東証のシステムトラブルは起こるべくして起こった
自社開発をしているからこそ作ることのできた機能は画面のあちこちに見られるが、みなが「これ何?」て必ず聞く機能が『目からウロコ捕集器』である。これは講義中、あるいはディスカッション中に誰かが「目からウロコ」と思ったら、それをまとめて収録しておくものだ。そして2ヶ月、3ヶ月後に改めてその「目からウロコ」をまとめて見直して見る。すると学生は「俺はつい最近までこの程度のことに感心していたのか」と驚く(つまり短期間でどれだけ自分が成長したかが分かる)というわけだ。 成長の度合いが分かればそれだけモチベーションも向上するし、他の学生にとっても大きな励みになる。このような機能を外部のベンダーに丸投げして作らせていたらどうなっていたか。納期は守られず、コストは見積もりをオーバーし、それでいて機能的には満足できないものが上がってきたのではないか。もちろん、依頼者側がしっかりしていて外部ベンダーにはっきりとした仕様を書き出せる場合にはこの限りではない。しかし、その場合にはベンダーの常として開発費用の増額を要求してくる。大手ベンダーの管理職は開発費の大きさで業績評価されるので複雑な仕様や、追加仕様をすれば必ず見積もりを上げてくる。そういう仕組みになっているのだ。すべてのベンダーがそうだというつもりはないが、外部にシステムを発注することには常にこうしたリスクがつきまとう。 自社開発の良さは、そうしたことに左右されないで自由に皆で仕様を打ち合わせして、しかも、だんだん開発部隊が「こういう機能も追加しましょうか?」とか、「これはまとめて一画面にしたほうが分かりやすい」「どうせなら後からこういう形で検索できるようにした方が便利だ」などと、使用者側の立場に立ってどんどん提案するようになる。また、そういうオーナーシップの強い人を担当にすることができる。
システム構築に間接話法はご法度 というと、「ベンダーにシステム構築させることの何が悪いんだ。きちんとした要件書を作成すればいいだけの話ではないか」という反論もあることだろう。これは、私も上述のようにその通り、と思っているのだ。 しかし現在、そんな間接話法で事を進めることが本当に出来るのか、と言うのが私の疑問なのだ。現代の複雑なユーザーシステムを最初から構想してスペックを書ける人がいったい何人いるのだろうか? また、素人であるユーザーが想定どおりの利用方法をとってくれるだろうか? 全てのユーザーが異なる通信環境、ファイヤウオール、クライアント・サーバー、国籍をもってこちらのシステムにつないでくる場合、「想定外」の多くのトラブルが起こる。それを書き出してベンダーに出せる人がいたらお目にかかりたい。システムはユーザーからたたき上げられて初めて使えるものになるのだ。その都度ベンダーを呼びつけて改善させていたのでは、途方もない費用となるか、許容できない遅延となるか、その両方か、である。 私はスクエア(今はエニックスと合併してスクエアエニックスとなっている)というゲームソフト会社の社外取締役をやっていたが、あの会社の特徴は発売前に多くの子供達に“試運転”してもらい、バグを見つけてもらう制度を古くから確立していたことである。サラリーマンではなかなかバグは取れないし、どんな天才開発者でもバグは発生する。しかも、何百人という子供達があらゆるバグを取り除いてくれたとしても、発売後に時として大きなバグが見つかることがある。およそシステムというものはそういうものなのである。
国際的な視点で標準的なシステムは何かを調べよう いま世界的な傾向としては自社開発が出来なければ、その業界の世界的デファクト・スタンダードとなっているパッケージを購入し、それを使いやすいものに修正していく。シスコの有名なバーチャルシングルカンパニーを可能にしているコネクションオンラインはSAPのERPパッケージをベースにエド・コゼール情報システム担当副社長(当時)が中心となって開発したものである。もちろん外部のベンダーも使われているが、ここでのキーワードは当時社長であったジョン・チェンバーズとコゼール氏が「こういう企業を作りたい」というビジョンを掲げての二人三脚で進めた結果である。 銀行システムに関しても同じように今ではインドで開発された分散処理型のものが世界標準になりつつある。日本でも新生銀行が取り入れて話題となっているが、欧米では話題にもならない。東京三菱とUFJの合併ではシステムへの不安から統合システムの稼動が08年12月に再々延期されている。レガシーを合体させるからこうなるのだ。いっそのこと新生銀行のシステムを買ったほうがどれだけ安いのか担当者は面子を捨てて考えるべきだ。 いま証券取引所システムの世界スタンダードはスウェーデンのOMXであるといわれている。