Friday, April 27, 2007

問題点を見極め、オフショア・アウトソーシングを有効に使いこなせ

「低コスト」「高品質」──この2つのキーワードに代表されるように、これまでオフショア・アウトソーシングに関しては、メリットばかりが強調されてきたきらいがある。だが、物事にはすべからく「表と裏」「光と陰」があるものだ。オフショア・アウトソーシングについても、もちろんその例外ではない。オフショア・アウトソーシングを活用している(活用したことがある)企業の話によれば、特に、契約してから3年ないし4年が経過した時点で、「問題点」が浮かび上がってくることが多いという。本パートでは、米国企業の証言を基に、オフショア・アウトソーシングの問題点を明らかにしたうえで、その解決策を探ってみることにしたい。

ステファニー・オーバビー ● text by Stephanie Overby

低迷する「満足度」

マインドブリッジのCIO、スコット・テスタ氏は、「オフショアリングの管理は手ごわい仕事だ。十分なリソースを投入して長期的に取り組まないと、必ずトラブルを抱えることになる」と語る photo by Roy Ritchie

 「2006年夏に、最後に残っていたオフショア・アウトソーシング契約を打ち切った。コストの削減を狙って、1999年から、インドのITサービス・プロバイダー数社にアウトソーシングを行ってきたが、これでやっとストレスから解放される」

 中堅イントラネット・ソフトウェア・ベンダーであるマインドブリッジでCOO(最高執行責任者)兼CIOを務めるスコット・テスタ氏は、そう言って安堵の表情を浮かべる。

 同氏の言にもあるように、マインドブリッジがオフショア・アウトソーシングを始めたのは、コスト削減効果を見込んでのことだった。実際、2002年までは、テスタ氏はその効果を十分に享受していた。アプリケーションの開発と保守の一部をインドにアウトソースしたことで、同社は30%ものコスト削減を実現することができていたのである。

 だが、2003年を境に徐々に歯車が狂い始めた。契約していたアウトソーサーでスタッフの退職が相次ぐようになり、それにつれてオフショア・プロジェクトの成果物の品質も低下していったのである。一方で、マインドブリッジ社内のITスタッフには、オフショアリングを管理するために多くの負荷がかかるようになり、頻繁にインドに出張する必要なども生じた。それはまるで、オフショア・アウトソーシングの開始から4年が過ぎたことで、マインドブリッジと契約アウトソーサーの間に“倦怠期”が訪れたかのようであった。

 そして2005年、我慢の限界に達したテスタ氏は、アウトソーシング先との契約解消に乗り出すことにした。この間の事情を、同氏はこう語る。

 「我々にとって、かつてオフショア・アウトソーシングは非常に有意義なものだった。だが、2003年を境に、その意義は著しく低下した。2004年末には、もはやオフショア・アウトソーシングは我々にとって、コスト効果が高くもなく、有効であるとも言えない代物に成り下がっていた。そのため、我々は、国内で業務を行うほうが、より高い品質をより低いコストで手にすることができると判断したのだ」

 こうして、冒頭で紹介したように、2006年6月、テスタ氏は最後に残っていたベンダーとの取り引きを中止するに至ったのである。

 テスタ氏の経験は、「アウトソーシング時代」が喧伝される中で、多くの企業が犯した失敗を象徴しているかのように見える。1990年代末から2000年代初めにかけて、多くのCIOがオフショア・アウトソーシング・ブームに乗せられた。彼らはコスト削減のかけ声にあおられ、あるいは、同じように金銭的メリットに目をつけた役員たちにせきたてられて、戦略を立案する暇もないままにオフショアリングの導入に走ったのである。

 もちろん、これは“正常な”事態ではない。それが証拠に、オフショアリング・ブームのさなかに結ばれた契約が実際に履行されるようになると、オフショア・アウトソーシングに対する満足度は次第に低下していくことになるのである。例えば、ITコンサルティング会社のダイヤモンドクラスタ・インターナショナルが2005年に実施した調査によると、業務委託先のオフショア・ベンダーに満足している企業の割合は前年の79%から62%に減少した一方で、アウトソーシング契約を中途で打ち切った企業の割合は前年から倍増し51%に達したという。また、プライスウォーターハウスクーパースが同じく2005年に行った調査でも、調査対象となった金融サービス会社においては、役員の半数がオフショアリングに満足していないという結果が出ている。

 さらに、デロイト・トウシュ・トーマツが金融サービス会社を対象に、2006年に実施したオフショア・アウトソーシングに関する調査によると、最初の2~3年こそ期待どおりのパフォーマンスが得られたものの、その後は多くの企業が、コスト削減効果とサービス品質の著しい低下に見舞われたことが明らかとなった。

 こうしたデータはすべて、テスタ氏の以下の感想を裏づけるものだ。

 「オフショアリングの管理は手ごわい仕事だ。十分なリソースを投入して長期的に取り組まないと、必ずトラブルに直面することになる。率直に言って、我々はまさにそうした落とし穴にはまってしまった」

 オフショア・アウトソーシング・コンサルティングを手がけるベントロの創業者、フィリップ・ハッチ氏(同氏は2000年から2003年まで、ロシアのアウトソーサーであるルクソフトで働いた経験を持つ)も、オフショアリングのROI(Return On Investment:投資利益率)がピークに達するのは、開始後3年以内であると主張する。「3年を過ぎたら、仕切り直しをしないと、状況は悪化する一方だ。例えば、アウトソーシング先の離職率は上昇するし、最初は有効だった方法論やツールも役に立たなくなってしまう。また、そのほかの間接的なコストもじわじわと増えていく」(同氏)

図1:マンネリ化が帳消しにするコスト削減効果

(↑イメージをクリックすると拡大画面が表示されます↑)

 現在オフショアリングを検討している段階のCIOであれば、こうした先人の教訓をうまく生かして、オフショアリングを実施する際に長期の予算案を策定したり、常に注意を怠らず継続的にその計画を見直したりすることができるはずだ。

 ハッチ氏は、そうしたCIOに向けて、さらにこう念を押す。

 「アウトソーシング契約は、契約期間中に何らかの見直しを行わないかぎり、5~7年後にはコスト削減効果が消え去ってしまう。アウトソーシング契約を無駄にしないためには、適切な時期に適切な方法で契約を見直す必要があるわけだ」

薄まる「熱意」

 オフショアリング・ブームは、ドットコム・ブームと似たような消長の経緯をたどってきた。「2000年代の初めに、人々がオフショアリングをもてはやし始めると、多くの企業の取締役会や経営陣が一斉にオフショアリングに興味を示し、人件費の時間単価だけを基準にベンダーを選定した。そのため、CIOは(ドットコム・ブームのときと同様)その判断に引きずられるしかなかった」(ハッチ氏)のだ。そして、これまたドットコム・ブームのときと同様、「彼らの99%は具体的なビジネス・プランを持っていなかった」(同氏)のである。

 インテグレーション・コンソーシアムのジョン G.シュミット会長も、「オフショアリングの取り組みの多くは、コスト削減を目的としていた。具体的には、高価な労働力を安価な労働力に置き換えることを目指すものだった」と、ハッチ氏と同様の見解を示す(ちなみに、オフショア・アウトソーシングに関するシュミット氏の経歴は古く、旧DECのコンサルティング・サービス部門で働いていた1980年代にさかのぼる)。しかしながら、真に重要なのは、労働単価を引き下げることではなく、「オフショア・アウトソーシングに継続的に取り組み、成果を上げること」(同氏)なのである。ところが、米国企業の多くは、「年間経費を減らすには、年度初めに何をすればよいか」という発想しか持っていなかった。

 とはいえ、多くのIT幹部は、オフショア・アウトソーシングを開始した年と次の年ぐらいは、それを軌道に乗せるために奮闘する必要があるということを理解していたし、実際に奮闘もした。だが、継続的に価値を生み出していくためには、長期にわたって努力を続けなければならないという覚悟まではできていなかったのである。マインドブリッジのテスタ氏は今、「人々は、オフショア・アウトソーシングこそは、すべての問題を解決することができる万能薬だと信じていた。ところが、実際には、ある特定の問題を解決することはできるものの、それによってまた別の問題を引き起こすやっかいな存在だったのだ」と、自嘲気味に語る。

 自動車部品メーカーのTRWオートモーティブでCIOを務めるジョー・ドルイン氏は、2002年末に現在の地位に昇進した際、インドのサティヤムとのオフショア・アウトソーシング契約を前任者から引き継いだ。この契約はその3年前に、当時の新任CEOによって結ばれたものだった。ドルイン氏によると、サティヤムへのアウトソーシングは最初のころこそうまくいっていたが、同氏がCIOに就くころには、すでにほころびが見え始めていた。オフショアリングの管理はプロジェクトごとに行われていたが、「それを的確に行うのには多くの労力が必要だったし、いつもうまくいくわけでもなかった」(ドルイン氏)のである。その結果、納期遅れや予算超過、手戻りなどが発生していた。また、サティヤムがTRWのプロジェクトに割り当てていた開発者にも、玉と石とが入り混じっていた。「できる開発者もいたが、そうでない人もいた。しかも、プロジェクトが終わるたびに優秀な人材が辞めていった。そのため、新しいプロジェクトに取りかかるたびに、TRWの環境について教えるところから始めなければならなかった」と、ドルイン氏は苦笑を浮かべながら振り返る。

 そこで、ドルイン氏はサティヤムとの契約を見直し、TRWが自社プロジェクト専用のオフショア開発センターを提供するのと引き換えに、専任のスタッフに長期にわたってTRWを担当させることをサティヤムに認めさせた。もちろん、スタッフの退職の問題を解決し、オフショアリングをプロジェクトごとに管理することのリスクを解消するための方策であった。

 「TRWと自動車業界固有の業務知識を学び蓄積してもらうための拠点として、オフショア開発センターを立ち上げた。その結果、それまでのように、TRWと自動車業界について繰り返し紹介したり、プロジェクトを毎回ゼロから始めたりしないで済むようになった」(ドルイン氏)と、契約を見直してから1年ほどは、サティヤムへのオフショア・アウトソーシングは順風満帆の様相を見せていた。

 しかしながら、その状況が長く続くことはなかった。

緩む「緊張感」

TRWオートモーティブのCIO、ジョー・ドルイン氏は、オフショア・アウトソーサーとの契約を見直し、TRWがインドに自社プロジェクト専用のオフショア・センターを設置するのと引き換えに、アウトソーサーの現地スタッフに同センターで長期にわたって同社の業務を担当させるようにした photo by Peter Murphy

 オフショア・アウトソーシングの開始当初には、顧客だけでなくベンダー側も、対象業務が軌道に乗るように尽力するものだ。

 「新規顧客と契約すると、ベンダーはそれを大々的に社内に告知し、意欲満々に体制整備に乗り出す。どの社員もその仕事をしたがり、担当チームにはエース級の人材が配属される。さらに、新施設が立ち上げられ、新しいソフトウェアやハードウェアが購入される。ベンダーは、多くの時間と費用を投入して契約の履行に努めることになるわけだ」(ハッチ氏)

 顧客の側も、上述したように、少なくとも最初の1~2年の間はオフショア・アウトソーシングを軌道に乗せるために奮闘する。CIOとそのスタッフは、リソースを割いてじっくりとベンダー評価を行い、新しい管理体制を整えてオフショア環境のサポートに当たる。また、オフショアリングを担当するマネジャーが任命され、ベンダーのパフォーマンスを管理するために海外を飛び回ることになる。「インドや中国やフィリピンに四半期ごとに出張し、オペレーションの現場やベンダーを管理して回る」(デロイト・アンド・トウシュのリサーチ担当ディレクター、クリス・ジェントル氏)わけである。だが、それでうまくいくのは最初の1年か1年半の間だけで、「2年、3年と年を重ねるうちに、担当者の負担が膨れ上がり」(同氏)、大抵の担当者は疲れきり、気を緩めきってしまうことになるのである。ちなみに、ジェントル氏はこれを“オフショア疲れ”と呼んでいる。

 マインドブリッジのテスタ氏も、「IM(インスタント・メッセージング)や電子メールでは解決できない問題が頻繁に発生し、そのたびに部下のマネジャーにインドに飛んでもらった。こうした仕事は、肉体的にも精神的にも実に疲れるものだ」と、“オフショア疲れ”の存在を認める。

 ジェントル氏によれば、その“オフショア疲れ”を防ぐいちばんの“特効薬”は、人事ローテーションによってオフショア担当マネジャーを2~3年ごとに交代させることだという。

 一方、TRWのドルイン氏は、同社の業務を担当するサティヤムのスタッフが150人に達したため、そろそろ、TRWの社員をインドのチェンナイに常駐させ、サティヤムのオペレーションの管理に当たらせることを考えている。

 「1回の出張でできることは限られている。そのため、担当者たちが現地に赴くときは、今のところ、処理するテーマを毎回絞り込んでいる。だが、委託する業務の規模がこれほどまでに大きくなると、担当者を常駐させる必要が出てくる」(ドルイン氏)

