Sunday, December 18, 2005

これから追い込まれるのはアメリカだ!

ヨーロッパが作り上げた2つの叡智を無視するアメリカ

 日本は1500年前から歴史がある。アメリカなんて、いくら探したって200年か300年しか歴史がない。いかにアメリカの底が浅いか。これはアメリカに行って住んでみれば分かる。それはしょうがないことだ。アメリカ人の多くはヨーロッパに対する劣等感が心の底にあるから、その劣等感の裏返しとして傲慢に振る舞うわけだ。

 アメリカは、ヨーロッパ文明を尊敬したくないのである。その代わりにその源流とも言えるローマ、ギリシャ文明を尊敬する。ギリシャ、ローマ精神が、アメリカには実に素朴な形で生きている。ヨーロッパの人々が新天地アメリカに植民を始めた当初、カトリックは来ていなかった。だからカトリックの人は基本的には大統領にはなれない。J.F.ケネディは例外だけれど…。

 アメリカ人はヨーロッパの中世につくり上げられたものは嫌いだ。ギリシャ、ローマ時代のものなら喜ぶ。だからワシントンに行くと、官庁の建物はほとんどギリシャ、パルテノン建築。図書館とか博物館とか銀行とか、すべてギリシャ建築だ。しかし、ヨーロッパの中世1000年間はけっして「暗黒時代」などではなく、ヨーロッパ人が一生懸命つくりあげた叡智が2つある。これがアメリカには取り入れられなかった。


 1つは奴隷制の廃止だ。ギリシャ、ローマには奴隷がいた。しかしヨーロッパ1000年の間に彼らは奴隷制を原則的に廃止した。完全に「ない」というと、実はあったという話がまた出てくるので「原則的に」と言っておく。実は、修道院の中にあったわけだから…。

 アフリカ人たちをポルトガルへ連れて来て、奴隷としてヨーロッパ中の修道院や教会が下男がわりに買っていたようだ。その取引記録がマドリッドにある。そのとき売れ残ったアフリカ人がマドリッドに住むようになった。その子孫たちのアフリカ人街がポルトガルにある。

 「何だか知らないけれど、やたらに多くのアフリカ人がここらへんに住んでいるんだよ」と日本のポルトガル大使が言っていたが、少しは事情を勉強してほしい。時には文化外交も担わなくてはならない外務省の人間として、赴任してしばらく経ってからもこの発言というのは、いかがなものか。過去の汚点をポルトガル人は外国人には言わないので、知る由もないのかもしれないが…。こうした抜け穴はあったものの、ヨーロッパには一応、奴隷制はなくなった。ところが、プランテーションの労働力が必要だったアメリカは、欧州大陸のそんな潮流に背を向けて、積極的に奴隷制を取り入れたわけだ。

アメリカの戦争の仕方は、相手のプライドを打ち砕き禍根を残す

 もう1つは戦争の仕方だ。ヨーロッパは散々戦争を繰り返した挙げ句、「我々は同じキリスト教徒だ。戦争をなくすことなどできようもないが、後々まで恨みが残るような戦争の仕方はもうやめよう」というところへ1000年かかって達した。

 アメリカはそうではない。戦争は、単なる利害対立の一つの「調整」の方法にすぎないのに、「神の召名による戦い」などと称して、「俺は正義を体現しているのだから、敵対する国は全て悪の枢軸だ」と相手に恨みを残す戦争の仕方をする。



 その一番の被害者は、日本とドイツだ。「おまえらは正義に対する罪を犯している悪魔の枢軸国だ」「無条件降伏しろ、話し合う余地などない」と言われたので、ドイツはむかっ腹を立てて、このまま帝国の名誉ある滅亡を選ぶとヒットラーは思い詰めたわけだ。もう降伏などしない。このまま誇りあるドイツ人は最後まで戦って滅びて死ぬ。あとのことは考えない。実際、ヒットラーが自決せずに徹底抗戦をするなら、それに従いますというドイツ人はいっぱいいた。彼は決して恐怖だけで国民を支配していたわけではない。ドイツ人としての誇りを取り戻してくれた父性的存在として、男性からも、とりわけ女性からも敬愛されていたのだ。

 その結果、あの戦争は1年半長引いたとか、1年長引いたとか、そういう研究がある。いま本屋へ行くと、吉田一彦さんの『無条件降伏は戦争をどう変えたか』(PHP新書)という本がある。これは、よくぞ執念を持って調べたなと思う内容だ。

 奴隷制度と無条件降伏という人類の悪智…ヨーロッパが1000年間かけてようやく廃止にこぎ着けた人類史上の英断を、アメリカは全てパーにした。そういうことをアメリカにいると本当に感じる。発想がオール・オア・ナッシングでグレーゾーンというものがない。だから浅はかに見えるわけだ。こんな浅はかな国がやたらに実力を持っているというのは世界の不幸だが、それは翻ってアメリカ自身の不幸でもある。つまり、相手の恨みが残るような戦争をすると、自分に跳ね返ってくる。だから、アメリカに対するテロ、ゲリラがなくなることは今後もないだろう。