この会社はかってロンドンの証券取引所の買収に動いたことで一躍有名になったが、ユーザーが自らシステムを開発する、と言う代表例といってもいい。北欧及びバルト三国では実際の取引所6ケ所に資本参加して運営する一方で、そこで得られた知見をもとにかなり汎用性の高いパッケージを作り上げ、EU、アメリカ、オーストラリア、シンガポールなど世界中の13の取引所で実際に稼動させている。 現物取引だけでなくオプションやデリバティブなども扱える共通のプラットフォーム、スケールアップしやすい分散型のシステム、外部からの攻撃や万一の事故に対する対応能力など、世界標準になるための要素を兼ね備えている。もちろんOMXだけではなくアクセンチュアやIBMなどもこうした分野での実績を持っているが、日本の取引所には入り込めていない。一方、世界の厳しい使用環境での実績に乏しい国内のベンダーが必死に新しいシステムを構築しようとしているのだが、この状況は、銀行システムと同じく、世界標準からは程遠く、時間と経費の浪費に終るだろう。新しいシステムは、早い、安い、正確、安全、強い、などの特徴があり、レガシーの経験しかない日本の集中型・巨大システム主義とは明らかに一線を画している。
システムが不完全なら「人間系」でカバーすべき
もう一つ考えなくてはいけないのは日本の官僚機構のもつ「無謬性神話」である。たとえば12月のみずほ証券誤発注に対する大損害の“溶け合い”である。これはシステムが不完全、という前提に立てば「人間系」で解決すべき領域の問題である。東証の西室新社長は二年間かけて世界標準のシステムを構築すると言っているが、その場合の大前提は取引所の運営ルールや役割、トレーダーとの境界線の見直し、人間系の抜本的な見直し、などがなければ、システムをどんなに堅牢に作っても事故は繰り返されるだろう。
MITの原子力工学部の名物教授で、マンハッタン計画にも参画しているトムプソン教授の言葉を思い出す。彼は私達大学院の学生に原子炉の安全に関しての講義の中で、「一番基本的なことは開発技術者としての知識を云々するよりも、当該原子炉を自分の家の裏に作る、という前提で物事を考えること」という教えであった。自分の裏庭なら、絶対にやらないこと、法律にあるから、とか、依頼主の要望だから、と言うのではなく最愛の家族の住む家の裏に建てられないようなものは設計してはいけない、という教えである。彼は実際にMITの原子炉を校舎の隣、ガソリンスタンドの裏に建設した。
バグを早めに出してどんどん修正するのが良策
さて、話を元に戻して、努力の甲斐あって完璧な要件書が作りこめたとしよう。しかしベンダーというものは要件書を読むことはできるが、行間に存在するユーザーの意図まで読み取るとは限らない。いや、むしろ読み取ってくれない可能性の方が高い。するとユーザーは「とりあえず問題はなさそうだけれど、でも何か違う」という違和感を常に感じながらシステムを使い続けることになるのだ。この事件の後、与謝野財務相は東証のトップを呼んで「バックアップを作るなど工夫をしたらどうか」という注意をしている。しかし、これは報道されたところによると富士通のプログラムミスだという。そうであれば、バックアップを取っていても、同じミスがあるわけで、何の足しにもならない。こうした素人判断を一国の大臣が公的な立場で発言するというところに日本の要人のシステムに関する認識の甘さがある。銀行業界でも、官僚は(自分達の指導した)統合がいよいよ本番、と言う段階になって、恐ろしくなり、稼動を後ろにずらせ、と言い始める始末である。むしろ早くやってバグをどんどん出させて直していく、という態度でなければシステムの前進はない。誰が非難されるのか、と言う観点からしかこうした問題が考えられていない。国民も「絶対に安全を」とか「誤りは許さない」と叫ぶだけだ。そういう国はますます硬直化して、世界標準のシステムつくりから取り残されていくことになる。
今の時代はシステムが人間に合わせる作業と、人間がシステムに合わせる作業のバランスをとるのが一番難しいときである。第一世代のコンピューターは人間の作業を置き換えていくものだった。しかし、いまのコンピューターの性能からすれば、それを熟知した人がシステムを構築し、人間をそれに合わせていく、と言うのが基本である。その上で、さらに人間系の微妙なところを反映してシステムの完成度を高めていく。
