 戦争が泥沼化して米国内で反戦気運が高まったことを受けて、地上軍を撤退
させ、主力を空軍による空爆にするという転換は、アメリカが1970年代に
ベトナム戦争のときに行ったのと同じものである。ベトナム戦争時には、南ベ
トナム軍がゲリラの村に攻撃を仕掛けるのを、米空軍が空から援護し、ゲリラ
が潜んでいそうな村や森を空爆したり、焼き払うという作戦を行った。その作
戦は、無実のベトナム人を多く殺す結果となり、アメリカにとって今も消えな
い大きな汚点となった。
 イラク戦争では、新生イラク軍が地上からゲリラを攻撃し、それを米空軍が
空から援護する、というかたちになる。爆撃機は、操縦士が自分で標的を定め
て爆弾を落とすのではない。地上にいる司令官が、司令部に「ここを攻撃して
くれ」と連絡し、標的が定められる。もしくは、地上軍がレーザービームなど
で標的を指し示す。新生イラク軍の司令官が標的を決定し、米空軍に空爆させ
る形となる。
 だが、この作戦はうまく行きそうもない。新生イラク軍の内部は、シーア派
民兵出身者、スンニ派民兵出身者、クルド人民兵出身者に分裂している。特に
シーア派とスンニ派の間では、相手方の民兵勢力の居場所を標的に定めて空爆
させるという、米空軍を使った内戦をやりかねない。イラク軍の内部には、か
なりの数の反米勢力が潜入していると考えられ、故意に一般市民の密集地を米
軍に誤爆させ、アメリカの評判を落とす行為をやるかもしれない。
 こうした懸念があるため、米空軍は、イラク軍が標的設定をする空爆作戦に
反対している。だが、ブッシュ政権の中枢が、空軍の反対を聞き入れるかどう
かは分からない。ブッシュが地上軍の撤退後は空爆を中心にすると決めた場合、
イラク戦争はますます凄惨なものになっていくだろう。
▼米イラク撤退で中東は大混乱になる?
 米軍が今立てられている計画のとおりに撤退するかどうか、地上軍の撤退後
に空爆作戦をやるかどうか、まだ分からない。しかし、もはやアメリカは、攻
撃方法が巧妙になり、活発化しているゲリラを退治するだけの兵力と時間の余
裕がなく、イラクで勝つ(イラクを安定化させた後、市民から好感を持たれつ
つイラクを去る)ことは不可能である。敗北して撤退する道しか残されておら
ず、撤退するまでにどの程度あがくか、という選択肢があるだけだ。
 アメリカがイラクで敗北すると、イスラム世界の反米勢力に勢いがつき、中
東全域の親米政権に大きな悪影響を与えることになる。イスラエルのほか、エ
ジプト、サウジアラビア、クウェート、ヨルダン、パキスタンなどがそうである。
 イスラエルではすでに、早くからアメリカの敗北を予期していたと思われる
シャロン首相が、国家の存続を賭け、イスラム諸国との敵対関係を緩和させよ
うとしており、シャロンは右派のリクードを飛び出し、中道派の新政党カディ
マを作った。
 エジプトでは、先の選挙で過激派のイスラム同胞団が健闘し、ムバラク政権
の存続を潜在的に脅かし始めている。また大産油国であるサウジアラビアが不
安定になると、石油価格がさらに高騰する。
 アメリカの政府と政界はイラクをどうするかという件で手一杯で、他のこと
を進める余裕がない。アメリカは国際社会の主導権を握らない傾向が強まり、
空白を埋めるかたちで中国やロシアの覇権力が強まりそうである。中東が今後
どうなっていくか、米政界の動きと合わせ、目が離せなくなっている。

Wednesday, December 14, 2005

前人栽樹、后人乘涼

  前人栽樹、后人乘涼
 qian2 ren2 zai1 shu4 ,hou4 ren2 cheng2 liang2

■ 意 味 ■ 
 先人が木を植え、後代の者がその陰で涼む。前人のおかげで後の人が幸福になる。

不分青紅(白/七)白

  不分青紅(白/七)白
 bu4 fen1 qing1 hong2 zao4

■ 意 味 ■ 
 有無を言わさず。事の理非曲直を問わずに。

老天不負苦心人

老天不負苦心人
lao3 tian1 bu4 fu4 ku3 xin1 ren2

■ 意 味 ■ 
天は自ら助くるものを助く。

原生林よ、甦れ

このところ明治神宮や橿原神宮、仁徳天皇陵の森のことが気になります。人
工林なのに、まるで原生林・自然林のように、元気で、優雅な姿に惹かれるの
です。
 地球環境問題に対して私たちができる数少ないことは、原生林の再生ではな
いでしょうか。昔の日本人の森林づくりのうまさに敬意を表して、雑文をした
ためましたので、お届け申し上げます。
 得丸久文

