常盤 文克氏、写真左:西岡 郁夫氏
西岡氏が指摘したのは、ミドル層の元気のなさだ。
「支援を心から求めているベンチャーの経営者を、大企業に紹介してプレゼンさせると、まあ、5分ぐらい経つあたりから、常務取締役、事業本部長といった幹部を除く、ほとんどの人の目が腐った魚のような、どろーんとした目つきになってきます。幹部は危機感をもっていても、横にいる、部長、課長、係長といったミドルの人たちは日頃から、上から落ちてくる仕事しかしていないんですね」
「要するに何か新しいことを、『よし、一丁やってやろうじゃないか』というような気持ちを持っていないから、ぴかっと光る目をしてない。ベンチャーの話を聞いていて、これは大した技術じゃないというんだったら、そう言ってほしいんですよね。ところが、そのベンチャーの技術が大したことかどうかを評価する前に、『わあ、またうるさいことを言ってきた、難しい仕事が増えるのは嫌だなー』という顔をしているんです。これをどう変えていったらいいんだろうか」
一方の常盤氏は、数値化、デジタル化、個別の要素分解が過剰に進んだ経営のあり方に警鐘を鳴らした。 「お金と対極の、心の方に中心を置いた企業の経営があるんじゃないかと。つまり、働く人の、仕事のやり甲斐とか、仕事を達成したときの喜びとか、モノを作り出すときの喜び、あるいは作ったものを使っていただいて、ああ、いいものを作ってくれたなと感謝される、そんな喜びのようなものを中心に置いた経営を考えてみるべきではないか。夢を追いかけていると、こんなこともしたい、あんなこともしたい、よし、やるぞと、人は燃えますよね。いくら株価が上がっても社員は燃えませんよね」
「人の幸せ、働く喜びを大切にしながら、しかも一方でちゃんと利益も上がっているという会社が、実は中小企業にたくさん、もちろん大企業の中にもあります。この辺がこのテーマに掲げられている、新日本型経営というようなものを探っていくときの、1つの切り口になるのではないかなと、そんなふうに思っております」
両氏は東海バネ工業、樹研工業など、高い技術による高付加価値、それを生み出す現場の熱気がうまくリンクした例を挙げたところで、西岡氏がこう切り出した--。
作ったものに誇りを持たせてくれる事業を
「そんな中で、他社が作れないバリューのある商品を適切な利益を戴いて商売する『新・日本的経営』のサンプルとして、先ほど、東海バネ工業の話をしましたけど。こういう商売の仕方はイタリアに結構多くあります。一つの例として、イタリアで有名なドズヴァルドの生ハムの話をします。この話の詳細を知りたい方は内田洋子、シルヴィオ・ピエール両氏の著書『イタリア人の働き方 (光文社新書) をお読み下さい。この本には他にもイタリアらしい働き方が紹介されています。いい本ですよ」
「さて、ドズヴァルドの生ハムはすごく美味しい生ハムで、イタリアの首相が国賓に『これこそイタリアの誇りだ』とふるまうのだそうです。食べたことがある人はいますか? …私もありません(笑)」
「首相が国賓にイタリアの誇りとしてふるまっているのに、年間、ドズヴァルドから売ってもらえる生ハムはたった4本だそうです。皆さんご存じの、ユナイテッド・カラーズ・オブ・ベネトンのベネトン氏も、翌年、翌々年と予約しているのに、毎年売ってもらえるのがたった2本だそうです」
「なぜかというと、ドズヴァルドは年間1500本しか作らないんです。それ以上作ると味が落ちるからです。 彼は邸宅の大広間で生ハムを熟成します。そこが一番空気がきれいな部屋だからです。その大広間に吊るせる生ハムの数が1500だから、評判が評判を読んでお客様のもう長い行列が出来ても年間の生産法数1500本を変えません。その結果、余計に値打ちが上がっていくのです」
薄利多売は経営者の愛情のなさから来る
「これが日本の家電メーカーだったらどうでしょう。1500本が完売したら、さあ3000本、1万本、工場の増築で増産に継ぐ増産ですよ。ついに5万本生産したら売れ行きがガタッと下がってしまう。さあ、それで売れ残ると『早く売れー!』と叩き売りに走る。自分のところの社員が愛情を込めて生み出したバリューを、自分の足で蹴飛ばして下げているわけですよ」 価格は、価値の表現にほかならない
これを受け、常盤氏は、モノの価値を守ることは、働く社員のプライド、ひいては「燃える心」を守ることだと敷衍する。
「それを、さっきの西岡さんの話の続きで、5万本を作ったら売れ残った。じゃあ、しょうがない。もう半額にするかと言って叩き売ったらどうでしょう。自分たちが作った価値を自ら否定してしまいます。社員のプライドはむちゃくちゃですよね、やる気をなくしますよね。それはそうでしょう。価値をちゃんと評価してくれない行為を繰り返している仕組みを直さないといけませんね。『全部、そんな理屈通りはいかないよ』と言われるかも分かりませんが、価値というのはそういうものなんです」
