Wednesday, December 14, 2005

裁判官がおかしい

■1.洋さんの期待■
 平成11年4月14日、山口県光市。本村弥生さん(23才)
と、娘の夕夏ちゃん(11ヶ月)が、水質検査を装って侵入した
福田孝行(18才、当時)に殺害された。弥生さんの首を絞めて殺
害後にレイプし、傍らで泣く夕夏ちゃんも床にたたきつけた上
で、用意していた紐で絞殺するという残忍な犯行だった。
 犯人は弥生さんを押し入れに運び込んで座布団で隠し、夕夏
ちゃんは押し入れの天袋に放り込んだ。帰宅した夫の洋さんが、
二人の変わり果てた姿を発見した。
 やがて犯人が逮捕され、裁判が始まった。
 私(洋さん)は裁判官というのは、いかに弥生や夕夏、
そして私になりかわって加害者を断罪してくれるのか、ど
う厳しく追及してくれるのか、それをやってくれる存在な
のだと、信じこんでいました。
 裁判や犯罪と無縁だった私にとっては、裁判官に対して、
漠然とその程度の知識しかなかったのです。
 しかし、この期待が裏切られ、なおかつ山口地裁の渡邊了造
・裁判官から新たな苦しみを与えられようとは、洋さんは予想
だにしなかった。
■2.「私たち裁判官は、あなたたち被害者に会う義務もない」■
 洋さんが「裁判官というのはおかしいぞ」と気がつき始めた
のは、3ヶ月後の第3回の公判だった。この日、洋さんは裁判
所に弥生さんと夕夏ちゃんの遺影を掲げて入ろうとした。
 しかし、入廷の時に裁判所の廷吏が「荷物」を預けるように、
と洋さんに命じたのである。「これは遺影です。荷物ではあり
ません」と言うと、廷吏は手を広げて「これは規則だ。持ち込
みは許さない」と立ちふさがった。洋さんが「裁判長に会わせ
てください。直接、話をします」と言うと、廷吏は「ごじゃご
じゃ、ぬかすな!」とすごい剣幕。
 10人ほどのマスコミの人が「そんな言い方はおかしいだろ
う」と応援してくれたので、廷吏は「じゃあ、裁判長に聞いて
こよう」と法廷に入っていった。しかし、裁判長からの伝言は
信じられないようなものだった。
 私たち裁判官は、あなたたち被害者に会う義務もないし、
あなた方が裁判官に会う権利もない。
 裁判というものは、裁判官と検事と被告人の三者でやる
もので、被害者には特別なことは認められていない。
 廷吏は平然と裁判官の伝言を伝えた。裁判官は被害者や遺族
の味方などではない、と洋さんは知った。
■3.「計画性がない」■
 やがて洋さんは裁判官が「味方」でないどころか、被害者・
遺族の「敵」であることを知ることになる。
 検察官は、被告が夕夏ちゃんの首を絞める紐を持っていた事
を、事件の計画性を示すものだと追求した。被告側は「紐は偶
然ポケットに入っていた」と主張したが、検察側は「それはお
かしいではないか」と迫った。水質検査を装って侵入した犯人
のポケットに剣道の小手を絞める紐が入っていたのを、偶然だ
というのである。
 裁判官は、このやりとりが終わっても、何も言わないので、
犯罪に計画性があったと認めたのだな、と洋さんは思った。し
かし、後の判決では、「計画性がない」ことが減刑の理由の一
つになっているのを知って、愕然とする。
 被告の福田は「更正の可能性がないとはいえない」として、
死刑にはならず、無期刑に減刑された。しかし、少年法58条
には、少年の無期刑は7年で仮出獄できる、という規定がある。
 渡邊裁判長は、無期判決を言い渡したあと、最後に被告に向
かって「本当に反省しなさい」と声をかけた。遺族には会うこ
とも、言葉をかける事もなかった裁判長は、被害者には声をか
けたのである。福田は「ハイ、分かりました」と元気よく答え
た。
 弥生さんのお母さんは泣き崩れた。洋さんも泣きながら、
「すみません」というのが精一杯だった。検察官は目を真っ赤
にしながら、洋さんに言った。
 こんな判決は絶対に認められない。ここであきらめたら、
今度はこの判決が基準になってしまう。たとえ百回負けて
も、百一回目をやる。
■4.「終始笑うのは悪なのが今の世だ」■
 広島高裁で、検事側は新たな証拠として福田が友人に送った
獄中書簡を提出した。この友人は、洋さんが妻子の思い出を綴っ