原生林よ、甦れ - 
「ある」ものではなく、「つくり出す」ものとしての地球環境
1 人口カーブの向こうには
・ 地球規模で考える(Think globally.)
 「地球環境問題」とはなんだろう。地球環境問題という言葉は知っている
が、それが何であるのか、どれくらい人類や他の生物に影響を及ぼすのか、ど
うすれば問題を回避できるのかを知っている人はほとんどいないのではない
か。
 ヒトの身長は2m足らず、寿命もせいぜい百年足らず。ちっぽけなヒトが、
直径1万km以上、生まれてから40億年以上になる地球のことを理解するの
は、むずかしい。Think globally, act locally.という環境保護派の美しいス
ローガンは、ほとんど実現不可能である。
 ひとつ、”Think globally”を実践して、時間的にも空間的にも超マクロ的
にものごとを考えてみよう。そうすれば、地球環境危機の時代に、私たちは何
をすべきかも見えてくるかもしれない。
・ 人類と文明の誕生
 人類の歴史は、約500万年前に遡る。アフリカのサバンナで直立二足歩行
を始めたサルの一群がいた。彼らは、ライオンやチータが食べ残した動物の骨
を拾って主食にしていた。その当時の主食が、今日の我々の歯や手の指の形を
規定している。(島泰三著「親指はなぜ太いのか」中公新書)
 骨拾い・骨食いの時代が何百万年か続いて、25万年ほど前に、一部のサルが
毛皮を失い、裸で生活するようになる。おそらく、水分や気温の調節がラクな
洞窟暮らしを続けているうちに、毛皮が退化したのだ。(島泰三著「はだかの
起原」木楽舎)
 洞窟の中で、裸のサルたちは、お化粧をおぼえ、壁画を書き、衣類を身にま
とうようになり、言葉を生み出した。
 洞窟暮らしが文明の端緒であり、言葉やお化粧は文化の発祥である。
 そして、約7万年前の氷河期の時代に、裸のサルたちは、アフリカから世界
各地へと散っていった。はじめは狩猟採集生活であったが、6000年ほど前
に、農耕牧畜を始めるようになると、4つの都市文明が栄えたのだった。
 
 文明とは、自然を人間の住みやすいように、人間の都合に合わせて改変する
ことである。都市文明、農耕文明、機械文明、石油・化学文明、自動車文明、
およそ文明という言葉で表わされるものが、人間と自然の関係を根本的に変
え、人間による自然侵略・自然搾取・自然破壊の規模を大きくした。
 
・ 人口増加は森林を犠牲にした
 人口増加も、文明領域の拡大によって実現した。
 農耕文明が始まった当時は数百万人だったと思われる世界人口は、今から2
000年前に1億人を超す。それは徐々に増えていくが、産業革命による機械
と化石燃料消費が始まると増加速度を上げ、10億人台になる。石油消費、化
学肥料、自動車が生まれた20世紀には、地球人口は15億人から60億人へ
と増加し、2005年の今、世界人口は約65億人といわれている。
 さて、幾何級数的に増加した人類だが、何もないところに増えたのではな
い。人口が増えた分に見合って、何かが減っているのだ。たとえば、1億人が
食べる穀物を生産するのに必要な土地の広さと、65億人が食べる穀物に必要
な土地の広さは、明らかに違う。64億人が食べるための食糧生産は、何かを
犠牲にしたのだ。
 人口カーブの急上昇するのと同じペースで減っているものがあるとすれば、
それは森林である。さらにいうと、森林を生息地にしていた動物や植物、苔類
や微生物が減ったのだ。
ヨーロッパ大陸、アメリカ大陸、オーストラリア、ニュージーランド、北海
道、フィリピン、インドネシア、マレーシア、、、、。世界の森林の多くは、
「開拓」時代や「経済成長」の時代に人間が無償の資源として切り尽くしてし
まった。そして、切り開かれた森林は農耕地や住宅地にされ、二度と森林に戻
ることはなかった。生息環境を失った野生動物は、死に絶えた。
 ここ数年、BRICとして経済成長著しいブラジル、ロシア、インド、中国など
でも、ものすごい勢いで森林が伐採されていることであろう。合法的な伐採も
あるかもしれないが、違法伐採も行われているものと思われる。
 二酸化炭素が増えて地球温暖化が進んでいることの背景には、地球レベルの
森林量の減少も寄与しているのだ。
2 原生林は人工的に作られる
・ 人間の都合だけ考えた植林
 人口が65億人となり、世界の森林面積がまだまだ減少し続けている現実を
知ると、もう地球環境問題には解決の方策がないのだと、ため息をつくほかは
ない。愚かな人類は、禁止されようと、自分の生活が危うくなろうと、おかま
いなく、木を切り続けている。
 さまざまな植林事業が行われているではないかという人もいるだろう。だ
が、いわゆる植林事業は、多くの場合、樹種が一種だけの単相林であり、人間
の都合、人間が利用することしか考えていない。野生動物がその森を生息地と
し、その樹木の実や葉を食糧にすることまで配慮した植林事業は耳にしない。
日本各地にみられるスギ林のように、植林によって作られた森林は、生命の息
吹の感じられない森林である。
・ 原生林を甦らせることはできる
 だが、希望はまったくないわけではない。意外と身近なところにある。
 東京の代々木にある明治神宮の森は、今から70数年前は陸軍の代々木練兵
場だった。そこに全国から寄せられた木を植えて、100年後に美しい森とな
るように設計して作られたのだ。紀元2600年を記念してつくられた奈良県
の橿原神宮の森も同様に人工林である。
 もっと古い時代には、もっと印象的な森がつくられた。大阪にある仁徳天皇
陵の森は、誰が見ても原生林としか見えないほど、生き生きとした樹木に覆わ
れているのである。
 人間がきちんと設計して、手入れすれば、わずか100年足らずで、森林は
再生する。大事なことは、100年、200年後に、森林として成長するよう
設計することであり、人間が不必要に足を踏み入れないことである。
・ 植林して聖地に
 地球環境問題はこれからますます深刻な影響を地球上に及ぼすだろう。経済
はますます混乱するであろう。そのような時に、近視眼的に貨幣経済の指標だ
けを考えるのではなく、100年後、200年後の人類とその他生物たちの共
生のために、森林を創造すべきではないか。少しでも早く原生林に近づけるた
めに、人間が立ち入ることを許さない聖域にするのがよいだろう。