 オフショアリング担当者は、出張で消耗するだけではない。立ち上げの時期を乗り越えたあとは、惰性に流され燃え尽きてしまうこともある。TRWでは、オフショア・センターを設置してから約1年後に、サティヤムへのアウトソーシングにまつわるROIがピークに達した。生産性は過去最高の水準を記録し、オフショア・センターで実施されるプロジェクトやサポートについては、常にきちんとスケジュール/予算/仕様が守られていた。そうした成果は、もちろんドルイン氏と彼のスタッフの努力のたまものであったわけだが、残念なことに、彼らはその成功に満足して気を緩めてしまったという。「そのまま順調にいくだろうとたかをくくって、少し手綱を緩めてしまった」と、ドルイン氏は苦笑する。

 一方、ベンダー側の緊張感が緩んでしまうというケースもある。

 年間売上高18億ドルのメーカー(ここでは仮にA社としておこう)でIT担当副社長を務めるA. ビノド氏によると、A社は、シエラ・アトランティックと4年間のオフショア・アウトソーシング契約を結んでいるという。ちなみに、シエラはカリフォルニア州フリーモントに本社を置き、インドでオフショア開発センターを運営している会社である。このビノド氏の不満は、シエラの役員がA社に直接的に関与する機会が、年を追うごとに少なくなってきているということである。

 「当初、我々の委託規模が拡大していたころは、シエラの役員も足しげく我々のもとを訪れ、同社と我々との関係を深めるために努力してくれていた。しょっちゅう連絡を寄こしては、業務の進み具合を報告してくれていたものだ。だが、時がたつとともに、彼らはめっきり姿を見せなくなった。幸いにして、成果物が所定の期日に遅れたりしたことは1度もないが、彼らの訪問の頻度や彼らと顔を合わせる時間が極端に減ってきたことはかなり気になる」(ビノド氏)

 ビノド氏は、一貫して、シエラ・アトランティックの役員にA社に積極的に関与するよう要請しており、同様の状況にある会社のIT幹部にも、「関与を深めてくれるよう常に要求すべきだ」と忠告する。

 インドのハイデラバードにあるシエラのオフショア・センターで、A社のプロジェクトやサポートを専任で担当しているスタッフは4人いるが、ビノド氏は彼らが処理している定常業務のほかにも、必要に応じてシエラに業務を追加発注している。だが、シエラの役員の対応が悪いときには、お灸を据える意味で、委託業務量を減らすこともあるという。

 「私はベンダーにいつもこう言っている。『あなた方とのビジネスについて我々の会社がどう評価しているのかを知りたければ、我々に対する月々の請求額を見てみるとよい。もし減っていたら、憂慮すべき問題があるということだ。だから、請求額が減っていたときには我々に話を聞きに来るべきですよ』と」(ビノド氏)

 他方、ハッチ氏も、オフショアリングを始めてから長期間が経過しているようなケースでは、顧客とベンダーの経営陣が四半期ごとに会合を持つようにすべきだとの見解を示す。さらに、「ベンダーが、オフショアリングを最大限に活用する方法を定期的に提案してこないようであれば、それは重大な危険信号だ」(ハッチ氏)とも指摘する。

もう1つの選択肢――“直営の”オフショア・センターを設立する

 オフショア・アウトソーシングを長期的に活用したいと考えている企業の間では、最近、海外に子会社を設立するという動きが活発化している。

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ぶれる「指標」

 オフショア・ベンダーは、一般に、パフォーマンス・メトリックの扱い方が独善的で硬直的だと言われることが多い。放っておくと、最初に提案したメトリックをそのままいつまでも使い続けようとする。それらの数値が自社のパフォーマンスを良く見せているような場合はなおさらだ。だが、オフショア・ベンダーがよく提案するメトリック──例えば、単純コストや工数単価、スタッフのオンサイト/オフサイト比率、コード1,000行当たりの欠陥数といったもの──は、個々の契約においてはあまり意味を持たないことが多い。そのため、いずれは顧客の側が、自社にとってより有意義な新しいメトリックを打ち出す必要がある。ビノド氏も、「適切なメトリックを見いだすことに、我々は最も時間を費やした」と、その重要性を強調する。

 ビノド氏の会社(A社)がシエラ・アトランティックに委託している業務は、ほとんどがアプリケーション・サポートである。その具体的な作業内容を見てみると、まず日々の業務の中で、A社の社内ユーザーがアプリケーションに関する問題(変更が必要なパスワードから、正しく動作しないプログラムまで、多岐にわたる)を報告する。すると、そのつどトラブル・チケットが発行される。そのチケットはオフショア・チーム(シエラ・アトランティック)に転送され、彼らの手によって問題の解決が図られる。こうしたアプリケーション・サポートの効果測定にシエラ・アトランティックが使ってきたメトリックは、「チケットが発行されてから技術者が対応を開始するまでの時間」や「技術者が問題に取り組んだ時間」といったものだった。そしてこれらの数値を見るかぎりにおいては、シエラの仕事ぶりには文句のつけようがなかったという。

 しかし現実には、ビノド氏は、処理が完了していないチケットが毎日じわじわと増えていくのを目の当たりにしていた。チケットが増えるということは、問題が最初の対応、あるいは2回目の対応でも、解決されていないということを意味している。つまり、シエラ・アトランティックのメトリックは、現実をきちんと反映していなかったのである。

 「シエラ・アトランティックのチームは、自分たちがいい仕事をしていると思い込んでいた。実際、彼らが提出していたリポートを見ると、彼らが非の打ち所がない仕事をしているように思えた。だが、実際には、それを証明しているメトリックは何の意味も持っていないということが分かった。彼らのメトリックは、『チケットの処理を完了し、ユーザーを満足させる』という最終的な目標を達成するうえでは、まったく役に立っていなかったのだ」(ビノド氏)

 こうしたギャップが生じた原因の1つには、シエラ・アトランティックのオフショア・サポート・チームが、自分たちが用意した解決策で実際に問題が解決されたかどうかを知るすべがなかったということがあった(その背景には、彼らが働いている時間帯は、インドでは昼だが米国では夜であり、問題を提起したユーザーと直接連絡を取ることができないという事情があった)。また、シエラが採用していたパフォーマンス・メトリックも、サポート・スタッフが自分たちの作業の最終的な成果を追跡し、確認しようとする意欲に結びつくようなものではなかった。

 そこでビノド氏は、オフショア・サポート・チーム全員を、かなりのコストをかけて米国に呼び寄せた。それはもちろん、彼らとA社との連帯感を深め、オフショア・サポート・チームのユーザーに対する責任感を高めるためであった。その結果、「インドに帰った彼らは目覚ましい働きを見せ」(ビノド氏)、処理が完了していないトラブル・チケットは、目に見えて減少していった。そして今、A社では「我々にとって最も重要な、『すべてのチケットの処理を2日で完了する』というメトリックだけが適用されている」(同氏)のである。

 一方、TRWのドルイン氏によれば、同氏のオフショア管理チームも、ベンダーの業務状況を効果的に定量評価する方法を見いだすのに苦労したが、ここにきて、リソース、プロジェクト、ネットワーク可用性を追跡するメトリックを多数導入することができたという。そして、今では毎月、それらの実績値がサティヤムのオフショア・プロジェクト・マネジャーとTRWのプロジェクト責任者に報告されている。さらに、最近は、製造業の品質管理手法にヒントを得た新しいメトリックの創出に、サティヤムと共同で取り組んでいるという。ドルイン氏によると、このメトリックは、製造業で使われる「初期歩留まり」というメトリックをIT分野に応用したもので、さまざまな作業段階で、「ベンダーから納品された成果物が最初から適切なものだったかどうか」を数値で評価することができるという。

高まる「離職率」

 最近、ドルイン氏は、委託業務を担当するスタッフの入れ替わりに関するメトリックにも注目しているという。もちろんベンダー側も、社員の退社に関しては、数値に基づく分析・管理などを行って気を配っている。だが、アウトソースする側の企業にとっては、ベンダーの社員すべてが問題なわけではない。いなくなると困るのは、あくまでも自社の委託業務を担当するチームのメンバーだけだ。つまり、ドルイン氏にとっては、サティヤムでTRWの担当になっているスタッフがチームを離れることがいちばんの痛手なのである。たとえその社員がサティヤムに勤め続けていようと、同氏の痛手が消えたり軽減されたりすることはない。

 オフショア・アウトソーシングを3年以上続けてきたCIOであればみな同じであろうが、このところドルイン氏はこれまでにも増してオフショアリングを巡る人材問題に頭を悩ませている。というのも、すでにさまざまなメディアで報道されているように、インドでは離職率が高く、最近は年間離職率が25~30%にも達するような企業も珍しくないからだ。しかも、なかには、「特定のプロジェクト・チームのメンバーが、いきなり全員退職してしまうというようなケースもある」(ドルイン氏)という。もちろん、そうなれば、プロジェクトが暗礁に乗り上げてしまうなど、被害は甚大だ。

 実際、TRWでも、最大規模のオフショア・プロジェクト──TRWのエンジニアリング業務をサポートするPDM(Product Data Management)システムの開発──に携わっていたプロジェクト・チームのメンバーが突然一斉に辞めてしまうという事態が生じたため、そのプロジェクトが年に2度も中断に追い込まれたことがある。ちなみに、彼らは「通りを挟んでサティアムの向かい側にオフィスを構える別のベンダーに転職してしまった」(ドルイン氏)という。

 彼らが担当していたのは特殊な分野のプロジェクトだっただけに、その痛手は大きかった。「SAPプロジェクトであれば、サティヤムにも人材が豊富にそろっているが、PDMのような特殊な分野に関しては、さすがにリソースが限られている。そのため彼らは外部から人材を調達しようとしたが、なかなか見つからなかったようだ」とドルイン氏。その結果、プロジェクトの進捗は大幅に遅れ、TRWのエンジニアリング担当副社長は不満をあらわにした。

 「プロジェクトはずるずると長引き、それに伴って、我々に対するビジネス・サイドの信頼も損なわれていった。いちばん痛かったのは、彼らが我々のプロジェクト遂行能力を疑問視するようになってしまったことだ」(ドルイン氏)

 ドルイン氏によると、それでもサティヤムは、社員が退職した場合に備えて、対策を準備しているほうだという。「彼らは、例えば5人のチームによるプロジェクトの場合、必ず予備のメンバーを1人用意するようにしている。だれかが辞めたときには、そのメンバーがすぐに即戦力として後を引き継ぐわけだ」(同氏)

 しかしながら、上のようにチーム全員が退社するというケースもあるわけだから、いずれにしろ、ベンダーにおける社員の退社は、オフショアリングのリスク要因として織り込んでおく必要がある。

 実際、ベントロ(ハッチ氏)の調査によると、オフショア・アウトソーシング契約の2~3年目に、ベンダーの担当チームで退職者が増加する傾向があることが判明している。それに、マインドブリッジのテスタ氏が指摘するように、プロジェクト・チームから退職者が出た場合、オフショア・ベンダーは退職したメンバーよりもスキルや経験の乏しいスタッフを補充する一方で、コストはまったく変えないという理不尽な対応を取ることも多い。

 また、金融サービス会社のリーマン・ブラザーズでは、同社固有の知識が必要な業務についてはインドへのアウトソーシングを控えているが、これも、インドのベンダーの離職率が高いことを考えたうえでの判断だ。同社のCIO、ジョナサン・ベイマン氏は、「自社のビジネスに精通したIT担当者を確保することは、我々にとって非常に重要なことだ。だが、オフショア・ベンダーが我々が委託した業務を担当させるスタッフは、ずっとそのベンダーに勤め続けるわけではない。担当スタッフの顔ぶれが2~3年後には一変してしまうことは目に見えているのだ。一方、我々は、自社の業務システムを何十年も手がけている優秀な社内スタッフを抱えている。となれば、基幹業務システムの開発にどちらのスタッフを使うべきかは自明の理だ」と指摘する。

 一部の会社のCIOが、最終的にオフショア・センターを自社の子会社として設立し、スタッフを自前で抱える“直営モデル”を選択したがる大きな理由もまさにそこにある。なお、ベイマン氏は、直営のオフショア・センターで高度な業務をカバーし、オフショア・ベンダーにはQA(品質保証)テストやインフラ・サポートのような業務を委託するという「ハイブリッド・モデル」を採用している(ちなみに、リーマン・ブラザーズはタタ・コンサルタンシー・サービシズおよびウィプロと業務委託契約を結んでおり、その契約総額は7,000万ドルにも上る)。

ばらつく「サービス品質」

 結局のところ、オフショア・アウトソーシングを長期的に成功させるためには、継続的な見直しと改革とが欠かせない。そして、繰り返し述べているように、このハードな仕事は、決して最初の2~3年で終わるようなものではない。本稿に登場いただいた企業のキーマンたちは、オフショア・アウトソーシングの、この遠く長い道程をつつがなく歩んでいくためには、CIOには次のような心構えが必要になると指摘する。

 まず、ベントロのハッチ氏は、「オフショアリングを始めるにあたっては、長期的なコストも考慮に入れて、総合的に判断する必要がある。初期コストだけでなく、3年おきくらいに必要になる仕切り直しのための費用など、アウトソーシング運営を活性化するのに要するコストも計算に入れて検討するようにしなければならない」とのアドバイスを送る。

