中国人をどう管理するか?(1)
中国人をどう管理するか?(1)
今回次回と「中国人をどう管理するか?」という議題で話を進めていきます。今回は私の経験から「人事権があってこそ、中国人スタッフを管理することができる」という側面を、説明していきます。日本人は組織を重視し、人事権があろうとなかろうと、組織内の上役を尊重して仕事をすることが多いと思われます。一方中国では、市場経済が安定し始めてから間もないために、概して中国人は日本人ほどは組織を信じておらず、誰に人事権があるかどうかで、動く傾向にあるということを指摘していきます。逆に中国人は、人事権や、評価権がない人物を尊重しない傾向もあるので、若手日本人社員に人事権、もしくは評価権を与えずに中国に派遣することは暴挙であるということも、指摘していきます。日本人の若手駐在員の悩み先日北京である会食に参加した席で、日本人の若手駐在員Aさんの悩みを聞きました。Aさんは駐在員事務所で勤務していますが、その駐在員事務所は、北京で開設されてから既に10年以上になります。現在日本人は所長とAさんだけで、あとは中国人スタッフで構成されています。中国人スタッフは、いずれも10年選手ばかりですから、所長やAさんよりも事務所業務に精通しており、所長がいるところでは熱心に仕事をしているふりをしているものの、日本人がAさんだけになると、明らかに手を抜きます。Aさんがたしなめても言うことを聞きません。困り果てたAさんは、所長に相談をして、所長からスタッフをたしなめて貰うことにしました。その結果、その場ではスタッフは言うことを聞きます。所長にはスタッフを抑える実力があり、Aさんにはその実力がないのでしょうか?人事権のない上司は軽視される所長とAさんの違いはどこにあるでしょう。最大の違いは「所長には人事権や評価権があって、Aさんには全くない」という部分にあります。中国人スタッフが所長の言うことを聞いているのは、所長に人事権と評価権があり、所長の評価で自分たちの給与が決定されるからです。「所長の評価により、自分たちの給与が決定される」からこそ、中国人は人事権のある上司を非常に重視しています。人事権のない人に対しては、その人物に圧倒的な実力や迫力がある場合を除き、「自分たちへの影響がない」と軽視するのが普通です。中国ではまだ市場経済が発展し始めたばかりです。そのため日本のような終身雇用の概念は全くありません。実際に転職も盛んですし、「中国企業自体に長期的展望がない」ということもしばしばあります。日系企業では長期勤務の中国人スタッフも少なくないですが、「他によい職場がないために結果的に長く働いている」にすぎないというケースも少なくはなく、中国人スタッフには「組織あっての自分」という意識は希薄であると考えられます。つまり多くの中国人スタッフにとっては「人事権を持つ者が、自分をどう評価するか?」が最も重要なのです。更に付け加えますと、中国人スタッフは自分がポストを失うことを恐れていますから、「職場にとって必要な人間」と思われるために、自分で仕事を抱え込む傾向が見られます。「自分がいないと、職場が回っていかない。」という方向を目指しており、同僚に仕事を教えず、業務のマニュアル化が進まない状況になりがちです。ですから冒頭のAさんには、とてもやりにくい環境にあったと思われます。中国経験が浅く仕事への理解が浅いばかりでなく、人事権がないために中国人スタッフに軽視されますし、中国の仕事を理解しようと思っても、中国人スタッフが仕事を抱えていて仕事を教えてもらえないのです。Aさんがこの事務所に存在していられるのは、所長との信頼関係があるからゆえだと私は考えます。所長がAさんの報告を信じているから、Aさんはここに居られるのです。もし所長とAさんの関係が悪いのであれば、Aさんは存在が難しくなっていきます。中国人スタッフにとっては、Aさんは「人事権も評価権もないけれど、自分達より給与が高く、自分たちを監視する存在」であり、場合によっては邪魔な存在と認識される可能性があるからです。最悪の場合を考えます。もし所長とAさんの関係が良好でなく、かつ中国人スタッフの質が悪くて、例えばバックマージンに手を染めるなどの理由で、職場を自分の思うように操りたいと考えている場合は、悲惨な状況になります。中国人スタッフはAさんの言うことに全て反発し、ブラックメールを書いたり、悪い噂を流すなどしてAさんの欠点を誇示し、「Aさんには、現地を治める管理能力がない」ということを所長や本社に印象付けます。