小泉後を睨んだ胡錦涛戦略

小泉後を睨んだ胡錦涛戦略
 胡錦涛戦略を「相手の内部分裂を誘い、相手の力を弱め、自己の
力の影響力下に相手を誘い込み、間接的または直接的に相手を支配
できる状態にする」と想定して現状の中国外交を考察してみる。
 まず、台湾の状況は完全にこれに当てはまる。独立志向の台湾の
現政権は、胡錦涛にとっては敵対勢力である。そこで取った具体策
が、恫喝後に敵対する現政権以外への微笑み外交による相手内部の
分裂策だ。恫喝政策の一つが「反国家分裂法」で、二つ目が台湾企
業への踏み絵だ。これだけの恫喝をすると相手側が全て敵対勢力に
なる。ところが、民主主義国家である台湾は独立志向の現政権と現
政権の政策に反対する在野勢力が存在する。この在野勢力を味方に
することを目的に在野勢力首脳を北京へ招き、微笑み外交を展開を
した。この政策と合わせ、恫喝により経済的に大陸中国に依存した
状況を認識している大衆の動揺を誘い、選挙において在野勢力への
支持へと誘導した。今回の台湾での選挙結果は、胡錦涛戦術が成功
したと中国首脳は判断するだろう。
 次に「東アジア共同体」はASEA+日中韓と限定させることに
よって簡単に完成する。そのわけは、米国を追い出した空白地帯と
しての東アジアなら、
 ■中国の軍事力は日本を除く諸国の軍事力を圧倒している。軍事
演習や小さな小競り合いを利用して、無言・有言の圧力を自在にか
けられる。また、日本の軍事力は核戦力を欠く上、第二次世界大戦
の後遺症と憲法の制約から東アジアでの軍事力を単独で展開するこ
とはあり得ない。
 ■拡大する中国との貿易の利益を恣意的に利用することにより圧
力をかけることができる。この場合、日本と東アジア諸国との間に
は大きな貿易が存在するが、飛躍的拡大はあり得ない。これに引き
替え、新規参入する中国は拡大する中国市場へのアクセスをコント
ロールすることで圧力をかけることが可能である。
 つまり、軍事、経済とも支配できる。それ故に、米国を除外する
のと同じく経済が急激に拡大するインドの参画を排除するのである。
 最後に、日本を対象に考察する。あからさまな恫喝政策は逆効果
になることを理解している。採用した戦術が「靖国」を踏み絵にす
る事により日本国内の敵対勢力を分断することから始めた。その手
順は、
 ■中国側から日中間の問題は「靖国」問題が解決すれば全てなく
なるような雰囲気を流した。
 ■日本のマスコミに小泉首相の靖国参拝だけを抜き出したアンケ
ート調査をさせ、日本人の過半数が日本側の対策による問題解決を
支持している結果を出させた。
 ■味方勢力の拡大するために経済界首脳を招き、微笑み外交を実
施した。
 ■小泉首相は来年9月をもって退陣する。反日デモでは一枚岩だ
った次期首相候補者たちを「靖国」という踏み絵により分断する。
 ■靖国参拝をする政治家(外務大臣を含む)とは、今後一切会わ
ず異常な状態をわざと続ける。原因を日本側の靖国問題だけにすれ
ば、多くの日中間の問題を隠蔽できる。
 この戦術はある意味成功するだろう。来年9月に向けて権力闘争
が激しくなれば、日本の政治家は色々なスタンドプレイをする。結
果として、中国側から見れば、敵対勢力の分断に成功することにな
る。その後、中国がコントロールのしやすい政権になれば、微笑み
外交行を展開し、まるで多くの問題が解決してような時期を作り出
す事により、日本の対中直接投資を拡大させる。また、日本からの
投資は、海外からの投資に依存した現在の中国経済の成長には欠か
せない。投資額が累増すれば、投資を人質にして経済的に中国の意
向に逆らえないようにできる。
 この期間、米国は民主党政権でクリントン時代と同じく自国経済
の短期利益を追求し、安全保障政策は後退させるだろう。米国は、
日本より中国を重視した政策(中国利権の独占)を採用するだろう。
中国は経済取引で米国や欧州を優遇し、日本を焦らせることにより
日米離反策を簡単に実行できる。この場合、軍事的圧力は逆効果に
なるので当分は東シナ海ガス田以外では実施しないだろう。この日
中小康状態に対し、多くの外交専門家は小泉政権時代より中国と友
好的になった事は、日本の外交的成果と言うかもしれないが、時系
列で考えれば中国の戦略に落ちただけだ。
 以上のように考察した結果より、対策を考えると以下のようにな
る。
 ■台湾が政治・経済で孤立しないようにする。政治・経済的に独
立した自由な台湾を保証し、中国との統一は台湾人が決めることが
できる環境をつくる。
 ■「東アジア共同体」は、現状のままでは実現させない。条件は
インド、オーストラリアの参加が絶対条件であると共に、日本の憲
法の制約がとれ安全保障の提供を米国と一帯になって可能になる次
期まで引き延ばす。その間は、経済関係においてFTAを優先的に
締結する。さらに、ODA投資先としてインド及びインドシナ半島
の海側から行う。
 ■日本国内の政治家が今後、中国首脳と会談する場合は靖国以外
の問題を中心テーマとして取り上げる。この場合、事前にテーマを
マスコミ発表してから会談に臨まないとマスコミに靖国問題だけを
取り扱ったように報道され、格好の餌食になるので注意が必要であ
る。
 以上は一方的考察だとは思うが、戦略とは極端なケースを想定し
て考えると見えてくることがる。まして、これは政治首脳による戦
略だ。広い意味でのハード・ソフト戦略の考察は抜きにしてある。
また、台湾問題は胡錦涛主席の直轄事項であることから、胡錦濤の
立場は強くなったとも解釈できる。

