裁判官がおかしい
■1.洋さんの期待■
平成11年4月14日、山口県光市。本村弥生さん(23才)
と、娘の夕夏ちゃん(11ヶ月)が、水質検査を装って侵入した
福田孝行(18才、当時)に殺害された。弥生さんの首を絞めて殺
害後にレイプし、傍らで泣く夕夏ちゃんも床にたたきつけた上
で、用意していた紐で絞殺するという残忍な犯行だった。
犯人は弥生さんを押し入れに運び込んで座布団で隠し、夕夏
ちゃんは押し入れの天袋に放り込んだ。帰宅した夫の洋さんが、
二人の変わり果てた姿を発見した。
やがて犯人が逮捕され、裁判が始まった。
私(洋さん)は裁判官というのは、いかに弥生や夕夏、
そして私になりかわって加害者を断罪してくれるのか、ど
う厳しく追及してくれるのか、それをやってくれる存在な
のだと、信じこんでいました。
裁判や犯罪と無縁だった私にとっては、裁判官に対して、
漠然とその程度の知識しかなかったのです。
しかし、この期待が裏切られ、なおかつ山口地裁の渡邊了造
・裁判官から新たな苦しみを与えられようとは、洋さんは予想
だにしなかった。
■2.「私たち裁判官は、あなたたち被害者に会う義務もない」■
洋さんが「裁判官というのはおかしいぞ」と気がつき始めた
のは、3ヶ月後の第3回の公判だった。この日、洋さんは裁判
所に弥生さんと夕夏ちゃんの遺影を掲げて入ろうとした。
しかし、入廷の時に裁判所の廷吏が「荷物」を預けるように、
と洋さんに命じたのである。「これは遺影です。荷物ではあり
ません」と言うと、廷吏は手を広げて「これは規則だ。持ち込
みは許さない」と立ちふさがった。洋さんが「裁判長に会わせ
てください。直接、話をします」と言うと、廷吏は「ごじゃご
じゃ、ぬかすな!」とすごい剣幕。
10人ほどのマスコミの人が「そんな言い方はおかしいだろ
う」と応援してくれたので、廷吏は「じゃあ、裁判長に聞いて
こよう」と法廷に入っていった。しかし、裁判長からの伝言は
信じられないようなものだった。
私たち裁判官は、あなたたち被害者に会う義務もないし、
あなた方が裁判官に会う権利もない。
裁判というものは、裁判官と検事と被告人の三者でやる
もので、被害者には特別なことは認められていない。
廷吏は平然と裁判官の伝言を伝えた。裁判官は被害者や遺族
の味方などではない、と洋さんは知った。
■3.「計画性がない」■
やがて洋さんは裁判官が「味方」でないどころか、被害者・
遺族の「敵」であることを知ることになる。
検察官は、被告が夕夏ちゃんの首を絞める紐を持っていた事
を、事件の計画性を示すものだと追求した。被告側は「紐は偶
然ポケットに入っていた」と主張したが、検察側は「それはお
かしいではないか」と迫った。水質検査を装って侵入した犯人
のポケットに剣道の小手を絞める紐が入っていたのを、偶然だ
というのである。
裁判官は、このやりとりが終わっても、何も言わないので、
犯罪に計画性があったと認めたのだな、と洋さんは思った。し
かし、後の判決では、「計画性がない」ことが減刑の理由の一
つになっているのを知って、愕然とする。
被告の福田は「更正の可能性がないとはいえない」として、
死刑にはならず、無期刑に減刑された。しかし、少年法58条
には、少年の無期刑は7年で仮出獄できる、という規定がある。
渡邊裁判長は、無期判決を言い渡したあと、最後に被告に向
かって「本当に反省しなさい」と声をかけた。遺族には会うこ
とも、言葉をかける事もなかった裁判長は、被害者には声をか
けたのである。福田は「ハイ、分かりました」と元気よく答え
た。
弥生さんのお母さんは泣き崩れた。洋さんも泣きながら、
「すみません」というのが精一杯だった。検察官は目を真っ赤
にしながら、洋さんに言った。
こんな判決は絶対に認められない。ここであきらめたら、
今度はこの判決が基準になってしまう。たとえ百回負けて
も、百一回目をやる。
■4.「終始笑うのは悪なのが今の世だ」■
広島高裁で、検事側は新たな証拠として福田が友人に送った
獄中書簡を提出した。この友人は、洋さんが妻子の思い出を綴っ