今の状態のまま東証システムの能力を上げても解決にならない 今の東証のシステム、あるいは日本の取引所のシステム、と言うものはまだ第一段階である。すなわち昔の立会い所でやっていた通りにシステムを作ろうとするので、世界で普通に使われている第二世代のシステムをそのまま持ってくることは出来ない。 国家間の利害調整が必要だったEUや新興国シンガポールや香港などのシステムがいつの間にかニューヨーク証券取引所や東京などよりも進んでしまったのは偶然ではない。ニューヨークは未だに立会い取引きを中心になっているし、日本は全部コンピューターに置き換えたが、それはあくまで立会いをコンピューターが代わりにやっている、という第一世代の段階である。 その一つの例として、東証の株取引に関しては注文を受けたと言う情報が返ってくるのに時間がかかりすぎる、と言う指摘がある。実際市場関係者の話では5秒から、遅い時には15秒くらいかかることも珍しくない、という。しかし、いまの世界標準は150ミリ秒くらいで、また最速のものは35ミリ秒、という反応速度である。このレンジになるとインターネットのルーターのスイッチ速度と同等になるので、専用回線で直接結んでいかないと性能をフルに発揮できない。この速度では考える隙がない(マバタキの時間が100ミリ秒と言われている)ためにすべての判断をコンピューターがやらなくてはならない。そこでまたシステムが一段と進歩することになる。今回のみずほ証券の誤発注では5分くらい後から一般投資家も含んで大騒ぎになっているが、世界的な投資銀行であれば瞬時に鞘取りにいける十分な時間があったことになる。実際UBSはじめ大きく儲けたところは優れたシステムとトレーダーで知られたところばかりであり、誤発注便乗儲け組みトップ10で野村證券の凋落振りを語る人もいたくらいである。
注文件数が急増した東京証券取引所ライブドア問題を機に注文件数が急増した東京証券取引所。システム処理に支障が生じかねないとの判断から、午後2時40分には売買全面停止となった。この日の取引はこれで終了し、日経平均株価の終値は前日比464円77銭安の1万5341円18銭。一時746円安と1万5000円大台割れ寸前まで下げた(日本・東京)(写真提供:時事通信社。なお同写真およびキャプションについて、時事通信の承諾なしに複製、改変、翻訳、転載、蓄積、頒布、販売、出版、放送、送信などを行うことは禁じられています) つい先週も東証は「約定件数が400万件を越えるとシステム処理に支障が生じるため、株式の全銘柄の取引を停止する」と発表した。こうしたことによる機会損失は、ひょっとしたらあのシステムトラブルによる損害よりも大きいかもしれない。 突然2時40分に事故でもないのに取引所を閉めてしまう、ということで東証は世界の信用を大きく失った。これは(ハリケーンに因んで)カタリーナ現象ともいうべき惨事だ。逃げ遅れたら日本に投資した金は引き出せないかもしれない、ということであのニューオーリンズに残された人々を思い出すからである。ましてや西室社長がライブドアの捜査が始まったばかりの段階で、取引所からの上場廃止を示唆する発言をしている。これでは忘れかけていた長銀の突然の上場廃止とそれに引き続く一連の徳政令の悪夢を思い出す人も多いだろう。あの時は、長銀に関する全ての権利を放棄するように、という国からの紙切れ一枚でジ・エンドとなった。いくばくかでも新生銀行株に引き継がれていれば、と悔む人も多かったのではなかったか、と思うが、「主催者側の一方的な措置」にみな従わされた。そうした悪夢を蘇らせているのが、今回の一連の事故であり、事件である。 せっかく日本の景気も回復し、日本市場に対する期待も大きくなっていた時期だけに、日本版ライブドアが「エンロン事件」として世界中から注目されている今の時期にシステムや東証の上場基準などをめぐって信頼を揺るがすような政治家、財界人、取引所関係者の軽々しい発言は慎重に願いたい。また、世界の反応をある程度想定して発言してもらいたい、と思うのだ。 次期東証システムに関しては世界中のシステムのことが分かっている国際混成チームで検討すべきだろう。また、今では取引所よりも大きな影響力を持ついわゆるGLOBAL9と呼ばれる巨大な欧米の投資銀行9行などの意向も無視できないだろう。さらには日本のイー・トレードをはじめとするオンライン証券のトップ4社。こうしたところの腹を借りるくらいの気持ちで基本設計からやり直しだ。本当に今の世界中の取引所の現場のことが分かっている人間が作れば、この問題が単に処理能力やスピードの問題、或いは誤発注防止システムだけの問題でないことがすぐに分かるだろう。金融庁も今の指導や法律、通達などをゼロから見直す覚悟が必要だ。今回の東証の事件は、皮肉な言い方をすれば、現場を知らぬベンダーと、それを改善しなかった・できなかった人々とのコラボレーションであり、起こるべくして起こった必然でもあるのだ。
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