裁判官がおかしい

■1.洋さんの期待■
 平成11年4月14日、山口県光市。本村弥生さん(23才)
と、娘の夕夏ちゃん(11ヶ月)が、水質検査を装って侵入した
福田孝行(18才、当時)に殺害された。弥生さんの首を絞めて殺
害後にレイプし、傍らで泣く夕夏ちゃんも床にたたきつけた上
で、用意していた紐で絞殺するという残忍な犯行だった。
 犯人は弥生さんを押し入れに運び込んで座布団で隠し、夕夏
ちゃんは押し入れの天袋に放り込んだ。帰宅した夫の洋さんが、
二人の変わり果てた姿を発見した。
 やがて犯人が逮捕され、裁判が始まった。
 私(洋さん)は裁判官というのは、いかに弥生や夕夏、
そして私になりかわって加害者を断罪してくれるのか、ど
う厳しく追及してくれるのか、それをやってくれる存在な
のだと、信じこんでいました。
 裁判や犯罪と無縁だった私にとっては、裁判官に対して、
漠然とその程度の知識しかなかったのです。
 しかし、この期待が裏切られ、なおかつ山口地裁の渡邊了造
・裁判官から新たな苦しみを与えられようとは、洋さんは予想
だにしなかった。
■2.「私たち裁判官は、あなたたち被害者に会う義務もない」■
 洋さんが「裁判官というのはおかしいぞ」と気がつき始めた
のは、3ヶ月後の第3回の公判だった。この日、洋さんは裁判
所に弥生さんと夕夏ちゃんの遺影を掲げて入ろうとした。
 しかし、入廷の時に裁判所の廷吏が「荷物」を預けるように、
と洋さんに命じたのである。「これは遺影です。荷物ではあり
ません」と言うと、廷吏は手を広げて「これは規則だ。持ち込
みは許さない」と立ちふさがった。洋さんが「裁判長に会わせ
てください。直接、話をします」と言うと、廷吏は「ごじゃご
じゃ、ぬかすな!」とすごい剣幕。
 10人ほどのマスコミの人が「そんな言い方はおかしいだろ
う」と応援してくれたので、廷吏は「じゃあ、裁判長に聞いて
こよう」と法廷に入っていった。しかし、裁判長からの伝言は
信じられないようなものだった。
 私たち裁判官は、あなたたち被害者に会う義務もないし、
あなた方が裁判官に会う権利もない。
 裁判というものは、裁判官と検事と被告人の三者でやる
もので、被害者には特別なことは認められていない。
 廷吏は平然と裁判官の伝言を伝えた。裁判官は被害者や遺族
の味方などではない、と洋さんは知った。
■3.「計画性がない」■
 やがて洋さんは裁判官が「味方」でないどころか、被害者・
遺族の「敵」であることを知ることになる。
 検察官は、被告が夕夏ちゃんの首を絞める紐を持っていた事
を、事件の計画性を示すものだと追求した。被告側は「紐は偶
然ポケットに入っていた」と主張したが、検察側は「それはお
かしいではないか」と迫った。水質検査を装って侵入した犯人
のポケットに剣道の小手を絞める紐が入っていたのを、偶然だ
というのである。
 裁判官は、このやりとりが終わっても、何も言わないので、
犯罪に計画性があったと認めたのだな、と洋さんは思った。し
かし、後の判決では、「計画性がない」ことが減刑の理由の一
つになっているのを知って、愕然とする。
 被告の福田は「更正の可能性がないとはいえない」として、
死刑にはならず、無期刑に減刑された。しかし、少年法58条
には、少年の無期刑は7年で仮出獄できる、という規定がある。
 渡邊裁判長は、無期判決を言い渡したあと、最後に被告に向
かって「本当に反省しなさい」と声をかけた。遺族には会うこ
とも、言葉をかける事もなかった裁判長は、被害者には声をか
けたのである。福田は「ハイ、分かりました」と元気よく答え
た。
 弥生さんのお母さんは泣き崩れた。洋さんも泣きながら、
「すみません」というのが精一杯だった。検察官は目を真っ赤
にしながら、洋さんに言った。
 こんな判決は絶対に認められない。ここであきらめたら、
今度はこの判決が基準になってしまう。たとえ百回負けて
も、百一回目をやる。
■4.「終始笑うのは悪なのが今の世だ」■
 広島高裁で、検事側は新たな証拠として福田が友人に送った
獄中書簡を提出した。この友人は、洋さんが妻子の思い出を綴っ
た『天国からのラブレター』に感銘を受け、福田の真実の姿を
見ることが裁判には必要だと思って、手紙の公開に踏み切った
のである。その中にはこんな一節があった。
 犬がある日かわいい犬と出会った。・・・そのまま「やっ
ちゃった」、これは罪でしょうか。
 知ある者、表に出すぎる者は嫌われる。本村さんは出す
ぎてしまった。私よりかしこい。だが、もう勝った。終始
笑うのは悪なのが今の世だ。
 5年+仮で8年は行くよ。どっちにしてもオレ自身、刑
務所のげんじょーにきょうみあるし、速く出たくもない。
キタナイ外へ出る時は、完全究極体で出たい。じゃないと
二度目のぎせい者がでるかも
 こんな手紙を証拠として見せられながらも、高裁の重吉孝一
郎・裁判長は「悔悟の気持ちは抱いている」として、一審の無
期懲役を支持し、検察側の控訴を棄却した。洋さんは言う。
 つまり、結論は最初から決まっているのです。事実認定
のお粗末さというより、そもそも事実認定をしようとしな
いのです。そこから逃げているだけなのです。・・・
 正義とは何か、日本の価値基準とは何か、そういう大原
則に、裁判官は向かって欲しいと思います。
 洋さんは、全国犯罪被害者の会を結成し、幹事として活動を
続けている。
■5.「江戸時代だったらよかったね。仇討ちができるから」■
 洋さんは、テレビの生放送で「裁判所が加害者を死刑にしな
いのなら、自分が死刑にする」と殺人予告をし、波紋を呼んだ。
しかし、洋さんは例外ではない。
 判決の後、親戚の人から江戸時代だったらよかったね。
仇討ちができるから、とよく言われましたが、私もそう思
います。
 こんなおかしな判決が出るなら、裁判なんかやめて、被
告人を釈放して、私たちが仇を取るのを認めてください。
そうしたら、私が、この手で被告人をぶっ殺してやります。
 こう語るのは、娘を殺された嵯峨正禎さん(59歳)。被告人・
横田謙二は、少年時代から空き巣、詐欺、窃盗などの犯罪を繰
り返し、昭和53年に知人の父親を殺して金を奪った。これに