た『天国からのラブレター』に感銘を受け、福田の真実の姿を
見ることが裁判には必要だと思って、手紙の公開に踏み切った
のである。その中にはこんな一節があった。
犬がある日かわいい犬と出会った。・・・そのまま「やっ
ちゃった」、これは罪でしょうか。
知ある者、表に出すぎる者は嫌われる。本村さんは出す
ぎてしまった。私よりかしこい。だが、もう勝った。終始
笑うのは悪なのが今の世だ。
5年+仮で8年は行くよ。どっちにしてもオレ自身、刑
務所のげんじょーにきょうみあるし、速く出たくもない。
キタナイ外へ出る時は、完全究極体で出たい。じゃないと
二度目のぎせい者がでるかも
こんな手紙を証拠として見せられながらも、高裁の重吉孝一
郎・裁判長は「悔悟の気持ちは抱いている」として、一審の無
期懲役を支持し、検察側の控訴を棄却した。洋さんは言う。
つまり、結論は最初から決まっているのです。事実認定
のお粗末さというより、そもそも事実認定をしようとしな
いのです。そこから逃げているだけなのです。・・・
正義とは何か、日本の価値基準とは何か、そういう大原
則に、裁判官は向かって欲しいと思います。
洋さんは、全国犯罪被害者の会を結成し、幹事として活動を
続けている。
■5.「江戸時代だったらよかったね。仇討ちができるから」■
洋さんは、テレビの生放送で「裁判所が加害者を死刑にしな
いのなら、自分が死刑にする」と殺人予告をし、波紋を呼んだ。
しかし、洋さんは例外ではない。
判決の後、親戚の人から江戸時代だったらよかったね。
仇討ちができるから、とよく言われましたが、私もそう思
います。
こんなおかしな判決が出るなら、裁判なんかやめて、被
告人を釈放して、私たちが仇を取るのを認めてください。
そうしたら、私が、この手で被告人をぶっ殺してやります。
こう語るのは、娘を殺された嵯峨正禎さん(59歳)。被告人・
横田謙二は、少年時代から空き巣、詐欺、窃盗などの犯罪を繰
り返し、昭和53年に知人の父親を殺して金を奪った。これに
より無期懲役判決を受け、19年4ヶ月服役した後、仮出獄。
しかし1年も経たないうちに、嵯峨さんの娘を殺したのだった。
それも死体を遺体を細かく切り刻んで、ゴミ袋に捨てるという
残虐さであった。
さいたま地裁での論告求刑の際に、検察がこの死体損傷の場
面を読み上げると、横田は「いつまでやっているんだ」「しつ
けえなぁ」と横やりを入れ、退廷の時には検事に「たわけっ」
と吐き捨てて出て行った。これほど反省のかけらも見せない被
告人は珍しい、とはある司法記者の言だ。
■6.「何らの反省の態度を示していないわけではない」■
「こんなおかしな判決」は、平成13年6月28日、若原正樹
・裁判長によって下された。順調にエリート街道を走り、埼玉
県下の重要裁判はほとんど若原裁判長に任されていたという。
判決は「無期懲役」であった。殺人を犯して、一度無期懲役
となった人間が仮出獄し、また人を殺しても、刑務所に戻るだ
けなのである。「被告人は、当公判廷においても、被害者を殺
害した事実自体は認めて謝罪の言葉を述べてはいるのであって、
本件について何らの反省の態度を示していないわけではないと
いえる」というのが、死刑にしなかった理由の一つであった。
嵯峨さんは、その時の気持ちをこう語る。
許せなかったのは、若原裁判長が無期刑言い渡しのあと、
横田に向かって「これからはしっかりと罪を償って生きて
いくように」と励ましたことです。
私は思わず涙と怒りで目が眩(くら)んでしまいました。
横田は、若原裁判長に励まされたあと、弁護人とニコニコ
笑いながら握手をして勝利を喜んだんですよ。
裁判官が人の死をそんなに軽く考えているのかと思うと、
悔しくて悔しくて仕方がなかった。私は周囲を憚(はばか)
ることもできず、大声で泣きながら検事に「この判決はお
かしい。なんとかしてください」と訴えました。
幸いな事に嵯峨さんの無念は2審で晴らされた。東京高裁の
高橋省吾裁判長は、一審判決を破棄し、横田に死刑の判決を下
した。「原判決が、極刑も考慮に値するとしながら、その選択