個人の力、集団の力、結びつけるのは「きらめく旗」成果主義の安易な導入に警鐘を鳴らした後、いよいよ「働き方」に入っていく。常盤氏は「人は、やはり集団で働いたときに力が出る。成果主義によって、個人ひとり一人に焦点が絞られすぎているが、優れた個人よりも優れた集団で人は仕事をするのではないか。だからこそ、人は(優れた企業に)集まってくる」と主張する。
「1人よりも集団になることで、より大きな仕事ができる、より大きな創造性を発揮するということも大切にしないといけませんね。個は集団があって初めて機能するんだと思いますし、一方では集団というのは、個があって初めて強い集団になる。個と集団が相互作用する、というか、1つなんだということも考えないといけないんですね。仕事がうまくいったら、半分以上はやっぱり集団の力でしょう。もちろん、集団の中でひときわ光る個人は評価しなくてはいけませんが」
これに対し西岡氏は、「日本の大会社は、集団の力をうまく機能させてない事例が非常に多いと思う」と指摘した。 「例えば、私、インテルへ入ってびっくりしたのは、インテルの会議ではプレゼンテータだけではなく出席者全員が、何らかの貢献しようとバンバン質問や意見を出します。会議の目的は元提案をブラッシュアップするためと明快に位置づけられているからですね。個と集団が相互作用を起こしています」
「ところが日本の会社の場合は、経営会議への提案がすべて根回しされている。変な質問をして発表者が立ち往生でもしたら、根回しを受けてOKした幹部が面目を失うことになってしまいます。ですから質問も出来ず、参加者はみんな黙っています。そして根回し通り“合議制”と称して決まっていくんですよ。会議の参加者は個々のバリューを発揮していませんよ。日本の会社は個と集団の相互作用を使っていないのです」
常盤氏はそれを受けてこう語る。 「それは大いにありますね。だから、個、個と言いながら、集団の力に個の力を結び付けてないというか、統合してないという、この辺、大企業は下手ですね」
「中小企業は、社長さんがいて夢を語り、熱い思いを語り、きらめく旗を立てて、『こっちへ行こうよ』と言って進んでいく、それに付いて個が結集して強い集団にしていく。こんなような仕組みは学ばないといけませんね」
「私、大か小か分かりませんが、長いこと企業で勤めておりまして、今、中小企業について、研究…と言うとおこがましいんですが、勉強をして何十社かいろいろなところを訪ねますと、いろいろと教えられるところがあります。ああ、これからの大企業の行く道は、中小企業の中にあるなと。彼らの生き方、心意気、仕事に対する考え方、これをもう一度、大企業は学んで、新しい自分たちの生き方をしないといけないなということを今、すごく感じておりまして、何かの形で皆さんに伝えたいなと思っているんです。(個と集団が)融合するような仕組みが内蔵されているということですよ、言うなれば」 うなずいた西岡氏はさらに、大企業がなぜ融合にしくじりがちなのかについてこう述べる。
点の取り方と経営のやり方は真逆だ「大企業の特徴というか、大企業に共通のことがあるんですよ。それは大企業って社長はほとんど有名(と言われている)大学を出ていることです。僕、絶対にこれはおかしいと思いますよ」 「学校の試験でいい成績を取るにはノウハウがあります。しやすい問題からやるんですよ。難しいものから解いちゃったら、時間切れでたやすい問題でも回答できなくなります」
「一方、経営は手をつけやすい問題から取り組んでたら会社はつぶれますよ。まず、一番根本のところにメスを入れなきゃ。もっと言えば、試験は答えが1つです。知っています? 歴史で大化の改新はいつ起こったんですか。答えは645年で、それ以外は誰が何と言おうがxです」
「一方、ビジネスには正解がないんです。答が一つとは限りません。戦略が多少狂っても社員が一生懸命やったら成功することもあります。戦略が正しくても、個がばらばらで集団の力を発揮できなければ成功しません。つまり、試験の成績がよかった人=会社のトップ、となるのはおかしいのです。もちろん、彼らが経営したら絶対ダメ、というのも間違いです。が、試験の成績が悪い人が経営では部下の心を盛り上げて成功することは大いに有り得ますし、中小企業ではいっぱい事例があります。それなのに大会社のトップには優秀大学卒しかいないという事実は、大きな問題があることを示していますよ。
トークはいよいよ結論に入る。ここからは、常盤氏・西岡氏の対談をそのままご紹介しよう。 西岡:ところであと12~13分なんですが、じゃあ具体的に、「新・日本的経営」はどうあるべきか? 常盤:ということですね。 西岡:要するに、(社員が燃えるように)経営を変えよう、と言ったって、だいたい当事者の経営者はこういうところに講演を聞きに来ないんですよね。 常盤:そうそう、「代わりに行ってこい」とかね。 西岡:ならば、この場にいる私たちに何ができるんだという話をちょっとしたいんですけれど。