Aさんがいなくなることにより、監視の目を一つ取り除くことができますし、Aさんが占めていた「副所長」の座を得て、給与を増やすことができるかも知れません。監視の目も緩みます。90年代には、ブラックメールや悪い噂などを通じて、バックマージンに手を染めていた中国人スタッフが、Aさんと同等の立場の駐在員を、追い出してしまったケースを幾つか聞いたことがあります。その場合、監視の目を失った現地は、たちまち赤字となります。日本には「火のないところに煙は立たず」という諺があり、「目的があるから事実を捏造する」ということが理解されていなかったために、このようなことが発生したのだと思います。ただし現在ではそういうことは少なくなっています。中国でのノウハウが知られてきたため、以前よりも中国人スタッフが長期的視野に立って働くようになってきたからだと思われます。日本人に人事権や評価権を与えよう現地の日本人に人事権や評価権を与え、それを現地にも明確に明示しておけば、ブラックメールを送りつけられて本社が混乱すること、その結果現地が混乱することが、確実に減ります。現地に人事権を与えても更に本社にブラックメールが送られてきた場合は、まずは何も言わずにじっくりと観察し、真偽を判断する必要があると思います。ブラックメールにいちいち反応していた場合、現地に「ブラックメールで、本社をコントロールすることができる」という認識を与え、現地でブラックメールを活用した権力争いが発生することもあります。その場合、現地の団結力が失われ、利益が生み出しにくくなります。また現地事務所、現地法人の所長は、同じく日本から派遣された日本人の若手社員の待遇に気を配る必要があると思います。「若手駐在員には人事権は与えないが、中国人スタッフの評価権を与える」などです。こうすることは、所長自身にとってもメリットがあります。若手駐在員に評価権があれば、質が悪い中国人スタッフでも、所長がいなくとも、若手駐在員がいれば、きちんと仕事をするものです。また評価権を与えることにより、中国人スタッフから見て、若手駐在員が邪魔な存在ではなくなり、中国人スタッフのボイコットや、ブラックメールに所長自身が悩まされることが回避できます。中国人スタッフの「人事権がある者を尊重する」という傾向を理解して、ビジネスに役立てて欲しいものだと思います。また「人事権がある者を尊重する」という中国人スタッフの考え方は、「組織あっての自分」という考えが希薄であるところにありますので、そういった考えを打破すべく、中国人スタッフが夢をもつことのできるような組織作りも必要なのではないでしょうか。
今回次回と「中国人をどう管理するか?」という議題で話を進めていきます。今回は私の経験から「人事権があってこそ、中国人スタッフを管理することができる」という側面を、説明していきます。日本人は組織を重視し、人事権があろうとなかろうと、組織内の上役を尊重して仕事をすることが多いと思われます。一方中国では、市場経済が安定し始めてから間もないために、概して中国人は日本人ほどは組織を信じておらず、誰に人事権があるかどうかで、動く傾向にあるということを指摘していきます。逆に中国人は、人事権や、評価権がない人物を尊重しない傾向もあるので、若手日本人社員に人事権、もしくは評価権を与えずに中国に派遣することは暴挙であるということも、指摘していきます。日本人の若手駐在員の悩み先日北京である会食に参加した席で、日本人の若手駐在員Aさんの悩みを聞きました。Aさんは駐在員事務所で勤務していますが、その駐在員事務所は、北京で開設されてから既に10年以上になります。現在日本人は所長とAさんだけで、あとは中国人スタッフで構成されています。中国人スタッフは、いずれも10年選手ばかりですから、所長やAさんよりも事務所業務に精通しており、所長がいるところでは熱心に仕事をしているふりをしているものの、日本人がAさんだけになると、明らかに手を抜きます。Aさんがたしなめても言うことを聞きません。困り果てたAさんは、所長に相談をして、所長からスタッフをたしなめて貰うことにしました。その結果、その場ではスタッフは言うことを聞きます。所長にはスタッフを抑える実力があり、Aさんにはその実力がないのでしょうか?人事権のない上司は軽視される所長とAさんの違いはどこにあるでしょう。最大の違いは「所長には人事権や評価権があって、Aさんには全くない」という部分にあります。