Sunday, December 18, 2005

小泉改革は一気に進み、国家主権と防衛が焦点になる

公務員がサボタージュしても改革は進む

 9月の衆議院選挙では、小泉さんが圧勝した。ではこれからどうなるのかというと、いわゆる「小泉改革」が進むことになる。小泉さんが好んで取り上げる問題は政府系金融機関の統廃合だが、これはなんとか進むはずだ。次に国家公務員制度改革があるが、これは「できない」という人が多数派のようだ。なぜなら国家公務員に身を削るような改革を求めても、ありとあらゆる逃げ道を用意するからだ。



 そして次に、三位一体の改革(※注)がある。これは県の知事会が変わってきたから、半分は進んでいる。しかし「道州制まではいかないだろう」などと、みんなが達観している。省庁と自治体の攻防を見ている限りでは、いかにものんびりムードだが、でも僕は、もっと先まで進むと思っている。

※三位一体の改革
「地方自治体への補助金削減」「税源の地方移譲」「地方交付税の見直し」の三位一体改革を巡って中央官庁と地方自治体が綱引きを続けている。

 小泉さんはこれから、もっと「新しい力」を振るうはずだ。多年にわたって付き合ってきた自民党同志や長老を、公認せず切り捨てたくらいだから、国家公務員の局長の10人や20人程度クビにするのは簡単だ。10人ほどクビにしたら、残りの人たちはみんないうことを聞くようになる。そうすれば、小泉さんの改革は進むだろう。それを予想できない自治体は、時代遅れといっていい。

 これまで公務員があらん限りのサボタージュをしてプランを提出しないでいると、アメリカ人が代わりに作って持ってきた。郵政改革などはその典型だ。しかし、そのプランは実情を知らないアメリカ人が書くから理屈が通っていない。でも内閣府にいる民間出身者たちは、「これはいいね、話が通ってるね」と言う。そして小泉さんが見て、「ああそれはけっこうだ、その通り法案に書いておけ」と全面採用した。

 自民党の民族派は「これではアメリカの手先であり、アメリカの陰謀に引っかかっただけだ」と批判する。しかし私がいいたいのは「では肝心の中身はどうなんだ」ということ。中身に関係なく輸入品だからと反発して、反対票を投じたら、今の政局では切り捨てられてしまうだけだ。そういう現実が目の前にある。官僚がサボタージュすれば、世界中からプランが出てくるのだ。そのプランを部分修正して活用したら、新聞は小泉は後退したとか、一歩引いたとか、そんなことばかり書いているが、当の新聞はどんな提案を出したというのか。もっと中身をどう練り上げるかの話をすべきではないか。

 僕は、郵政民営化関連法案の中身については、何でもいいから通しておけと思っていた。数年先にいくらでも変えればいいんだから。どうせ、そんなことをいってる間に国営郵便局などつぶれてしまうんだから。このところの郵政民営化をめぐる対立など、ポーズとポーズのケンカだと僕は思う。

日本は主権を持った国家といえるのか!?

 小泉改革で現在、「課題」だといわれているようなものは、大枠の決着は半年くらいで済んでしまうはずだ。自信があるから「おれは任期が終わったら辞める」と言っている。そこで、次を狙う立場の人たちが、今、名乗りを上げなければいけないと、財務大臣副首相や外務大臣副首相にしてくれといっている。彼らが奮起しつつあるのだ。

 小泉改革が一段落して、次を狙う立場の人たち、あるいはそれよりもっと若い人たちが、出てきたとき何をするべきか。それは、日本国家の根本に触れる改革だ。今こそ日本国家の根本から見直さなければならない。



 タブーやイデオロギーに縛られた人はたくさんいる。彼らはだいたいが理想主義者だから、面と向かっては反対しにくい。例えば、原子爆弾は絶対持たないぞとか、今の憲法は絶対に守るぞとか、国連ほどありがたいものはないとか、そういうことを言う。それに中国には謝らなきゃいけないとかね。日本国籍や日本永住権を誰に与えるかという問題に関しても、彼らは「国際化だ、ドアを開けろ、開けっ放しがいい」などという。