常盤:やっぱり私は「すべては市場が決めるんだ、市場で勝てば善なのだ」と、こういういわゆる「市場主義」は今、行き過ぎているし、そこを直さないといけないと思います。お金中心のものの考え方、仕事の仕方というものに偏り過ぎている。もう一方の極に人というものがあり、人を中心に我々の仕事をもう一度考え直す、そんな時期ではないのかなと。 もっと分かりやすく言えば、今、あなたのやっている仕事、俺のやっている仕事は楽しいのかな、本当に意味があるのかな、みんなと働いている喜び、共感があるのかなと。このようなことを1人ずつ確認しないといけないんじゃないですか。ただ忙しい、忙しいと言って働いているという中からは、新しい日本の企業の姿は出てこないと思います。ちょっとここで一息入れて、自分の生き方を一度考え直してみる、それが新しい企業の姿を描くときの出発点になるのではないかなと思います。
具体的なことを言えないというか、言わないのは、あとはみんなが考えることなんですよね。私がここで言っているようなことを、じゃあ、自分の場合は具体的にどうしたらいいんですか、と、聞いてくる。そんなことではいけませんね。別の言い方をすると、「考える」ということをみんなしなくなっちゃったんですよ。 もっと考えに考え抜くということが仕事の基本ですよね。それを忘れてしまって、「何かいいものが落ちてないか、何かいい情報はないか」というので、インターネットの上をサーフィンしているような生き方は問題ですね。もっと自分で考える、その中から新しい価値がわき出てくるんだ、「まず、自分で考えましょう」ということを言いたいですね。それを通して、「俺は今、意味のある仕事をしているか、楽しいか、俺の人生はこれでいいか」を考える。これを、今日の結論にしたいと思います。
自ら考え、自ら変わることでしか、会社は変えられない西岡:皆さんは、6人の部下のいる課長かもしれない、12名の部下がいる部長かもしれない、30人の部下のいる部長かもしれない。ならば、社長が変われなくても、まず自分の部から変えることですよ。部長が自ら変わってやるんですよ。部長が自分の部下を見る目、部下を使う使い方、部下と一緒に仕事をする仕方を変えるんですよ。それしか手はないでしょう、会社なんか部長には変えられませんよ。逆に言えば、自分自身から私たちは変われる、そこしかないと僕は思っているんですよね。その中で自分の領域を広げていく。係長だったらそうして自分の係を変えて、次に自分の課を変えていく。それからやりましょうよ。そう考えればいっぱいやれるところはあると思いますよ。みんながそうして変え始めたら、1つのうねりに……。 常盤:なりますね。 西岡:はい、うねりになるかもしれないです。 常盤:まさにおっしゃる通りで、そういう中で申し上げておきたいのは、「それじゃあ、どうすればうまくいきますか」「どんな実例がありますか」と言ってしまうこと。これは最低ですね。ベストプラクティスなんて言うけど、それは過去のある時期にある環境で成功した事例にすぎませんよね。過去とは違う現在の環境で、過去のやり方が合うはずがないですよ。考えないで「何かくださいよ」というのではなくて、考え抜くということを大切にしないといけません。
10の会社、会社内の10のグループでもいい。そうしたら、10の生き方がないといけないんですよね。その生き方はそれぞれの会社の人たちがそれぞれ考え出していくんだと。つまりこれが個性ということですよね。個性の時代とか、多様化の時代なんて格好よく言いますけど、実際には同じような横並びの方向へ進みたがっている。ここに問題があると思うんですね。やはり個性というものを自分たちがつくり出す、その中で生き抜いていくという、そう心の置き場所を変えると、日本の企業はもっとよくなる、強くなると思うんです。これは一銭も、お金が掛かるわけじゃありません。投資ゼロでいい会社になれるんですよ。これは私の、仕事を通しての実感です。 西岡:この間、新幹線に乗っていて、その日はよく晴れていて富士山がきれいに見えたんです。そうしたら、車掌がアナウンスで、「皆さん、今日は富士山がすごく美しく見えます。もうすぐ富士山が一番きれいに見れるところに通りかかりますから、そのときにもう一度アナウンスします」って。そして鉄橋にさしかかる場所に行ったら、「皆さん、今、富士山がきれいです」と言ったんです。車内の人はみんな立ち上がって、外国の人も一緒になって「うわー、きれいだな」って、顔を見合わせました。これは、マニュアルに載っていませんよ。この車掌さんは自分の仕事に誇りを持っているのです。誇りのある人の仕事ってこんなものだなと思ったんですね。そういうことから変えていきませんか?