 また、TRWのドルイン氏は、ベンダーのスタッフが多数退職した際に発生する長期コストを、メトリックに含めて追跡することを勧める。「綿密に現状チェックを行う必要があるのは、立ち上げフェーズだけではない。アウトソーシングを行っている間は、常にそうした目配りが必要になる」と同氏。

 一方、リーマン・ブラザーズのベイマン氏は、ヘルプデスク業務をインドにアウトソーシングしてから9カ月後に社内に戻した自身の経験を踏まえて、「オフショアリングが我々にとって有効に機能するのは、我々が多大な時間と注意を注いでいるときだけだ。管理が不十分な場合には、決して有効に機能することはない」と警告する。

 さらに、デロイト・アンド・トウシュのジェントル氏は、「オフショアリングのコスト削減効果やサービス品質には大きなばらつきがある」と注意を促す。同氏が調査したところによれば、ある企業がオフショアリングで提供を受けた業務サービスは、国内で受けるサービスより15%も品質が高かったが、一方で国内とほぼ同じ品質のサービスが提供された例もあった。驚くべきことに、なかにはオフショアリングで提供されるサービスの質が、国内の品質を下回る例もあったという。もちろん、そんなことでは「そもそもオフショアリングをする価値がない」(同氏)ことになる。

 マインドブリッジのテスタ氏は、まさにそうした状況に陥った経験を持つ。始めた当初は、オフショア・アウトソーシングはかなり有効だったが、時を経るに従って次第に有効性を失い、あげくには未熟なオフショア・スタッフが作成したバグだらけのソフトウェアが納入されるようになった。それでコスト削減効果が実質的になくなったと判断したテスタ氏は、オフショア・アウトソーシングを打ち切ることを決断した。そしてその代わりに、社内スタッフを増員するとともに、一部業務を国内のベンダーにアウトソーシングすることにしたのである。「再びオフショアリングを行う計画は、今のところない」と言うテスタ氏は、「オフショアリングは、管理に時間を取られ、自社のスタッフを疲弊させるうえ、場合によっては非常にイライラさせられることもある。オフショアリングを始めるにあたっては、そうしたことを覚悟しておく必要がある」と忠告する。

 いずれにしろ、オフショア・アウトソーシングを実施しようとするCIOに必要な心構えははっきりしている。それは、「長期的な戦略に基づいて取り組むべし」ということだ

Wednesday, April 18, 2007

債権大国日本がたどるべき七つの道

日本は債権大国である。そんな日本の行方を予測をするとどうなるか。七つの予測をしてみたい。

 予測その1。日本人は、海外投資を差し控える。金も貸さなくなる。例えば中国に対して去年から劇的に減った。現在でも既に「もうやめておこう」と差し控えるようになっている。

 予測その2。日本は預貯金が余るから、「貯金しないで使ってしまえ」となる。これも既にこの5、6年、そうなっている。昔と違って、日本人は劇的に貯金しなくなった。

 その理由は、経済的な面から見れば、金利が安いからとか、生活が苦しいからとか、一家の大黒柱である父親が会社をクビになったからとか、いろいろ挙げられる。それらは確かにその通りなのだが、それより前に、今は貯金してもそれほどいいことがないからだ。

 貯金したお金を投資信託などに預けると、「パーになりました」と言われてしまう。そして「自己責任です」と言われてしまうのだ。それなら貯金や投資をしないで使ってしまおうということになる。

日本の若者は「働くこと」から卒業した


 予測その3。そもそも働くのが余計だと、日本人は思うようになる。貯金せずに使おうと思っても欲しい物がそれほどないから、そもそも働くのをやめてしまう。

 これは経済学的にはものすごく正しい。使うあてがないのに働くのはおかしい。そんな人はノイローゼのようなものだ。昔の日本人は、そのようなノイローゼで突き動かされてきた。「働け、貯金しろ、そうすれば何かいいことがある」と言われて育ったが、たいしていいことはなかった。

 そういう社会観念から、日本の若者は卒業した。これは偉い。わたしたち昔の世代は、日本の若者は怠け者になったと思っているかもしれない。だが、世界の歴史を見れば、世界で一番金持ちになって外国に金を貸すようになった国は、働かなくなるのが当たり前なのだ。

 「もっと働いてまた貸そう」なんて、馬鹿げた話だ。貸せば貸すほど、やっかいごとが増える。また借りたい人が「わたしにも貸してくれ」とやって来て、だいたい返してくれないのだ。

 昔、日本は格差社会だった。金持ちと貧乏人とが、かなりはっきり分かれていた。金持ちはたいてい地主で、そういう家には家訓があった。親類や友達など周りの人が金を借りにきたらあげてしまいなさい、というものだ。

 誰かが「100円貸してほしい」と言ってきたら、10円あげてしまいなさい。もし100円貸してしまったら、なかなか返してもらえずにケンカになってしまう。それなら10円あげて「二度と来るな」と言う方がよっぽどいい。今の若者はそうしたことが分かっているのではないか。

信用できない国を発表せよ


 予測その4。日本は交際する相手国を限定して、全方位外交はやめるだろう。日本と心が通じる国とだけ貿易をする。もしくは、貿易はいいけれど、日本と体質が違う、心が違う国には投資しない。相手国を選ぶようになる。

 そんなことは、銀行なら当然やる。あんな国はダメだと言う。銀行は民間だからそれができるが、国家だってやればいい。今はやってはいるのだけれど、口に出せないでいる。

 「おまえの国は金を返しそうもない、日本から見ると信用できない」という国を発表すればいい。外務省は怖いからやらないし、経済産業省はこっそりとやっている。

 だが米国はやった。米国は「世界には泥棒国が五つある」とか、「ならず者国家が五つある」とか、ちゃんと言う。その方が分かりやすくていい。それを日本は「みんないい国です」と言っておいてから「投資はダメ」と言うから、変に思われてしまう。だから全方位外交はやめて、交際相手国をちゃんと限定すればいい。

日本は武力を持ち海外派兵するようになる


 予測その5。国連強化が日本の生きる道だと決めて、必死でやる。米国が逃げたら、あとは全部日本が引き受ける。つまり、国際社会というものをつくる。日本国内にはそういう麗しい社会があるのだから、それを世界に広げるのが理想だ。かつて社会党の人が言ったようなことだが、それを本気でやることだ。

 今、日本は「常任理事国になりたい」と言っている。常任理事国になるということは、責任も被るということだ。今、日本の外務省は「常任理事国はもっと金を出せ」と主張しているのだから。

 もし日本の常任理事国入りが実現したら、日本は国連にたくさん金を出すことになる。つまり、国連をどんどん乗っ取るということだ。今は無意識にそうしたことをやっているが、やがて意識的にやるようになるだろう。

 予測その6。日本は自分で武力を持つ。そして世界を取り仕切る。海外派兵もする。そのとき、一番安上がりで効果的な方法は、原子爆弾を持つことだ。

 予測その7。今まで国際関係や国際金融は美辞麗句で飾られていたが、もうそんな美辞麗句にはだまされない日本人になる。日本国全体として、復興援助、人道支援、国際貢献、開発援助、友好親善のシンボル的事業などは、近ごろはもうあまり通用しなくなってきた。

フレキシビリティが日本人のよさ


 「予測」などと書いたが、実はどれも、現在、進んでいることである。日本は海外投資や海外融資を控えるようになった。貯金するのもやめた。日本の貯蓄率は下がりに下がって、もう世界の中では低い方になっている。

 それから働くのもやめた。労働時間の統計があるが、日本は今、ものすごく休みが増えてしまっている。世界で一番働かない国は日本だといっても過言ではない。

 だから地下鉄が倒産しそうな事態も生まれてくる。地下鉄を新たにつくっても通勤客が全然増えない。黒字になる見込みがまったくないそうだ。そういうふうに、日本人はもう働かないで、国連強化に取り組んで、取り立てはみんなでやろうと努力中なのだ。

 そして、日本は強大な武力をもって海外派兵をする。防衛庁が防衛省になったのだから、これはもうやりかけているとも言える。そんなことが本当に実現するかなと思ったら、あっという間に出来てしまった。不思議な国だ。

 防衛省が出来ても、誰も怒っていない。今まで騒いでいた人たちは、いったいどこへ行ったのだろう。みんな賢いから、信念を貫く人なんていないのだ。

 それは非常にいいことだと思う。日本人はそういうふうにパッパッと変わるフレキシビリティがある。つまり、日本では建て前を守り通すなんていうのは、あまり美しいことではないのだ。そんなことをしても、あまり人はついてこない。

「最後の審判」が欧米の個人主義の根本


 原理・原則を立てて生きるというのは、ヨーロッパの考え方である。キリスト教の考え方が源流にある。「最後の審判」があって、神様がすべてを決めてくれる。今はそれを信じていない人の方が多いと思うが、そういう考え方から発する感覚や常識は今でも生きている。

 最後の審判があるときには、魂が出頭しなければならない。だから霊魂というのは不滅であって、同一でなければいけない。神様からいい判決をもらって天国へ行こうと思う人は、「あの人とわたしは違います」と、区別をつけて暮らさなければいけない。だから個人主義・個人責任になる。

 ところが日本人は「みんなでやりました、わたしはどちらでもよかったです」と言う。そういう生活をしていると、今のようないい国になる。だからわたしはこれでいいと思う。

 ヨーロッパや米国の経済学などは、個人主義で出来ている。一人ひとりが契約して社会をつくった。「個人」は神様につくられて、自由で、独立していて、基本的人権をもっている。それが契約して社会をつくった。

日本人は神よりも人間尊重


 日本人はそうは考えていなかったはずだ。日本の神話では、神様が下りてきたときは、もう地上に人間が先にいた。だから一番人間尊重的なのは日本である。

 その方がいいと思うのだが、ヨーロッパや米国の理屈では、やはり人間はよくないとされる。放っておくと、すぐ悪魔の誘惑に負けるというわけだ。これはキリスト教的な考えである。

 日本人は、人間はもともとは素晴らしいと考える。それが神道の考えである。悪いことをしても、禊(みそぎ)をして洗えば、もとの生地が出てくる。生地は悪くないと考える。

 日本と欧米ではそういう考え方の違いがあるから、そこまで考えて国際関係も考えたほうがいい。そして日本が考えているような麗しい国際親善は、口で言っているだけでは成り立たない。援助を配っているだけでも、どうやらダメだ。

 だから、これからはやはり原子爆弾を持つべきだ。それから必要なら海外派兵もするという「軍事力」を見せるべきだ。そして、ホームステイなどで留学生を交換して、たくさん交流する。両方やらないとダメなのではないか。

 そういうことを分からずに、ただ金を貸しているのが、債権大国日本のアキレス腱だ。日本のアキレス腱は、まず軍事力を持っていないということと、世界の人はたちが悪いということを知らないことである。

お金の面から見ると分かりやすい国際関係

海外債権を持つと立場が弱くなる 次に、周辺にも味方がいなくなる。外交にとっては大変な損だ。そして、そのとき頼れるのは自分の武力だけである。だから国際化する国は必ず軍事大国になる。

 なぜかというと、国際化して金を貸すということは、それだけ金がもうかったからであり、技術力や生産力など、いろいろなものがその国にある。それらの力を少しだけ取り立てのほうに回すのだから、その国は軍事大国になる。金も技術もやる気もある大国だから、わりと簡単に軍事大国になる。

 その昔であれば、金が余ると海軍を強化した。英国の海軍が世界中の七つの海を回っていたが、それは債権の取り立て部隊だった。米国海軍が世界中を回るのも同じ。1隻で何兆円もかかるけれど、「減らせ」ということにはなかなかならない。

 クリントン大統領のときにだいぶ減らしたが、やはり十何隻もの航空母艦がいまもあちこちに配備されている。それは取り立て部隊であり、言ってみれば根本はサラ金の取り立てと同じことだ。つまり、何兆円も金をかけても、ちゃんと見合うのだ。

 国際化して金を貸す国は軍時大国化する。これは法則だと思う。軍事大国化への階段を上りたくない人は、横へ外れなければならない。その場合には、国際警察や国際裁判所を強くするというほうへ向かうことになる。つまり、国際社会を共同体として強いものに仕上げる。そうすると、単独で対処しなくて済む。それが国連である。

 北朝鮮の問題で迷惑を被っているのは日本なのだが、単独で対応しないで国連決議を採ってから対応すると、格好がつく。そうすると仲間も増える。そういう道を日本は選ぶ。だから「日本はやたら国連が好きだね」と、かつて英国元首相のサッチャーに笑われた。「国連なんて、なんの頼りになるんだね」とサッチャーは笑っていた。

債務大国になった米国は国連がじゃま


 債権国は、国連を好きになるか、軍事大国になるしかない。日本は軍事大国になりたくないから、国連を好きにならざるを得ない。

 では、国連をもっとちゃんと強くする方法を真面目に考えなくてはいけない。日本では誰もそのことを真面目に考えずに、米国と仲良く一緒にやればいいと思っている。だが、米国は今、国連を好きなのか。50年前は好きだったが、今は好きではない。

