Tuesday, February 28, 2006

「トヨタ」が強いもう一つの理由---『日本コトづくり経営』を読んで

日経ものづくり誌の書籍シリーズとしてこのほど,トヨタ自動車で生産技術者,システムエンジニアを経験した後,現在はCAD/CAMベンダーの社長を務める新木廣海氏の書き下ろしによる書籍『日本コトづくり経営~トヨタで培った新シナリオ』を発行した。この本を読むと,ものづくり力で定評のあるトヨタが強いもう一つの理由がIT(=コト)にあったことが良く分かる。そこで,製造業の競争力という面で筆者なりに注目した視点を3点紹介したい。第1に,データ中心の「プロセス改革」を進めるためにトヨタ生産方式の活用が有効だったこと。第2に「ソフトウエア軽視」の風潮を改めて日本のものづくりのノウハウを盛り込んで品質を上げることが重要であること。第3に,日本と欧米のものづくりに対する考え方が違うことを認識したうえで,日本のものづくりに合ったIT活用を考えること---である。

データ中心のプロセス改革にいち早く着手

 第1の視点である「プロセス改革」についてまず紹介したいのは,著者である新木氏が1970年代に手がけたプレス金型製造プロセスの開発ストーリーだ。同氏はこのときトヨタにいて,金型製造プロセスの改革に携わっていた。

 それ以前のトヨタでは,まず金型の模型(マスターモデル)を作製し,それを基に金型を加工するスタイルを採っていた。もうすこし詳しく言うと,マスターモデルの表面をなぞって得られる3次元座標値を,電気信号を介して工作機械のサーボモータに伝えることによって3次元形状を切削加工する「倣い加工」という方法で金型を作っていた。

 しかし,マスターモデル方式は加工精度を上げにくい。そこで,どうしても最終段階で現物合わせで金型を修正するという工程が発生してしまう。この修正が効率低下を引き起こす。そこで新木氏らは,マスターモデルを廃して設計データから直接金型を彫る方法に変えることを考えた。CADデータ(マスターデータ)を使って直接一気に金型をNC加工し,検査もデータを基に行うスタイルである。つまり,ものづくりの基準をマスターモデルからマスターデータに変えたのだ。

 このマスターデータを使う新しい方法は,結果的には金型品質の向上や開発期間短縮などで劇的な成果をもたらすことになるが,新木氏によると開発当初は金型製造プロセス全体を変革しようという気持ちはなかった。言ってみれば,倣い加工をNC加工に変えようとしただけである。しかし,金型の直接NC加工には当時,誰も成功しておらず,「NC加工に変えるだけ」といっても大変なことだった。

 実際,苦労を重ねて新木氏らはNC加工に変えることに成功した。ところが,すぐにそれだけでは足りないことに気付く。金型の製作プロセス全体を変えなければ大きな効果は得られない,と新木氏らは悟ったのである。

 プロセス全体を変えるために新木氏らが次に取り組んだのが,トヨタらしいといえばそれまでだが,トヨタ生産方式を取り入れたことだった。トヨタ生産方式のポイントの一つは「品質は工程で作りこめ」というものであり,高い精度を持つNC加工の方がその考え方に沿った手法であったことも幸いした。こうして,NC加工を核にして,トヨタ生産方式に基づいてムダなくものが流れるライン化や平準化を実施し,金型プロセス全体の変革手法としての「マスターデータ方式」を確立するに至る。

 このプロセス変革によって,「高品質な車づくりとモデルチェンジの期間短縮を可能にし,欧米の自動車メーカーに対する優位性をトヨタ自動車にもたらすことができたのである」(本書p.72)。

 単にITを導入するだけでは効果は小さく,それと共に現場のプロセス変革をしなければならないという考えは今でこそ常識化した感があり,実は『日経ものづくり』という雑誌も,ITも含めたプロセス改革に関する情報を提供することを主目的として2年前に創刊したのである。しかし,既に1970年代にプロセス改革という観点でITを捉えていたことに筆者は正直,トヨタの底力を感じた次第である。

経営者にこそ求められる「ソフトウエア=コト」重視の姿勢

 冒頭に述べた第2の視点である「ソフトウエア開発」について新木氏は本書で,日本の「ソフトウエア軽視」の風潮を厳しく批判する。日本はもともと目に見えるモノを重視し,目に見えないモノを軽視する傾向があり,ソフトウエアへの関心が低かったと見る。せっかく隣に膨大なノウハウを持つ「ものづくり」の世界あるのに,生産性や品質向上面で立ち遅れ,ソフトウエアに起因するトラブルが多発していると言うのである。

 本書のタイトルである「コトづくり」の「コト」とは,現物としての「モノ」の対立概念であり,CAD/CAMや組み込みソフトウエア,アイデア,想念といった目に見えないもの全般を指している。新木氏は次のように書いている(本書p.55)。

 こういう「モノ」を造りたいという想念(コト)から始まり,設計(コト)が具現化して「モノ」になり,組み込みソフトウエアという「コト」が「モノ」に注入されて,「モノ」が機能するのだ。この過程で設計や,仮想試作品の作成に使われるものが「コト」の塊であるCAD/CAMであり,これも典型的な「コト」なのだ。

 しかも近年,組み込みソフトウエアのプログラム量が爆発的に増えるなど,「コト」の占めるウエイトは高まる一方である。しかし現実には「コト」に対する関心は低く,ソフトウエアの品質問題が増えている。こうした状況を打破するには,ものづくり企業の経営者にもっとソフトウエアのことを知ってもらいたい,と新木氏は言う。本書のタイトルに「経営」という言葉が入っているのはそのためである。

