Wednesday, April 18, 2007

「ルール」を守る良識ある日本人の功罪

中国に抗議した理髪店店主は日本人の恥か ちょうど瀋陽の日本総領事館の事件(2002年5月、中国の武装警察官が治外法権である日本総領事館に立ち入り、亡命を求める北朝鮮住民5人を身柄拘束した事件)が起きたころ、早稲田大学ではこんなことが起きたそうだ。  早稲田大学には中国人の留学生が730人ほどいるのだが、彼らのところへ、一斉に中国の親から「おまえは大丈夫か、まだ生きているか、日本人に仕返しを受けているんじゃないか」と問い合わせがあった。  そこで留学生たちは「大丈夫です、日本にいる方がよっぽど安全です、日本人は紳士的です」と返事をしたらしい。大学周辺では、商店街の理髪店で「中国人の散髪はしない」と断られた程度だった。  だが、その理髪店の店主は「日本人の恥」なのだろうか。そのような人がいたせいで、日本は損しただろうか。  僕はそのくらいの反応があるほうが正常だと思っている。つまり、日本人が730人ほどの中国人留学生に対して、誰も何もしなかったら、中国側はまず判断に苦しむだろう。  「よっぽど何か奥深いことを考えているのだろう」とか、「あるいは胡錦濤政権を恐れていて、大学当局も特別警備をして学生を抑えつけているのではないか」とか、「胡錦濤政権にこびているのではないか」とか、「日本人全部、もう腰が抜けているんじゃないか」とか、中国側は何らかの憶測をするに違いない。  そういう意味では、日本人の中にも留学生に卵でもぶつける人がいたほうが正常だと思うのだ。みんながやってはいけないけれど、少しはそういうことがあった方がいい。

“ご協力”を強いる警察


 瀋陽の日本総領事館の事件では、総領事館側の警備の甘さも問題となったが、例えば在日米国大使館の警備はどうなのだろうか。

 そのことを在日米国大使館の日本人の担当者に聞いてみると、「独自でもちゃんと警備をしておりますから」という答えが返ってきた。

 これはちょっと憎たらしい答えで、要するに「大使館内は独自にちゃんと警備していますから、大使館の外は日本の責任です」ということなのだろう。それを日本人担当者が話すのを聞くのは、あまり気持ちのいいものじゃない。

 僕はこのことを警視総監に教えてやろうかとも思ったけれど、教えたとしても特に変わらないだろうと思い直した。警視総監は「米国大使館の周辺はより一層、丁寧に警備せよ」と言うだろうし、部下は直属上司が言えばきちんとやるのだ。だが、日本人は直属上司に言われたこと以上のことは考えないだろう。

 そんなことがあったある日、米国大使館の前を歩き、大使館の正門に向かって道路を渡ろうとすると、屈強な警官が出てきて「ここを渡ってはいけない」という。しかし特に規制している様子もないし、大使館から出てくる人はどんどん道を渡っている。

 それなのに、その警官は「渡っちゃいけない」という。横を見ると看板に「交通規制中」と小さい字で書いてある。そして「ご協力お願いします。赤坂警察署長」と大きな字で書いてある。

 「『ご協力お願いします』だろう。僕は協力しないからね、ここを渡りますからね」といったら、警官は体当たりで止める。実力行使でわたしを渡らせないのだ。

 僕はむかっとして、「何か法的手続はちゃんとしてあるの? ちゃんと答えなさいよ。上役から教わってないの?」というようなことをいったら、警官は突然帽子をパッと取って、深々と頭を下げて「ご協力お願いします」という。

 僕はその人が気の毒になった。結局、対処法をきちんと整備していない赤坂警察署長が怠慢なのだ。

市民が素直に協力するからおエライさんがいい加減になる


 警察署長のようなおエライさんが、なぜこんなふうにいい加減になるかというと、市民が素直に協力するからだ。日本では「協力お願いします」で済んでしまう。

 だから僕は「ちょっとごねてやれ」と思って、「こういう通行者がいたとき何と答えればいいか、あなたは教わってないの?」と聞いたら、その警官はずっと黙っていた。

 彼は「教わっていない」とは言わないし、「教わった」とも言わない。すると横から少し賢そうな若い警官が出てきて、「協力をお願いしたら悪いのでしょうか」と返してきた。僕は「悪くないよ。ただ僕は協力を断るよと言っているのだが‥‥。交通規制であるなら、“規制だ”と言ってくれれば従うのに」と言った。