た『天国からのラブレター』に感銘を受け、福田の真実の姿を
見ることが裁判には必要だと思って、手紙の公開に踏み切った
のである。その中にはこんな一節があった。
 犬がある日かわいい犬と出会った。・・・そのまま「やっ
ちゃった」、これは罪でしょうか。
 知ある者、表に出すぎる者は嫌われる。本村さんは出す
ぎてしまった。私よりかしこい。だが、もう勝った。終始
笑うのは悪なのが今の世だ。
 5年+仮で8年は行くよ。どっちにしてもオレ自身、刑
務所のげんじょーにきょうみあるし、速く出たくもない。
キタナイ外へ出る時は、完全究極体で出たい。じゃないと
二度目のぎせい者がでるかも
 こんな手紙を証拠として見せられながらも、高裁の重吉孝一
郎・裁判長は「悔悟の気持ちは抱いている」として、一審の無
期懲役を支持し、検察側の控訴を棄却した。洋さんは言う。
 つまり、結論は最初から決まっているのです。事実認定
のお粗末さというより、そもそも事実認定をしようとしな
いのです。そこから逃げているだけなのです。・・・
 正義とは何か、日本の価値基準とは何か、そういう大原
則に、裁判官は向かって欲しいと思います。
 洋さんは、全国犯罪被害者の会を結成し、幹事として活動を
続けている。
■5.「江戸時代だったらよかったね。仇討ちができるから」■
 洋さんは、テレビの生放送で「裁判所が加害者を死刑にしな
いのなら、自分が死刑にする」と殺人予告をし、波紋を呼んだ。
しかし、洋さんは例外ではない。
 判決の後、親戚の人から江戸時代だったらよかったね。
仇討ちができるから、とよく言われましたが、私もそう思
います。
 こんなおかしな判決が出るなら、裁判なんかやめて、被
告人を釈放して、私たちが仇を取るのを認めてください。
そうしたら、私が、この手で被告人をぶっ殺してやります。
 こう語るのは、娘を殺された嵯峨正禎さん(59歳)。被告人・
横田謙二は、少年時代から空き巣、詐欺、窃盗などの犯罪を繰
り返し、昭和53年に知人の父親を殺して金を奪った。これに
より無期懲役判決を受け、19年4ヶ月服役した後、仮出獄。
しかし1年も経たないうちに、嵯峨さんの娘を殺したのだった。
それも死体を遺体を細かく切り刻んで、ゴミ袋に捨てるという
残虐さであった。
 さいたま地裁での論告求刑の際に、検察がこの死体損傷の場
面を読み上げると、横田は「いつまでやっているんだ」「しつ
けえなぁ」と横やりを入れ、退廷の時には検事に「たわけっ」
と吐き捨てて出て行った。これほど反省のかけらも見せない被
告人は珍しい、とはある司法記者の言だ。
■6.「何らの反省の態度を示していないわけではない」■
「こんなおかしな判決」は、平成13年6月28日、若原正樹
・裁判長によって下された。順調にエリート街道を走り、埼玉
県下の重要裁判はほとんど若原裁判長に任されていたという。
 判決は「無期懲役」であった。殺人を犯して、一度無期懲役
となった人間が仮出獄し、また人を殺しても、刑務所に戻るだ
けなのである。「被告人は、当公判廷においても、被害者を殺
害した事実自体は認めて謝罪の言葉を述べてはいるのであって、
本件について何らの反省の態度を示していないわけではないと
いえる」というのが、死刑にしなかった理由の一つであった。
 嵯峨さんは、その時の気持ちをこう語る。
 許せなかったのは、若原裁判長が無期刑言い渡しのあと、
横田に向かって「これからはしっかりと罪を償って生きて
いくように」と励ましたことです。
 私は思わず涙と怒りで目が眩(くら)んでしまいました。
横田は、若原裁判長に励まされたあと、弁護人とニコニコ
笑いながら握手をして勝利を喜んだんですよ。
 裁判官が人の死をそんなに軽く考えているのかと思うと、
悔しくて悔しくて仕方がなかった。私は周囲を憚(はばか)
ることもできず、大声で泣きながら検事に「この判決はお
かしい。なんとかしてください」と訴えました。
 幸いな事に嵯峨さんの無念は2審で晴らされた。東京高裁の
高橋省吾裁判長は、一審判決を破棄し、横田に死刑の判決を下
した。「原判決が、極刑も考慮に値するとしながら、その選択
