「トヨタ」が強いもう一つの理由---『日本コトづくり経営』を読んで
データ中心のプロセス改革にいち早く着手
第1の視点である「プロセス改革」についてまず紹介したいのは,著者である新木氏が1970年代に手がけたプレス金型製造プロセスの開発ストーリーだ。同氏はこのときトヨタにいて,金型製造プロセスの改革に携わっていた。
それ以前のトヨタでは,まず金型の模型(マスターモデル)を作製し,それを基に金型を加工するスタイルを採っていた。もうすこし詳しく言うと,マスターモデルの表面をなぞって得られる3次元座標値を,電気信号を介して工作機械のサーボモータに伝えることによって3次元形状を切削加工する「倣い加工」という方法で金型を作っていた。
しかし,マスターモデル方式は加工精度を上げにくい。そこで,どうしても最終段階で現物合わせで金型を修正するという工程が発生してしまう。この修正が効率低下を引き起こす。そこで新木氏らは,マスターモデルを廃して設計データから直接金型を彫る方法に変えることを考えた。CADデータ(マスターデータ)を使って直接一気に金型をNC加工し,検査もデータを基に行うスタイルである。つまり,ものづくりの基準をマスターモデルからマスターデータに変えたのだ。
このマスターデータを使う新しい方法は,結果的には金型品質の向上や開発期間短縮などで劇的な成果をもたらすことになるが,新木氏によると開発当初は金型製造プロセス全体を変革しようという気持ちはなかった。言ってみれば,倣い加工をNC加工に変えようとしただけである。しかし,金型の直接NC加工には当時,誰も成功しておらず,「NC加工に変えるだけ」といっても大変なことだった。
実際,苦労を重ねて新木氏らはNC加工に変えることに成功した。ところが,すぐにそれだけでは足りないことに気付く。金型の製作プロセス全体を変えなければ大きな効果は得られない,と新木氏らは悟ったのである。
プロセス全体を変えるために新木氏らが次に取り組んだのが,トヨタらしいといえばそれまでだが,トヨタ生産方式を取り入れたことだった。トヨタ生産方式のポイントの一つは「品質は工程で作りこめ」というものであり,高い精度を持つNC加工の方がその考え方に沿った手法であったことも幸いした。こうして,NC加工を核にして,トヨタ生産方式に基づいてムダなくものが流れるライン化や平準化を実施し,金型プロセス全体の変革手法としての「マスターデータ方式」を確立するに至る。
このプロセス変革によって,「高品質な車づくりとモデルチェンジの期間短縮を可能にし,欧米の自動車メーカーに対する優位性をトヨタ自動車にもたらすことができたのである」(本書p.72)。
単にITを導入するだけでは効果は小さく,それと共に現場のプロセス変革をしなければならないという考えは今でこそ常識化した感があり,実は『日経ものづくり』という雑誌も,ITも含めたプロセス改革に関する情報を提供することを主目的として2年前に創刊したのである。しかし,既に1970年代にプロセス改革という観点でITを捉えていたことに筆者は正直,トヨタの底力を感じた次第である。
経営者にこそ求められる「ソフトウエア=コト」重視の姿勢
冒頭に述べた第2の視点である「ソフトウエア開発」について新木氏は本書で,日本の「ソフトウエア軽視」の風潮を厳しく批判する。日本はもともと目に見えるモノを重視し,目に見えないモノを軽視する傾向があり,ソフトウエアへの関心が低かったと見る。せっかく隣に膨大なノウハウを持つ「ものづくり」の世界あるのに,生産性や品質向上面で立ち遅れ,ソフトウエアに起因するトラブルが多発していると言うのである。
本書のタイトルである「コトづくり」の「コト」とは,現物としての「モノ」の対立概念であり,CAD/CAMや組み込みソフトウエア,アイデア,想念といった目に見えないもの全般を指している。新木氏は次のように書いている(本書p.55)。
こういう「モノ」を造りたいという想念(コト)から始まり,設計(コト)が具現化して「モノ」になり,組み込みソフトウエアという「コト」が「モノ」に注入されて,「モノ」が機能するのだ。この過程で設計や,仮想試作品の作成に使われるものが「コト」の塊であるCAD/CAMであり,これも典型的な「コト」なのだ。
しかも近年,組み込みソフトウエアのプログラム量が爆発的に増えるなど,「コト」の占めるウエイトは高まる一方である。しかし現実には「コト」に対する関心は低く,ソフトウエアの品質問題が増えている。こうした状況を打破するには,ものづくり企業の経営者にもっとソフトウエアのことを知ってもらいたい,と新木氏は言う。本書のタイトルに「経営」という言葉が入っているのはそのためである。
「ものづくり」のノウハウを使ってソフトウエアを「軟らかく」
一方で新木氏は,ソフトウエア業界に対しても,製造業のノウハウを取り入れたらもっと改善が進むのではないかと訴える。ソフトウエア業界では「ソフト」という言葉に反して,個々の変更が全体にどのような影響が出るか分からないのでむしろ「硬い」のだ,という認識が広まっていると新木氏は見る。これに対して,ものづくりの知恵とソフトウエアの成り立ちへの十分な理解を融合すれば「軟らかく」することは可能ではないか,と提言している。