中国人スタッフが所長の言うことを聞いているのは、所長に人事権と評価権があり、所長の評価で自分たちの給与が決定されるからです。「所長の評価により、自分たちの給与が決定される」からこそ、中国人は人事権のある上司を非常に重視しています。人事権のない人に対しては、その人物に圧倒的な実力や迫力がある場合を除き、「自分たちへの影響がない」と軽視するのが普通です。中国ではまだ市場経済が発展し始めたばかりです。そのため日本のような終身雇用の概念は全くありません。実際に転職も盛んですし、「中国企業自体に長期的展望がない」ということもしばしばあります。日系企業では長期勤務の中国人スタッフも少なくないですが、「他によい職場がないために結果的に長く働いている」にすぎないというケースも少なくはなく、中国人スタッフには「組織あっての自分」という意識は希薄であると考えられます。つまり多くの中国人スタッフにとっては「人事権を持つ者が、自分をどう評価するか?」が最も重要なのです。更に付け加えますと、中国人スタッフは自分がポストを失うことを恐れていますから、「職場にとって必要な人間」と思われるために、自分で仕事を抱え込む傾向が見られます。「自分がいないと、職場が回っていかない。」という方向を目指しており、同僚に仕事を教えず、業務のマニュアル化が進まない状況になりがちです。ですから冒頭のAさんには、とてもやりにくい環境にあったと思われます。中国経験が浅く仕事への理解が浅いばかりでなく、人事権がないために中国人スタッフに軽視されますし、中国の仕事を理解しようと思っても、中国人スタッフが仕事を抱えていて仕事を教えてもらえないのです。Aさんがこの事務所に存在していられるのは、所長との信頼関係があるからゆえだと私は考えます。所長がAさんの報告を信じているから、Aさんはここに居られるのです。もし所長とAさんの関係が悪いのであれば、Aさんは存在が難しくなっていきます。中国人スタッフにとっては、Aさんは「人事権も評価権もないけれど、自分達より給与が高く、自分たちを監視する存在」であり、場合によっては邪魔な存在と認識される可能性があるからです。最悪の場合を考えます。もし所長とAさんの関係が良好でなく、かつ中国人スタッフの質が悪くて、例えばバックマージンに手を染めるなどの理由で、職場を自分の思うように操りたいと考えている場合は、悲惨な状況になります。中国人スタッフはAさんの言うことに全て反発し、ブラックメールを書いたり、悪い噂を流すなどしてAさんの欠点を誇示し、「Aさんには、現地を治める管理能力がない」ということを所長や本社に印象付けます。Aさんがいなくなることにより、監視の目を一つ取り除くことができますし、Aさんが占めていた「副所長」の座を得て、給与を増やすことができるかも知れません。監視の目も緩みます。90年代には、ブラックメールや悪い噂などを通じて、バックマージンに手を染めていた中国人スタッフが、Aさんと同等の立場の駐在員を、追い出してしまったケースを幾つか聞いたことがあります。その場合、監視の目を失った現地は、たちまち赤字となります。日本には「火のないところに煙は立たず」という諺があり、「目的があるから事実を捏造する」ということが理解されていなかったために、このようなことが発生したのだと思います。ただし現在ではそういうことは少なくなっています。中国でのノウハウが知られてきたため、以前よりも中国人スタッフが長期的視野に立って働くようになってきたからだと思われます。日本人に人事権や評価権を与えよう現地の日本人に人事権や評価権を与え、それを現地にも明確に明示しておけば、ブラックメールを送りつけられて本社が混乱すること、その結果現地が混乱することが、確実に減ります。現地に人事権を与えても更に本社にブラックメールが送られてきた場合は、まずは何も言わずにじっくりと観察し、真偽を判断する必要があると思います。ブラックメールにいちいち反応していた場合、現地に「ブラックメールで、本社をコントロールすることができる」という認識を与え、現地でブラックメールを活用した権力争いが発生することもあります。その場合、現地の団結力が失われ、利益が生み出しにくくなります。また現地事務所、現地法人の所長は、同じく日本から派遣された日本人の若手社員の待遇に気を配る必要があると思います。「若手駐在員には人事権は与えないが、中国人スタッフの評価権を与える」などです。こうすることは、所長自身にとってもメリットがあります。