より無期懲役判決を受け、19年4ヶ月服役した後、仮出獄。
しかし1年も経たないうちに、嵯峨さんの娘を殺したのだった。
それも死体を遺体を細かく切り刻んで、ゴミ袋に捨てるという
残虐さであった。
 さいたま地裁での論告求刑の際に、検察がこの死体損傷の場
面を読み上げると、横田は「いつまでやっているんだ」「しつ
けえなぁ」と横やりを入れ、退廷の時には検事に「たわけっ」
と吐き捨てて出て行った。これほど反省のかけらも見せない被
告人は珍しい、とはある司法記者の言だ。
■6.「何らの反省の態度を示していないわけではない」■
「こんなおかしな判決」は、平成13年6月28日、若原正樹
・裁判長によって下された。順調にエリート街道を走り、埼玉
県下の重要裁判はほとんど若原裁判長に任されていたという。
 判決は「無期懲役」であった。殺人を犯して、一度無期懲役
となった人間が仮出獄し、また人を殺しても、刑務所に戻るだ
けなのである。「被告人は、当公判廷においても、被害者を殺
害した事実自体は認めて謝罪の言葉を述べてはいるのであって、
本件について何らの反省の態度を示していないわけではないと
いえる」というのが、死刑にしなかった理由の一つであった。
 嵯峨さんは、その時の気持ちをこう語る。
 許せなかったのは、若原裁判長が無期刑言い渡しのあと、
横田に向かって「これからはしっかりと罪を償って生きて
いくように」と励ましたことです。
 私は思わず涙と怒りで目が眩(くら)んでしまいました。
横田は、若原裁判長に励まされたあと、弁護人とニコニコ
笑いながら握手をして勝利を喜んだんですよ。
 裁判官が人の死をそんなに軽く考えているのかと思うと、
悔しくて悔しくて仕方がなかった。私は周囲を憚(はばか)
ることもできず、大声で泣きながら検事に「この判決はお
かしい。なんとかしてください」と訴えました。
 幸いな事に嵯峨さんの無念は2審で晴らされた。東京高裁の
高橋省吾裁判長は、一審判決を破棄し、横田に死刑の判決を下
した。「原判決が、極刑も考慮に値するとしながら、その選択
を回避した各事情の認定、判断については、いずれも是認でき
ない」と、これほどまでに徹底的に一審判決を糾弾した判決文
は珍しいと言われた。
■7.「写真は片付けてください」■
 もう一つ、遺族を苦しめた判決を見ておこう。「私はあの裁
判官の名前は忘れることができません」という青木和代さん。
息子の悠君は15歳の時に交通事故にあい、左半身不随となっ
たが、持ち前の頑張りでリハビリに没頭し、足を引きずりなが
らもなんとか歩けるまでに奇跡的回復を遂げた。
 勉強も頑張り、全日制の高校にも合格した。ところが17歳
と15歳の二人の少年に呼び出され、「障害者のくせに生意気
だ」とリンチを受けたのである。悠君は顔、頭、腹、足と所構
わず、70回以上殴られ、意識を失った所を、コンクリート上
に頭を下にして3回も打ちつけられた。悠君の脳はぐちゃぐちゃ
になり、6日後に意識を取り戻すことなく死亡した。
 少年の一人は、審理中、鑑別所から友人に次のような手紙を
出している。
 ヒマ、ヒマ、ヒマ、ヒマ、ヒマ、ヒマ、ヒマ、ヒマ、ヒ
マ、ヒマ・・・青木なぐったん、広まっているか、ここ出
たら遊ぼう
 人の命を奪ったことへの反省も悔悟も見られない。こういう
少年を村地勉・裁判官は「内省力あり」「感受性豊か」などと
いう理由で、少年院送りにしたのである。
 今日の朝のオリエンテーションのテープで、少年院に入っ
ている期間は、2年以内ってわかってバリバリさぁがんば
るぞ~!! って思ってん! オレ早く出て早く結婚する
わ!
 これらの手紙は、少年を検察に送致して厳罰に処すよう要求
する膨大な署名簿と共に、家裁に提出された。これに対して、
家裁の書記官は「署名の数が何十万あろうと、審判には何の意
味もありません。裁判官は判例で裁きますから」としか反応し
なかったという。
 少年法が改正された直後で、和代さんは村地裁判官に遺族と
しての意見陳述を行った。和代さんが悠君の写真を抱えて部屋
に入ると、村地裁判官は一言「写真は片付けてください」と冷
たく言った。和代さんが約40分間、「少年を検察に逆送して
厳罰に処してください」と泣きながら訴えたが、村地裁判官は
最後に「加害者から謝罪はありましたか」と聞いただけだった。
■8.裁判員制度で偏向裁判長にブレーキを■
 以上、3つのケースを見ると、いくつかの共通点が浮かんで
くる。
 第一の共通点として、犯罪者への刑を軽くする理由として、
「更正の可能性がないとはいえない」「何らの反省の態度を示
していないわけではない」「内省力あり」「感受性豊か」など
を挙げている事である。加害者の手紙などから、それらは一般
人には到底、納得できない事だ。「結論は最初から決まってい
るのです。事実認定のお粗末さというより、そもそも事実認定
をしようとしないのです」という本村洋さんの言が説得力を持
つ。
 裁判は事実認定とそれに基づく刑の決定という二つの部分か
らなる。問題は本村洋さんの言うように、最初から結論を決め
て、それにあわせて事実認定をねじ曲げてしまう裁判官がいる
事である。
 これに関しては、これから導入される裁判員制度で、一般国
民が刑事裁判に参加し、事実認定にも加わることで、こうした
裁判長の独断にブレーキをかけることができるだろう。
■9.司法の健全化を阻害する人権擁護法案■
 第二の共通点は、これらの裁判官が遺族の気持ちなどにはまっ
たく配慮していない、という事である。「写真は片付けてくだ
さい」、「被害者に会う義務もない」と言ったり、判決でも遺
族には言葉もかけない。
 これらの裁判官たちは、加害者の人権のみを考慮して、被害
者やその遺族の人権を配慮しない偏った人権思想の持ち主だと
見られる。こうした偏った裁判官を、報道機関やインターネッ
トで糾弾することは、再発防止のためにも、きわめて重要であ
る。
 ただし、現在、提案されている人権擁護法案が成立すると、
こうした批判や報道自体が、加害者や裁判官への人権弾圧だと
して封じ込めされる恐れが大きい。司法の健全化のためにも、
自由な言論が不可欠なのである。