この新木氏の自信は,冒頭で述べたプレス金型の製造プロセスの改革の中で,ソフトウエアの開発・改善・保守用のツールをトヨタ生産方式の考え方を反映して開発したことから来ているようである。しかもこのツールは,現在でも十分通用するもので,これをベースにしてさらに大きな効果を出そうと取り組んでいるという。
最近,ソフト開発ツールにトヨタ生産方式の考え方を導入しようという動きが出てきているが(Tech-On!の関連記事),既に1970年代にトヨタ生産方式に基づいて開発されたツールが開発されており,今なお使われているところにも,トヨタの強さの一端を見る思いがする。
日本「融通無碍」,欧米「完備確定」
第3の視点である「日本と欧米のものづくりの考え方の違い」について新木氏は,社会・文明の成り立ちにまでさかのぼって考察する。日本は比較的均質な民族からなる「お粥」のような社会であり,暗黙知が共有しやすいという。このため「阿吽(あうん)の呼吸」が働き,自然にコンカレントエンジニアリングに近いことができるという意味で,日本流ものづくりを「融通無碍主義」と同氏は呼ぶ。
それに対して欧米,特に米国では人種が多いことからニンジンやレタスが独立しながら混ざっている「サラダボール」のような社会だと見る。形式知でないと意思疎通が図れない社会だ。このため,欧米流のものづくりでは,完璧なモデル(ソリッドモデル)データを渡さないと進まないことから「完備確定主義」と新木氏は名付ける。
「完備確定主義」によるものづくりの一つの側面は,作業プロセスを分業化することである。例えば,欧米では設計者は,設計意図や構造を手書きのポンチ絵に描いて,オペレータがデータ化するため,欧米製のCAD/CAMシステムはそうしたプロセスを前提に作られている。これに対して,日本では設計者自らがCADを使う文化がある。
日本の大手製造業の多くは欧米発のCADを採用したが,無理に欧米流にやろうとすると,必要もないオペレータを増やしてコストアップになるということにもなりかねない。さらには,設計側と生産側が「阿吽の呼吸」でやっていた日本の良さが次第になくなり,道具に振り回されて欧米と大差のない状況になり,ひいては競争力を落とす可能性があると警鐘を鳴らす。
そこで新木氏はCAD/CAMベンダーの立場から,融通無碍な日本流ものづくりに合致した日本発のCAD/CAMを生み出しグローバルスタンダードにすることが重要だと説く。そしてそのための鍵は,欧米流の分業化した作業と日本流のチームワーク作業を融合できる環境を提供することにある,としている。
「日本的なるもの」とグローバルスタンダードの融合
このくだりを読んでいて筆者は,今から10年ほど前の1995年にトヨタ自動車常務取締役の蛇川忠暉氏(現日野自動車会長)にインタビューしたときのことを思い出した。『日経メカニカル』に在籍していた筆者は,開発段階の各段階を同時並行的に進めてリードタイムを短縮する手法として当時自動車業界で導入され始めたSE(サイマルテニアス・エンジニアリング)についてのトヨタの考え方を聞いたのだった。
まず意外に思ったのは,データやITの話が中心だったことだ。当時SEにはデータ主体の米国流SEと人間主体の日本流SEがあると言われていたが,トヨタはそのころ米国流SEをいかに解釈し,取り込むかに躍起になったいたようである。蛇川氏はインタビューの中で,ソリッドモデルの出現によって,欧米では3次元データがないとものがつくれない時代になったと展望したうえで,次のように語った。
しかし,「データがなければ物ができません」なんていうのは,やはりおかしい。(中略)データの世界というのは,ボタンを押したら自動的に物ができるようなものなんですね。そうではなくて,だんだん形が作られる面白さとか,今回下手だったから次回はうまくつくろうとか,もっと早くつくろうとか,こういう試行錯誤の中で創造性が培われるんですね。データ中心のプロセスに学習効果は期待できますが,創造性を育てる機能はないんです。
さらに,日本は伝統的にチームワークで協調作業を進めるのが得意であり,それを活かすことが重要だと強調したうえで「チームワーク面で,勝ってる勝ってるなんて慢心していたら,これはいけません。データはデータの世界できちっと先進性を保ち,かつ,日本的な部分を残していきたいということです。目標は,究極の日本流SEです」(『日経メカニカル』1995年9月4日号p.68,インタビュー「日本流のSEを推進します」)と語っていた。
その後トヨタは,基幹CADとしてグローバルスタンダードCADの一つである「CATIA」を採用してそれを中核にしたITシステムを構築しているが,その中でも蛇川氏の言う「日本的な部分」を残す試みはカスタマイズなどの形で続いているように見える。
異質なものを融合させるのは容易ではないだろうが,それを達成したところに,もう一段強くなったトヨタがあるような気がする。