を回避した各事情の認定、判断については、いずれも是認でき
ない」と、これほどまでに徹底的に一審判決を糾弾した判決文
は珍しいと言われた。
■7.「写真は片付けてください」■
もう一つ、遺族を苦しめた判決を見ておこう。「私はあの裁
判官の名前は忘れることができません」という青木和代さん。
息子の悠君は15歳の時に交通事故にあい、左半身不随となっ
たが、持ち前の頑張りでリハビリに没頭し、足を引きずりなが
らもなんとか歩けるまでに奇跡的回復を遂げた。
勉強も頑張り、全日制の高校にも合格した。ところが17歳
と15歳の二人の少年に呼び出され、「障害者のくせに生意気
だ」とリンチを受けたのである。悠君は顔、頭、腹、足と所構
わず、70回以上殴られ、意識を失った所を、コンクリート上
に頭を下にして3回も打ちつけられた。悠君の脳はぐちゃぐちゃ
になり、6日後に意識を取り戻すことなく死亡した。
少年の一人は、審理中、鑑別所から友人に次のような手紙を
出している。
ヒマ、ヒマ、ヒマ、ヒマ、ヒマ、ヒマ、ヒマ、ヒマ、ヒ
マ、ヒマ・・・青木なぐったん、広まっているか、ここ出
たら遊ぼう
人の命を奪ったことへの反省も悔悟も見られない。こういう
少年を村地勉・裁判官は「内省力あり」「感受性豊か」などと
いう理由で、少年院送りにしたのである。
今日の朝のオリエンテーションのテープで、少年院に入っ
ている期間は、2年以内ってわかってバリバリさぁがんば
るぞ~!! って思ってん! オレ早く出て早く結婚する
わ!
これらの手紙は、少年を検察に送致して厳罰に処すよう要求
する膨大な署名簿と共に、家裁に提出された。これに対して、
家裁の書記官は「署名の数が何十万あろうと、審判には何の意
味もありません。裁判官は判例で裁きますから」としか反応し
なかったという。
少年法が改正された直後で、和代さんは村地裁判官に遺族と
しての意見陳述を行った。和代さんが悠君の写真を抱えて部屋
に入ると、村地裁判官は一言「写真は片付けてください」と冷
たく言った。和代さんが約40分間、「少年を検察に逆送して
厳罰に処してください」と泣きながら訴えたが、村地裁判官は
最後に「加害者から謝罪はありましたか」と聞いただけだった。
■8.裁判員制度で偏向裁判長にブレーキを■
以上、3つのケースを見ると、いくつかの共通点が浮かんで
くる。
第一の共通点として、犯罪者への刑を軽くする理由として、
「更正の可能性がないとはいえない」「何らの反省の態度を示
していないわけではない」「内省力あり」「感受性豊か」など
を挙げている事である。加害者の手紙などから、それらは一般
人には到底、納得できない事だ。「結論は最初から決まってい
るのです。事実認定のお粗末さというより、そもそも事実認定
をしようとしないのです」という本村洋さんの言が説得力を持
つ。
裁判は事実認定とそれに基づく刑の決定という二つの部分か
らなる。問題は本村洋さんの言うように、最初から結論を決め
て、それにあわせて事実認定をねじ曲げてしまう裁判官がいる
事である。
これに関しては、これから導入される裁判員制度で、一般国
民が刑事裁判に参加し、事実認定にも加わることで、こうした
裁判長の独断にブレーキをかけることができるだろう。
■9.司法の健全化を阻害する人権擁護法案■
第二の共通点は、これらの裁判官が遺族の気持ちなどにはまっ
たく配慮していない、という事である。「写真は片付けてくだ
さい」、「被害者に会う義務もない」と言ったり、判決でも遺
族には言葉もかけない。
これらの裁判官たちは、加害者の人権のみを考慮して、被害
者やその遺族の人権を配慮しない偏った人権思想の持ち主だと
見られる。こうした偏った裁判官を、報道機関やインターネッ
トで糾弾することは、再発防止のためにも、きわめて重要であ
る。
ただし、現在、提案されている人権擁護法案が成立すると、
こうした批判や報道自体が、加害者や裁判官への人権弾圧だと
して封じ込めされる恐れが大きい。司法の健全化のためにも、
自由な言論が不可欠なのである。
平成11年4月14日、山口県光市。本村弥生さん(23才)
