Sunday, December 18, 2005

統計に表れない小さな変化が日本を変えていく 

日本に「変化のマグマ」がたまりつつある

 サマワに行っている自衛隊の人たちに「本当にご苦労さま」と言えば、「自分たちは任務を果たしているだけです。同情は無用です」という答えが返ってくると思う。しかし、気の毒だと思うのは、彼らの上官たちが何の準備もなしに彼らをただ送り出したからだ。それは太平洋戦争のときと同じ。日本の上の人たちは、部下を便利に使って、手柄は自分のものにし、損害が出たら部下のせいにする。そうした構造が太平洋戦争時とまったく同じだから、気の毒なのだ。



 でも、報道の論調が少しずつ変わったおかげか、サマワから自衛隊員たちが帰ってきたときは、地元の政治家が迎えに行った。派遣されるときにはほとんど注目されなかったんだから、わずか数ヶ月間でもそれだけの変化があった。

 そう考えると、靖国神社の問題でも何でも、だんだんと変化へのマグマがたまり、そしてある日、一挙に変わるのだろうと思う。例えば、「ヨン様ブーム」を見ても、ヨン様のような「やさ男」がウケるのかなと思っていたら、ファンの女性に聞くとそうではないらしい。彼はけっしてやさ男ではなく、徴兵で軍隊に行ってきたから上着を脱げば筋肉がムキムキだという。日本の女性はそれを見て「日本の男は頼りない、韓国の男のほうがよい」と思ったという。私が考えるのとは逆の理由を聞かされて、あっと驚いた。

 これから日本国憲法改正などいろいろなことが始まる中で、「日本でも徴兵をやるべきだ」「徴兵とまではいかずとも半年ぐらいは男を集めて鍛えたらどうなんだ」という意見が出てくる。徴兵なんて、いま言えば笑い話で済まされてしまうかもしれないが、一つの変化ではある。

 このような、何でもない兆しでも、たくさん集まるとある日これが連鎖反応を起こす。日本人はなるべく穏やかに物事を進めたい民族だから、基本的には騒がない。でも、変化の兆しがたまりたまって、ある日、ワッと出てくる。少しずつたまっているところを見ていない人は、そういうときに「意外な成り行き」という。マスコミはそう書けば済むかもしれないけど、そんなはずはない。もっと前から、きちんとマグマはたまっているのだ。しかし、統計として出てくるまではそれを見ようとしないのが学者と役所だ。そして学者と役所の発表に頼るマスコミも同じ。

 統計に出ないことを見なければ、未来は見えてこない。私たちは、身の回りの小さな変化を見逃さず、じっくり見ていく必要がある。

自衛隊の医者が100人も辞める理由とは

 自衛隊の医者が、去年1年間で100人辞めてしまったらしい。彼らは昔でいえば軍医にあたる。それが100人も辞めてしまったら、インド洋にしろ、ティモール島にしろ、あるいは新潟の地震の災害派遣にしろ、自衛隊の活動から医療分野がなくなってしまう。「土木作業しかしません」ということになる。現地に対してだけでなく、自衛隊員のための医者も不足する。



 自衛隊は医者をきちんと待遇していない。例えば、自衛隊員が国内の災害で出動したとき、同行した医者は、現地で文字通り不眠不休になってしまう。目の前に患者がたくさんいるのだから、土木作業などよりも、もっと切実なのだ。そういう苦労をしているのにきちんと待遇されなければ、医者たちは報われない。だから、辞めたくなっても仕方がない。

 これは自衛隊を便利に使った報いだ。それで、自衛隊法を改正しようという話になってきた。自衛隊の主任務は「日本国家の防衛にある」というが、法律を読んでいくと、一番最後に「災害出動もする」と書いてある。これでは、災害出動に関する準備を誰もしないのは当たり前だ。一番最後に書いてあるということは、確実に出世街道ではないのだから。

 そんな理由で、間に合わせ的に出動するのに、現地では死ぬような思いをするという状態はよくない。だから自衛隊法を改正しようという議論になっている。これは一歩前進だ。けれども、法律だけを変えればいいというものではない。それ以上の議論がもっと必要になってくるはずだ。災害出動する場合には、医者は大砲や飛行機よりも大切な存在となってくるかもしれない。それなら、それに足るだけの待遇を考えないといけない。

 自衛隊に入って医者になると、だんだん階級が上がっていく。一番上は、昔でいえば少将になるのだが、それは1人だけしかなれないから、出世への道がすごく狭い。そんなことでいいのか、というところまで検討してもらいたい。まだそこまでいう人はいないのが現状だ。

 自衛隊の医者の中にはそうした不満がたまっていて、それで「辞めてしまえ」となっている。1年間で100人も辞めていることを、報道した新聞やテレビがあるだろうか。全体でも約500人と少ないのに、そこから100人も辞めて、それでもサマワ、インド洋など、そこらじゅうに出しているから、自衛隊中央病院は空っぽになってしまっている。

見苦しい財界人はもういらない



 世の中を見ると、バカな人を「バカ」と呼び、見苦しい人を「見苦しい」というようになってきた。日本の財界人は小泉首相に「靖国神社の参拝をやめておけ」といったそうだ。これをアメリカの新聞は「本気で小泉さんに進言しているのではないだろう。北京に向かって、『私は言っておいた』という姿を見せているだけだ」と書いた。“見苦しい財界人”と批評しているのだ。

 財界人が北京に行くと、「投資や貿易をめぐって政冷経熱を是正しよう」と凄まれる。そういうときに日本側は「商売は商売で一生懸命やる。商売と政治は関係ない。まして宗教は関係ない。経は経、政は政で、そこがおたくの国とは全然違う」とはっきりいわなければならないのだ。中国の都合に合わせて、自分の工場だけ意地悪されないようにと動くのなら、そんな財界人は社会にいらない。そんなことで儲けてほしくない。国民はもうすぐ「そこまでするなら、日本は貧乏してもいい」となると思う。「中国投資は全部没収されてもよい。日本はまた働いて回復する。中国は回復不能の打撃を受ける」とね。外務省は中国にそう警告すべきだ。

 スマトラ沖大津波が起きたとき、日本の外務省はタイに20億円のお見舞い金を申し出たが、タイのタクシン首相は「必要ありません。自分たちのことは自分たちでやります」と断った。さすが、タイ国は独立国として立派な対応だったと思う。一方、日本の外務省は20億円余ったから、他の国に細かく分けて配ってしまった。こんなインチキ、国民に対して説明できるのだろうか?

 そもそも、タイは立派な国だから援助を申し出ても受け取らないのではないか、と思わなければいけない。誰もが喜んで受け取ると思い込んでいるところが不勉強だ。なおかつそれを他の国へ分配するなら、他の国に対する金額の算定根拠は何だったのか。これが民間なら必ずそういう議論になるはずだ。

 外務省のODAは、まるで国連常任理事国になるための票集めのようにして行われているが、国民はそんなことを希望しているのだろうか。常任理事国入りに失敗したら、血税乱費として大問題になるにちがいない。

0 Comments:

Post a Comment

<< Home