イラク戦争後、日米の立場は完全に逆転した

 イラク戦争でブッシュ大統領は先人の教え通り実行してみたものの、イラクをこの先どうしていいか分からない。ここへ来て、小泉首相に「ヨーロッパに見捨てられても、お前だけは助けてくれ!」と言うに決まっている。たぶんもう言ってきているはずだ。

 日米の立場は今や完全に逆転している。アメリカは日本にどっぷりと頼ってくる。日本は「もういいよ、おまえさんがこの茶番を始めたんだから、後は自己責任でやってくれ」と言うべきだろう。そのためにも、小泉さんは「全面的にアメリカについて行く」といってはいけない。いろいろな条件をつけて、「このピンポイントにおいてのみ応援する」と逃げきらなければダメだ。それが一国の首相たる者の政治であり、外交というものだ。


 今年9月の総選挙で私が一番不満に思ったことは、外交問題がまったく取り上げられなかったということだ。すべて国内問題だけを争点にして選挙をした。民主党は郵政改革以外のテーマを掲げたけれども、年金問題なんて、これも二大政党の争点としては情けないテーマだ。国内問題だけで総選挙をやっていて本当に済むのかと思ったら、これが済むのだね。つくづく、日本に死活的問題などないのだと感じた。そのくらい幸せなんだな、日本人は。

 ブッシュさんは、今度はシリアを攻撃するつもりだ。アメリカはイラクで襲撃事件を起こす武装勢力がシリア領内から流入していることに不満を強めている。イラクで市民を標的にする多くの自爆テロ犯がシリアからイラクに越境しているとにらんでいるのだ。

 外務省の局長に聞くと、イラク南部のサマワで活動する陸上自衛隊については、英国、豪州両軍がサマワから撤収するのに合わせて、来年早々にも撤収を始める方向で検討しているという。空自については、「陸自ほど危険な任務ではないから、アメリカにもう少し付き合っては」という意見がある一方で、「陸自と一緒に引き揚げなければ、撤収の機会を失う」という意見もある。「どうしたもんですかね」なんて彼がいうものだから「それはあんたの考えることでしょう」と言ったら「だって、結局は首相判断ですから…」。外務省なんて、こういうふうに「柳に風」でやっているんだなと、よく分かる。

外務大臣には外見と押し出しがきく人を

 朝日新聞の取材で「外務大臣は誰がいいでしょうか」と聞かれて、猪口邦子さん以外なら誰でもいいという空気が外務省の中にあると答えた。これは、僕が言っているのじゃないよ。

 日本というのは不思議な国で、外見、容貌、風采を問わない。これは一番進歩した文明の姿だと僕は思うが、アメリカは外見や風貌ばかりをいう。誠実さや真剣味、責任感、そんなことはどうでもいい。口がうまい。みんなを取りまとめて偉そうに上に立つ。そういう人が必要な国だ。

 そこへ日本大使だとか日本の大臣が行くと、向こうの人はびっくりする。こんな風采の上がらない人間が大臣なのかと。でもだんだん分かってくるわけだ。日本は容貌、風采、外見、押し出しを言わない国であると。

 アメリカ人に「日本の総理大臣で誰を覚えているか」と聞くと、答えは森喜朗さんだ。森さんは、容貌、外見、押し出しが相撲取りみたいで、「これぞ指導者!」という大人風に見える。宮沢さんなんて、てんでダメ。だからアメリカと対峙するには、やっぱり容貌、押し出し、外見、度胸、勇気のある人を前面に出した方が得ではある。「では、誰がいいか」と聞かれたから、日本サッカー協会会長の川淵三郎さんと答えた。僕が10年前に本を書いたときは、安部譲二さんを外務大臣顧問にしろと書いたのだけどね。

 親しくおつきあいさせていただいている浜田麻記子さんの持論でもあるが、女性の外務大臣はいろいろと難しい面がある。外務大臣の仕事は、本来は男の役割かもしれない。緊急事態が起きてもどこへでもすぐに飛んで行けるし、おしぼりで顔をぐるっと拭けば、どうにかさまになって人前に出られる。徹夜明けの少し髭が伸びた顔が逆に美しく見える。女性が徹夜して、そのまま人前に出たら見られたものではない。女性はきれいに顔を洗って、お化粧して人前に出てこなければ、健康的に見えないからだ。その点、あらゆるメディアや公的な場で乱れた容姿を見せないアメリカのライス国務長官は、超人的な努力を払っているのだろうね。

0 Comments:

Post a Comment

<< Home