若手駐在員に評価権があれば、質が悪い中国人スタッフでも、所長がいなくとも、若手駐在員がいれば、きちんと仕事をするものです。また評価権を与えることにより、中国人スタッフから見て、若手駐在員が邪魔な存在ではなくなり、中国人スタッフのボイコットや、ブラックメールに所長自身が悩まされることが回避できます。中国人スタッフの「人事権がある者を尊重する」という傾向を理解して、ビジネスに役立てて欲しいものだと思います。また「人事権がある者を尊重する」という中国人スタッフの考え方は、「組織あっての自分」という考えが希薄であるところにありますので、そういった考えを打破すべく、中国人スタッフが夢をもつことのできるような組織作りも必要なのではないでしょうか。
工場を上手く回転させるために、中国人労働者に「我々が求める常識」について、みっちり教えていく必要があり、教育次第では、日本以上の成果が上がるということを指摘しました。今回は「褒章と罰則」という、いわば「飴と鞭」を活用しながら、労働者を管理していく必要があるということを、述べていきます。
罰金が伴わない規則は守られない
私はいつも自宅近くのローカルの美容室を活用しています。先日、残業の後に美容室に行ったところ、オーナーがいなかったために、10人程の従業員がだらけきって過ごしていました。彼等は私が入ってきたのを確認すると、勝手にテレビの歌番組を点けはじめます。従業員二人掛かりで毛を染めてもらいましたが、テレビに美しいアイドルが登場すると、従業員はポカンと口を開けながら、ボーッとテレビに見入り、手を休めてしまいます。
あまりの見入りっぷりに、「あんたたちは、そんなにテレビが好きなのか?」と聞いたところ、面白い回答が返ってきました。なんでも、その美容室ではお客がいる時でなければテレビを見ることが許されず、お客がいないときに勝手にテレビを見ているのがオーナーに見つかった場合、一人当たり50元の罰金になるのだそうです。彼等の月給は600-800元程度でしょうから、罰金は正直、痛いはずです。今回の情景は、うるさいオーナーが留守で、お客がたった一人の時に、従業員が、普段はゆっくり見られないテレビを、憚ることなく、十二分楽しむということだったようです。
日本でも、例えば「遅刻はいけない」など勤務上のルールはありますが、一般的に従業員の自覚が強いですから、罰金を設けなくても、たいていルールは守られていると思います。しかし、ここ中国では「規則で禁止されている」と口で言っただけでは、なかなかルールは守られません。
最近の中国の交通マナーは10年前と比べれば格段に向上していますが、それは道路警察部門が交通違反の取り締まりに力を入れているからです。1990年代後半、私は社用車で通勤していましたが、会社の運転手さんの運転は警察官がいるところと、いないところ、或いは監視カメラがある場所と無い場所では、明らかに違う運転をしていました。現在の道路警察部門は更に強化されていて、立体橋の上などの監視カメラから高速道路を撮影し、交通違反の車両のナンバーをチェックして、罰金を科したり、インターチェンジで検問を行ったりしています。我が家の車も、違法駐車でレッカー車に運ばれ、罰金を取られたことがあります
罰則をどう活用するか
上述の美容室のように、中国で従業員を管理しようと考える場合には、「(1)ルールと罰則を定める、(2)罰則の判定者と執行者を定める、(3)ルールと罰則を実行する」の3点が非常に重要になってきます。
「(1)ルールと罰則を定める」については、そのルールは誰もが納得できるものでなければなりません。また、罰則は段階的に定める必要があります。美容室のケースでは、お客もいないのに従業員がだらだらテレビを見ているのは気風としてよくないものでしょう。また「オーナーの発見1回で1人50元」というのは、妥当なレベルだとも思います。例えばすぐに解雇にしたら、感情面でのトラブルになります。
「(2)罰則の判定者と執行者を定める」も重要です。この美容室の場合は小規模ですから、判定者も執行者もオーナーでいのですが、ある程度の規模の会社の場合、10人をまとめる単位くらいの班長レベルに人事権を与え、評価に当たらせ、部下を監視させることは有効です。班長からの報告の上で、中国人責任者に罰則の判定と執行に当たらせることも必要です。普段から部下と接触があるものにより判断材料を提供させるということで、「普段の状況を見ずに判断している」という批判をかわすことができます。
温情は「えこひいき」と誤解を与える危険性