「ものづくり」のノウハウを使ってソフトウエアを「軟らかく」

 一方で新木氏は,ソフトウエア業界に対しても,製造業のノウハウを取り入れたらもっと改善が進むのではないかと訴える。ソフトウエア業界では「ソフト」という言葉に反して,個々の変更が全体にどのような影響が出るか分からないのでむしろ「硬い」のだ,という認識が広まっていると新木氏は見る。これに対して,ものづくりの知恵とソフトウエアの成り立ちへの十分な理解を融合すれば「軟らかく」することは可能ではないか,と提言している。

 この新木氏の自信は,冒頭で述べたプレス金型の製造プロセスの改革の中で,ソフトウエアの開発・改善・保守用のツールをトヨタ生産方式の考え方を反映して開発したことから来ているようである。しかもこのツールは,現在でも十分通用するもので,これをベースにしてさらに大きな効果を出そうと取り組んでいるという。

 最近,ソフト開発ツールにトヨタ生産方式の考え方を導入しようという動きが出てきているが(Tech-On!の関連記事),既に1970年代にトヨタ生産方式に基づいて開発されたツールが開発されており,今なお使われているところにも,トヨタの強さの一端を見る思いがする。

日本「融通無碍」,欧米「完備確定」

 第3の視点である「日本と欧米のものづくりの考え方の違い」について新木氏は,社会・文明の成り立ちにまでさかのぼって考察する。日本は比較的均質な民族からなる「お粥」のような社会であり,暗黙知が共有しやすいという。このため「阿吽(あうん)の呼吸」が働き,自然にコンカレントエンジニアリングに近いことができるという意味で,日本流ものづくりを「融通無碍主義」と同氏は呼ぶ。

 それに対して欧米,特に米国では人種が多いことからニンジンやレタスが独立しながら混ざっている「サラダボール」のような社会だと見る。形式知でないと意思疎通が図れない社会だ。このため,欧米流のものづくりでは,完璧なモデル(ソリッドモデル)データを渡さないと進まないことから「完備確定主義」と新木氏は名付ける。

 「完備確定主義」によるものづくりの一つの側面は,作業プロセスを分業化することである。例えば,欧米では設計者は,設計意図や構造を手書きのポンチ絵に描いて,オペレータがデータ化するため,欧米製のCAD/CAMシステムはそうしたプロセスを前提に作られている。これに対して,日本では設計者自らがCADを使う文化がある。

 日本の大手製造業の多くは欧米発のCADを採用したが,無理に欧米流にやろうとすると,必要もないオペレータを増やしてコストアップになるということにもなりかねない。さらには,設計側と生産側が「阿吽の呼吸」でやっていた日本の良さが次第になくなり,道具に振り回されて欧米と大差のない状況になり,ひいては競争力を落とす可能性があると警鐘を鳴らす。

 そこで新木氏はCAD/CAMベンダーの立場から,融通無碍な日本流ものづくりに合致した日本発のCAD/CAMを生み出しグローバルスタンダードにすることが重要だと説く。そしてそのための鍵は,欧米流の分業化した作業と日本流のチームワーク作業を融合できる環境を提供することにある,としている。

「日本的なるもの」とグローバルスタンダードの融合

 このくだりを読んでいて筆者は,今から10年ほど前の1995年にトヨタ自動車常務取締役の蛇川忠暉氏(現日野自動車会長)にインタビューしたときのことを思い出した。『日経メカニカル』に在籍していた筆者は,開発段階の各段階を同時並行的に進めてリードタイムを短縮する手法として当時自動車業界で導入され始めたSE(サイマルテニアス・エンジニアリング)についてのトヨタの考え方を聞いたのだった。

 まず意外に思ったのは,データやITの話が中心だったことだ。当時SEにはデータ主体の米国流SEと人間主体の日本流SEがあると言われていたが,トヨタはそのころ米国流SEをいかに解釈し,取り込むかに躍起になったいたようである。蛇川氏はインタビューの中で,ソリッドモデルの出現によって,欧米では3次元データがないとものがつくれない時代になったと展望したうえで,次のように語った。

 しかし,「データがなければ物ができません」なんていうのは,やはりおかしい。(中略)データの世界というのは,ボタンを押したら自動的に物ができるようなものなんですね。そうではなくて,だんだん形が作られる面白さとか,今回下手だったから次回はうまくつくろうとか,もっと早くつくろうとか,こういう試行錯誤の中で創造性が培われるんですね。データ中心のプロセスに学習効果は期待できますが,創造性を育てる機能はないんです。

 さらに,日本は伝統的にチームワークで協調作業を進めるのが得意であり,それを活かすことが重要だと強調したうえで「チームワーク面で,勝ってる勝ってるなんて慢心していたら,これはいけません。データはデータの世界できちっと先進性を保ち,かつ,日本的な部分を残していきたいということです。目標は,究極の日本流SEです」(『日経メカニカル』1995年9月4日号p.68,インタビュー「日本流のSEを推進します」)と語っていた。

 その後トヨタは,基幹CADとしてグローバルスタンダードCADの一つである「CATIA」を採用してそれを中核にしたITシステムを構築しているが,その中でも蛇川氏の言う「日本的な部分」を残す試みはカスタマイズなどの形で続いているように見える。

 異質なものを融合させるのは容易ではないだろうが,それを達成したところに,もう一段強くなったトヨタがあるような気がする。

Monday, February 27, 2006

ライブドア事件の原点はここにあった! 