 「こういう通行人もいたということを、署長に伝えなさいよ」と言ったら、「はい、署長には言えませんが、直属上司には報告します」という。実に日本的な経験だった。

 後日、とある席でこの話をしたら、元検事の人も「おれも米国大使館前で押さえられたことがあった。あんな不愉快なことはない」と言い出した。法律のプロでもそうなるのかと驚いたものだ。

 すると、別の人物が「どんなことでも、日本は一般法を改正しないで、その場その場の対応をする。イラク派遣特別措置法などのように、何でも特別法を作る。特別法すら作らずに、現場に押しつけてしまうケースも多い。だから現場はかわいそうなことになってしまう」と言っていた。

 僕はそれを聞いて、それなら「在外公館の50メートル以内は○○である」というような特別法か条例を作ればいいのに、と思った。

指揮官がいないから早期収束した地下鉄サリン事件


 日本に比べて米国は憲法までどんどん改正する。市民が身勝手な行動を取らないように、きちんと決めておくべきことは上が決める。逆に「そこまで規制すべきでない。それは国民の自由だ」と明確にするべきことは明確にする。日本でもそういう議論をもっと徹底してほしいと僕は思っている。

 元ニューヨーク市長のジュリアーニ氏は、次の大統領選挙の共和党の有力候補だそうだが、彼の実績はニューヨークのスラム街を建て直したことだそうだ。

 建物などのガラス1枚が割れたのを放っておくと、他のガラスも全部割られてスラム化するという理論に従って、ジュリアーニ氏は「小さな犯罪をなくせば大きな犯罪もなくなる」と言って、それを実現した。

 そして、9・11のテロときも、彼はとっさであるにもかかわらず見事に事態を収拾した。

 そのジュリアーニ氏が大統領選挙に出るにあたり、資金をつくらなければいけないから、日本に「わたしの経験を買ってくれ」と言って、会費制で研究会や講演を行おうとしているらしい。しかし、ジュリアーニ氏にわざわざ話を聞かなくても、日本は地下鉄サリン事件のとき、突発的な事件だったにもかかわらず、事態を見事に早期収束させた実績がある。

 そこでジュリアーニ氏は「地下鉄サリン事件の時、統一指揮官は誰だったんだ。統一司令部はどうなっていたのか」と聞いたらしい。ところが、日本ではそういった上層部が何もなかった。逆にそれがよかったというのだ。とっさの事件で、何も決まっていないから、各自がそれぞれ勝手に一番よいと思うことをやったら、結果的にうまく事態を収束させることができた。

 まず、「これはサリンだ」と判定したのはおそらく陸上自衛隊で、サリンに対する薬のアトロピンも既に陸上自衛隊は持っていた。実は陸上自衛隊は極秘にサリンの研究をしていたのである。

 ともかく陸上自衛隊がアトロピンを用意し、聖路加国際病院の日野原重明医師が「それをもらえればわたしが患者を診る」と言って、多数の被害者たちが聖路加国際病院に移送されたから、助かった人たちもいたのだ。

 ただこれらの手順は法律違反だらけなのだそうだ。そうしたことを知っている司法関係者は、「日本は法律の出来が悪くて直しもしない」という。しかし、地下鉄サリン事件では、警官も地下鉄の駅員も病院の人も周りの人も、みんな賢くて熱心だったから、最後にはうまくいった。

 だが、こうした良識ある日本人が守ってきた「法律の外側の見えないルール」を悪用する人が出てきた。みんなが黙認して守っているルールを自分たちだけ守らなければ得をするからだ。村上ファンドやホリエモンなどがその代表である。こうなると法律を少し根本から考え直さなければいけないんじゃないかと、いま僕は思っている。

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