最後に、特に「(3)ルールと罰則を実行する」はとても重要です。日本的思考では、性善説が働き、ルール違反が発生しても、「温情」としてうやむやに処理されてしまうことが、往々にしてあると思います。「温情を発すれば、温情に報いて二度と同じ過ちを犯さない」という認識がそこに働いているのだと思いますし、実際に日本ではそれが有効だと思います。
しかし、ここ中国においては、ルール違反はルール違反として、処理を実行することを私は勧めます。これは私が経験したことでもあるのですが、ルールと罰則を定めてもそれを実行しなければ「どうせ口だけ」と労働者に舐められます。誰か一人のルール違反を見逃した場合、「どうしてAさんは許されたのに、私には許されないのだ?」という議論に至ります。その場合、最終的に、誰もルールを守らなくなり、そればかりか「原さんは公平でない人」と批判を浴びることになります。例えば「注意3回で解雇」という規定があるならば、罰則の判定者と執行者は、それを実行しなければなりません。
「厳格に処理することで恨まれないか?」という心配があるでしょう。しかし中国人は論理を重んじますから、「そういうルールだ」ということを公に明確にし、誰の目から見てもそれが公平な罰則基準、公平な判断、公平な執行であれば、恨まれることは、まずないはずです。中国でルール違反が少なくないからこそ、逆にそこに温情をさしはさんだ場合、公平でないとみなされる危険性があります。またルール違反が行われたかの判定は、われわれ日本人ビジネスパーソンが直接行うのではなく、常日頃労働者を束ねている、中国人責任者に任せるのが適切だと思います
中国人は誉められるのを好む
規則を守らせるためには、罰金が有効だということを述べましたが、厳しさだけでは、従業員の心をつかむことができません。どこの国でも、職場が楽しく、良いコミュニケーションが取れていれば、作業能率が上がるというものです。ですから、ルール違反については厳しく対処すべきですが、それ以外の時間は、もちろん仕事はまじめに取り組む必要がありますが、それと同時に軽い冗談でも言いながら、明るい態度で従業員に接し、楽しく仕事をするのが適切です。つまり「鞭」だけでなく、「飴」が非常に重要ということです。
特に、中国人従業員に対しては、「教えたとおりに動く場合にはメリットがあり、教えたとおりに動かなかった場合にはデメリットがある」ということを、体現していく必要があるのです。そのために表彰するということはとても重要です。
中国では、「誉める」という行為が徹底して行われています。中国のローカルのレストランや工場などへ行くと、入り口のところなどに、「今月の模範労働者」の顔写真とサービス番号が掲示されているのを、読者の皆さんは見たことがありませんか?
中国企業では、こうした表彰をし、場合によっては更にそれに賞金を加えていくという方法が、よく採用されています。例えばこの写真は天津の新聞社のものですが、優秀な「発行員」については、このように新聞紙上で、名前付で表彰されます。
我々日本は「出る杭は打たれる」の国ですから、働きが良くても大きく表彰されることを好まない人も少なくないようです。「他の従業員に妬まれるんじゃないか?」とか「えこひいきを受けていると疑われそう。」などです。中国でも表彰を巡ってこのような感情が渦巻くことがあります。しかし「人事権のある責任者複数が協議の上、対象者を選び、表彰を担当する」という前提を守れば、素直に受け入れられますし、過去の原稿でも述べたように、中国はアピールの国ですから、表彰を受けた人は素直に喜ぶものです。
工場に派遣されていた時代には、中国人労働者の管理を巡って、私もとても頭を悩ませたものですが、中国人責任者の力を借り、「飴と鞭」すなわち、「褒章と罰則」をうまく活用すれば、ある程度、管理はうまくいくものです。工場の管理は、日本人ビジネスパーソンがどれだけ中国人の考え方を理解しているか、それを活用できるかで、決まります。是非良い成果をあげていただきたいものだと思っています。中国の工場では、我々日本人ビジネスパーソンは、中国人労働者を束ねていかなければなりません。今回から2回に分けて、(1)「中国人労働者の常識が、我々日本人が考え、要求する常識とは異なる」事をよく理解し、1から10まで手取り足取り教えていく覚悟をもつこと、(2)褒章と罰則という、いわば「飴と鞭」を活用しながら、労働者を管理していく必要があるということを、述べていきます。
労働者の質が違うから、不合格率が高い