1月16日、ライブドアを東京地検特捜部が強制捜査。翌週の23日夜には、証券取引法違反の疑いで堀江貴文社長(当時)ら4人が逮捕された。  あれから1か月たった。新聞、テレビのホリエモン報道が一巡したところで、改めてこの事件について考えてみたい。  まず私にとって興味深かったのが、強制捜査後の株価の動きである。直後に日本の株価は急落。世界中の株式市場に影響を与え、一時は世界同時株安の様相を見せた。しかし、日本の株価が下がったのは2日間だけ。10日後には元の水準に戻した。  これは何を意味しているのか。  確かに、日本経済全体が上昇トレンドにあったためもあるだろう。しかし、それ以上にマーケットには、「この事件は、他企業に波及しない」という判断があったはずだ。つまり、「ライブドアほど悪質なケースは例外的である」と認識されていたのである。  世間が間違えていたのは、「ホリエモンは法律の網の目をくぐっていた」という認識である。  そうではなく、100%違法行為を繰り返してきたのだが、証拠をつかまれなかったから、捕まらなかったというだけなのだ。  そもそも彼がやっていたことは、完全な「錬金術」であった。  増資をした場合、時価発行だろうがなんだろうが、企業会計の原則では「資本の部」に組み入るのが決まりである。増資をしても資本が増えるだけで、利益が増えるわけではない。  ところがホリエモンは、株式交換、投資事業組合、証券会社を巧妙に組み合わせて、資本の増加を利益にすりかえていたのである。  昨年のニッポン放送株取得に際しても、彼は法律違反を犯している。  発行済み株式の3分の1以上の株式を市場外で取得する場合には、株式公開買い付け(TOB)が必要であるにもかかわらず、「時間外ではあるが、市場での取引だからTOBの義務はない」と主張。リーマンブラザーズから800億円の資金調達をした当日、たまたま時間外市場にちょうどよい金額の株が売りに出ていたから、それを買っただけだと強弁したのである。  おそらく、売り手の村上ファンドと口裏をあわせたのだろうが、当時はそれが立証できなかった。そのため、ニッポン放送の買収は合法とされ、ホリエモンは捕まらなかっただけなのである。  また、2月7日の毎日新聞の報道によれば、元幹部から「東京地検特捜部の事情聴取を受けた」という報告を受けた直後、ホリエモン本人が手持ちの自社株600万株を売り抜けて、約40億円の利益を得ていたという。  確かに、12月下旬に790円台をつけてから、ライブドア株はずるずると値を下げており、個人投資家たちは「下がる要因もないのにおかしい」と不思議がっていたものである。本人が大量に売っていたのでは、下がるのも当たり前である。  これなどは、インサイダー取引のお手本のようなものである。ホリエモンはインサイダー取引の限りを尽くしていたといってもいいだろう。その後も、粉飾決算が明るみになるなど、どう見ても「網の目をくぐる」どころでないことは、ご存じの通りである。
ホリエモンが在京キー局をほしがったわけ 2005流行カタログ・ホリエモン
 では、ホリエモンのどこに問題があったのだろうか。  それを考える前に、彼の人となりを少々考えてみたいと思う。  かくいう私は、堀江前社長と3回ほど会ったことがある。数少ない出会いであるが、この出会いを通じて、よくも悪くも彼がかなり興味深い人間であることを、身近で感じることができた。  初めて会ったのは、2004年12月3日。私が持っているニッポン放送の番組に出演してもらったのである。もちろん、当時は、まだニッポン放送の株買い占めの話などは出ていないころだ。  私としては、それまで自分の番組に大物が来なかったので、ホリエモンの出演にたいそう喜んだものだった。  当時、彼はプロ野球の新規参入が失敗し、「高崎競馬がほしい」と発言していた時期である。  さっそくその理由を尋ねてみると、彼はこう答えた。 「完全競争市場では利益は出ません。でも、規制があれば、そこに超過利益が生まれますからね」  経済学でいう「レント」の考え方である。 「じゃあ、現在レントをもっとも抱え込んでいる業界はどこでしょうかね」 私が質問すると、彼は即座に答えた。 「在京キー局ですよ」  私は感心した。確かに、地上波が5波しかなくて新規参入ができないために、テレビ局は莫大な超過利益を生んでいる。  それに対して、彼のそれまでの企業買収はといえば、成果主義を掲げて給料をドンと下げるというものだ。  もし、フジテレビの買収に成功して社員の給料を下げることができたなら、彼はとんでもない超過利益を手に入れていたことだろう。  その意味では、彼の目のつけどころは鋭く、正しかったといえよう。  その当日、彼はニッポン放送の社屋を隅々まで見て回っている。どうも、あの日が、ニッポン放送乗っ取り計画の原点になったと思えてならないのだ。 「いったい、堀江さんは何をしたいんですか」 「時価総額世界一になりたいんです。ソフトバンクを抜きたいですね」  彼は、野心満々で答える。  だが、「そこまで金をふくらませてどうするんですか」と聞くと答えがない。 「代わりに使いましょうか」と冗談半分に言うと、「いやだ」と言う。  彼の最終目標は、常にお金を増やすことなのだ。  彼の心の中まで立ち入ることはできないが、少なくとも、ものすごく頭の切れる人間であることはわかった。  私自身が東京大学に入学して気づいたのだが、東大生の1割は桁違いに頭がいい。まるで、農耕馬とサラブレッドとの違いである。まさしく彼は、そのサラブレッドに当たる人間だった。  おそらく、彼の出身地の久留米では「孤高の天才」であり、周囲の人間はみなバカに見えたに違いない。  現に、つまらぬ質問をするインタビュアーの前では、何か別の仕事をしながら答えていたのだという。能力があまってしまうわけだ。  だが、あまりにも彼は頭がよすぎた。そのために、彼には友人ができなかった……。  実は、これこそがホリエモンのすべての原点なのだ。  心を許せる友人のいないホリエモンを夢中にさせたのが、「時価総額世界一」という目標だった。そして、その目標はいつしか手段と化していく。  やがて「目標達成のためには手段を選ばない」「法律を破っても、捕まらなければいい」という発想が、彼の経営方針になっていったことは想像に難くない。
虚業から実業に舵を切った孫正義との違い
 しかし、時価総額世界一を目指すには、状況はあまりにも不利だった。  というのも、すでに孫正義のヤフーがポータルサイトを押さえ、三木谷率いる楽天がインターネットショッピングというおいしいところを押さえていた。  そこを逆転するのは、並大抵のやり方では不可能である。そこでどうしたかというと、孫正義氏とまるで逆をいったのである。  確かに、かつての孫氏もホリエモンと同様に、時価総額の上昇をもとにしてM&Aを仕掛けるということを繰り返していた。M&Aが成功すれば、また時価総額が上がり、新たなM&Aに向かう……聞こえはいいが、結局は「自転車操業」なのである。  実業がないままに時価総額をふくらませていくのは、まるで砂上の楼閣を次々に積み上げていくようなものだ。実に危険極まりない。  そこで、危機感を抱いた孫氏はどうしたか。彼の人生とその資源すべてを賭けて、ブロードバンド参入という、とんでもないイチかバチかの勝負に出たのである。虚業を捨て、実業の道へと舵を切ったのだ。  その後も、日本テレコムの買収、そして携帯電話参入へと、孫氏は実業への道を思い切ったスピードで進んできた。  ところが、ホリエモンはそうはしなかった。あくまで虚業を貫きつつ、「ソフトバンクを抜く」という戦略に出たのである。だが、これは、実に危険極まりない賭けであった。  なぜなら、次々に買収して時価総額をあげていくためには、資本に対するリターンを確保しなければならない。そうしないと、買収資金が入ってこないからだ。  とはいえ、買収しておいしい会社というのは、それほど世の中に存在しない。  その結果、時価総額はどんどん高くなるのに、買うものがないという状況に直面した。そこで彼が編み出したのは、冒頭で述べた「資本を利益にすりかえる」という錬金術だったのだ。