と、娘の夕夏ちゃん(11ヶ月)が、水質検査を装って侵入した
福田孝行(18才、当時)に殺害された。弥生さんの首を絞めて殺
害後にレイプし、傍らで泣く夕夏ちゃんも床にたたきつけた上
で、用意していた紐で絞殺するという残忍な犯行だった。
犯人は弥生さんを押し入れに運び込んで座布団で隠し、夕夏
ちゃんは押し入れの天袋に放り込んだ。帰宅した夫の洋さんが、
二人の変わり果てた姿を発見した。
やがて犯人が逮捕され、裁判が始まった。
私(洋さん)は裁判官というのは、いかに弥生や夕夏、
そして私になりかわって加害者を断罪してくれるのか、ど
う厳しく追及してくれるのか、それをやってくれる存在な
のだと、信じこんでいました。
裁判や犯罪と無縁だった私にとっては、裁判官に対して、
漠然とその程度の知識しかなかったのです。
しかし、この期待が裏切られ、なおかつ山口地裁の渡邊了造
・裁判官から新たな苦しみを与えられようとは、洋さんは予想
だにしなかった。
■2.「私たち裁判官は、あなたたち被害者に会う義務もない」■
洋さんが「裁判官というのはおかしいぞ」と気がつき始めた
のは、3ヶ月後の第3回の公判だった。この日、洋さんは裁判
所に弥生さんと夕夏ちゃんの遺影を掲げて入ろうとした。
しかし、入廷の時に裁判所の廷吏が「荷物」を預けるように、
と洋さんに命じたのである。「これは遺影です。荷物ではあり
ません」と言うと、廷吏は手を広げて「これは規則だ。持ち込
みは許さない」と立ちふさがった。洋さんが「裁判長に会わせ
てください。直接、話をします」と言うと、廷吏は「ごじゃご
じゃ、ぬかすな!」とすごい剣幕。
10人ほどのマスコミの人が「そんな言い方はおかしいだろ
う」と応援してくれたので、廷吏は「じゃあ、裁判長に聞いて
こよう」と法廷に入っていった。しかし、裁判長からの伝言は
信じられないようなものだった。
私たち裁判官は、あなたたち被害者に会う義務もないし、
あなた方が裁判官に会う権利もない。
裁判というものは、裁判官と検事と被告人の三者でやる
もので、被害者には特別なことは認められていない。
廷吏は平然と裁判官の伝言を伝えた。裁判官は被害者や遺族
の味方などではない、と洋さんは知った。
■3.「計画性がない」■
やがて洋さんは裁判官が「味方」でないどころか、被害者・
遺族の「敵」であることを知ることになる。
検察官は、被告が夕夏ちゃんの首を絞める紐を持っていた事
を、事件の計画性を示すものだと追求した。被告側は「紐は偶
然ポケットに入っていた」と主張したが、検察側は「それはお
かしいではないか」と迫った。水質検査を装って侵入した犯人
のポケットに剣道の小手を絞める紐が入っていたのを、偶然だ
というのである。
裁判官は、このやりとりが終わっても、何も言わないので、
犯罪に計画性があったと認めたのだな、と洋さんは思った。し
かし、後の判決では、「計画性がない」ことが減刑の理由の一
つになっているのを知って、愕然とする。
被告の福田は「更正の可能性がないとはいえない」として、
死刑にはならず、無期刑に減刑された。しかし、少年法58条
には、少年の無期刑は7年で仮出獄できる、という規定がある。
渡邊裁判長は、無期判決を言い渡したあと、最後に被告に向
かって「本当に反省しなさい」と声をかけた。遺族には会うこ
とも、言葉をかける事もなかった裁判長は、被害者には声をか
けたのである。福田は「ハイ、分かりました」と元気よく答え
た。
弥生さんのお母さんは泣き崩れた。洋さんも泣きながら、
「すみません」というのが精一杯だった。検察官は目を真っ赤
にしながら、洋さんに言った。
こんな判決は絶対に認められない。ここであきらめたら、
今度はこの判決が基準になってしまう。たとえ百回負けて
も、百一回目をやる。
■4.「終始笑うのは悪なのが今の世だ」■
広島高裁で、検事側は新たな証拠として福田が友人に送った
獄中書簡を提出した。この友人は、洋さんが妻子の思い出を綴っ
た『天国からのラブレター』に感銘を受け、福田の真実の姿を