先日、中国南方に出張した折に、以前某日本企業の北京事務所所長をしていた日本人の友人と会う機会がありました。彼は定年退職を機に当時の会社を退職し、中国でのビジネス歴を買われて、現在深せんの工場で管理と営業を担当しています。
「日本企業の本社は、日本と中国で同じものが作れると勘違いしている。しかし深せんの田舎では、集まってくる労働者の質が劣るから、当然製品の合格率も違う。不合格率が大きいから、たとえ労働力が安くても、そう利益が上げられないのに、それを本社が理解してくれない」というのが彼の意見です。
私自身も食品会社駐在員時代の1997年、食品工場での勤務を経験しています。工場勤務全般を通じ、強く感じたのが「中国人労働者の常識は、日本本社や私の要求する常識とは異なる」ということでした。
食品工場は、北京市の北郊外に設立されましたが、周囲は見渡す限りの麦畑で、何もない、とても寂しい土地でした。集まってくる労働者は、北京郊外の農民や、安徽省河北省東北などからの出稼ぎ労働者で、学歴も殆どが中学卒。小学校を禄にでていないような人材もいました。
手を洗わない、紙を使わない
まず、生活習慣が違いました。汚い話ですが、水の節約のためかトイレは流さないのが当たり前。女性の場合、小便の時には紙も使っていないようでした。用を済ませた後も、食品を扱っているのにも関わらず、指先しか洗っていません。シャワーもろくに使っていないようで、汚れた襟の服を着て出勤していました。
地域にもよりますが、おおむね中国の農村部は貧しく、農村の農民はレンガを積んで作った簡素な家に住んでいます。住環境も良好とはいえず、絶えず隙間風や土埃が家の中に入ってきます。
また紙や水や燃料を節約したいという考えがあるようで、用便後の紙の使用量もたいへん少ないですし、農村部では使用済みの紙をそのまま燃料として使っているようです。水も貴重ですから、大量に使用することはしません。農村部では各戸がお湯を沸かし沐浴をしますから、冬季などは住環境の悪さや寒さも手伝って、充分に沐浴しない人も多いようです。ですから農村部に工場を作るのであれば、シャワーなどの福利施設が絶対に必要です。
工場では備品の盗難も
もちろん道徳の面も違います。一部の高級なオフィスやショッピングセンターなどを除いて、私が在籍した工場はもちろん、中国の庶民向けのトイレには紙が置かれていません。貧しい人も少なくないので、管理責任者が見ていなければ、紙が盗まれてしまうからです。
工場では備品がしばしば盗まれました。トイレの紙ばかりでなく、液体石鹸を入れる箱や、ペーパーホルダーまでが盗まれてしまったのに驚いた覚えがあります。ちなみに盗難については、労働者に自覚や公共心があると盲信するのを辞め、カギを掛け、カギの管理者とその管理責任を明確に定めれば、おおよそ防止することができます。
またごみを平気でそのへんに散らかし、ゴミをゴミ箱にきちんと入れる習慣がないという問題もあります。
私が中国を初めて訪問したのは1992年でしたが、当時北京の公園に設置されていたゴミ箱に「果皮箱(果物の皮入れ)」と書いてあったのが印象に残っています。最近まで、中国で発生するごみは、果物の皮や、野菜の皮などの生ごみが主体で、ビニール包装やプラスチックごみなどが非常に少なかったのです。最近まで「すべてが土に帰るようなゴミばかり」という生活を送ってきており、発生するゴミ自体もたいへん少なかったのですから、分別するとか、きちんとゴミ箱に捨てるという習慣がないのも納得できます。
モノをきちんと整理整頓するという習慣に欠けた労働者も少なくありません。それは最近まで中国の農村部ではモノがない生活を送ってきたのであり、モノがないということは、整理整頓の必要がなかったということだからだと思います。現在でも、貧しい農村部の農家に行くと、布団と煮炊きの道具、備蓄食糧があるだけで、家の中には何もありません。こういったところから出てきた人達が、整理整頓の意識に欠けていても、当然なのです。
「労働者のレベルが低い」ことを怒るのは、お門違い
労働意識ももちろん違います。拙稿「中国における責任とは?」でも指摘したように、出来の悪い機械のように言いつけられた作業だけを行うことを仕事だと考えている労働者も多くいます。勤務時間中であっても、人事権のある人間が見ていなければ平気で私語を交わし、会話に夢中になって、手を動かしません。また例えば工場の工程に「A→B→C」というプロセスがあってそれを技術者が教えても、慣れてしまうと労働者が勝手に自分で判断し、Bのプロセスを勝手に省略してしまったりもします。