Thursday, February 23, 2006

行革の推進力はなぜ強くなる一方なのか

■うま味がなくなって優秀な官僚ほど逃げていく
大蔵省(現・財務省)では、人事課長のことを「秘書課長」という。昔は彼らをどんなにこき使っても、みんな死にものぐるいで朝まで働いてくれた。ところがこの頃は、天下りのうま味もないし、民間の接待もない。だからもう嫌になって帰ってしまう。これは問題だということになっている。
でも彼らが省内の職員に、例えば「君、外資系からお誘いがあるけど、このあたりでひとつ、辞めて行ってみるかね」というと、もっと偉くなろうと思っている人は断るわけだ。「秘書課長」というのも大事な仕事。20人採用しても最後は1人だけいればいいのだから、途中で19人を辞めさせなければいけないのだから。
大蔵省としてはあまり期待していない人に、「君、外資系の誘いがあったけど行くか」というと、だいたい1回目はみんな断るらしい。2回目に「どうかね」とやって、かつてはそれが一巡して誰も行く人がいないという状態だった。つまりその頃、大蔵省にはまだ魅力があった。仕方がないからその次に、多少有望だけど下から数えて何番目かの人に「君、このあたりで……」といった。それでもみんな粘った。
それで結局、本来ならもうちょっと上まで引っ張り上げたいと思う人に「どうかね」と言ったら「はい、行きます」というわけだ。そのレベルの人は賢いから、ちゃんと将来が見えているのだ。つまり、「こんなところに残ってもしようがない」と、外資系に行ってしまう。結局、レベルが上の人ほど、どんどんいなくなってしまう。だから大蔵省としては、中途半端なレベルの人が残って、本当に有望な人がバンバン出ていってしまう。
つまり、役所には「うま味」がなくなったわけだ。その「うま味」をなくしているのは、改革なのだ。それでもまだ、抵抗する人はしている。今がんばるべきはこのことなのだ。小泉首相は「今からがんばる」といっている。実際、国会はもう自民党が抑えたから、法案さえ出せば全部通ってしまう。頭数でいえば、全部通るわけだ。
そうなると、実は法案をつくる人がいないということが問題になる。役所はなるべく新しい法案をつくりたくない。小泉首相は9月に辞めるといっているのだから、9月まで改革を引き延ばせばいいんだと役人は思っている。それでも、役所にも新しい改革案をつくる良心的な人もいる。しかし体制としては、改革はなるべくやりたくない。しかも現実は、小泉さんが辞めた後を見計らって、「おれはやっぱり役所の世話になって、利権を回してもらって当選しなければいけないんだ」というような政治家がまだポチポチいるわけだ。
国民はもっと適切にこの問題に対応していかないといけない。つまり、闇雲に役人をやっつけて意地悪ばかりしていてもダメで、立派な役人はほめなければいけない。結果が出たときにはほめるべきはほめて、ダメな部分はダメと、国民がいわなければいけないのだ。
最初の行革は「赤字の力」が原動力で始まった 土光敏夫さん(元経団連会長、元臨時行政改革推進審議会会長)以来の行政改革22年の歩みを見ると、最初は赤字の力が原動力となっていた。「赤字だからもうこれはやめるんだ」と言えば、角が立たないわけだ。「おまえのやっていることはバカだ、愚かだ、責任問題になるからからやめろ」といえば、相手は怒る。だから、最初は「よいことをしているんだけど、赤字だから、不景気だから」と説得して改革が進んだ。  その次に来たのは「理非曲直をただせ」だ。「それは汚いぞ」という“道徳の風”がだいぶ吹いたわけだ。先日、ホリエモン(堀江貴文元ライブドア社長)が捕まったが、法律的にあの事件をちゃんと証明するのは苦労するだろうけれど、それでも検察庁は、ああいうことをすれば人気が出る。あれも理非曲直の物差しが厳しくなってきたことの表れで、ホリエモンは「おれは法律違反はしていない」と言うが、法律というのは結構動くものなのだ。今は法律がどんどん厳しく動いているということだ。  行革推進法は、間もなく通るだろう。この法律は、要するに“心掛け”が書いてあるのだ。「この方向でこういうふうにやるんだよ、みんなわかったか」と、そんな“精神”が書いてあるわけだ。だから本来、それは法律じゃない。法律というのはもっときちんとしたことを書くものであって、趣旨などは説明書のようなもの、つまり憲法前文みたいな場所に書くというのが長年の常識だったのだが、最近ではそういうことを決めようと思うと決まらないから、まずはともかく趣旨だけを法律で決めることにした。役所の人は法律で決まっていることは守るから、結構これが効いて、いろいろなことが進んでいるわけだ。