見ることが裁判には必要だと思って、手紙の公開に踏み切った
のである。その中にはこんな一節があった。
犬がある日かわいい犬と出会った。・・・そのまま「やっ
ちゃった」、これは罪でしょうか。
知ある者、表に出すぎる者は嫌われる。本村さんは出す
ぎてしまった。私よりかしこい。だが、もう勝った。終始
笑うのは悪なのが今の世だ。
5年+仮で8年は行くよ。どっちにしてもオレ自身、刑
務所のげんじょーにきょうみあるし、速く出たくもない。
キタナイ外へ出る時は、完全究極体で出たい。じゃないと
二度目のぎせい者がでるかも
こんな手紙を証拠として見せられながらも、高裁の重吉孝一
郎・裁判長は「悔悟の気持ちは抱いている」として、一審の無
期懲役を支持し、検察側の控訴を棄却した。洋さんは言う。
つまり、結論は最初から決まっているのです。事実認定
のお粗末さというより、そもそも事実認定をしようとしな
いのです。そこから逃げているだけなのです。・・・
正義とは何か、日本の価値基準とは何か、そういう大原
則に、裁判官は向かって欲しいと思います。
洋さんは、全国犯罪被害者の会を結成し、幹事として活動を
続けている。
■5.「江戸時代だったらよかったね。仇討ちができるから」■
洋さんは、テレビの生放送で「裁判所が加害者を死刑にしな
いのなら、自分が死刑にする」と殺人予告をし、波紋を呼んだ。
しかし、洋さんは例外ではない。
判決の後、親戚の人から江戸時代だったらよかったね。
仇討ちができるから、とよく言われましたが、私もそう思
います。
こんなおかしな判決が出るなら、裁判なんかやめて、被
告人を釈放して、私たちが仇を取るのを認めてください。
そうしたら、私が、この手で被告人をぶっ殺してやります。
こう語るのは、娘を殺された嵯峨正禎さん(59歳)。被告人・
横田謙二は、少年時代から空き巣、詐欺、窃盗などの犯罪を繰
り返し、昭和53年に知人の父親を殺して金を奪った。これに
より無期懲役判決を受け、19年4ヶ月服役した後、仮出獄。
しかし1年も経たないうちに、嵯峨さんの娘を殺したのだった。
それも死体を遺体を細かく切り刻んで、ゴミ袋に捨てるという
残虐さであった。
さいたま地裁での論告求刑の際に、検察がこの死体損傷の場
面を読み上げると、横田は「いつまでやっているんだ」「しつ
けえなぁ」と横やりを入れ、退廷の時には検事に「たわけっ」
と吐き捨てて出て行った。これほど反省のかけらも見せない被
告人は珍しい、とはある司法記者の言だ。
■6.「何らの反省の態度を示していないわけではない」■
「こんなおかしな判決」は、平成13年6月28日、若原正樹
・裁判長によって下された。順調にエリート街道を走り、埼玉
県下の重要裁判はほとんど若原裁判長に任されていたという。
判決は「無期懲役」であった。殺人を犯して、一度無期懲役
となった人間が仮出獄し、また人を殺しても、刑務所に戻るだ
けなのである。「被告人は、当公判廷においても、被害者を殺
害した事実自体は認めて謝罪の言葉を述べてはいるのであって、
本件について何らの反省の態度を示していないわけではないと
いえる」というのが、死刑にしなかった理由の一つであった。
嵯峨さんは、その時の気持ちをこう語る。
許せなかったのは、若原裁判長が無期刑言い渡しのあと、
横田に向かって「これからはしっかりと罪を償って生きて
いくように」と励ましたことです。
私は思わず涙と怒りで目が眩(くら)んでしまいました。
横田は、若原裁判長に励まされたあと、弁護人とニコニコ
笑いながら握手をして勝利を喜んだんですよ。
裁判官が人の死をそんなに軽く考えているのかと思うと、
悔しくて悔しくて仕方がなかった。私は周囲を憚(はばか)
ることもできず、大声で泣きながら検事に「この判決はお
かしい。なんとかしてください」と訴えました。
幸いな事に嵯峨さんの無念は2審で晴らされた。東京高裁の
高橋省吾裁判長は、一審判決を破棄し、横田に死刑の判決を下
した。「原判決が、極刑も考慮に値するとしながら、その選択
を回避した各事情の認定、判断については、いずれも是認でき