正直、工場に配属された当初は、こういった労働者を見て、中国人労働者のレベルの低いことに怒りを感じたものです。蘇州の工場に派遣されている知人も、「社内では、本来は家庭や学校や社会が行うべき躾を、社員に教育している。中国工場設立こそが、中国社会への社会貢献だと思う」と話しています。知人は、労働者に対して、何から何まで教えなければならないということに、苛立ちを感じているようです。
国際的に通用する常識と、教育レベルがある中国人も多いのですが、そういった中国人は月給600~1000元程度で工場に雇われることを好みません。もっといい仕事を探すか、いい仕事がなければニートになります。ですから当然、工場に集まってくる労働者のレベルはそれなりのものになります。我々日本企業も、安い人件費を求めて中国に出てきている以上、「中国人労働者のレベルが低い。」と怒るのはお門違いというものです。
なぜ、「中国人労働者のレベルが低い。」と思ってしまうのでしょう? それは我々日本人ビジネスパーソンが、「中国人労働者が、日本人労働者と同様な働きができて当然」と思い込んでいて、それを中国人労働者に押し付けているからです。イライラしたときこそ、自分を振り返ってみることが必要です。
労働者の背景を知り、一から十までみっちり教える
私は、中国人労働者の働き振りについて、イライラしてもはじまらないと思っています。労働者が経てきた生活環境と、日本人ビジネスパーソンが経てきた生活環境は、全く別のものだからです。だからこそ、私は日本人ビジネスパーソンに、地方の寒村に行き、中国の貧困を見ることを薦めます。先程触れたように、地方の寒村では、寝具と調理具、備蓄の食糧以外は何もない家も少なくないです。いまだに洞窟に住んでいる人々もいます。こうした貧しさを見れば、「できなくて当然、分からなくて当然」と、心の底から納得がいくと思います。
中国人労働者の多くは、日本の本社や日本人ビジネスパーソンが求める常識を見たこともなければ、聞いたこともないという状況であり、我々日本人ビジネスパーソンの要求自体を理解できないのです。
我々日本人ビジネスパーソンとしては、「中国人労働者が我々の常識を理解できない」ということを、理解しながら、労働者に対峙していかなければなりません。そして、中国人幹部の力を借りながら、労働者に一から十まで、みっちり教えていくのです。
前述の蘇州の知人は、中国人労働者に対し、毎日のように、「使用後トイレの水は流しなさい。トイレに異物を流すのは止めなさい。手は手の甲までしっかり洗いなさい。トイレのスリッパを脱いだ後はそろえなさい。トイレのドアは、手を良く拭いてから開閉しなさい。椅子使用後はテーブル側に寄せなさい。備品は使ったらきちんと戻しなさい。ゴミはゴミ箱に入れなさい。事務所エリアで大音量の携帯着メロを設定するのは止めなさい。ドアは静かに閉めなさい。廊下を歩きながら果物を食べるのは止めなさい、……」など、一から十まで、教えているそうです。
中国人労働者ならではのメリットも
上記のように書いていくと「中国での工場立ち上げは、苦労ばかりで、人件費以外に、ちっともメリットがないじゃないか?」という意見になると思います。
私はそうでもないと思っています。ありがたいことに、中国は目覚しい発展を続けており、多くの中国人には向上心があります。多くの中国人は、合理的で、自分のためになると思ったことはよく学んでくれるように、私は思います。褒賞と罰則を上手く使い分ければ、学んで実行してくれる中国人労働者は多いと思います。
また中国の労働市場では、若い労働力が集まるというメリットがあります。「日本の工場労働者は中年以上の女性がほとんど。しかし中国では10代~20代の若い女性も集まる。もちろん基準について明確に教える必要があるが、目のいい労働者を集めることができるから、精密部品の製造や、検査には有利」とは、精密工場勤務のある駐在員の弁である。
つまり、教育の成果次第で、日本以上の成果が期待できるというのが、中国の工場なのだと思います。
中国の工場は、日本人ビジネスパーソンによる人材教育に掛かっています。そのあたりの苦労を、是非日本の本社にも理解して欲しいものだと、工場駐在経験者としては、願ってやみません。
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