 50年前、米国は世界一の債権大国だった。自分で取り立てて歩くのは疲れるから、国連を使ってみんなで圧力をかけようとしていた。だが今は、米国は世界一の債務大国だから、国連はいらない。国連はじゃまで嫌いなのだ。国連から何とかして逃げようと米国は思っている。だから「米国と一緒になって国連で働こう」なんて、そんな話は通用しない。

 国連大使を勤め上げてきた人は、建前は「国連を盛り立てて、日本と米国で世界をうまくやっていこう。そのためにわたしは働いてきた」という。だけど、力およばないところがあった。だから常任理事国になりたいのである。

 どうやってなるかといったら「援助金をたくさん配れば大丈夫」だという。そんなことではダメだ。「あんた、自分で金を配るのが楽しいだけでしょう」とわたしは言いたい。

 今、米国は国連離れを始めている。原因は正義でも人道でもない。自由でもない。民主主義でもない。金だ。

 米国は金を借りている国になった。だから国連から離れたい。そういうふうに、お金の面から見ると、国際関係論というのは実にシンプルである。

お金だけで割り切りたくない日本人


 お金の面から見ると、なぜ単純で分かりやすいのか。お金には思想がないからだ。道徳もない。思想も道徳も、縁もゆかりも人情も、何もないのがお金だ。

 お金で国際関係を論じると、前述のように分かりやすい。だが、「金のことだけを考えればいいじゃないか」となると、ホリエモンなどのようになる。

 日本人は心が優しくて美しいから、自分だけはそうなりたくはないと思っている。そうなっていないような顔をする。そして、米国だってそうだろうと言い出す。

 「わたしはホームステイで米国に行ったけれども、みんな心優しくていい人だった」と言い出すのだ。それは米国でも田舎の人のことだ。

 米国には二つある。ワシントンやニューヨークにいる人と、田舎に住む人は違う。米国人も「そうだ」という。「都会の人間は米国人の恥さらしである。本当の米国はわたしのような田舎者である」というわけだ。

 日本の外務省にもときどき話の分かる人がいて、そういう人は米国の田舎を回って歩く。米国の田舎を味方につけなければダメだ。いくらワシントンとニューヨークでいいことを言っていてもダメだ。これは戦前から、みんなそう言っているのだが、実行するのが面倒くさい。それでもときどき実行する人がいる。

日米自動車摩擦で自主規制を受け入れた国賊


 かつて「戦後最高の駐米大使」といわれた牛場信彦さん(故人)という人がいた。その牛場は、こういう話をしたことがある。

 日米自動車摩擦のとき、米国の国会議員が牛場大使のところへ来て、「日本の自動車輸出は、日本のメーカーの方で自主規制してくれ」と言った。そこで旧通産省は勝手に230万台の輸出制限をつくった。

 旧通産省がなぜ喜び勇んで自主規制をしたかというと、「230万台」と勝手に米国に言っておいて、「トヨタは○○台、ホンダは○○台」と自分が割り振って威張りたいからだ。

 そんなことをするのは国賊だ。最悪、自主規制をするにしても、何らかの対価を取ってやるべきだ。米国は「自由貿易が大事だ」と言っている国であり、その看板を下ろしたくないから「日本の方で都合をつけてくれ。通産省の力で輸出を抑えてくれ」という、まったく理屈の通らないことを言ってきたのだ。

 旧通産省がなぜ米国の論理を採用したかというと、「おかげでメーカーに役員を出せたから」と言っていた。米国の威光を借りて、輸出割当制度をつくった。するとメーカーはたくさん輸出をしたいから、天下りの役員を引き受けた。それで喜ぶのは国賊としか思えない。

「自由貿易を捨てるのか」と米国に迫った牛場大使


 実は、米国のデトロイトの国会議員が牛場大使のところにやって来て「自主規制をしてくれ」と言ったとき、牛場大使は「米国は自由という看板を捨てるのか」とやり返したという。

 「いや、捨てないから、日本の方でやってくれ」と言われ、「米国はそんな汚いことを言う国になったのか。米国がそんな汚い国になったのをわたしは見たくない。日本は自由貿易に従い、安くて良い自動車を輸出しているのだから。デトロイトの会社も、そこの社員も、心を入れ換えて、日本のように働けば済むことだ。ちゃんとお互いに競争しようじゃないか。あなたたちはデトロイトでそのことを伝えなさい」と牛場大使は言ったそうだ。

 相手の国会議員は「デトロイトでそんなことを言ったら、石をぶつけられて殺される」というので、牛場大使は「では、わたしが行く。わたしがデトロイトの町へ行って、みんなに働けと伝える。働きますと言うのなら、やり方も教えてあげよう」と言った。

 「そんなことをしゃべったら、あなたも石をぶつけられるぞ」と国会議員が言うと、「構わない。わたしは日本の大使だ。それは日本国から月給をもらっているわたしの仕事だ。明日にでもデトロイトへ行くぞ」と牛場大使は答えた。

 すると相手の国会議員はしばらく考えて、「分かった、わたしが伝えよう。これは米国の問題だから、わたしがデトロイトへ行って、そう言う。あなたは来なくていい」といった。

 それからしばらくして、相手の国会議員からこんな連絡があったという。「わたしが石をぶつけられて、殺されて死んだら、覚えておいてくれ。米国にも1人ぐらいは男がいたと」。

 そんなことがあって、結局、日本の自動車メーカーは米国に工場を作って、米国人をよく働くように感化した。

 このように、日本にも米国にも骨のあるいい男たちがいたわけだが、マクロな国際関係をお金の面から考えると、お金には道徳も感情も何も付いていないから、話が分かりやすい。

 ただし、政治には打算や人情など、いろいろなものがいっぱい付いていて、それらが付いたままでまともに議論しているから、分からなくなる。だから日本人が考える国際関係論やグローバルスタンダードなどは、みんなウエットで、正体不明なものになってしまうのだ。




世界一の債権国、日本に味方はいない

日本は現在、世界一の債権大国である。GNP(国民総生産)が500兆円だが、それと同じ500兆円ほどを世界中に貸している。

 GNPと同じ規模の債権ということは、それを債務国が返してくれたら、日本人は丸1年間、働かなくてもいいということだ。もし10%ずつの利息をくれたら、年間50兆円も入ってくる。そうなれば、日本国民は税金をいっさい納めなくてもよくなる。

 このように、日本は気前よく貸したり投資して、世界一の債権国になっているが、それなのにあらゆる議論でその自覚がなく、日本は貧乏だとか、輸出をして金を稼がなければ生きていけないとか、相変わらずそうした話ばかりが聞こえてくる。

 それから、世界各国に金を貸したり投資したり援助したりしているから、みんな感謝しているはずだと日本人は思っているが、これは大間違いで、本当はみんな日本の敵なのだ。金を貸すと嫌われる。そんなことは当たり前であり、どうして日本人は忘れているのだろう。

 多くの日本人は、他人に金を貸すときの気持ちがあまり分かっていない。日本人には「何とかお金を借りて、それを真面目に返しました。わたしは立派な人間です」という感覚の人がとても多い。だから、金を貸せば感謝されるだろうと思っているが、外国でそんな感覚を持っている国はない。そのことを日本人は知らなすぎる。

 政策研究をしたり、日本国家の将来を考えたりする会合はいろいろなところで開かれている。それらは「根本が抜けているな」とわたしはいつも感じる。つまり「金を貸す国はどうあるべきか」という議論がまったくない。貸したら真面目に返してくれる国を想定して議論を進めるのは、根本的に間違っている。

債権取り立てで頼りにならない日本政府


 世界一の債権国として、日本は外国に対してどういう態度をとればよいのか。それを考えるには、いくつもの段階を踏んで論理を積み上げていかなければならない。

 まず最初の段階は、世界の常識と日本の常識が、まるで違っていることを認識することである。国際金融において、「借りた金はなるべく返さない」のが世界の常識で、「死んでも返そう」が日本の常識だ。外国は返さないのが当たり前だと思っている。

 さらに、なるべく返さないだけではなく、国際金融では、外国は踏み倒そうとする。理由は、国際社会には警察も裁判所もないからで、国際金融にはそういう危険があることを、日本は認識する必要がある。

 それから、日本政府は外国政府に対して交渉をしない。特に民間債権の取り立てに関しては逃げてしまう。「民間のことは民間でやってください」と、大使館や領事館が逃げてしまう。

 そんな政府は世界では珍しい。外国の政府は民間の債権だろうと、一生懸命取り立てに励んでくれる。しかし日本政府は民間債権をかばってくれない。だから民間企業は政府を頼りにしてはいけない。

債務国には軍隊を出すのが国際常識


 第二に、債務を踏み倒す国に対しては軍隊を出すのが国際常識である。国家対国家はそれぞれ主権を持っているから、軍事力に対してだけは言うことを聞く。本当に軍隊を出すか出さないかは別として、まずそれが常識である。

 それでも債務国が債務を果たさなければ、軍隊が駐留することになる。「返すまでずっとそこいるぞ」と。実際、世界中でそうしたことが行われている。

 ずっと金を借りている国では、やがてどこかの国の軍隊が軍事基地を持つことになる。日本も昔は米国から金を借りていたから、その名残で今も軍事基地がある。

 本来なら、今は米国に金を貸しているのだから、「帰れ」と言えばいい。そして「ちゃんと返済するかどうか心配だ」といって、逆に日本が米国に軍隊を駐留させていいのだ。

 そんなことは国際関係論のイロハの「イ」である。だが日本でそれを言っても、だれも賛同しない。ワシントンで言えば、「それはそうだ」と賛同してもらえる。

 かつて日米貿易摩擦のころに、ワシントンで米国人にこんな話があった。「米国は日本に国債を売りつけている。とめどもなく日本から借金をしている。やがて米国がその金を返さなくなったら、日本は取り立てるために、ホワイトハウスの横に日本の「債権取立回収機構」というビルを建てるだろう。そのビルの名前は“イエローハウス”になるだろう」と。

 そんな話を聞いても、米国人は怒らなかった。ユーモアも通じたのだろうが、「理屈で言えばそうだ」と言って、笑っていた。

 その“イエローハウス”が建ったとき、日本の軍隊が米国に駐留すると言うと、これは無用な制裁になるが、しかし、相手が米国ではなくもっと小さい国であれば、そういうことになるだろう。

債務国から「保障占領」という担保を取る


 金を借りている国が「軍隊の駐留を認めない」と言えば、日本は自然に、もう金を貸さなくなる。返してくれるかどうか心配だから、当たり前のことだ。

 すると相手国は困って、結局、「どうぞ駐留してください」となる。だから国際金融をやっていると、必ず軍事交流になってしまう。債務国は軍事基地を提供し、債権国は軍隊を海外派遣するようになる。これは当たり前のことで、世界では珍しくもなんともない。

 もしそれを避けようとするならば、「保障占領」という前例がある。つまり担保を取る。例えば、第一次世界大戦が終わったとき、ドイツはフランスに対して弁償金を払う約束をした。しかし、ちゃんと払うかどうか分からない。そこでフランスは、ルール地方の工業地帯に軍隊を入れて占領した。

 これは侵略でも占領でもない。担保に取っただけ。ドイツがちゃんと払えば、いずれ軍隊は引き上げると、フランスは約束した。これが保障占領という制度である。

 だから米国がもっと金を貸せと言うのなら、日本は米国のどこかを保障占領しなければいけない。これは全然おかしくも何ともない。

 日本の会社は世界各国で、担保も取らずに数千億円も投資して石油を掘ったり、プラントを造ったりして、没収された。日本人は大変お人よしだという例だが、そういう前例は枚挙にいとまがない。

戦争になったら周辺国は債務国に味方する


 次に、債権国と債務国の仲が悪くなって戦争になったとき、周辺の関係国や利害関係国はどちらの味方をするのだろう。これについても日本と外国では、常識がまったく違う。

 日本では、関係国は当然、債権国である日本に味方をしてくれると思っている。しかし現実はまったく逆である。

 今、日本が中国に「貸した金を返せ」と言い、中国は返さないと言って、戦争が始まったとしたら、周辺国はどちらに味方するだろう。日本が正しいのだから周辺国は日本に味方をしてくれると、日本人は思っている。だがその逆だと思う。周辺国はみんな中国の側について、日本に宣戦布告すると思う。日本から金を借りている国は、全部中国について、日本に宣戦布告する。

 それはなぜか。どうやら中国が勝ちそうだからだ。もしも中国が勝つなら、中国に味方しておけば、自分たちの日本からの借金をチャラにしてもらえる。それだけでなく、日本の財産をみんなでもらって山分けしてしまおうというわけだ。

債権国である日本は世界一立場が弱い


 前例はたくさんある。例えば、第一次世界大戦のときに、ドイツと英国・フランスが戦争をした。そのときに米国は英国・フランスの方に付いた。その理由の一つは、米国が英国とフランスにたくさん金を貸していたからだ。

 米国はドイツには金を貸していなかった。だから米国中の財閥や銀行、資本家は、英国とフランスに勝ってほしかった。ドイツが勝ったら、自分が英国やフランスに貸していた金がパーになる恐れがある。それは困るから、財閥や銀行、資本家は当時の大統領に英国・フランスの側に付けと、強力な圧力をかけた。