靖国問題8つの常識

■1.靖国問題の幕引き■
 10月17日、靖国神社の秋季例大祭に小泉首相が参拝し、
中国・韓国からの批判が再燃したが、従来と比べてだいぶトー
ンダウンしている。岡崎久彦元駐タイ大使は、参拝直後にこう
語っているが、事態はほぼ氏の予測通りに推移している。
 もう少し重く、公式参拝、または公式参拝に近い形でも、
日中関係、日韓関係に言葉による批判以上の実害はないと
いう点では同じだと思う。・・・
 言葉以上に何ができるかというと、若干の無害な交流の
停止くらいはあるかもしれないが、大衆デモは到底できな
いと思う。そうであるなら、今後は毎年、参拝しても日中
関係、日韓関係に言葉の批判以上の実害はなくなることが
確定するはずだ。小泉首相でなくても誰でも参拝できる状
況になるだろう。それが確定し、靖国問題の幕引きになれ
ば、小泉首相の功績になるだろう。[1]
 靖国参拝が中韓に実害を与えているわけではなく、単なる外
交カードとして使っているだけなので、カードが無力である事
が分かれば、この問題は自然に消滅する。しかし、外交問題と
してはそれで良いが、靖国問題の根底には日本国民が歴史と文
化の常識を喪失している、という重大な問題が横たわっている。
 この点を、超速シリーズ50万部突破の超人気予備校講師・
竹内睦泰氏が『日本・中国・韓国の歴史と問題点80』で説い
ている。氏がベストセラー受験参考書で見せた「超速」の語り
口と、「誇りのもてる日本史を伝えたい」という志が結合して、
およそ中韓との歴史・外交問題に関しては、この薄い一冊で用
が足りてしまうという本が出来上がった。[2]
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誇りのもてる日本史を伝えたい! そう思ってこの本を書きました。
『これだけは知っておきたい 日本・中国・韓国の歴史と問題点80』
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 本号では、特に靖国参拝に関する8つの常識を紹介したい。
■2.常識その1:靖国参拝批判は世界で3カ国のみ■
 第一の常識は、靖国参拝を公式に非難している国は、中国、
韓国、北朝鮮の「反日3兄弟」だけだという点である。
 実際のところ、「靖国神社参拝」に反対しているのは、
世界でたった3カ国にすぎません。マスコミの「諸外国の
反発」という書き方が国民を惑わせているのです。
 外国の要人が靖国神社に参拝するのは珍しいことではあ
りません。それどころかむしろその数は多いといえます。
「A級戦犯」合祀後に、靖国神社に参拝した要人がいる国
は、世界で30数カ国に上ります。ロシアのエリツィン元
大統領(1990年参拝)をはじめとして、チベットのダライ
・ラマ14世など、異教徒の方も参拝しています。
「アジア諸国は靖国神社参拝に反対」と報道されています
が、2005年にインドネシアのユドヨノ大統領は「国のため
に戦った兵士をお参りするのは当然のことだと思う」と安
倍晋三自民党元幹事長に語っています。[2,p36]
 このユドヨノ大統領の言葉が国際常識である。
■3.常識その2:国際社会は「A級戦犯」にはこだわっていない■
 中韓の批判は靖国神社には「A級戦犯」が祀られている、と
いう所にあるが、今時「A級戦犯」を云々しているのも中韓だ
けである。
「A級戦犯」の一人に重光葵がいる。東条内閣で外務大臣を務
めたが、それ以前は駐ソ大使として張鼓峰事件の処理などを巡っ
てソ連外務省と激しいやりとりをし、東京裁判ではソ連が重光
の起訴を最も強硬に要求したと言われている。
 東京裁判で禁固7年の判決を受けて服役。昭和26(1951)年
に出獄後、昭和29(1954)年からの第一次鳩山一郎内閣では外
務大臣を務め、昭和31(1956)年の日本の国連加盟の際には、
外相として国連総会での演説も行っている。
「A級戦犯」が服役後、外務大臣となり、国連で演説した、と
いう一事を持ってしても、国際社会が「A級戦犯」などにこだ
わっていない事は明らかである。
 そもそも近代の法理論から言えば、「刑は執行した時点で終
了。死者を裁く法はない!」のである。
■4.常識その3:法なくして裁かれた「A級戦犯」■
「A級戦犯」というと本当の犯罪者のように考えてしまうが、
これは誤りである。A級とは「平和に関する罪」ということで、
通常の捕虜虐待、民間人殺害などの戦争犯罪とは異なる。しか
し、平和の罪とは何かを定めた法律などは、なかった。[a]
 近代法には「どのような行為が犯罪であり、その犯罪に
どのような刑罰が加えられるかはあらかじめ法律によって
明確に定められていなければならない」という「罪刑法定
主義」と呼ばれる原則があります。
 たとえば、スピード制限表示のない道路をあなたが走ってい
ていて、急に警察官に止められ、罰金を取られたとする。「こ
の道路はスピード制限がないじゃないか」と抗議をして、警察
官が「制限はないが、今のスピードはあきらかに交通安全を脅
かすもので、罰金ものだ」と答えたら、誰でもおかしいと思う
だろう。スピード違反で罰金をとるには、制限速度は50キロ
で、10キロ超過したら5万円の罰金、などという法があらか
