Wednesday, April 18, 2007

外国との対比で見えてくる日本精神の独自性

日本には「日本精神」というべき独特の精神がある。しかし、この「日本精神」について、あるのは分かっているけれども、それが何なのか自分たちではよく分からないところがある。むしろ、外国人が考察してくれたほうがよく分かる。  先日ベトナムを訪れたとき、ベトナムでは猫の首には縄をつけるが、犬にはつけないという話を聞いた。その理由を聞くと、ベトナム人は「分かりません、それが当たり前なのです」という。自分たちが日常行なってきたことに、別に理由はないということだ。わたしが「日本では反対です」というと、「変な国ですね」と言われた。  また、国立民族学博物館の責任者と話したとき、その人はこんなことを言っていた。  民族学博物館には国際民俗文化に関する資料が展示されているのだが、以前はアフリカの資料の説明書きには「マサイ族のヤリ」などと書けば済んでいた。しかし最近は国際化の時代となり、マサイ族の人が見に来るようになった。すると彼らはその説明書きを見て怒るらしい。「わたしたちはマサイ族ではない」という。「では何という名前ですか」と聞くと、「名前などない。人間だ」と答えるという。  これは当たり前の反応だ。「マサイ」という名前は周りの人がそう呼んでいるだけであり、周りの人が付けた名前というのは、悪口であることが多い。だから本人たちは怒り出す。  かつて日本は中国から「倭」と呼ばれていたが、それも悪口で付けられた名前だった。「野蛮人」という意味の漢字だから、悪口である。やがて日本人はその名前に腹を立て、聖徳太子のころに「ここは日の本である、ここは大和である」と言い始めた。それは中国に宣言するための名前であって、もともと自分たちで自分たちに名前を付ける必要はなかったはずだ。

アインシュタインも感心した日本の素晴らしさ


 日本について外国人が語った資料としては、中世に日本にやって来た宣教師たちが書いたものが残っている。そして、明治時代になってから外国の公使や外交官が書いたものがある。

 そうしたものを読むと、だいたいは日本に対して好意的に書かれている。それは、宣教師たちは骨を埋めるつもりで日本に来て、日本で暮らしながら日本を見たからだろう。

 また明治時代の公使や外交官などは、任期が20年くらいあるのが普通だった。長く住むために、日本のことをよく勉強したという。だから好意的になったのだろう。

 日本の江戸時代や明治時代に関して、当時の外国人が書いた資料を読むと、まず「あべこべ話」が面白い。例えばのこぎりは日本では引くけれど外国では押す、といったような話だ。

 それよりもっと深く、「日本人の心の奥底はこうなのではないか」というところまで見ている資料もある。そうした資料には、たいてい「礼儀正しい」「相手のことを思いやる」「争いにならないように折り合いを付けて暮らす」「そういう暮らし方を全員が共有している」といったことが書かれている。そして「こんな素晴らしい国が世界の中にあったのか」と感心している。

 後世では、「こんな素晴らしい国は世界にずっと永遠に残っていただきたい」とアインシュタインが語った話は有名だ。そんなふうに外国人が見た日本の精神を総合することで、日本がどういう国なのか見えてくる。

対比論が大好きな日本人


 外国人が見た日本を知ると、日本人は逆に「あなたがたこそ違うのですね」と、外国のことも見えてくる。「あなたがたは猫に縄を付けるのですか、こちらは違いますね」となる。つまり、何かと対比しなければ自分たちのことも分からない。

 最近は日本人もだんだん国際化されて、外国と付き合うようになり、対比論が大好きになった。その対比論にも、いろいろ種類がある。

 例えば、農業をする人と狩猟をする人という対比。狩猟民族は略奪を悪いと思っていない。攻撃を悪いと思っていない。お互いに攻撃し合って、その上にバランスがある。相手が防御に回るならやっつけてしまえばいいだけであって、それで終わりだ。

 ところが農耕民族は、辛抱強く待っていればそのうちにいいことがあると考える。雨の日のあとは晴れの日がある。そういう生き方が身に付いている。そんな対比もよく使われる。

 あるいは、大陸と島国の対比。大陸では、人間は歩いてどこまでも行ってしまう。悪い政治をすると歩いて逃げてしまう。中国やロシアなどの歴史を見ると、その時々の政治によって、驚くほど人間が移動している。

 かつてツァー(帝政時代のロシアの皇帝)に虐待されたロシア人民は、シベリアへと移動していった。カムチャツカ半島にたどり着いて、さらにベーリング海峡を渡ってアラスカへ行き、ついにはサンフランシスコまで歩いて行ったというから、人間の足はすごい。

 どうして人間にはそんなにも歩行能力があるのか。きっと先祖はものすごく歩いたのだろう。歩けない者はその場で置いていかれた。そんな「足による自然淘汰」があったのだろう。

 養老孟司さんは、その前にもっとすごい淘汰があったと言っている。それは言語による淘汰である。養老さんによれば、ネアンデルタール人が滅びたのは言葉を使わなかったからだそうだ。確かに、言語による淘汰はあっただろうとわたしも思う。今でも、口のうまい人が出世する。

 もっとも、日本はもうそんな状態を卒業した。米国ではいまだに口がうまい人が出世する。日本には、評判というシステムがある。評判で世の中が動いていくのが一番いい。日本はそれを発見して実践している。米国では、評判が立つ前にうまいことを言った人が勝つ。

 そういう違いも、大陸と島国の違いからくるのかもしれない。特に日本の場合は、文字が出来る前から数えて約1万年もの間、だいたい同じような人たちが同じようにして住んでいる。だから、評判で社会が成り立つのだろう。
日本の歴史は世界に比べて長い 歴史の長短による対比もある。日本は外国に比べて、比較的歴史が長い。あまり日本人が気にしないことではあるが、自分たちと同じように世界中の歴史が長いと思い込むのは大間違いである。  コロンブスがアメリカ大陸の近くの島に到着したのは1492年であり、それは米国が独立宣言を公布して建国したわずか284年前のことだ。それがアメリカの歴史である。  フランスは、ケルトという民族集団が出来た後に、異民族の侵入を経て、現在のフランス人が形成されてきたが、16世紀以降も移民を受け入れている国である。フランス語はもともとは一部地域の方言のようなものだった。そのフランス語が標準語になってから、まだ数百年ほどしか経っていない。  英国はどうか。近代英語がいつ出来たかというと、だいたい400年ほど前に、現在の英語らしくなってきたという。それは、聖書を英語に翻訳して広めたから、英語が普及したのだ。  一方、日本語はだいたい2000年ほど前に成立したといわれている。そして、だいたい1万年前から同じ人たちが住んでいる。そうした観点でも、日本は歴史の長い国だといえる。  同じ場所に同じ人たちが居続けるという状態は、世界の中では珍しい。日本人は、自分たちの歴史は長く、外国はたいてい日本よりも短いということを、もう少し真剣に考えるべきだと思う。そのことが、日本の思想や日本精神の中に入っているからだ。


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