 つまり、みんな自分が投資した国がかわいい。そう動くのがお金の世界の論理だ。だから周辺国はまず武力が強くて勝ちそうな側に付く。それから、自分が金を貸している方に付く。金を借りた国には付かない。正義なんかは後回しである。

 日本は今、世界中に一番たくさん貸している国である。それは、世界で一番立場が弱い国ということだ。世界中から「日本が負けて借金がパーになってほしい」と思われている。

 中国の側について日本に宣戦布告して、中国が勝ったら自分たちも戦勝国だと乗り込んで来て日本から財産をぶんどる。それが国際常識である。これからの日本について考えるなら、現在のそうした状況を大前提としなければいけない。

思想戦で海外に負けない教育と教科書を

現代の教育と昔の教育を比べる上で、手がかりになるのが教科書だ。そこで大正時代の教科書をめくってみると、これがものすごくレベルが高い。

 大正時代の教科書には軍国主義はない。その教科書で育った日本の男女が、日中戦争や太平洋戦争の時にちょうど30歳前後だった。彼らは実に冷静沈着に戦争をして、戦争と戦争社会をしっかりと支えた。

 一般市民の多くは、「我々は天皇のため、国家のため、故郷のため、家族のために、全力投球をするぞ」と真面目に考えていた。それなのに、体制側の人間たちがいいかげんな命令を下した。だから必然的に、戦後になって「上をつぶせ」という社会主義がはびこった。

 社会主義によって国家はすっかり自信を失って、何もしなくなった。それでも戦後、日本はここまで経済力を築き上げた。これは昔の教育のおかげである。

 大正時代の教科書の内容は、非常にバラエティがある。そして非常にバランスがよい。小学校1年生の教科書は「ハナ、ハト、マメ」から始まり、具体的に物の名前を教えている。

 研究の第一歩は事物の認識である。観察して認識して名前を付けることがサイエンスの第一歩である。そんなデカルトの指摘を待つまでもなく、またアメリカ心理学の分析を知らなくても、日本の昔の教科書はそのように作られていた。

 それからだんだんと転じて、小学校低学年には、日本の風景の美しさや、人情の美しさを教えていく。子どもの感性を育てるような内容である。

芸術の感動をベートーベンで教えた


 6年生になると、非常にレベルが高い。全部で27課ある。第1課は「明治天皇御製」で、和歌で天皇の人柄を見せている。

 第2課「出雲大社」では神話を教え、第3課はいきなり「チャールズ・ダーウィン」となって、進化論に触れている。そして「新聞」や「商業」などの課程が続く。

 第8課は「ヨーロッパの旅」で、外国に目を向ける。第9課は「月光の曲」。ベートーベンが月光の曲を作ったときのエピソードが紹介されている。

 ベートーベンが友達と歩いていると、ピアノの音が聞こえた。「演奏会というものに行って聴いてみたいわね」という会話が聞こえてきたのでベートーベンは入っていって、そこにあったピアノで、「ぼくが弾いてあげましょう」と言った。

 でも楽譜がない。ではどうやって弾いていたのかと思って見ると、その女性は目の不自由な人で、聞き覚えで弾いていた。そこでベートーベンは、彼女が覚えられるように、いろいろな曲を弾いてあげた。

 そのとき、月の光が差してきたので、それをモチーフにして即興で弾いた。そして女性と別れて家に帰り、その曲を楽譜に書きとめたのが「月光の曲」だった、という物語である。

 これは、芸術の始まりは感動だということを教えている。周りの人に対する同情や思いやりやさまざまな感情が、ワッとわき上がってきて「月光」になった。そうして作られた曲を聴いて、世界の人が感動している。音楽は人間愛であり、それは突然わき上がってくるものだと、暗黙のうちに伝えている。

思想戦で負けないように国際化教育をした


 その先は、日本のことや外国のこと、道徳の説話などを織り交ぜながら教えている。日本のことの中で注目すべきは、第18課で法律を教えていることだ。

 外国のことは、第13課「国旗」で世界各国の旗の由来を教えている。さらに第14課で「リア王物語」。シェークスピアを通じて海外の文化を紹介している。第22課は「トーマス・エジソン」の発明物語。

 まず「ヨーロッパの旅」があり、各論としてドイツのベートーベンの「月光の曲」が出てきて、英国の「リア王物語」が出てきて、米国の「トーマス・エジソン」が出てくる。満遍なく出てくる。当時の教科書では、しっかりと国際化教育がなされていたことがうかがえる。

 そして最後の第27課は、「我が国民性の長所短所」である。国民性の長所短所の話題が大好きなのは、昔からのようだ。この第27課まで理解しないと、本当の小学校卒にはならなかった。

 これだけ国際化教育が充実している教科書を見ると、明治・大正の日本人が、海外の国々から思想戦を仕掛けられていることを知っていたのだと分かる。思想戦で海外に負けないために、そのワクチンとなるように、小学校のときから海外のことをしっかりと教えていた。

 まず日本の国粋主義をさりげなく教える。自分の国に誇りを持つように、日本のよいところや日本人の先達の偉業を教えた。そうして自信を持たせて、それから外国の偉人のことを教えた。ばい菌の力を少し弱めて注射して免疫を作るワクチンと同じように、外国のいいところも教えておく。

 子どものときのこうした教育が、対思想戦の準備となっていた。

知性のない米英の思想戦


 1940年前後の数年間、日本人は戦争をしたが、極めて冷静だった。英米人も人間だ。偉い人は偉い。くだらない人はくだらない。中国人もそうだ。当時の教科書を見てみると、この共通認識があったと考えられる。

 ところが米国はどうだったか。ガダルカナルやサイパン島や硫黄島へ向かって出陣する兵士たちに見せた映画が残っている。

 日本人は「リトル・イエロー・モンキー」だ。小さな黄色いサルだ。しかも心は野望に満ちていて、世界中を侵略しようと思っている。タコのように足を伸ばして、太平洋中に手を広げていく。そんな映画だ。そこには知性がない。

 英国も同じ。終戦からそれほど経たないころに、東南アジアを旅行すると。そのとき、例えばクアラルンプールで華僑の街の裏通りの古本屋に入ると、英国の漫画本が山ほど積んであった。

 ミャンマーの人に残虐なことをしている日本兵が出ていた。そこへ颯爽たる英国軍兵士が登場して、片っ端から日本兵を撃ち殺して、村の人を助けるという漫画だった。

 こうした漫画で、英国の兵隊は、「リトル・イエロー・モンキー」あるいは「ジャップ」と叫んでいる。そして村の娘が感謝するという漫画本をたくさん作って、ミャンマーやマレーシアで配った。

 マレーシアでは日本に占領されて、英国人は追い出されたから、威信を回復するためにそういう漫画本を大量に配ったのであり、こういうのは思想戦であり、工作である。

日本の漫画が思想戦への備えとなる


 今、安倍晋三首相が国家安全保障会議を作ると言っているが、日本の場合、そういう情報機関はたいてい「情報を探ってこい」で終わりだろう。

 日本人は、こちらから工作をすることは考えない。だが、それで対等に戦えるのだろうか。もしそれで負けるのなら、何かやらなければいけない。少なくとも彼らはかつて日本に対していろいろな工作をした。中国だけじゃなく、英国も米国もやった。

 実は、戦後の日本は、かつての英国と同じように漫画を使って、海外の工作を覆してきた。日本の漫画は今や世界中に発信されている。その漫画で、日本式のかわいい女の子や優しい男の子を世界中の子どもたちに見せている。それで育った子どもたちが、もう20~30歳になってきた。

 つまり、かつては「日本人はサルだ」といっていたような海外の人たちのマインドを、日本人は今、自らの手で覆している。日本にはそういう底力があった。

 これが思想戦への備えだ。これから新しく教科書を作るなら、そういうことを考えてほしい。国会討論で言われているような「役に立つ教科書」といったことの前に、教科書には「精神教育」が重要だ。

 精神教育というと、すぐに国粋主義だと非難されるが、せめてワクチンぐらい入れないと、これから育つ子どもたちが思想戦に太刀打ちできなくなってしまう。

「大目に見る」という日本の精神

権力を持っている人は、それをみんなに見せつけなければならない。スターリンは革命に成功すると、クレムリン宮殿に入った。そうすると、王朝が続いているように人々が思うからだ。  本当はロマノフ王朝の親戚まで全部集めてみんな殺してしまったのだが、その後の宮殿にスターリンが入っていると、国民が安心して、スターリン様と言ってくれる。そんな現象がある。  明治天皇も同じで、徳川を追い出して江戸城に入った。それより前は、天皇は石垣のある場所には住まなかった。京都とか、町の中に「神主の親分」として住んでいた。それが、明治維新以降は石垣のあるところに住むようになった。  石垣のある場所に住むのは武家だから、武士の親分の家に天皇が入るなんて本来は格下げだと思うが、国民は「徳川さんの後継ぎか」と思ったのだ。明治天皇は、国民がそう思ってくれると考えて、江戸城に入ったのだろう。  当時、廃藩置県をしたが、秩禄公債(士族の家禄廃止に伴う給付金のための公債)なんて紙切れだったから、いつ士族が謀反を起こすか分からない。でも、その心配はもうなかろうとなったころ、華族制度を作った。  一番偉いのは天皇で、次は皇族である。その下に華族がある。公爵、侯爵、伯爵、子爵、男爵を作って、そこへ元大名と小名、それから陸軍大将、海軍大将、あるいは東大総長とか、そういう人を華族にして、「おまえたちは一般国民より偉いんだぞ。天皇に忠義を尽くせ」とした。  華族制度で、徳川慶喜は一番上の公爵になった。革命勢力の中心だった島津家と毛利家も公爵である。島津と毛利だけでなく、徳川も公爵にしたあたりに日本精神がうかがえる。中国でも韓国でも、それは絶対にあり得ないことだ。  通常、政権が交代したら「前の政権は滅びた」ということを見せなければいけない。そうすれば新しい政権の正当性が発生する。それが中国や韓国の考え方だ。だから日本に対して、「A級戦犯を祭ってはいけない」と言うのだ。でも日本では、前の政権への非難は水に流してしまって、「もういいじゃないか」とか、「大目に見てやろう」とか言って許してしまうのだ。

日常使う日本語で裁判をした方がいい


 欧米の合理主義や、あるいはローマ法を基にした法治主義が近代の精神だが、彼らから見ると、日本人というのはまことに変で、「大目に見てやろう」とか「水に流そう」とか、彼らにとって得体の知れない日本語によって社会的に許されてしまう。

 実は裁判所もそうした精神で動いている面がある。日本の裁判の判決文を読むと、一生懸命に難しく書いてあるが、「この判事は大目に見てやろうと思って書いた」などが一目瞭然で分かる。

 難しい言葉は、後からくっつけているのだ。判事の本心は「ああ、気の毒だ。助けてやろう。何とか理屈を発明してこじつけてやろう」というもので、それが分かる文章となっていることがある。

 本来は日常的な日本語で裁判すれば簡単なのだ。「今回だけは見逃す」とか‥‥。これぞ「大岡裁き」だが、実際、なぜあんなに難しい文章を作るために苦労するのかと思う。いずれは日本風の大岡裁きになっていくのではないかと思う。

 日本的感情に後から難しい言葉をつけるのが裁判だから、司法試験がむちゃくちゃ難しくなる。ところが、この試験にやたらと人気が集まって、みんなが勉強して変ちくりんな文章を身につけている。

 昔は合格者が数百人程度だったのが、今や千数百人に増えている。それで、弁護士が余ってきたから、テレビタレントになる人もいる。

 そうなると「弁護士崩れ」の人が、これから日本中にあふれてくる。その先には、ああいう難しい文章を書くのはもうあほらしくなるだろう。

 例えば「あほらしい」という言葉は、きちんとみんなに通じているはずだ。通じているならそのまま使えばよいと思うが「あほらしい」を硬い言葉で書く努力をしている。現状の司法試験はそういうもので、そのうち振り子が戻ってきて、日常的、日本的な言葉を使った裁判のやり方になっていくだろう。

律儀にお祭りをした昭和天皇


 日本の場合、天皇の正統性は、先祖のお祭りを一生懸命にしてくださっているということにあることは以前話した。

 ちゃんとした人が一生懸命に天地神明にお祈りをしてくださっているということで、おかげで稲が実ったとか、台風が来なかったとか。そこでみんなが税金を払う。そこに正統性がある。だから昭和天皇は特別律儀に、ありとあらゆる先祖をお祭りした。それから、天地自然のお祭りをした。それはとても律儀になさったそうだ。

 今の天皇は、民主主義の火が最も燃えたときに少年だった。学習院の小学校に通っていた。学習院にいた友達から聞くと、たちの悪い学生が「マッカーサーが来たら、天皇とか皇太子はみんなまとめてギロチンになるんだ。今までは威張っていたけれども、そのうちそうなるぞ」と言ったらしい。

