Wednesday, April 18, 2007

「大目に見る」という日本の精神

権力を持っている人は、それをみんなに見せつけなければならない。スターリンは革命に成功すると、クレムリン宮殿に入った。そうすると、王朝が続いているように人々が思うからだ。  本当はロマノフ王朝の親戚まで全部集めてみんな殺してしまったのだが、その後の宮殿にスターリンが入っていると、国民が安心して、スターリン様と言ってくれる。そんな現象がある。  明治天皇も同じで、徳川を追い出して江戸城に入った。それより前は、天皇は石垣のある場所には住まなかった。京都とか、町の中に「神主の親分」として住んでいた。それが、明治維新以降は石垣のあるところに住むようになった。  石垣のある場所に住むのは武家だから、武士の親分の家に天皇が入るなんて本来は格下げだと思うが、国民は「徳川さんの後継ぎか」と思ったのだ。明治天皇は、国民がそう思ってくれると考えて、江戸城に入ったのだろう。  当時、廃藩置県をしたが、秩禄公債(士族の家禄廃止に伴う給付金のための公債)なんて紙切れだったから、いつ士族が謀反を起こすか分からない。でも、その心配はもうなかろうとなったころ、華族制度を作った。  一番偉いのは天皇で、次は皇族である。その下に華族がある。公爵、侯爵、伯爵、子爵、男爵を作って、そこへ元大名と小名、それから陸軍大将、海軍大将、あるいは東大総長とか、そういう人を華族にして、「おまえたちは一般国民より偉いんだぞ。天皇に忠義を尽くせ」とした。  華族制度で、徳川慶喜は一番上の公爵になった。革命勢力の中心だった島津家と毛利家も公爵である。島津と毛利だけでなく、徳川も公爵にしたあたりに日本精神がうかがえる。中国でも韓国でも、それは絶対にあり得ないことだ。  通常、政権が交代したら「前の政権は滅びた」ということを見せなければいけない。そうすれば新しい政権の正当性が発生する。それが中国や韓国の考え方だ。だから日本に対して、「A級戦犯を祭ってはいけない」と言うのだ。でも日本では、前の政権への非難は水に流してしまって、「もういいじゃないか」とか、「大目に見てやろう」とか言って許してしまうのだ。

日常使う日本語で裁判をした方がいい


 欧米の合理主義や、あるいはローマ法を基にした法治主義が近代の精神だが、彼らから見ると、日本人というのはまことに変で、「大目に見てやろう」とか「水に流そう」とか、彼らにとって得体の知れない日本語によって社会的に許されてしまう。

 実は裁判所もそうした精神で動いている面がある。日本の裁判の判決文を読むと、一生懸命に難しく書いてあるが、「この判事は大目に見てやろうと思って書いた」などが一目瞭然で分かる。

 難しい言葉は、後からくっつけているのだ。判事の本心は「ああ、気の毒だ。助けてやろう。何とか理屈を発明してこじつけてやろう」というもので、それが分かる文章となっていることがある。

 本来は日常的な日本語で裁判すれば簡単なのだ。「今回だけは見逃す」とか‥‥。これぞ「大岡裁き」だが、実際、なぜあんなに難しい文章を作るために苦労するのかと思う。いずれは日本風の大岡裁きになっていくのではないかと思う。

 日本的感情に後から難しい言葉をつけるのが裁判だから、司法試験がむちゃくちゃ難しくなる。ところが、この試験にやたらと人気が集まって、みんなが勉強して変ちくりんな文章を身につけている。

 昔は合格者が数百人程度だったのが、今や千数百人に増えている。それで、弁護士が余ってきたから、テレビタレントになる人もいる。

 そうなると「弁護士崩れ」の人が、これから日本中にあふれてくる。その先には、ああいう難しい文章を書くのはもうあほらしくなるだろう。

 例えば「あほらしい」という言葉は、きちんとみんなに通じているはずだ。通じているならそのまま使えばよいと思うが「あほらしい」を硬い言葉で書く努力をしている。現状の司法試験はそういうもので、そのうち振り子が戻ってきて、日常的、日本的な言葉を使った裁判のやり方になっていくだろう。

律儀にお祭りをした昭和天皇


 日本の場合、天皇の正統性は、先祖のお祭りを一生懸命にしてくださっているということにあることは以前話した。

 ちゃんとした人が一生懸命に天地神明にお祈りをしてくださっているということで、おかげで稲が実ったとか、台風が来なかったとか。そこでみんなが税金を払う。そこに正統性がある。だから昭和天皇は特別律儀に、ありとあらゆる先祖をお祭りした。それから、天地自然のお祭りをした。それはとても律儀になさったそうだ。

 今の天皇は、民主主義の火が最も燃えたときに少年だった。学習院の小学校に通っていた。学習院にいた友達から聞くと、たちの悪い学生が「マッカーサーが来たら、天皇とか皇太子はみんなまとめてギロチンになるんだ。今までは威張っていたけれども、そのうちそうなるぞ」と言ったらしい。

 学習院初等科の分室は武蔵小金井の小金井公園にあった。その小金井公園で、ご学友4人が皇太子をポカスカと殴ったことがあるといううわさがある。

 英国には「whipping boy」(身代わり)という制度がある。身分の高い人の学友は身代わりになって鞭で打たれる。悪いことをしたら罰するのだけれども、身分の高い人を鞭打つわけにいかないから、ご学友が身代わりになって打たれる。ご学友の少年たちにはそういう役割があった。そうすると、それを見て気の毒に思うから、身分の高い人は行いを慎むようになる。

 それがヨーロッパの制度にあって、日本にも入っていたのだろう。日本では制度ではないが、先生がご学友に対して「おまえがちゃんとやらないからこうなったんだ。ちゃんとやれ」と言って殴ったらしい。それを皇太子は知らないが、身代わりとして殴られた少年は「今まで殴られた分、全部おまえに返す」と、殴られた分だけちゃんと皇太子に返したそうだ。

 皇太子ではないが、ある華族の少年が陸軍幼年学校で終戦直後、同じ目に遭い、「親友から殴られたショックは一生消えない」とわたしに話してくれたことがある

皇室の仕事をもっと楽にしてあげるべき


 とにかく、わたしの意見としては、日本国民は厳しい。天皇であろうと、簡単には許さない。国民体育大会でも何でも出かけていって、手を振って挨拶をして、先祖のお祭りをして、寒いときでも朝早く起きてちゃんと儀式をすることを求めている。

 わたしは、もっと天皇・皇后両陛下には楽に暮らしていただきたいと思っている。天皇には退位を認めるべきである。土曜・日曜を認めるべきである。死ぬまで天皇とは、ほとんど人権じゅうりんだとわたしは思う。

 なかには「それこそが帝王学だ」と言う人もいる。子どものときから教えれば、そんな大変なことも慣れるかもしれないが、長男に生まれたから覚悟しろというのは酷な話だ。お嫁さんがなかなか来ないという問題もある。

 米国は「サラダボール」で、人種がお互いに溶け合わず共存している。一方、中国やヨーロッパ、日本は「煮込みシチュー」で民族が一体となって溶け合っている。

 日本ではそのシンボルが天皇だ。大変な仕事なのだからもっと楽にしてあげなければいけない。

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