国益を守るための「手段」を自ら規定せよ
第1の国益を戦争で守るアメリカ
10年ほど前にアメリカで、国益の定義付けをしようという研究会が行われた。上院、下院議員が約10名ずつ集まり、CIA長官も参加した。そのレポートでは、国益が1~5の5つのグレードに分けられた。最も重要な国益である1においては、アメリカ単独でも戦争を行って守るという内容だった。2番目は同盟国と協同して守る国益で、3番目以降は戦争以外の手段でなるべく解決する国益だ。
グレードに分けるときに、なぜ戦争が出てくるのか。日本人はそう思うかもしれないが、アメリカ人にはそれが当然なのだ。国益であるからには、守らなければいけない。守る方法として一番確かなのは戦争だ。嫌がらせ、ネゴシエーション、恫喝(どうかつ)、さらには友好親善などで守る国益などは、一番グレードが低い。
では日本はどうなのか。戦争以外の手段で守るわけだから、1番目と2番目がないことになる。領土や主権や拉致など、世界中の誰が考えても1番目で守るべきものが、アメリカでいう3番目以降に該当してしまう。友好親善で守れるだけは守るということだ。
以前はそれでもある程度は可能だった。でも現在は、友好親善では守れない国益が出てきた。それは、友好親善では相手がつけこんでくるからだ。そこで最近、日本は怒るようになってきた。中国の胡錦濤主席などは、今ごろ大変後悔しているだろうと思う。中国だけでなく、僕はアメリカもそうだと思う。
先日、僕は講演を頼まれて、とっさにつけたタイトルが「頼られる日本、頼りない日本」だった。それでは誰が頼るのかなと考えると、まずアメリカが頼る。そして中国も、ロシアも頼るはずだ。となると、世界中から頼られることになる。完全に立場が逆転している。だからブッシュは日本にやって来るのだ。
早く宣言してイラクから名誉ある撤退を
アメリカはイラクへの対処に困ってシリアを攻撃すれば、その先の展望がない。戦死者はどんどん出るし、国内ではハリケーンにも襲われた。それなのにヘリコプターも、トラックも助けに来ない。誰も助けに来ないのはなぜだ?
地域の災害に対応する米連邦緊急事態管理局(FEMA)という組織があったのに、ブッシュ大統領はこれを「テロ、ゲリラに対処するため」といって国家安全省の下へ入れてしまった。国家安全省はテロ対策しかやらないから、地元災害への対策に対するセンスも経験も何もない。そしてそこのトップが、「想定外だった」と発言してしまった。だからニューオーリンズの人は「国家安全省が守る“安全”の中に我々は入ってないのか」と怒ったのだ。
ブッシュ大統領は国民の反発が恐い。だからテレビに出てきて、「今は原因究明よりも救うことだ、対策を急ぐことだ」という。そのときの顔つきの情けないこと。すぐ顔に出るという点では、ブッシュ大統領は純情の人だと思うけれど、「今は対策を進めることだ。具体的に手を打つことだ」といいながらも全然自信がない。進退窮まっているのだ。だから、イラクをどう片づけるかについて、日本に役割分担を頼んでくる。要するに、また負担をしろといっている。
「今まで付き合ったんだから、もういいでしょう」とアメリカに言うつもりなら、日本はきっぱりと早く言ったほうがいい。12月に自衛隊が撤退するとき、名誉ある撤退をするにはどうすればいいのか。まずは、途方もなく立派なことを宣言すればいい。それが通らなければ、帰ってくればいいのだ。
「地下資源は全人類共通の財産である」とウィルソン大統領はかつて14箇条宣言の中でうたったのだから、日本はそれに基づいて、「地下資源はもともと全人類のものなのだから中東の紛争地帯に石油国際共同管理機構をつくろう」と提案すればいい。その議長国は日本が引き受ける。日本は発言力があり、軍隊も出していて、金もある。
そのうえ、中東とは昔からの因縁がほとんどない、非常に紳士的な国だ。しかもこれからの日本は、石油が要らない国になろうと思えばなれるんだから、死活的利害は少ないし、なくそうと思えばなくせる。みんな電気自動車やハイブリッドカーに乗ればいいし、原子力で発電すればいいわけだから。そう表明して、中東の国際石油管理機構の議長国に名乗りを上げ、反対されたら「それならやめた」と言って帰って来ればいいのだ。
主権のない日本に死活的問題はない
前回までのコラムで述べたように、政治学原論のような面からすれば、日本は主権を奪われている。そのことは死活的利害に関わっているのだが、もし「幸せに暮らせるんだからいいや」というのならそれはそれでいいだろう。僕が中学生だった頃の生活をすれば、食料だって自給できるはずだ。日本は狭いと言うが、自給はできる。食料自給率が40%とか50%とかいわれるが、それで生きていけるのだ。今は特に、農業が進化している。石油があれば食料増産もできるし、なければ原子力発電所で発電して、ハウスを暖めて栽培すればいい。東北地方でも、温室にして暖房すれば、どんな作物でもつくれる。北海道でメロンをつくっているくらいだから。
こう考えると、日本に死活的問題などない。残る問題はやはり子どもの教育だが、それでも日本の子どもはしっかりしている方だ。それなら、極論すると何もないじゃないか。となると、そこまで行かなくても守りたい国益というのが出てくる。
例えば関税自主権などもそうだ。世界の国はみんな持っているのに、日本だけ関税自主権がないのは問題だ。明治以降ようやく回復したのに、戦後の外務省はすべて手放してしまった。「国際協調」「グローバル化」「国際親善」「自由化」「ビックバン」といった言葉に脅されて、日本は関税を真っ先に引き下げた。「世界で最初にどんどん引き下げている国だ」と自慢しながら。それでもいいが、しかし、引き上げるときには引き上げるという主権は持っていなければならない。果たして、そういう交渉をしてきたのか。
「主権」と「手段」はきちんと分ける
WTO、OECDなど、日本はいろいろな国際機関に加盟している。そうした機関は世界全体を自由経済にしようと考えている。でも、かつてはこれらの機関に関する条約には「戦争に負けた国は別」と書いてあった。これが廃止されたのはほんの5、6年前でしかない。つまり、戦争に負けた日本には、関税自主権がなかった。本来なら、国家の面子にかけて、そういう条文は早期に取り除かなければいけないはずだ。アメリカは主権に第1種、第2種、第3種とグレードを付けているわけではない。主権を守る「手段」に対して、1、2、3とグレードを付けている。主権そのものと手段とは、きちんと分けなければいけない。
主権とは、何でも自分たちで決められるということ。万能で無限だ。アメリカはそれを戦争と関係付けて、1種、2種、3種を設けた。そのことを理解するべきだと思う。日本も同じように、経済力や、米軍と共闘する自衛隊の力などの「手段」に対して、1種、2種、3種とグレードを決めていく議論をすべきだと思う。
手段に関する決意。「日本をこれ以上脅したら、こういうことをするぞ」と、世界に対して先に言っておいたほうがいい。これが抑止力となるわけだ。こうした宣言については、各官庁あるいは日本中の頭脳を総動員して、きちんと考えなければいけない。
0 Comments:
Post a Comment
<< Home