 学習院初等科の分室は武蔵小金井の小金井公園にあった。その小金井公園で、ご学友4人が皇太子をポカスカと殴ったことがあるといううわさがある。

 英国には「whipping boy」(身代わり)という制度がある。身分の高い人の学友は身代わりになって鞭で打たれる。悪いことをしたら罰するのだけれども、身分の高い人を鞭打つわけにいかないから、ご学友が身代わりになって打たれる。ご学友の少年たちにはそういう役割があった。そうすると、それを見て気の毒に思うから、身分の高い人は行いを慎むようになる。

 それがヨーロッパの制度にあって、日本にも入っていたのだろう。日本では制度ではないが、先生がご学友に対して「おまえがちゃんとやらないからこうなったんだ。ちゃんとやれ」と言って殴ったらしい。それを皇太子は知らないが、身代わりとして殴られた少年は「今まで殴られた分、全部おまえに返す」と、殴られた分だけちゃんと皇太子に返したそうだ。

 皇太子ではないが、ある華族の少年が陸軍幼年学校で終戦直後、同じ目に遭い、「親友から殴られたショックは一生消えない」とわたしに話してくれたことがある

皇室の仕事をもっと楽にしてあげるべき


 とにかく、わたしの意見としては、日本国民は厳しい。天皇であろうと、簡単には許さない。国民体育大会でも何でも出かけていって、手を振って挨拶をして、先祖のお祭りをして、寒いときでも朝早く起きてちゃんと儀式をすることを求めている。

 わたしは、もっと天皇・皇后両陛下には楽に暮らしていただきたいと思っている。天皇には退位を認めるべきである。土曜・日曜を認めるべきである。死ぬまで天皇とは、ほとんど人権じゅうりんだとわたしは思う。

 なかには「それこそが帝王学だ」と言う人もいる。子どものときから教えれば、そんな大変なことも慣れるかもしれないが、長男に生まれたから覚悟しろというのは酷な話だ。お嫁さんがなかなか来ないという問題もある。

 米国は「サラダボール」で、人種がお互いに溶け合わず共存している。一方、中国やヨーロッパ、日本は「煮込みシチュー」で民族が一体となって溶け合っている。

 日本ではそのシンボルが天皇だ。大変な仕事なのだからもっと楽にしてあげなければいけない。

世界中の思想を吟味してつくられた日本思想

日本人の常識やセンス、心得、教えには、神道+道教+仏教+儒教+景教と、様々な要素が入っている。さらに明治維新以後は、アカデミズム崇拝の考えも入ってきた。

 そして戦後は「国連教」とでもいうべきか、国際社会のすることに日本は逆らわずについていかなければいけないという考え方も入ってきた。それらを全部合わせた民間信仰が出来上がっている。

 こうした民間信仰は普通の日本人の共通の常識であり、共通のセンスであって、「宗教」と呼ぶべきかどうかはまた問題がある。

 しかし、いずれにしても日本人はそういう考え方を持っていて、それは新宗教と言ってもいいくらい、世界でも他に類のないものだ。それは、日本が発明した最も普遍的な世界思想だともいえる。

 なぜ普遍的かというと、そこには世界中の思想が材料としてすべて入っているからだ。世界中の「世界思想」をすべて輸入して、それらを混ぜ合わせて、約2000年もの間、同じ民族が咀嚼(そしゃく)し、吟味し続けてきたのだから。そういう思想は世界中、どこにもないと思う。

 日本が特徴的なのは、一神教に支配されなかったことで、一神教は、「我が仏 尊し」だから、他の思想を絶滅させてしまう。だから、一神教の“ウイルス”に襲われた地域は、昔からの思想がすべて消されてしまうのである。

 ところが、日本は一神教の侵略を受けても、大した影響はなかった。これは、日本にやってきた一神教が軍事力を伴っていなかったからだ。軍事力を伴った一神教に占領されて、政治的にも支配されるということが起こると、その民族は心が変わってしまう。その民族の伝統がなくなってしまう。だが日本ではそうしたことが起こらなかった。

日本に合った思想だけを取り入れた日本人


 日本には世界中の思想が入ってきて混ざり合っている。例えるなら、世界思想が何階建てにもなっている。それらを日本人はすべて日本語に直して、生活のなかに取り入れた。よいものを取って、嫌なものは無視した。支配者が持ち込んだ思想ではなかったから、日本人には吟味する自由があった。

 もっとも、いずれかの思想に天皇がかぶれると、役人たちがそれに追随するという動きはあった。だから、カソリックでも、仏教でも、やたらと天皇を取り込もうとした。天皇を信者にすれば国民すべてが信者になるという浅はかな発想だったのだろうが、日本人はそういうふうに一筋縄ではいかない。

 例えば、キリスト教の教えの中にも日本人の心に染みるものもあるし、全然染みないものもある。キリスト教の教えに「山上の垂訓」というのがあるが、それなどがよい例だ。

 キリストが「おまえたち、あくせくするな。明日は何を食おう、何を着ようと思って悩むな。1日苦労したらもうそれでいい。明日はまた明日になってから悩めばいい。神様が何とかしてくれる。野のユリを見よ。野のユリは自分で働いていない。けれども、あんなにきれいじゃないか。それは神様がそうしてくれているからだ。ましてやおまえたち人間は、神様がちゃんとしてくれるから、あくせくしなくてもいい」と、人々に話したという教えだ。

 これは日本人が好きな教えで、同じような話を伝統的に聞いたことがある。日本人にしてみれば、「それなら聞いたことがあるな。儒教にも仏教にもそういう話があったし、神道にもあったな」となる。

 つまり、キリスト教の教えの中でも、日本人が伝統的に持っていた思想に合っている部分がある。

日本の思想は人間中心の人間教


 日本人の心は複雑高度だから、一神教も日本に来ると、溶かされて骨抜きになってしまう。「日本教」とでもいうべき思想があって、それが他の思想を飲み込み、角を取ってしまう。

 いまや、サイエンス信仰や国連信仰もだいぶ咀嚼されている。特に国連信仰はこれからどんどん角が取れて、日本流の考え方になっていくだろう。

 日本人は人間の話し合いによる世界統一の可能性を信じている。神様が世界を統一するのではない。神はいなくても、人間が世界を統一する。日本人の気持ちは人間教である。

 日本の神話にはどこにも「神様が人間を造った」とは書いていない。イザナギノミコトとイザナミノミコトが降りてきたとき、そこにはもう人間がいた。神様が神様を産んだというのが神話になっている。人間は別である。というより、神様が人間的に働いたり失敗したりしている。

 わたしはその方が普遍的な考えだと思う。人間中心の日本的思想が世界を統一した方が、人類は幸せになるのではないかと思っている。

米国は「サラダボール」、日本は「煮込みシチュー」


 数千年の昔から、日本には外国人が小規模で渡来してきた。大規模な軍事力で攻めてくるわけではなく、小規模でやってきた。

 だから日本では、文明・文化は連続していて、しかもそこへ少しずつショックがあった。それを日本人はちゃんと消化する。仏教も、儒教も、景教も、どれもほどほどに消化してきた。これは言ってみれば文化や思想の「鍛錬」である。練磨して日本的思想をつくった。

 米国のことをよく「サラダボール」という。昔は「人種のるつぼ」と言ったが、実態はそうではなく、サラダボールの中のトマトやキュウリと同じで、絶対にお互いに溶け合わないといった意味である。黒は黒、白は白、赤は赤で、それぞれが同じサラダボールの中に入っているのが米国である。

 それに比べて、いろいろな人種や思想が煮込みシチューのように入っているのが中国やヨーロッパ、日本ではないか。こうした解説を聞くことがあるが、わたしもそうだと思う。

 日本は民族として一体になっていて、国民の心は、ほとんど共有された常識によって統一されている。

日本の思想は日本刀のような重層構造


 日本の思想は日本刀のような構造だと思う。日本刀を作るときは「玉鋼」を使う。川から集めた砂鉄を木炭で熱して、溶けたものをたたく。

 鍛造して、たたいて、たたく。すると不純物が端の方に寄ってくるから、それを捨てる。不純物をたたき出して“希望の鉄”にする。それが玉鋼で、これで日本刀を作る。

 そのときは、軟らかい鉄と硬い鉄を重ねる。最初は軟らかい鉄と硬い鉄の2枚を重ね、それをたたいて伸ばして、そして折る。その作業を繰り返すと、軟らかい鉄と硬い鉄が20層くらいの重層構造になる。

 一番外側は硬い鉄にして、中に軟らかい鉄を入れておくとよく切れて、しかもポキンと折れない日本刀になる。

 こうして伸ばした刀身の刃のところだけ焼き入れをして一層硬くする。刀身の方は硬くなってはいけないから、粘土を貼りつけておいて、水にジューッと入れる。それから砥石で研いで刃をつける。

 日本刀は、なんとなく日本民族の精神とよく似ているなと思う。日本の思想は日本刀と同じように、世界のいろいろな思想が入った重層構造になっている。

 キリスト教とか、ユダヤ教とか、イスラム教の、よいところが全部入っている。そして悪いところは入っていない。それが5枚重ね、10枚重ねになっている。

 日本精神の中に入っている世界思想の「よいところ」は、すべて日本人が選んできたものだ。だから、日本人が何を選び取って、何を選び捨てたかという研究をすればいい。外国にはあるけれども日本にはまるでないものを書き出していけば、それは日本人が捨てたものである。いわば日本人の常識やセンスは、人間がこれまで考えたことを煮詰めたエッセンス集なのではないか。

日本は外国より100年先進国

日本に根付いている仙人風老後の暮らし 日本は、誰が見ても平和である。まず、経済を追求した。世界中の国が今、それを一心不乱にやって追いかけている。日本は既にその次の段階にきているのだから、現在を「不景気」といってはいけない。今、日本人はお金よりも心の幸せが欲しいのだ。  「もっと広いところに住みたい、広いところで遊びたい」という空間消費や、「スケジュールなしでのんびり暮らしたい」という時間消費を日本人は求めている。「それこそが一番の幸福だ」となってきた。  でも、こうした種類の幸福を知らない人がいる。そういう人は、「おれは今、○○をやっているぞ」「次は○○を始めるぞ」「おれが書いたものがあるから読んでくれ」と僕に言ってくる。そういうものはすべて自分のための消費なんだから、わざわざ人に送りつけるなといいたい。自分ひとりで喜べばいい。その境地に達してほしい。  中国ではある境地に達すると「仙人」になる。仙人の「仙」という字は、人へんに山と書く。つまり、人は一通りのことが済んだら、あとは山へ行って、仙人になるということだ。仙人はいろいろな欲を捨てて、かすみを食って生きる。死ぬときがくれば死ぬ。  そういう理想の境地が中国にあって、その概念は日本にも本来、浸透していると思う。ただ、団塊の世代にはあまり浸透していないらしい。それを「俗」という。俗は人へんに谷と書く。つまり俗人は、仙人と違って谷に住む。  日本には以前から、仙人風老後の過ごし方の先例がたくさんある。それと欧米思想との混合物がこれから発生するだろう。日本の老人は、その両方を比べて選べるから幸せだ。「今日は懐石料理を食べよう、明日はフランス料理を食おう」ということができるのだ。  あるいは、「今日は友達と集まって孔子や孟子を読んでみて、明日は文化教室へ行ってスペインの文化を勉強する」ということも可能だ。というように、日本の老人はいろいろなことができるのだ。きっと外国人もうらやましがるに違いない。  また、日本は本の出版点数が多いし、発行部数も多い。そして世界中の本がある。本好きの人には天国といえる。だから、知識を身につけたい人は日本語を勉強すべきだ。要するに、日本は知識社会なのだ。知識を非常に尊ぶ社会であり、“一億総インテリ”なのである。

宗教と社会生活が分離している住みやすい日本


 さらに、日本では技術が進歩している。日本人は研究好きで、研究に取り組むとひらめきが出る。なぜ出るかというと、日本のような風光明媚(めいび)な場所で、親が子どもを甘やかして育てると、それだけで10歳くらいまでは頭がよくなるからだ。この場合、勉強面ではなく、文化的なセンスやクリエイティビティが磨かれる。自分からいろいろやってみて、「できた」と思って喜ぶ心が磨かれるのだ。

 ただし、こうした頭のよさははっきりと見えるものではない。だから、客観的にテストの結果が出ないと「学力低下」が叫ばれるようになる。本来、評価を数値で表現できるような問題はレベルが低いのだ。「ニュートンは何年に生まれたか?」というような、「○」と「×」で結果判定できるようなテスト問題は、結論が出ないことを考えさせる問題よりもレベルが低いだろう。

 また、日本では宗教と政治あるいは社会生活が分離していることも特徴の一つに挙げられる。倫理や道徳の方に、宗教があまり入ってこないのだ。つまり、人々には心の自由があるのだ。そんなことは、日本ではみんなが「当然だ」と思っていて、普段は考えもしないだろう。でも、それはなかなかすごいことなのである。外国で暮らしてみると、それが分かる。

 例えば、オーストラリアにはイギリスの古い宗教的習慣がそのまま入っていて、今も残っている。だから、シドニーなどの都会を除けば、日曜日の午前中は街中がシーンと静まり返っている。みんな、家と教会との往復以外は出歩かないそうだ。それ以外の用事で出歩いていたら、後ろ指を指されてしまうらしい。