を回避した各事情の認定、判断については、いずれも是認でき
ない」と、これほどまでに徹底的に一審判決を糾弾した判決文
は珍しいと言われた。
■7.「写真は片付けてください」■
 もう一つ、遺族を苦しめた判決を見ておこう。「私はあの裁
判官の名前は忘れることができません」という青木和代さん。
息子の悠君は15歳の時に交通事故にあい、左半身不随となっ
たが、持ち前の頑張りでリハビリに没頭し、足を引きずりなが
らもなんとか歩けるまでに奇跡的回復を遂げた。
 勉強も頑張り、全日制の高校にも合格した。ところが17歳
と15歳の二人の少年に呼び出され、「障害者のくせに生意気
だ」とリンチを受けたのである。悠君は顔、頭、腹、足と所構
わず、70回以上殴られ、意識を失った所を、コンクリート上
に頭を下にして3回も打ちつけられた。悠君の脳はぐちゃぐちゃ
になり、6日後に意識を取り戻すことなく死亡した。
 少年の一人は、審理中、鑑別所から友人に次のような手紙を
出している。
 ヒマ、ヒマ、ヒマ、ヒマ、ヒマ、ヒマ、ヒマ、ヒマ、ヒ
マ、ヒマ・・・青木なぐったん、広まっているか、ここ出
たら遊ぼう
 人の命を奪ったことへの反省も悔悟も見られない。こういう
少年を村地勉・裁判官は「内省力あり」「感受性豊か」などと
いう理由で、少年院送りにしたのである。
 今日の朝のオリエンテーションのテープで、少年院に入っ
ている期間は、2年以内ってわかってバリバリさぁがんば
るぞ~!! って思ってん! オレ早く出て早く結婚する
わ!
 これらの手紙は、少年を検察に送致して厳罰に処すよう要求
する膨大な署名簿と共に、家裁に提出された。これに対して、
家裁の書記官は「署名の数が何十万あろうと、審判には何の意
味もありません。裁判官は判例で裁きますから」としか反応し
なかったという。
 少年法が改正された直後で、和代さんは村地裁判官に遺族と
しての意見陳述を行った。和代さんが悠君の写真を抱えて部屋
に入ると、村地裁判官は一言「写真は片付けてください」と冷
たく言った。和代さんが約40分間、「少年を検察に逆送して
厳罰に処してください」と泣きながら訴えたが、村地裁判官は
最後に「加害者から謝罪はありましたか」と聞いただけだった。
■8.裁判員制度で偏向裁判長にブレーキを■
 以上、3つのケースを見ると、いくつかの共通点が浮かんで
くる。
 第一の共通点として、犯罪者への刑を軽くする理由として、
「更正の可能性がないとはいえない」「何らの反省の態度を示
していないわけではない」「内省力あり」「感受性豊か」など
を挙げている事である。加害者の手紙などから、それらは一般
人には到底、納得できない事だ。「結論は最初から決まってい
るのです。事実認定のお粗末さというより、そもそも事実認定
をしようとしないのです」という本村洋さんの言が説得力を持
つ。
 裁判は事実認定とそれに基づく刑の決定という二つの部分か
らなる。問題は本村洋さんの言うように、最初から結論を決め
て、それにあわせて事実認定をねじ曲げてしまう裁判官がいる
事である。
 これに関しては、これから導入される裁判員制度で、一般国
民が刑事裁判に参加し、事実認定にも加わることで、こうした
裁判長の独断にブレーキをかけることができるだろう。
■9.司法の健全化を阻害する人権擁護法案■
 第二の共通点は、これらの裁判官が遺族の気持ちなどにはまっ
たく配慮していない、という事である。「写真は片付けてくだ
さい」、「被害者に会う義務もない」と言ったり、判決でも遺
族には言葉もかけない。
 これらの裁判官たちは、加害者の人権のみを考慮して、被害
者やその遺族の人権を配慮しない偏った人権思想の持ち主だと
見られる。こうした偏った裁判官を、報道機関やインターネッ
トで糾弾することは、再発防止のためにも、きわめて重要であ
る。
 ただし、現在、提案されている人権擁護法案が成立すると、
こうした批判や報道自体が、加害者や裁判官への人権弾圧だと
して封じ込めされる恐れが大きい。司法の健全化のためにも、
自由な言論が不可欠なのである。

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