じめなければならない、というのが「罪刑法定主義」である。
 ちなみにサンフランシスコ講和会議でメキシコ代表は次のよ
うに東京裁判そのものに同意しない旨の発言を行っている。[b]
 われわれは、できることなら、本条項[講和条約第11条]
が、連合国の戦争犯罪裁判の結果を正当化しつづけること
を避けたかった。あの裁判の結果は、法の諸原則と必ずし
も調和せず、特に法なければ罪なく、法なければ罰なしと
いう近代文明の最も重要な原則、世界の全文明諸国の刑法
典に採用されている原則と調和しないと、われわれは信ず
る。
■5.常識その4:国内法上、「A級戦犯」は存在しない■
 さらに日本の国内法上は、「戦犯」は存在しない。
 一部のマスコミは、1951年のサンフランシスコ平和条約
において日本が「東京裁判」を認めたかのように報道して
いるようですが、これは間違っています。[2,p32]
 条約第11条には東京裁判や連合国での「戦争犯罪法廷の裁
判を受諾し、・・・これらの法廷が課した刑を執行するものと
する」とある。
 しかしこの「裁判を受諾し」というのは日本語原文のみの表
現であり、英語原文では受諾したのは"Judgements"、すなわち
「判決」である。仏語、スペイン語原文でも同様の表現になっ
ている。これは日本政府が判決にしたがって、刑の執行を継続
することであり、「裁判」全体、すなわちそのプロセスや判決
理由についてまで同意したという意味ではない。[b]
 昭和27年4月28日に平和条約が発効し、日本が独立を恢
復すると、昭和30年にかけて、遺族援護法が成立し、敵国の
戦争裁判で刑死、獄死した人々の遺族にも、遺族年金や弔慰金
が支給されるようになった。
 その中心となったのは、堤テルヨという社会党の衆議院議員
であった。堤議員は衆議院厚生委員会で「その英霊は靖国神社
の中にさえも入れてもらえない」と遺族の嘆きを訴えた。堤議
員の活躍が大きく貢献して、「占領中の敵国による軍事裁判で
有罪と判決された人も、国内法的には罪人と見なさない」、と
いう判断基準を含んだ法改正が与野党をあげて全会一致で可決
された。[c]
 本年11月25日にも、民主党の野田佳彦国対委員長が質問
主意書で、
 極東国際軍事裁判に言及したサンフランシスコ講和条約
第十一条ならびにそれに基づいて行われた衆参合わせ四回
に及ぶ国会決議と関係諸国の対応によって、A級・B級
・C級すべての「戦犯」の名誉は法的に回復されている。
すなわち、「A級戦犯」と呼ばれた人たちは戦争犯罪人で
はないのであって、戦争犯罪人が合祀されていることを理
由に内閣総理大臣の靖国神社参拝に反対する論理はすでに
破綻していると解釈できる。
と述べ、これに対する政府答弁書でも「国内法上は戦犯は存在
しない」と確認されている。[d]
■6.常識その5:分祀しても、神様は増えるだけ■
 中韓の批判を避けるために、「A級戦犯」を分祀(ぶんし)
すべきだ、という主張があるが、これは神道を理解していない
説だ。
 祭神が新しい神社に祀られたとしても、元の神社にもしっ
かりと残るのが分祀。分祀すればするほど、東条英機が神
様として増幅していきます。つまり、近隣諸国に配慮しよ
うとしても、逆の結果を引き起こすことにしかならないわ
けです。
 ちなみに、完全に引っ越すことは遷座(せんざ)といい
ますが、これもあくまで靖国神社が引っ越すだけで祭神は
変わりません。第一、政教分離を唱えるのなら、政治家が
宗教法人に意見をするべきではないでしょう。これは単な
る政治の宗教介入であって、分祀を唱えている政治家こそ
が、政教分離に反していることになります。[2,p48]
■7.常識その6:靖国参拝は政教分離の原則に抵触しない■
 政教分離の原則から、首相の靖国参拝に反対する議論がある。
ベストセラーになった『靖国問題』の著者・東京大学教授
の高橋哲哉氏は「政経分離の原則からいえば、A級戦犯に
関係なく首相が靖国に参拝することが問題だと思います」
と語っているが、アメリカの作った憲法に込められた「幻
想」である政教分離をもって、日本人が日本の神社に参拝
するのを否定するのはおかしいと思います。
 アメリカ大統領は聖書に手を置いて宣誓します。英国女
王はイギリス国教会の長です。政教分離を唱えるのなら、
まずは憲法を押しつけたアメリカ・イギリスに疑問をなげ
かけるべきでしょう。[2,p23]
 ちなみに以下に述べる「無宗教の国立追悼施設の建立」に関
して、次のような注釈がある。
 よくモデルとしてアメリカのアーリントン墓地が挙げら
れるが、これは無宗教ではなく、多宗教である。キリスト
教、ユダヤ教、仏教、イスラム教、さらには天理教や金光
教、生長の家の墓まである。[2,p46]
 アーリントン国立墓地は約6万人の戦死軍人と無名戦死者お
よび政府高官が埋葬されており、その入り口には、
Our Nations Most Sacrid Shrine
我が国でもっとも崇高な廟
 とある。まさしく靖国神社と同じである。そこにアメリカ大
統領が参拝しても、「政教分離の原則に反する」などとは誰も
言わない。これが国際常識である。
■8.常識その7:国立追悼施設でも「A級戦犯」を除外できない■