国民はすでに福祉カットの覚悟ができている 「赤字の力」「理非曲直をただす力」の次に出てきたのは、「小さな政府へ」という大合唱だ。これが、「民営化」というスローガンになった。民営化を進めるとなると、今度は特殊法人を一挙につぶしてなくしてしまう。政府金融機関などは1つか2つくらいにしてしまうとか。そんな荒療治がどうやら通りそうだが、そこに福祉が含まれることになった。「高齢者の病院代を高くとるぞ」「年金にも税金をかけるぞ」とか。小さな政府だから福祉もカットするという話が出てきている。  これについては、マスコミや評論家は困っていると思う。というのは、昔は「そういうのは悪いことだ。何はともあれこれだけは確保しろ」なんていっていれば済んだからだ。でも最近はそういった意見もあまり見られない。それは、国民が「覚悟はできている」と言っているからだと僕は思う。  国民が「いいよ、それぐらいなら払うよ。病院代が高くなったっていいよ。病院に行かなきゃいいんだ」と覚悟しているのだ。そういう立派な高齢者がこれから出てくる。だから、今までのように型通りに「福祉国家の理想はどこへいった」なんて書いたって、今はダメなのだ。福祉予算カットまで来ても国民は覚悟ができているというあたり、僕は日本という国家に希望を持っている。
これからの改革に国費投入はもうやめよう 役所が法案をつくってくれないから、学者の発案とか、アメリカ人の持ち込み法案などがある。きちんと書き上げられたものもあるし、アイデアだけというものもあるが、ともかくアメリカのハゲタカファンドだか何だかわからないけれど、法案を書いて持ってくるわけだ。彼らは真面目に勉強するから、バランスシートはよく見ている。それから法律規則も全部勉強した上で、「こう変えればよい」というのを持ってくる。そうすると小泉首相は気に入って「この通りやれ、これは誰にも相談せずに国会で通してしまえ」という。  そういう法案を、その道の権威に相談すると、必ずその人は自分の私利私欲を混ぜてしまうから、「日本人に相談するな」というわけだ。小泉首相のそういうやり方に反発した人もいた。綿貫さんなど、自民党を離党した人はみんなそうだと思う。彼らが「やり方がよくない。おれは反対する」といったのは、たぶんそういうことだと思う。  でも小泉首相にしてみれば、そういうふうに反対してくれたら、叩くターゲットができてちょうど具合がいい。「かまわないからやれ」という。反対するほうは「これで(法案を)つぶせるせるだけの人数が集まった」といって、喜んでつぶしたが、小泉首相は実はこれを大喜びで待っていた。抵抗勢力がつぶしたのだから解散して「国民のみなさん、決めてください」と言った。すると国民は「私が決めるんだ」と喜んだ。昨年9月の総選挙はそういうことで進んだと僕は思う。  こうしたステップを経て、これからやる改革は「国費投入はやめよう」というものになった。もうすでに税金は十分使ったんだから。それから「責任を取れ」となった。そうすると、本当に変なことはしなくなるのだ。  だから国民は勉強しなければいけない。今までの税金無駄づかいの措置が通ってきたのは、誰が悪いのか。関係者はたくさんいる。名前を挙げれば挙げられるはずだ。それを情報公開すればいい。印鑑を押した人の名前だけ確認できればいいのだから。  実際、そういうふうに進んできている。「そこにもし汚職があれば、これは摘発しなければいけない」という流れになってきている。「この国費投入はやめろ」「責任者は誰か」「汚職があったのなら指摘して、二度と起こらないような再発防止措置をとらなければいけない」という方向へ、改革がどんどん進んできているのだ。

Friday, February 03, 2006

ライブドアのビジネスモデルとは何だったのか(1)

耐震偽装では生活の安全が、そしてライブドアの会計偽装では株価が揺れています。いずれも、経済取引でもっとも重要な基盤である「信用」を裏切る詐欺行為です。
 本稿の目的は、ライブドア事件を素材に、およそ80年代の米国発の「株価資本主義」の淵源と、利益の乗数が株価の時価総額になるメカニズム、そしてその展開を、明らかにすることです。なぜ、ライブドアが市場の熱の頂点では、1兆円の時価総額にもなりえたかを明らかにします。
<ライブドアのビジネスモデルとは何だったのか(1)>
【目次】
1.耐震偽装が明らかにしたこと
2.偽計取引と粉飾会計
3.本シリーズを書く目的
4.株券はマネー
5.マネーの創造
6. 制度改革
7.ビジネスモデル