 でも、その中で歩いている人がいる。「あの人たちはどうして出歩いているのか?」と聞くと、中国人だという。「彼らはキリスト教徒ではないから出歩いてもいいが、最近そういう人たちが増えてきて、街が乱れている」と教えてくれるのだ。それでも、中国人が出歩くのも悪いことばかりではないらしい。「日曜日のランチとディナーは、中国人の店で食べるから」だとか。中国人が来たおかげで、日曜日にも外食できるようになったというわけだ。

 そういう観点からすると、違う宗教の人が混ざっている方がいいことになる。一元化ではなく、多元化の方がよい。突きつめると「価値の多元化」と「相互に認め合う共有化」が必要になってくるわけで、それは日本では当たり前のことだ。外国は今からそれを始めてもあと100年かかる。だから日本の方が100年分先進国である。僕はそんなふうに思っている。僕みたいな日本思想の信者には、「住み心地がいい」というご利益があるのだ。

日本の慰霊と海外の慰霊は意味が違う


 もう一つ、日本の特徴を挙げると、日本には「名誉」がない。「ヨーロッパ的な名誉」は、日本は既に超えているのだ。ヨーロッパ的な名誉とは何か。それは「人よりも強い」とか「おれの方が上だ」というようなことなのだが、日本人はそうではない。

 誰かが褒めてくれればそれでいい。日本人は、褒めてくれれば受け入れるけれど、自分の方から宣言したら値打ちがなくなると考える。そういうレベルまで日本の思想は到達しているのだ。

 最近の話題を実例に出すと、例えば靖国神社の問題だが、僕はこう見ている。日本では、靖国神社にお参りすることを「慰霊」という。これが海外でどういう英語になって伝わっているのか知らないが、霊魂を慰めるのは世界中どこでも同じだろう。世界中どこでも同じことをしているだけだから、その説明をすればあの問題は終わると思っている。

 ところが、外国は「慰霊の中身を言え」と要求してくる。我々日本人は、死者を思い出してあげたら、もうそれでいい。慰霊の中身は、あえていえば「忘れていません、今日も会いに来ました」というようなことでしかない。

 でも欧米人の考える慰霊の中身は、名誉の回復であったり、名誉の保持であったり、その確認であったりするのだ。「あなた方は犬死にしてかわいそう」などというのは、慰霊ではないわけだ。欧米では「あなた方が命を投げ出して守ったものを私は尊敬しています」「それを引き継いでいきます」と誓わなければいけない。その誓いが慰霊なのだ。そういう違いを、みんなが忘れている。

あと10年経てば日本的精神が認められる


 靖国神社の隣に、偕行社という陸軍軍人のOB会のビルがある。そこでは、体つきの頑丈な元陸軍軍人が働いている。彼らとの雑談で「慰霊とは何ですか」と聞くと、「先祖に頭を下げて思い出してあげることだ」といっていた。僕は続けて「では名誉はどうなっているんですか」と聞いたら、みんなびっくりしていた。旧日本軍の軍人は名誉のために死んだはずなのだが……。

 日本人はただ思い出すだけで慰霊となる。欧米人はそうではない。死者の名誉を「私は分かっていますよ」と伝えに行くのが慰霊なのだ。そういう“慰霊の中身の違い”を日本人は知らない。でもやがて、欧米人も「名誉、名誉というのは野蛮だ、そんなものは超えてもっと自然な精神に日本人は達しているらしい」と思うようになるかもしれない。

 こうしてみると、「日本人の心」にはいくつものよいところがある。日本人は、礼儀正しい。弱者をいたわる。他人に迷惑をかけない。他人の悪口を言わない。謙虚にする。自分の功を誇らない。プラグマティズムであって、あまり神がかったことは言わない。何かをやるときは精根を尽くす。誰かに言われてやるのではなく、自分の表現として製品を作り、サービスをする。

 これらは日本ではもうすでにやっていることだが、やがて外国から評価されるようになると、さらに自信がつくだろう。あと10年もすればそういう段階に入るはずだ。「金持ちになった」という自信よりも、そういう日本的な精神についての自信の方が、日本人にとってはより根源的な自信となっていくに違いない。




「ルール」を守る良識ある日本人の功罪

中国に抗議した理髪店店主は日本人の恥か ちょうど瀋陽の日本総領事館の事件(2002年5月、中国の武装警察官が治外法権である日本総領事館に立ち入り、亡命を求める北朝鮮住民5人を身柄拘束した事件)が起きたころ、早稲田大学ではこんなことが起きたそうだ。  早稲田大学には中国人の留学生が730人ほどいるのだが、彼らのところへ、一斉に中国の親から「おまえは大丈夫か、まだ生きているか、日本人に仕返しを受けているんじゃないか」と問い合わせがあった。  そこで留学生たちは「大丈夫です、日本にいる方がよっぽど安全です、日本人は紳士的です」と返事をしたらしい。大学周辺では、商店街の理髪店で「中国人の散髪はしない」と断られた程度だった。  だが、その理髪店の店主は「日本人の恥」なのだろうか。そのような人がいたせいで、日本は損しただろうか。  僕はそのくらいの反応があるほうが正常だと思っている。つまり、日本人が730人ほどの中国人留学生に対して、誰も何もしなかったら、中国側はまず判断に苦しむだろう。  「よっぽど何か奥深いことを考えているのだろう」とか、「あるいは胡錦濤政権を恐れていて、大学当局も特別警備をして学生を抑えつけているのではないか」とか、「胡錦濤政権にこびているのではないか」とか、「日本人全部、もう腰が抜けているんじゃないか」とか、中国側は何らかの憶測をするに違いない。  そういう意味では、日本人の中にも留学生に卵でもぶつける人がいたほうが正常だと思うのだ。みんながやってはいけないけれど、少しはそういうことがあった方がいい。

“ご協力”を強いる警察


 瀋陽の日本総領事館の事件では、総領事館側の警備の甘さも問題となったが、例えば在日米国大使館の警備はどうなのだろうか。

 そのことを在日米国大使館の日本人の担当者に聞いてみると、「独自でもちゃんと警備をしておりますから」という答えが返ってきた。

 これはちょっと憎たらしい答えで、要するに「大使館内は独自にちゃんと警備していますから、大使館の外は日本の責任です」ということなのだろう。それを日本人担当者が話すのを聞くのは、あまり気持ちのいいものじゃない。

 僕はこのことを警視総監に教えてやろうかとも思ったけれど、教えたとしても特に変わらないだろうと思い直した。警視総監は「米国大使館の周辺はより一層、丁寧に警備せよ」と言うだろうし、部下は直属上司が言えばきちんとやるのだ。だが、日本人は直属上司に言われたこと以上のことは考えないだろう。

 そんなことがあったある日、米国大使館の前を歩き、大使館の正門に向かって道路を渡ろうとすると、屈強な警官が出てきて「ここを渡ってはいけない」という。しかし特に規制している様子もないし、大使館から出てくる人はどんどん道を渡っている。

 それなのに、その警官は「渡っちゃいけない」という。横を見ると看板に「交通規制中」と小さい字で書いてある。そして「ご協力お願いします。赤坂警察署長」と大きな字で書いてある。

 「『ご協力お願いします』だろう。僕は協力しないからね、ここを渡りますからね」といったら、警官は体当たりで止める。実力行使でわたしを渡らせないのだ。

 僕はむかっとして、「何か法的手続はちゃんとしてあるの? ちゃんと答えなさいよ。上役から教わってないの?」というようなことをいったら、警官は突然帽子をパッと取って、深々と頭を下げて「ご協力お願いします」という。

 僕はその人が気の毒になった。結局、対処法をきちんと整備していない赤坂警察署長が怠慢なのだ。

市民が素直に協力するからおエライさんがいい加減になる


 警察署長のようなおエライさんが、なぜこんなふうにいい加減になるかというと、市民が素直に協力するからだ。日本では「協力お願いします」で済んでしまう。

 だから僕は「ちょっとごねてやれ」と思って、「こういう通行者がいたとき何と答えればいいか、あなたは教わってないの?」と聞いたら、その警官はずっと黙っていた。

 彼は「教わっていない」とは言わないし、「教わった」とも言わない。すると横から少し賢そうな若い警官が出てきて、「協力をお願いしたら悪いのでしょうか」と返してきた。僕は「悪くないよ。ただ僕は協力を断るよと言っているのだが‥‥。交通規制であるなら、“規制だ”と言ってくれれば従うのに」と言った。

 「こういう通行人もいたということを、署長に伝えなさいよ」と言ったら、「はい、署長には言えませんが、直属上司には報告します」という。実に日本的な経験だった。

 後日、とある席でこの話をしたら、元検事の人も「おれも米国大使館前で押さえられたことがあった。あんな不愉快なことはない」と言い出した。法律のプロでもそうなるのかと驚いたものだ。

 すると、別の人物が「どんなことでも、日本は一般法を改正しないで、その場その場の対応をする。イラク派遣特別措置法などのように、何でも特別法を作る。特別法すら作らずに、現場に押しつけてしまうケースも多い。だから現場はかわいそうなことになってしまう」と言っていた。

 僕はそれを聞いて、それなら「在外公館の50メートル以内は○○である」というような特別法か条例を作ればいいのに、と思った。

指揮官がいないから早期収束した地下鉄サリン事件


 日本に比べて米国は憲法までどんどん改正する。市民が身勝手な行動を取らないように、きちんと決めておくべきことは上が決める。逆に「そこまで規制すべきでない。それは国民の自由だ」と明確にするべきことは明確にする。日本でもそういう議論をもっと徹底してほしいと僕は思っている。

 元ニューヨーク市長のジュリアーニ氏は、次の大統領選挙の共和党の有力候補だそうだが、彼の実績はニューヨークのスラム街を建て直したことだそうだ。

 建物などのガラス1枚が割れたのを放っておくと、他のガラスも全部割られてスラム化するという理論に従って、ジュリアーニ氏は「小さな犯罪をなくせば大きな犯罪もなくなる」と言って、それを実現した。

 そして、9・11のテロときも、彼はとっさであるにもかかわらず見事に事態を収拾した。

 そのジュリアーニ氏が大統領選挙に出るにあたり、資金をつくらなければいけないから、日本に「わたしの経験を買ってくれ」と言って、会費制で研究会や講演を行おうとしているらしい。しかし、ジュリアーニ氏にわざわざ話を聞かなくても、日本は地下鉄サリン事件のとき、突発的な事件だったにもかかわらず、事態を見事に早期収束させた実績がある。

 そこでジュリアーニ氏は「地下鉄サリン事件の時、統一指揮官は誰だったんだ。統一司令部はどうなっていたのか」と聞いたらしい。ところが、日本ではそういった上層部が何もなかった。逆にそれがよかったというのだ。とっさの事件で、何も決まっていないから、各自がそれぞれ勝手に一番よいと思うことをやったら、結果的にうまく事態を収束させることができた。

 まず、「これはサリンだ」と判定したのはおそらく陸上自衛隊で、サリンに対する薬のアトロピンも既に陸上自衛隊は持っていた。実は陸上自衛隊は極秘にサリンの研究をしていたのである。

 ともかく陸上自衛隊がアトロピンを用意し、聖路加国際病院の日野原重明医師が「それをもらえればわたしが患者を診る」と言って、多数の被害者たちが聖路加国際病院に移送されたから、助かった人たちもいたのだ。

 ただこれらの手順は法律違反だらけなのだそうだ。そうしたことを知っている司法関係者は、「日本は法律の出来が悪くて直しもしない」という。しかし、地下鉄サリン事件では、警官も地下鉄の駅員も病院の人も周りの人も、みんな賢くて熱心だったから、最後にはうまくいった。

 だが、こうした良識ある日本人が守ってきた「法律の外側の見えないルール」を悪用する人が出てきた。みんなが黙認して守っているルールを自分たちだけ守らなければ得をするからだ。村上ファンドやホリエモンなどがその代表である。こうなると法律を少し根本から考え直さなければいけないんじゃないかと、いま僕は思っている。

「コンプライアンス」をありがたがる風潮はもう終わり

世界の中で日本は「関数」から「変数」に変わった 日本の景気がよくなってきたのは底力があるからなのだが、ではその底力とはどんなもので、底力を発揮するとどうなっていくのか。まず第1段階として、日本は自信を持つようになった。はじめは経済的自信からで、それがやがて他の分野に広がっていく。  そして第2段階では、外交・防衛でも日本の国益を中心として底力が発揮されるようになった。そうすると意外なことに、アメリカが変わる。中国も変わる。つまり“日本には影響力がある”ということが分かって、第2の自信が付く。  さらに第3段階として、今度は世界の方が日本の意見を求めるようになる。ただ意見を求めるだけではなくて、日本の決意を聞いて、その決意を行動にどう移すかということまで求められる。世界の方が対応するのだ。つまり日本は世界の中で「関数」でなくて「変数」になる。そうなるのはいつごろかというと、僕は意外に早いと思っている。  それでも、国民の認識はいつも5年くらい遅れている。新聞やテレビや学者が遅れているからだ。それは彼らが臆病だからで、分かっていてもそこまで踏み込まないのだ。踏み込もうとしていても、記事や番組などは少し前の段階で制作されるから、国民はたとえ最新ニュースを見ていても遅れてしまうわけだ。  日本の景気回復は、もう2年前から始まっている。実感しない人は、何もしないから感じないのだ。「いや、ここまではできません」と理屈を言っているからであって、どんどん実行している人は景気回復の手応えを感じているし、儲けている。  ただし儲けていることは人には言わないだけ。それでも、見ていれば分かることで、設備投資は始まったし、雇用も正規雇用を増やしている。それらは今既に統計に出ている。そういう人も口では「まだ不景気です」と言っているけれど、設備投資という行動を起こすということは、彼らが「あと4~5年は大丈夫、この機械は元が取れる」と思っている証拠なのだ。

