Wednesday, April 18, 2007

債権大国日本がたどるべき七つの道

日本は債権大国である。そんな日本の行方を予測をするとどうなるか。七つの予測をしてみたい。

 予測その1。日本人は、海外投資を差し控える。金も貸さなくなる。例えば中国に対して去年から劇的に減った。現在でも既に「もうやめておこう」と差し控えるようになっている。

 予測その2。日本は預貯金が余るから、「貯金しないで使ってしまえ」となる。これも既にこの5、6年、そうなっている。昔と違って、日本人は劇的に貯金しなくなった。

 その理由は、経済的な面から見れば、金利が安いからとか、生活が苦しいからとか、一家の大黒柱である父親が会社をクビになったからとか、いろいろ挙げられる。それらは確かにその通りなのだが、それより前に、今は貯金してもそれほどいいことがないからだ。

 貯金したお金を投資信託などに預けると、「パーになりました」と言われてしまう。そして「自己責任です」と言われてしまうのだ。それなら貯金や投資をしないで使ってしまおうということになる。

日本の若者は「働くこと」から卒業した


 予測その3。そもそも働くのが余計だと、日本人は思うようになる。貯金せずに使おうと思っても欲しい物がそれほどないから、そもそも働くのをやめてしまう。

 これは経済学的にはものすごく正しい。使うあてがないのに働くのはおかしい。そんな人はノイローゼのようなものだ。昔の日本人は、そのようなノイローゼで突き動かされてきた。「働け、貯金しろ、そうすれば何かいいことがある」と言われて育ったが、たいしていいことはなかった。

 そういう社会観念から、日本の若者は卒業した。これは偉い。わたしたち昔の世代は、日本の若者は怠け者になったと思っているかもしれない。だが、世界の歴史を見れば、世界で一番金持ちになって外国に金を貸すようになった国は、働かなくなるのが当たり前なのだ。

 「もっと働いてまた貸そう」なんて、馬鹿げた話だ。貸せば貸すほど、やっかいごとが増える。また借りたい人が「わたしにも貸してくれ」とやって来て、だいたい返してくれないのだ。

 昔、日本は格差社会だった。金持ちと貧乏人とが、かなりはっきり分かれていた。金持ちはたいてい地主で、そういう家には家訓があった。親類や友達など周りの人が金を借りにきたらあげてしまいなさい、というものだ。

 誰かが「100円貸してほしい」と言ってきたら、10円あげてしまいなさい。もし100円貸してしまったら、なかなか返してもらえずにケンカになってしまう。それなら10円あげて「二度と来るな」と言う方がよっぽどいい。今の若者はそうしたことが分かっているのではないか。

信用できない国を発表せよ


 予測その4。日本は交際する相手国を限定して、全方位外交はやめるだろう。日本と心が通じる国とだけ貿易をする。もしくは、貿易はいいけれど、日本と体質が違う、心が違う国には投資しない。相手国を選ぶようになる。

 そんなことは、銀行なら当然やる。あんな国はダメだと言う。銀行は民間だからそれができるが、国家だってやればいい。今はやってはいるのだけれど、口に出せないでいる。

 「おまえの国は金を返しそうもない、日本から見ると信用できない」という国を発表すればいい。外務省は怖いからやらないし、経済産業省はこっそりとやっている。

 だが米国はやった。米国は「世界には泥棒国が五つある」とか、「ならず者国家が五つある」とか、ちゃんと言う。その方が分かりやすくていい。それを日本は「みんないい国です」と言っておいてから「投資はダメ」と言うから、変に思われてしまう。だから全方位外交はやめて、交際相手国をちゃんと限定すればいい。

日本は武力を持ち海外派兵するようになる


 予測その5。国連強化が日本の生きる道だと決めて、必死でやる。米国が逃げたら、あとは全部日本が引き受ける。つまり、国際社会というものをつくる。日本国内にはそういう麗しい社会があるのだから、それを世界に広げるのが理想だ。かつて社会党の人が言ったようなことだが、それを本気でやることだ。

 今、日本は「常任理事国になりたい」と言っている。常任理事国になるということは、責任も被るということだ。今、日本の外務省は「常任理事国はもっと金を出せ」と主張しているのだから。

 もし日本の常任理事国入りが実現したら、日本は国連にたくさん金を出すことになる。つまり、国連をどんどん乗っ取るということだ。今は無意識にそうしたことをやっているが、やがて意識的にやるようになるだろう。