ない」と、これほどまでに徹底的に一審判決を糾弾した判決文
は珍しいと言われた。
■7.「写真は片付けてください」■
もう一つ、遺族を苦しめた判決を見ておこう。「私はあの裁
判官の名前は忘れることができません」という青木和代さん。
息子の悠君は15歳の時に交通事故にあい、左半身不随となっ
たが、持ち前の頑張りでリハビリに没頭し、足を引きずりなが
らもなんとか歩けるまでに奇跡的回復を遂げた。
勉強も頑張り、全日制の高校にも合格した。ところが17歳
と15歳の二人の少年に呼び出され、「障害者のくせに生意気
だ」とリンチを受けたのである。悠君は顔、頭、腹、足と所構
わず、70回以上殴られ、意識を失った所を、コンクリート上
に頭を下にして3回も打ちつけられた。悠君の脳はぐちゃぐちゃ
になり、6日後に意識を取り戻すことなく死亡した。
少年の一人は、審理中、鑑別所から友人に次のような手紙を
出している。
ヒマ、ヒマ、ヒマ、ヒマ、ヒマ、ヒマ、ヒマ、ヒマ、ヒ
マ、ヒマ・・・青木なぐったん、広まっているか、ここ出
たら遊ぼう
人の命を奪ったことへの反省も悔悟も見られない。こういう
少年を村地勉・裁判官は「内省力あり」「感受性豊か」などと
いう理由で、少年院送りにしたのである。
今日の朝のオリエンテーションのテープで、少年院に入っ
ている期間は、2年以内ってわかってバリバリさぁがんば
るぞ~!! って思ってん! オレ早く出て早く結婚する
わ!
これらの手紙は、少年を検察に送致して厳罰に処すよう要求
する膨大な署名簿と共に、家裁に提出された。これに対して、
家裁の書記官は「署名の数が何十万あろうと、審判には何の意
味もありません。裁判官は判例で裁きますから」としか反応し
なかったという。
少年法が改正された直後で、和代さんは村地裁判官に遺族と
しての意見陳述を行った。和代さんが悠君の写真を抱えて部屋
に入ると、村地裁判官は一言「写真は片付けてください」と冷
たく言った。和代さんが約40分間、「少年を検察に逆送して
厳罰に処してください」と泣きながら訴えたが、村地裁判官は
最後に「加害者から謝罪はありましたか」と聞いただけだった。
■8.裁判員制度で偏向裁判長にブレーキを■
以上、3つのケースを見ると、いくつかの共通点が浮かんで
くる。
第一の共通点として、犯罪者への刑を軽くする理由として、
「更正の可能性がないとはいえない」「何らの反省の態度を示
していないわけではない」「内省力あり」「感受性豊か」など
を挙げている事である。加害者の手紙などから、それらは一般
人には到底、納得できない事だ。「結論は最初から決まってい
るのです。事実認定のお粗末さというより、そもそも事実認定
をしようとしないのです」という本村洋さんの言が説得力を持
つ。
裁判は事実認定とそれに基づく刑の決定という二つの部分か
らなる。問題は本村洋さんの言うように、最初から結論を決め
て、それにあわせて事実認定をねじ曲げてしまう裁判官がいる
事である。
これに関しては、これから導入される裁判員制度で、一般国
民が刑事裁判に参加し、事実認定にも加わることで、こうした
裁判長の独断にブレーキをかけることができるだろう。
■9.司法の健全化を阻害する人権擁護法案■
第二の共通点は、これらの裁判官が遺族の気持ちなどにはまっ
たく配慮していない、という事である。「写真は片付けてくだ
さい」、「被害者に会う義務もない」と言ったり、判決でも遺
族には言葉もかけない。
これらの裁判官たちは、加害者の人権のみを考慮して、被害
者やその遺族の人権を配慮しない偏った人権思想の持ち主だと
見られる。こうした偏った裁判官を、報道機関やインターネッ
トで糾弾することは、再発防止のためにも、きわめて重要であ
る。
ただし、現在、提案されている人権擁護法案が成立すると、
こうした批判や報道自体が、加害者や裁判官への人権弾圧だと
して封じ込めされる恐れが大きい。司法の健全化のためにも、
自由な言論が不可欠なのである。
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