 朝日新聞の社説が、「無宗教の国立追悼施設の建立」を
主張しています。
 この提案は、靖国問題反対派が唱える対応策の一つ。靖
国神社をつくって、「A級戦犯以外の英霊」を追悼すべき
だという論です。
 しかし、政府が国立の追悼施設を作って「A級戦犯」をはず
すためには、すでに述べた「国内法的には罪人と見なさない」
という法律が障害になる。罪人でないので、他の戦死者と分け
て、追悼からはずす事はできない。
 追悼からはずすためには、やはり「A級戦犯」は罪人である、
という法を今更ながら、作りなおさねばならない。4千万人も
の署名を集め、国会が全会一致で作った法律を、中韓が批判す
るから、という理由だけで変更するのだろうか? それでは民
主政治とは言えないだろう。
 さらに、それは国際法的にも批判されている東京裁判を、我
が国が認めることになるのである。
■9.常識その8:靖国には全世界の戦没者を祀る鎮霊社がある■

 靖国の境内には「鎮霊社」という神社があります。
 あまり知られていませんが、ここでは国籍を問わず全世
界のすべての戦没者を祀っています。つまり靖国神社とは、
戦争によって命を奪われた人すべての魂を鎮めるために建
てられた社なのです。
 戦争の悲惨さを知り、そして戦争の悲しみを一番知って
いるからこそ、靖国神社は敷地内に鎮霊社を祀っています。
これこそ、平和を希求している靖国神社の懐の深さであり、
そこでは、死ねばみな「神」とされます。
 その「神」に「A級」だの「B級」だのという、人間世
界での基準をあてはめること自体がおかしいのです。

 こういう美しい日本人の死生観を守るためにも、中韓の「死
者に鞭打つ」文化の干渉を許してはならないのである。