Wednesday, April 18, 2007

思想戦で海外に負けない教育と教科書を

現代の教育と昔の教育を比べる上で、手がかりになるのが教科書だ。そこで大正時代の教科書をめくってみると、これがものすごくレベルが高い。

 大正時代の教科書には軍国主義はない。その教科書で育った日本の男女が、日中戦争や太平洋戦争の時にちょうど30歳前後だった。彼らは実に冷静沈着に戦争をして、戦争と戦争社会をしっかりと支えた。

 一般市民の多くは、「我々は天皇のため、国家のため、故郷のため、家族のために、全力投球をするぞ」と真面目に考えていた。それなのに、体制側の人間たちがいいかげんな命令を下した。だから必然的に、戦後になって「上をつぶせ」という社会主義がはびこった。

 社会主義によって国家はすっかり自信を失って、何もしなくなった。それでも戦後、日本はここまで経済力を築き上げた。これは昔の教育のおかげである。

 大正時代の教科書の内容は、非常にバラエティがある。そして非常にバランスがよい。小学校1年生の教科書は「ハナ、ハト、マメ」から始まり、具体的に物の名前を教えている。

 研究の第一歩は事物の認識である。観察して認識して名前を付けることがサイエンスの第一歩である。そんなデカルトの指摘を待つまでもなく、またアメリカ心理学の分析を知らなくても、日本の昔の教科書はそのように作られていた。

 それからだんだんと転じて、小学校低学年には、日本の風景の美しさや、人情の美しさを教えていく。子どもの感性を育てるような内容である。

芸術の感動をベートーベンで教えた


 6年生になると、非常にレベルが高い。全部で27課ある。第1課は「明治天皇御製」で、和歌で天皇の人柄を見せている。

 第2課「出雲大社」では神話を教え、第3課はいきなり「チャールズ・ダーウィン」となって、進化論に触れている。そして「新聞」や「商業」などの課程が続く。

 第8課は「ヨーロッパの旅」で、外国に目を向ける。第9課は「月光の曲」。ベートーベンが月光の曲を作ったときのエピソードが紹介されている。

 ベートーベンが友達と歩いていると、ピアノの音が聞こえた。「演奏会というものに行って聴いてみたいわね」という会話が聞こえてきたのでベートーベンは入っていって、そこにあったピアノで、「ぼくが弾いてあげましょう」と言った。

 でも楽譜がない。ではどうやって弾いていたのかと思って見ると、その女性は目の不自由な人で、聞き覚えで弾いていた。そこでベートーベンは、彼女が覚えられるように、いろいろな曲を弾いてあげた。

 そのとき、月の光が差してきたので、それをモチーフにして即興で弾いた。そして女性と別れて家に帰り、その曲を楽譜に書きとめたのが「月光の曲」だった、という物語である。

 これは、芸術の始まりは感動だということを教えている。周りの人に対する同情や思いやりやさまざまな感情が、ワッとわき上がってきて「月光」になった。そうして作られた曲を聴いて、世界の人が感動している。音楽は人間愛であり、それは突然わき上がってくるものだと、暗黙のうちに伝えている。

思想戦で負けないように国際化教育をした


 その先は、日本のことや外国のこと、道徳の説話などを織り交ぜながら教えている。日本のことの中で注目すべきは、第18課で法律を教えていることだ。

 外国のことは、第13課「国旗」で世界各国の旗の由来を教えている。さらに第14課で「リア王物語」。シェークスピアを通じて海外の文化を紹介している。第22課は「トーマス・エジソン」の発明物語。

 まず「ヨーロッパの旅」があり、各論としてドイツのベートーベンの「月光の曲」が出てきて、英国の「リア王物語」が出てきて、米国の「トーマス・エジソン」が出てくる。満遍なく出てくる。当時の教科書では、しっかりと国際化教育がなされていたことがうかがえる。

 そして最後の第27課は、「我が国民性の長所短所」である。国民性の長所短所の話題が大好きなのは、昔からのようだ。この第27課まで理解しないと、本当の小学校卒にはならなかった。

 これだけ国際化教育が充実している教科書を見ると、明治・大正の日本人が、海外の国々から思想戦を仕掛けられていることを知っていたのだと分かる。思想戦で海外に負けないために、そのワクチンとなるように、小学校のときから海外のことをしっかりと教えていた。

 まず日本の国粋主義をさりげなく教える。自分の国に誇りを持つように、日本のよいところや日本人の先達の偉業を教えた。そうして自信を持たせて、それから外国の偉人のことを教えた。ばい菌の力を少し弱めて注射して免疫を作るワクチンと同じように、外国のいいところも教えておく。

 子どものときのこうした教育が、対思想戦の準備となっていた。

知性のない米英の思想戦


 1940年前後の数年間、日本人は戦争をしたが、極めて冷静だった。英米人も人間だ。偉い人は偉い。くだらない人はくだらない。中国人もそうだ。当時の教科書を見てみると、この共通認識があったと考えられる。

 ところが米国はどうだったか。ガダルカナルやサイパン島や硫黄島へ向かって出陣する兵士たちに見せた映画が残っている。

 日本人は「リトル・イエロー・モンキー」だ。小さな黄色いサルだ。しかも心は野望に満ちていて、世界中を侵略しようと思っている。タコのように足を伸ばして、太平洋中に手を広げていく。そんな映画だ。そこには知性がない。

 英国も同じ。終戦からそれほど経たないころに、東南アジアを旅行すると。そのとき、例えばクアラルンプールで華僑の街の裏通りの古本屋に入ると、英国の漫画本が山ほど積んであった。

 ミャンマーの人に残虐なことをしている日本兵が出ていた。そこへ颯爽たる英国軍兵士が登場して、片っ端から日本兵を撃ち殺して、村の人を助けるという漫画だった。

 こうした漫画で、英国の兵隊は、「リトル・イエロー・モンキー」あるいは「ジャップ」と叫んでいる。そして村の娘が感謝するという漫画本をたくさん作って、ミャンマーやマレーシアで配った。

 マレーシアでは日本に占領されて、英国人は追い出されたから、威信を回復するためにそういう漫画本を大量に配ったのであり、こういうのは思想戦であり、工作である。

日本の漫画が思想戦への備えとなる


 今、安倍晋三首相が国家安全保障会議を作ると言っているが、日本の場合、そういう情報機関はたいてい「情報を探ってこい」で終わりだろう。

 日本人は、こちらから工作をすることは考えない。だが、それで対等に戦えるのだろうか。もしそれで負けるのなら、何かやらなければいけない。少なくとも彼らはかつて日本に対していろいろな工作をした。中国だけじゃなく、英国も米国もやった。

 実は、戦後の日本は、かつての英国と同じように漫画を使って、海外の工作を覆してきた。日本の漫画は今や世界中に発信されている。その漫画で、日本式のかわいい女の子や優しい男の子を世界中の子どもたちに見せている。それで育った子どもたちが、もう20~30歳になってきた。

 つまり、かつては「日本人はサルだ」といっていたような海外の人たちのマインドを、日本人は今、自らの手で覆している。日本にはそういう底力があった。

 これが思想戦への備えだ。これから新しく教科書を作るなら、そういうことを考えてほしい。国会討論で言われているような「役に立つ教科書」といったことの前に、教科書には「精神教育」が重要だ。

 精神教育というと、すぐに国粋主義だと非難されるが、せめてワクチンぐらい入れないと、これから育つ子どもたちが思想戦に太刀打ちできなくなってしまう。

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