 予測その6。日本は自分で武力を持つ。そして世界を取り仕切る。海外派兵もする。そのとき、一番安上がりで効果的な方法は、原子爆弾を持つことだ。

 予測その7。今まで国際関係や国際金融は美辞麗句で飾られていたが、もうそんな美辞麗句にはだまされない日本人になる。日本国全体として、復興援助、人道支援、国際貢献、開発援助、友好親善のシンボル的事業などは、近ごろはもうあまり通用しなくなってきた。

フレキシビリティが日本人のよさ


 「予測」などと書いたが、実はどれも、現在、進んでいることである。日本は海外投資や海外融資を控えるようになった。貯金するのもやめた。日本の貯蓄率は下がりに下がって、もう世界の中では低い方になっている。

 それから働くのもやめた。労働時間の統計があるが、日本は今、ものすごく休みが増えてしまっている。世界で一番働かない国は日本だといっても過言ではない。

 だから地下鉄が倒産しそうな事態も生まれてくる。地下鉄を新たにつくっても通勤客が全然増えない。黒字になる見込みがまったくないそうだ。そういうふうに、日本人はもう働かないで、国連強化に取り組んで、取り立てはみんなでやろうと努力中なのだ。

 そして、日本は強大な武力をもって海外派兵をする。防衛庁が防衛省になったのだから、これはもうやりかけているとも言える。そんなことが本当に実現するかなと思ったら、あっという間に出来てしまった。不思議な国だ。

 防衛省が出来ても、誰も怒っていない。今まで騒いでいた人たちは、いったいどこへ行ったのだろう。みんな賢いから、信念を貫く人なんていないのだ。

 それは非常にいいことだと思う。日本人はそういうふうにパッパッと変わるフレキシビリティがある。つまり、日本では建て前を守り通すなんていうのは、あまり美しいことではないのだ。そんなことをしても、あまり人はついてこない。

「最後の審判」が欧米の個人主義の根本


 原理・原則を立てて生きるというのは、ヨーロッパの考え方である。キリスト教の考え方が源流にある。「最後の審判」があって、神様がすべてを決めてくれる。今はそれを信じていない人の方が多いと思うが、そういう考え方から発する感覚や常識は今でも生きている。

 最後の審判があるときには、魂が出頭しなければならない。だから霊魂というのは不滅であって、同一でなければいけない。神様からいい判決をもらって天国へ行こうと思う人は、「あの人とわたしは違います」と、区別をつけて暮らさなければいけない。だから個人主義・個人責任になる。

 ところが日本人は「みんなでやりました、わたしはどちらでもよかったです」と言う。そういう生活をしていると、今のようないい国になる。だからわたしはこれでいいと思う。

 ヨーロッパや米国の経済学などは、個人主義で出来ている。一人ひとりが契約して社会をつくった。「個人」は神様につくられて、自由で、独立していて、基本的人権をもっている。それが契約して社会をつくった。

日本人は神よりも人間尊重


 日本人はそうは考えていなかったはずだ。日本の神話では、神様が下りてきたときは、もう地上に人間が先にいた。だから一番人間尊重的なのは日本である。

 その方がいいと思うのだが、ヨーロッパや米国の理屈では、やはり人間はよくないとされる。放っておくと、すぐ悪魔の誘惑に負けるというわけだ。これはキリスト教的な考えである。

 日本人は、人間はもともとは素晴らしいと考える。それが神道の考えである。悪いことをしても、禊(みそぎ)をして洗えば、もとの生地が出てくる。生地は悪くないと考える。

 日本と欧米ではそういう考え方の違いがあるから、そこまで考えて国際関係も考えたほうがいい。そして日本が考えているような麗しい国際親善は、口で言っているだけでは成り立たない。援助を配っているだけでも、どうやらダメだ。

 だから、これからはやはり原子爆弾を持つべきだ。それから必要なら海外派兵もするという「軍事力」を見せるべきだ。そして、ホームステイなどで留学生を交換して、たくさん交流する。両方やらないとダメなのではないか。

 そういうことを分からずに、ただ金を貸しているのが、債権大国日本のアキレス腱だ。日本のアキレス腱は、まず軍事力を持っていないということと、世界の人はたちが悪いということを知らないことである。

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