1.耐震偽装が明らかにしたこと

▼1050万軒
 国土交通省の推計では、現在の基準に照らすと、耐震性に不備がある住宅は1050万軒(25%)と発表されています。(既存不適格の住宅を含めたものです。これは、控えめな数字でしょうね。)
 住宅以外の学校・店舗・商業ビル・オフィスビル等の特定建物でも、9万棟(25%)が耐震性を満たしていないと国交省は言います。(日経新聞06.01.26)
 日本の住まいの4軒に1軒、住宅以外の建物も4棟に1棟が、耐震性に問題があります。一方で、日本列島は、地震の活性期です。耐震問題は、国民の生活全体に係わります。
 11月に発覚して以降、新築と中古マンションや住宅では、契約のキャンセルが起こり、販売数は急に減少しているようです。  新築住宅の着工は、年間で18兆円(130万戸:05年)です。
 05年12月のマンションの契約率(業者発表の政府集計)では、明確な低下は見えませんが、今は予断を許しません。
 大手ディベロッパーに、同様の偽装販売が波及すれば、事態は一挙に深刻です。
▼確認検査機関
 耐震偽装では「公と民の確認検査機関」が機能を果たしていなかったことが本質です。制度を悪用した人だけを摘発し(一罰百戒という検察手法)、右代表になる特定の人に罪をかぶせれば終わる問題ではない。
 確認検査は、妙な言葉です。事実上の「建築許可」であるにもかかわらず、「当方は確認し、検査するだけである。許可には近いが、許可とは言わない。」という官僚的な責任回避があります。
▼結論
 行政の不作為の罪を含んだ、法と制度の不備です。住宅、国防、食の安全は、国家の基本政策であるべきことですが、いずれもないがしろにされていたということの一端が、露呈しています。

2.偽計取引と粉飾会計

 ライブドアの偽計取引と粉飾会計では、監査役と、監査法人(公認会計士)も、機能を果たしていません。
▼金融庁、東証、証券取引監視委員会
 金融庁、東証、証券取引監視委員会(1992年に発足した日本版SEC)も、偽装取引や粉飾があれば摘発し、未然に防ぐ立場でなければならない。起こった後に、検察に任せるべきことではないのです。
(証券取引監視委員会:SESC)
http://www.fsa.go.jp/sesc/

 会計のフェアネス(公正)は、資本主義の根幹です。株式取引も、フェアネスのルールで築かねばならない。
 今後、こうした、監視すべき機関の「空洞化」の問題が浮上します。
▼付帯して、内部告発
 耐震問題とライブドア問題の不正の発覚は「内部告発」からです。
 耐震偽装では、官僚内部の反小泉、反民営化勢力でした。ライブドアでは、幹部の行動に反発を感じていた人たちです。
 スキャンダルの露呈は、組織内部の抗争からです。ブログは、メディアを個人に与えています。
▼原理的なこと
 官僚組織も、会社を含む組織も、長期雇用を保証する「生活共同体」ではなくなったこと、これが、当世です。
 こうなると、ムラの暗黙のルールや価値観が、外部規範(法、制度、社会倫理)に反していれば、内部からの告発を受けることが多くなります。組織は、内部に外部社会を抱えるように変わったのです。
3.本シリーズを書く目的 本稿の目的は、ライブドア事件を素材に、およそ80年代の米国発の「株価資本主義」の淵源と、利益の乗数が株価の時価総額になるメカニズム、そしてその展開を明らかにすることです。  なぜ、ライブドアが市場の熱の頂点では、1兆円の時価総額にもなりえたかを明らかにします。 ▼時価総額の思想  今は、会社価値=株主価値=株の時価総額とされています。  これは一種の「思想」です。  思想とは「社会や人間に関する、全体的な思考の体系」です。  醒めれば、なぜあんなばかばかしい認識にとらわれていたのかと思うことになります。  多くの人が共通にもつ、時代の認識の枠組みと言ってもいい。認識の枠組み(パラダイム)は、国、時代、社会、集団で異なります。宗教的な認識にも似ています。  70年代ころまでは、株価の時価総額が、会社の価値として、もっとも重要だとすることはなかったのです。  売上高の大きさ、生産する商品の価値、社員の質、そして利益を総合したものが会社価値と思われていました。  米国であっても「一流企業」は時価総額が高いという意味ではなかったのです。  株式市場はうさんくさいものであって、特定の投機家が売買に参加する人気投票と思われていました。  その投機マーケットがつけた株価が、会社価値であるとは思えなかったのです。 ▼3要素 これが変わり始めたのは、およそ80年代の米国からです。 (1)金融と資本の自由化、(2)確率論を応用した金融工学の発達、(3)LBOの手法を含むM&Aの増加の3要素から、次第に「会社価値=株主価値=株の時価総額」ということにされてきました。 (注)この件は、次号で書きます。 ▼時価総額  株価の時価総額が高ければ、時価総額の小さな会社を併合し、買収(M&A)ができる。したがって、時価総額が大きな会社が、価値が高いということに変わって行きます。  米ビジネスウィークやフォーブスは、会社のランキングとして、世界の企業の、TOP500や1000をのせるようになります。  理由は何であれ、時価総額を上げたCEOが、もっとも高い評価を受ける経営者とされる風潮が生まれます。 ▼CEO  CEOや執行役員という肩書きも、株価主義とともに誕生します。 ・株主から預かった資本を運用し、・成長人気を高めることで株価を高め、・株主価値(=時価総額)を高くするのがCEOと執行役員のもっとも重要な使命(ミッション)とされます。 【タレント化】 これとともに株価を上げたCEOが、「スター化、タレント化」してゆきます。ビジネス誌のスターが社会のスターにもなった。 ▼ホリエモン  「ホリエモン」はそうした文化と価値観の中で生まれた、一人の「鬼っこ」です。  創業7年で、ピークでは1兆円(1株1000円×10億株)の会社の価値(時価総額)を生みます。  利益だけで、1兆円は生めません。しかし株式市場はそれを与えたのです。 (1)時価総額が劣る企業は、価値が低い。(2)だから買収する。(3)事業創造は、マネーを生むことである。   利益によるキャッシュではなく、株券がマネーになる。(4)手段は、商品の創造ではなく、買収である。  市場が評価するようにうまくM&A(買収・併合)をすれば、会社価値(=時価総額)を上げることができる。  そのために法と制度の不備を探して突き、制度が慌てて整備される前に、すばやく実行する。