日本式出世は「功労に報いる」システム
 人材採用でも、パートではなく正規採用するわけだから、20~30年を見越しているわけだ。時間をかけて自分の会社で教え込む自信がなければ、パートにして、時給を払って「仕事は買う」が「人間は買わない」とやればいいわけだから。  それがアメリカ式だが、そうではなくて未来に期待するようになると、人間ごと買うのだ。“君は全力投球でやってくれ。会社側が命令できないようなところまで自分で行ってくれ”と。それはかつての日本型雇用関係のよいところだといえる。  アメリカ式経営には、あまりそうした考え方がない。上役には命令する能力があって、仕事を評価する能力もある。だから成果主義を導入する。年功序列賃金は形式的でよくないという。そういうアメリカ式をやった会社はほとんど赤字になってしまった。場当たり的だったのだ。  ニュートンに向かって「引力を発見せよ」と命じた課長はいない。「上役万能論」というのは、アメリカのような移民の寄せ集めの国で、部下の能力はあまり期待できないという前提の下にやっている経営形態であって、日本はだいたい部下のほうが上役より賢いのだ。  日本では上役は功労者なのだ。日本における出世は“功労に報いる”というシステムで、そうすると部下はそれを見て仕事に励むわけだ。「おれも偉くなったら料亭に行って、ゴルフをしてもいいらしい。それを楽しみに頑張ろう」ということだ。

役人にもご褒美が必要な時代が来る

 これは官庁においては天下りシステムに当たる。今、官庁の悪口をいえば何でも通るから、学者も誰もみんな寄ってたかってボロクソに言っている。「官庁は非能率的である」「非倫理的である」「国民を無視している」……。官庁にどんな批判をしても、今はどこからも反対されない。だが、10年前は多くの学者が役所のことを崇め奉っていたのだ。

 真実は中間にある。日本の役人くらいよく働く人たちはいないのだ。だから国会議員はすべてを役人に頼ってきた。つまり、役人を一番尊敬しているのは国会議員なのだ。国会議員は、役人がいなくなったら自分は職務を全うできないと、自分で分かっているのだ。それなのに彼らは選挙区へ帰ると役所の攻撃ばかりやっている。

 僕は公平に見て、日本の役人は世界一で、立派だと思う。なかには変な人もいるけれど、おしなべてあんなによく働く人はいない。それを変な方向へ向かせている国会議員が悪い。それから、変にたたく新聞が悪い、と思っている。

 その役人たちに「なぜそんなに働くのか」と問うと、「天下りが楽しみだから」という。となると、天下りをなくすとすべてがガタガタに崩れるのだ。今、実際にそうなりつつある。だから僕は「適切な天下りのシステムを考えろ」と言いたい。

 こんなことを言ってもどの新聞も載せてくれない。そうしている間に3年くらい経てば、役所は骨抜きになっていく。役人にも、何か楽しみがなければダメなのだ。“ご褒美”が必要な時代が来るだろうと思っている。
対等な相手に「コンプライアンス」とは言わない 日本は前述したような3段階で自信を回復し、やがて世界をリードする国になるであろう。日本には、まだ発揮できていない底力があって、今までは金儲けくらいだが、これからは世界を仕切るようになる。思想で世界をリードする日本が登場してくる。  そんな話は聞いたことがないはずだ。それは、ほとんどの学者が欧米かぶれしているからだ。欧米かぶれしていない学者は、明治時代の古本を読めばいい。そんなことはいっぱい書いてある。一刀両断で「それはダメ」というのが戦後の教育、特にアメリカの教育だった。日本人はもともと謙虚が好きだから、自分で自分を褒める議論はたちまちなくなってしまった。  最近、やたら変な英語を使う人が多くて困る。例えば「コンプライアンス」という英語をみんなが使うけれど、辞書を引いた人が何人いるだろう。辞書では「コンプライアンス」は「法令順守」と訳されている。でも今、日本で使われている「コンプライアンス」という言葉は、本当にそういう意味だろうか。  「コンプライアンス」には、「従順」という訳語がある。周りからの声に対して従順なこと。その次に「卑屈」と書いてある。そこまでの意味があるのだ。だから、アメリカ人同士で「コンプライアンス」なんて言葉は普通は使わない。対等な相手には言わない。言うときは、エンロンのような出来の悪い会社に向かって言うのだ。つまり、目の前の人や友達には使わない、大変失礼な言葉なのではないかと思う。  さらに辞書を読むと、物理学用語として、「外部からの圧力で内部に歪みが出来ること」とある。「歪み」を示す言葉なのだ。会社で社長が「コンプライアンスだ、法令順守だ、みんなやれ」といったら、会社の中に歪みが出来てしまうわけだ。外ばかり気にして、会社自体の方向性がどこかへ行ってしまう。  そうすると部下たちも「役所の検査を通りました、これでいいんです」となってしまうのだ。だから「コンプライアンス」などという言葉は、賢明な人は使ってはいけないと思う。  主体性がなくなる。独自性がなくなる。自信がなくなる。周りに流されるようになる。これらはアメリカでは一番恥ずかしいことなのだが、日本ではそうでもなくて、「従順で謙虚なのがよい」という思想がある。  その「思想」の面だが、アメリカは日本に対して「コンプライアンス」というのだろう。これは「日本は生意気だ」という意味なのだ。「アメリカの言うことを聞け」というのを上品に言っているだけなのだ。  もし僕に向かって「コンプライアンス」といったら、僕は「ふざけるな、どう言い返してやろうか」と考えるけれど、たいていの人は「お、コンプライアンスという英語をおれは知ってるぞ。おれはちゃんと勉強したからな。日本へ帰ったら使ってやろう」となってしまう。ここ10年、そういう現象が日本中を吹き荒れていた。だがそれも、そろそろ終わりだろう。



外国との対比で見えてくる日本精神の独自性

日本には「日本精神」というべき独特の精神がある。しかし、この「日本精神」について、あるのは分かっているけれども、それが何なのか自分たちではよく分からないところがある。むしろ、外国人が考察してくれたほうがよく分かる。  先日ベトナムを訪れたとき、ベトナムでは猫の首には縄をつけるが、犬にはつけないという話を聞いた。その理由を聞くと、ベトナム人は「分かりません、それが当たり前なのです」という。自分たちが日常行なってきたことに、別に理由はないということだ。わたしが「日本では反対です」というと、「変な国ですね」と言われた。  また、国立民族学博物館の責任者と話したとき、その人はこんなことを言っていた。  民族学博物館には国際民俗文化に関する資料が展示されているのだが、以前はアフリカの資料の説明書きには「マサイ族のヤリ」などと書けば済んでいた。しかし最近は国際化の時代となり、マサイ族の人が見に来るようになった。すると彼らはその説明書きを見て怒るらしい。「わたしたちはマサイ族ではない」という。「では何という名前ですか」と聞くと、「名前などない。人間だ」と答えるという。  これは当たり前の反応だ。「マサイ」という名前は周りの人がそう呼んでいるだけであり、周りの人が付けた名前というのは、悪口であることが多い。だから本人たちは怒り出す。  かつて日本は中国から「倭」と呼ばれていたが、それも悪口で付けられた名前だった。「野蛮人」という意味の漢字だから、悪口である。やがて日本人はその名前に腹を立て、聖徳太子のころに「ここは日の本である、ここは大和である」と言い始めた。それは中国に宣言するための名前であって、もともと自分たちで自分たちに名前を付ける必要はなかったはずだ。

アインシュタインも感心した日本の素晴らしさ


 日本について外国人が語った資料としては、中世に日本にやって来た宣教師たちが書いたものが残っている。そして、明治時代になってから外国の公使や外交官が書いたものがある。

 そうしたものを読むと、だいたいは日本に対して好意的に書かれている。それは、宣教師たちは骨を埋めるつもりで日本に来て、日本で暮らしながら日本を見たからだろう。

 また明治時代の公使や外交官などは、任期が20年くらいあるのが普通だった。長く住むために、日本のことをよく勉強したという。だから好意的になったのだろう。

 日本の江戸時代や明治時代に関して、当時の外国人が書いた資料を読むと、まず「あべこべ話」が面白い。例えばのこぎりは日本では引くけれど外国では押す、といったような話だ。

 それよりもっと深く、「日本人の心の奥底はこうなのではないか」というところまで見ている資料もある。そうした資料には、たいてい「礼儀正しい」「相手のことを思いやる」「争いにならないように折り合いを付けて暮らす」「そういう暮らし方を全員が共有している」といったことが書かれている。そして「こんな素晴らしい国が世界の中にあったのか」と感心している。

 後世では、「こんな素晴らしい国は世界にずっと永遠に残っていただきたい」とアインシュタインが語った話は有名だ。そんなふうに外国人が見た日本の精神を総合することで、日本がどういう国なのか見えてくる。

対比論が大好きな日本人


 外国人が見た日本を知ると、日本人は逆に「あなたがたこそ違うのですね」と、外国のことも見えてくる。「あなたがたは猫に縄を付けるのですか、こちらは違いますね」となる。つまり、何かと対比しなければ自分たちのことも分からない。

 最近は日本人もだんだん国際化されて、外国と付き合うようになり、対比論が大好きになった。その対比論にも、いろいろ種類がある。

 例えば、農業をする人と狩猟をする人という対比。狩猟民族は略奪を悪いと思っていない。攻撃を悪いと思っていない。お互いに攻撃し合って、その上にバランスがある。相手が防御に回るならやっつけてしまえばいいだけであって、それで終わりだ。

 ところが農耕民族は、辛抱強く待っていればそのうちにいいことがあると考える。雨の日のあとは晴れの日がある。そういう生き方が身に付いている。そんな対比もよく使われる。

 あるいは、大陸と島国の対比。大陸では、人間は歩いてどこまでも行ってしまう。悪い政治をすると歩いて逃げてしまう。中国やロシアなどの歴史を見ると、その時々の政治によって、驚くほど人間が移動している。

 かつてツァー(帝政時代のロシアの皇帝)に虐待されたロシア人民は、シベリアへと移動していった。カムチャツカ半島にたどり着いて、さらにベーリング海峡を渡ってアラスカへ行き、ついにはサンフランシスコまで歩いて行ったというから、人間の足はすごい。

 どうして人間にはそんなにも歩行能力があるのか。きっと先祖はものすごく歩いたのだろう。歩けない者はその場で置いていかれた。そんな「足による自然淘汰」があったのだろう。

 養老孟司さんは、その前にもっとすごい淘汰があったと言っている。それは言語による淘汰である。養老さんによれば、ネアンデルタール人が滅びたのは言葉を使わなかったからだそうだ。確かに、言語による淘汰はあっただろうとわたしも思う。今でも、口のうまい人が出世する。

 もっとも、日本はもうそんな状態を卒業した。米国ではいまだに口がうまい人が出世する。日本には、評判というシステムがある。評判で世の中が動いていくのが一番いい。日本はそれを発見して実践している。米国では、評判が立つ前にうまいことを言った人が勝つ。

 そういう違いも、大陸と島国の違いからくるのかもしれない。特に日本の場合は、文字が出来る前から数えて約1万年もの間、だいたい同じような人たちが同じようにして住んでいる。だから、評判で社会が成り立つのだろう。
日本の歴史は世界に比べて長い 歴史の長短による対比もある。日本は外国に比べて、比較的歴史が長い。あまり日本人が気にしないことではあるが、自分たちと同じように世界中の歴史が長いと思い込むのは大間違いである。  コロンブスがアメリカ大陸の近くの島に到着したのは1492年であり、それは米国が独立宣言を公布して建国したわずか284年前のことだ。それがアメリカの歴史である。  フランスは、ケルトという民族集団が出来た後に、異民族の侵入を経て、現在のフランス人が形成されてきたが、16世紀以降も移民を受け入れている国である。フランス語はもともとは一部地域の方言のようなものだった。そのフランス語が標準語になってから、まだ数百年ほどしか経っていない。  英国はどうか。近代英語がいつ出来たかというと、だいたい400年ほど前に、現在の英語らしくなってきたという。それは、聖書を英語に翻訳して広めたから、英語が普及したのだ。  一方、日本語はだいたい2000年ほど前に成立したといわれている。そして、だいたい1万年前から同じ人たちが住んでいる。そうした観点でも、日本は歴史の長い国だといえる。  同じ場所に同じ人たちが居続けるという状態は、世界の中では珍しい。日本人は、自分たちの歴史は長く、外国はたいてい日本よりも短いということを、もう少し真剣に考えるべきだと思う。そのことが、日本の思想や日本精神の中に入っているからだ。