 政治学原論において、国家とは何か。それは領土を定め、国民の国籍を決め、そして主権を持つことだ。学校はそう教えるはずだと思っていた。ところが東大の教授に「そう教えるそうですね」と聞いたら、「いや、今は誰もそう教えていないよ」という答えが返ってきた。「国家とは領土を守り、国民を守り、主権を守るものだ」と学生に言ったとたん、「本当ですか?」といわれてしまう。これでは教授も二の句が継げない。

 領土でも、竹島をとられっぱなしだし、北方領土はいつまでたっても返ってこない。国民を拉致されても助けにも行かない。主権にいたっては、何もかもアメリカと相談ずくで決まっている。となると、日本は国家ではないことになるから、政治学原論を教える人がいなくなるだろう。

「経済」だけで暮らしてきた幸せな日本

 国家の根本を侵害されているのが今の日本だといえる状況の中、みんな幸せそうに暮らしている。経済さえこのままならよいと思いながら、長い間暮らしてきたのに、このところ急に拉致とか、米軍再編成とか、いろいろな問題が起こってきて、対応策について誰もしゃべれない。これは普段から考えていないからだ。

 米軍再編成にしても、日本は沖縄の普天間基地の返還をアメリカに迫った。それで円満になるのなら返してもいい、とアメリカが半分は呑んでいた。


 そして具体的な話になると、アメリカは「あそこに海兵隊がいるが、どこか別のいい場所を世話してくれるなら移るぞ、だけど緊急出動のときに便利な場所でないとダメだよ」と要求してくる。それに対して日本が「ここ」と提案する場所は、周りに町が全然ないへんぴなところが多くて、アメリカに断られてしまう。「そんなところに若い海兵隊員がいられるか」といわれてしまう。

 日本の防衛庁の思惑では、下地島(しもじじま)をアメリカに提案したいようだ。下地島は台湾の台北より少し南に位置する、トライアスロンで有名な宮古島の隣の島だ。真っ平らの三角形で、3000メートルの滑走路があって、昔、全日空と日本航空が飛行機の練習場に使っていた。そこへ航空自衛隊が行くと、いるだけでも抑止力になる。抑止力になりすぎるから自衛隊は遠慮しようというわけだ。必要になったら行くのだから準備ぐらいしておけ、と僕は思うのだが。そういうことはやらない、誰かやってくれと逃げるのが、外務省や防衛庁だ。

日本も海兵隊を作って沖縄に駐留すべき

 かくしてアメリカに「下地島はどうか」と提案すると、「そんな真っ平らの砂原だけのところで若い男が何万人も暮らせるか」と返事が返ってくる。なるほど、と思う。でも、この話を延長して考えると、米軍が駐留しないなら日本が海兵隊をつくって駐留すればいいではないか。なんでもアメリカに頼むからいけない。

 日本の自衛隊は、航空、海上、陸上がお互いに仲が悪くて、対話をしない。情報も共有しない。「うちの情報はうちのもの」というような話もある。かつて米軍もそうだったから海兵隊をつくった。海兵隊の中はワンセットで、将校は戦車の操縦も、飛行機のパイロットも、モーターボートの操縦もやる。みんなひと通り経験してきている。地上戦を知っていないと、航空支援もできないからだ。


 陸海空のいろいろな相互関係を訓練しているから、海兵隊は“使える軍隊”なのだ。それが日本にないのがおかしい。だから、つくればいい。創設して、下地島に置くべきだ。日本人が日本に駐留するのは当たり前なのだから。下地島に行かせるのがさびしくてかわいそうなら、ローテーションで回せばいい。

 どうしても遊びたければ、すぐ目の前なのだから台湾へ行けばいい。まあ、これはちょっとした冗談だが。台湾側は喜ぶはずだ。自衛隊の人も喜ぶはず。“海兵隊になって台湾へ行こう”とスローガンができるかもしれない。台湾は、食べ物は本当においしいからね。

 そんなことを、なぜ誰も考えないのだろう。国の主権や軍隊の話になると、みんな思考停止に陥ってしまう。そういう点で、日本は不自由な国だと思う。

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