▼製品創造の、位相を変える  根底は以下です。  <わが社が成長してゆくためには、製品のラインアップ(製品種類)を常に拡大してゆかねばならない。しかし大きい「乗数」のおかげで新しい製品をゼロから開発する必要はない。(『チェンジ・ザ・ルール』:エリヤフ・ゴールドラット:2000年:邦訳三本木亮:ダイアモンド社>  鍵はこの乗数です。1年の税引き後純益は、例えば1億円であれば、1億円にすぎない。しかし株式市場は、これを、株の時価として乗数化します。 【PERという乗数】 これがPER(株価÷1株当たり純利益=PER)です。  PERの計算式は、以下のように変形できます。  株価=PER倍率×1株当たり純利益  両辺に、発行する株式数を掛ければ、以下になります。  株価時価総額=PER倍率(乗数)×会社の純利益  会社の純利益が1億円/年なら、これを50年続けて、資本に属する純利益はやっと50億円に達します。50年の仕事は長すぎます。  ところが・・・株式市場は、インターネット関連の成長企業には将来を期待し、PERという純利益への「乗数」として、例えば50倍を与えているとします。  株価時価総額=50倍×1億円=50億円  50年も継続し、苦労して毎年1億円の純利益を上げる必要はない。今日の株価の総額として50億円という時価総額をマーケットが与えます。  ルールが変わったのです。  ここで、苦労した製品創造や、製品を買う顧客の獲得とは違う位相の経営が現れます。  純益は、当面、わずかでもいい。株式市場に成長期待を与えることがすべてだと考える人々が出てきます。  最初は、80年代のシリコンバレーでした。20年後の今は、中国、インド、ブラジルを含め、世界が同じになっています。  <新製品を開発したり、新しいノウハウを蓄積するのに、わざわざ、長い時間を費やす必要がないんだ。各分野でトップの企業を探し、買収するだけでいい。相手の言い値でかまわない。なにしろキャッシュで払う必要がない。株で払えばいい。株価が高いから、その一部を少しわけてやるだけで済むんだ。(同書)>  株価を上げ、50社余の(トップ企業ではないジャンク会社の)ベンチャーの買収で、堀江氏が行ったことです。  ゴールドラットは、全体最適、スループット会計、そして制約理論(TOC:Theory Of Constraints)を小説形式で発表したイスラエルの物理学者です。
5.マネーの創造以下は、堀江貴文氏の内観を想定して書きます。
(1)自社の時価総額を高く保てば、製品を開発する必要はない。

(2)株式交換で、キャッシュも要らず、買収すればいい。

(3)株式市場は、それを歓迎し、更に株価を上げるだろう。

(4)そうすると時価総額が増え、株式交換で次の買収ができる。

(5)これを継続する。商品開発には、長い期間とコストがかかり消耗と徒労だ。商品開発の目的は、利益というマネーだろう。 しかし・・・ 自分で苦労し、新しい商品の開発や顧客の獲得をする必要はない。毎年の節約で生まれる利益を、積み重ね、キャッシュを貯める必要もない。 マーケットが株価を評価するという条件を、経営計画で作れば、株券の印刷だけで、数千億円のマネーも「創造」できるだろう。 上場すれば、日銀だけがもつ紙幣印刷機が、会社にあることと事実上は等しい。株券がマネーになる。自分はこれをやる。 会社にとって利益蓄積の意味が、変わった。 株式市場は、将来の利益見込みを、DCF(Discount Cash Flow)法で、現在のマネーに変換してくれる。 ベンチャーに市場は期待し、高いPER(利益の乗数)を与える。 根底の理由は、小金をもち一攫千金の幸運を狙う個人投資家が、株式市場に増えたからだ。

6.制度改革 銀行の、企業育成のための融資機能が働かなくなった90年代に、政府は、米国の90年代発展を作ったナスダックをモデルに、制度改革を行った。 ▼マザーズ、ヘラクレス、株式交換、株式分割  政府は以下の3つを法制化した。 ・株式上場の超がつく規制緩和(マザーズ、ヘラクレスの創設)を行い、・99年からは、株式交換による買収を認め、・01年からは、株式分割による株の水割りも可能にした。  多くの人は上場(株式公開)を過去の基準で見ている。  マザーズやヘラクレスが、どんなに上場基準を下げたか多くの人は、まだ知らない。  マザーズであっても「上場企業=信用のある企業」と見ている。 【700兆円の預金】 そして日本政府は、米国の要請を受け700兆円の個人預金を株式市場に流そうとする意図も、もっている。  小泉首相の積年の念願である郵政の民営化もそのためのひとつである。株式市場にとってチャンスである。 【401K】 米国の、退職金を自主運用する401Kが、米国の株価を上げ、米国経済を活性化させたことを、日本政府は真似ようとしている。  401Kで、それまで株に縁がなかった50%の世帯(5000万世帯)が、株を買うようになった。1世帯100万円分($1万)で株を買っても、株式市場への資金流入の総額は50兆円になる。  50兆円の資金流入があれば、株価指数は数倍に上がるだろう。  事実、この401Kで株は隅々にまで大衆化し、マーケットへの資金流入が増え、95年から米国株は、急に上がった。数倍になった。  米国株の上昇につられ、貿易黒字の国と、利益に抜け目のない西欧は、米国に資金を流入させた。  貿易赤字がどんなに大きくなっても、世界は、米国の債券と株を買った。米国はマネーがなくても、世界が与えてくれるから、それでモノを輸入し、買って使えるようになった。  米国は「90年代の金融革命」で再生した。産業が再生したのではない。金融の技術がマネーを生んだ。  米国人の3000兆円余の、世帯の金融資産では、今、50%の1500兆円が株である。  一方、日本では、1400兆円の個人金融資産のうち50%(700兆円)が預金として固定されている。  今後、この預金が、株式市場に流れることを、利用する。 ▼上場基準の低さ  マザーズの上場基準は、信じられないくらい低い。  1年前に新設したばかりの会社も上場ができる。  将来利益の裏付が薄い株にも、 ・成長見込みの作文と、・ビジネスモデルがあれば値段がつく。  つまり経営企画書がマネーになる。  唯一の条件は、上場日の時価総額(株価×発行株数)が10億円以上になる見込みがあり、株主を300名以上作れる可能性があることだ。 <マザーズは、高い成長可能性を有していると認められる企業を上場対象としています。したがって、業種に関係なく、優れた技術やノーハウを持ち、成長の可能性が認められるすべての企業はマザーズの上場対象会社ということになります。(東証マザーズのホームページの公告)>  必要な書類を作ればいい。たった1期の、売上があればいい。今は赤字でも、将来の成長力があると認められればかまわないというのだから驚く。  マザーズやヘラクレスの株を買うのは、主に個人投資家だ。会社の中身(貸借対照表や損益計算書)を調べて買う人は少数だ。  パソコンの画面で、激しく変わる今日の値動きしか見ていない。貸借対照表を読んでいる人は少ない。話題を作り、個人投資家の人気を得ればいい。  会社経営では、毎月の資金繰りに苦労した。銀行は、どんなに可能性のある投資であっても、実現性のある実行計画書があっても担保と保証人がなければ貸してくれなかった。  真面目に商品開発し苦労して販売しても、1000万円の融資を丁寧に断られ、銀行から帰るときは、世の矛盾を感じた。  創業した自分がもつ1000株(額面5万円)の株に、8倍の40万円の値段がつけば、4億円にもなる。  それを少しずつ売って会社に貸せば、資金繰りはできる。突然に個人資産もでき、リッチな生活もできる。フェラリーも買おうと思えば買える。人の心も買える。  しかも、株式市場からもらったお金は返済の必要がない。そして、1000万円の融資を断った銀行も、マザーズに上場したとなれば、昨日までのことは忘れ、借りてくれと日参するだろう。  自分も、5年、いや3年あれば勝者になることができる。  それが、チェックと監理がゆるゆるの、マザーズだ。
7.ビジネスモデル <消費税のように、個人から広く浅く、日本中、そして世界のマネーを集める。そのために、史上かつて、誰も行っていない規模の株式分割を実行する。>  1株500円なら100株を買っても5万円にすぎない。5万円なら、ためしに、誰でも買えるだろう。 (注)これが、ライブドアが狙ったことです。  5万円が2万円になっても、株は自分の失敗である。小泉内閣が言うように自己責任だ。誰も文句は言わない。話題をつくって上げれば、もっと買うだろう。コストは、株券の印刷費だけだ。  売る商品は分割した株券である。公式には言えないが、ライブドアのビジネスの本質は、株券の印刷販売業である。  そして株券を印刷し、次々に会社を買う。同世代は皆会社に勤め、わずかな給料をもらう方法しか知らない。  マザーズが何をもたらすか、知っている人は少数だろう。
 ライブドアの株式発行数は、1万倍への分割によって、当初の10万株が、10億株という異常な数になっています。  例えば時価総額9兆円のNTTドコモは、4870万株とライブドアの株数の20分の1です。  会計ブレーンを宮内氏とし、堀江貴文氏が作ったのは「株券の印刷・販売のビジネスモデル」でした。  5分割くらいはあってもまさか1株を1万株にも分割する考えをもっている人はいなかった。ライブドアは2000年以降の、わが国の、抜け穴だらけの制度改革を利用するのに大胆でした。  80年代までは、法を超えた「行政指導」にあれほど熱心だった官僚と財務省も、90年代にあいついだスキャンダルと、規制緩和の思潮の下で、「法に、明文化した定めがなければ、規制はできない。適法ではなくても違法ではない。」というところに逃げ込みます。  ライブドアほどではなくても、新興市場には、堀江氏と同じような、株券の印刷がマネー創造という考えをもっている創業者が多い。  もちろん公式には言いません。行動で見るしかない。  次稿では、なぜこのようなことが可能になったのか、そして、会社価値=株主価値=時価総額=という、それぞれに異質のものをつなぐパラダイムがどういう経緯と方法で定着したのかを見ます。  NYでアメリカ人のシステム・エンジニアと話していたとき、商品価値の話題になって、話がかみ合いませんでした。(私の英語表現の下手さもあったかもしれません)  彼は、商品バリュー=価格と理解していました。  バリューは価格だったのです。  会社の価値=時価総額と同じ構造です。このとき感じた違和を、忘れません。