これから日本は世界の「リーダーの一員」になる
日本向け商品はやがて海外でも売れる 日本型経営を見てみると、これは非常に優れた仕組みだ。でも、日本型経営はよすぎて、それに甘えてぶら下がる人が増えてしまった。こうした人たちは切り落とさなければいけない。 日本の社長の多くは問題を解決するとき、力が弱い方へ、しわ寄せしようとする。力が強い方へ、しわ寄せしたらわが身が危ないからだ。弱い方へしわ寄せして会社を黒字にすれば、社長の手柄になる。だが、そんなことをやるのを人でなしというんだ。経団連で僕がそういうと、経団連に集う経営者たちは「いやいや、これがグローバル・スタンダード、これが合理的な経営である。アメリカの風を入れて日本は生まれ変わるのだ」といっているけれど。 このように、弱い方へしわ寄せしてきた結果が、そろそろ出てきた。僕が昔からいっているのは、「アメリカ向けの輸出商品をつくる会社はアメリカ型でやりなさい。日本向けの商品をつくる会社は日本型経営でやりなさい。日本型のほうが断然クオリティが高いのだから。クオリティが高いものをつくるのは、クオリティの高い社員を並べて、みんなで心を合わせて思いを尽くして磨き上げていかなければ高いものはできないのだから」ということ。そのようにしてつくった製品は、まず日本国内で売れる。やがて外国でも売れる。
そんなことをいったところで、誰も賛成者はいなかった。「それは限られたもので、美術工芸品か、マンガかアニメだろう」といわれたが、今やトヨタ自動車のレクサスで、その通りになった。あるいは液晶テレビとか、プラズマテレビとか。そうした工業製品でも、日本風、日本式、日本向け、純国産が外国に売れるようになった。こんな現象から、そろそろ僕の意見にも賛成者が増えてきた。
ところがアメリカでテレビ番組を見ていると、ボクシングで殴り合いをしていたり、アメリカン・フットボールで取っ組み合いしていたり。ロックンロールをやっているとか。“頬を流れる汗のひとしずくを映さないとスポーツ番組でない”などという発想はない。
だからブラウン管のままでもよかったのだろう。しかし日本製のテレビが輸出されたら、「あら、こっちがいい」となった。アメリカ人も文化風流に目覚めたのだ。日本はアメリカ人の心を変え、そして製品も売り込んでいることになる。そういう時代が始まって、今の貿易黒字につながっていると僕は思う。
日本型経営で「お互いに仲良く死ぬまで情報は共有しよう」という働き方でないと、日本のような高品質の製品はつくれない。だから、そういう経営をしている会社が黒字になって株価が上がり、アメリカ型でバッサバッサと社員の首を切った会社は株価が上がっていない。そういうふうに、もう結果が出ているのだ。合理主義というのは、もっと深い意味で合理的でなければいけない。
では日本をどう見るか、どう心得ればいいか。今までは「日本は世界の片隅だ」とか、悪口ばかりだった。これからは、それを逆にして「日本人は頭がよく、独創性もある。真似だけじゃないし、センスもいいのだ。それはつけ焼刃ではなく、この風光明媚な日本列島がつくったセンスなのだ」というようになればいい。
日本には2000年を超える歴史があって、その間にセンスを培ってきたわけだ。だから日本人のマナーとか、身のまわりの道具とか、いろいろなところにそれが生きている。しかし欧米にはそのセンスがあるわけがない。もっとも、「欧米にはない」といい切ってしまうと、「いや、そのわりにはあるな」と思えるわけだが。とにかく、これからはそういう議論ができるようになるのではないかと思っている。
そのような視点からブッシュ大統領を見る。小泉首相を見る。さらに、その先を見る必要がある。やがて日本も発言する時代になったとき、アメリカはブッシュの次には何をするのか。何を考えるのか。今はアメリカの大統領は、怒鳴りつければ日本はついてくると思っているかもしれない。
でもそうではなくなったとき、品格あるアメリカのエリートはワシントンに、アメリカ政府に集うのだろうか。我々日本人は、そういう目でアメリカを見ていく必要があるのだ。
そのように国際社会そのものを変えて、自然にリーダーの一員に納まっていくことが大事である。リーダーとして発言すべきことがあれば、口下手な日本は口の上手なアメリカ人やイギリス人にいってもらえばいい。
そういうとき、今までの日本人は“アメとムチ”の“アメ”ばかりだった。日本人が“ムチ”は使わないことは、すでに見透かされている。だから“ムチ”も使ったほうがいい。
正しい日本理解を話した人にはアメをあげて、曲がった日本論を展開した人は罰しなければいけない。日本ではそれは「仕返し」だとか「罰する」だとかいう言葉になってマイナスイメージで捉えられるが、生きていくためには必要なことなのだ。そういう“アメとムチ”の勉強をして、両方をやっていく必要がある。
日本には「外交三原則」というものがある。その1番目は「日米同盟が機軸である」ということ。2番目は「国際社会の一員であることを肝に銘じて暮らす」ということ。これは第二次大戦で世界中を敵に回すようなことをしたからだ。本当は日本は世界を敵に回したわけではないのだが、それでも世界は怒った。
日本はそのことに懲りて、それ以来、世界のことに口出しはしなくなってしまった。「世界がお決めになったらそれについていきます」というのが外交原則の2番目だと理解していいだろう。そして外交原則の3番目は「アジアの一員であることを忘れるな」ということ。
僕は、この原則の通りにやればいいと思う。いつの間にか、1番目だけを意識してアメリカのいうことを聞くだけになってしまった。それはイージーすぎたと思う。それでは「外交一原則」になってしまうのだから。
ちゃんと「外交三原則」に戻して、その上で日本がリーダーシップを取りなさい。日本の主張として「世界の21世紀の精神はこれだ」と示しなさい。そういうことが日本の自信回復につながっていくのだ。
そんなことをいったところで、誰も賛成者はいなかった。「それは限られたもので、美術工芸品か、マンガかアニメだろう」といわれたが、今やトヨタ自動車のレクサスで、その通りになった。あるいは液晶テレビとか、プラズマテレビとか。そうした工業製品でも、日本風、日本式、日本向け、純国産が外国に売れるようになった。こんな現象から、そろそろ僕の意見にも賛成者が増えてきた。
日本型経営でなければ高品質製品はつくれない
アメリカと日本のテレビ番組は全然違う。日本の番組では、霞がかかった山に蝶が飛んでくるとか。俳句や和歌になるような映像が流れる。それを映すには、やはり液晶やプラズマでないとダメ。大画面ならなおよい。そうすると30万円でも買う人がいる。だから技術が進歩するのだ。ところがアメリカでテレビ番組を見ていると、ボクシングで殴り合いをしていたり、アメリカン・フットボールで取っ組み合いしていたり。ロックンロールをやっているとか。“頬を流れる汗のひとしずくを映さないとスポーツ番組でない”などという発想はない。
だからブラウン管のままでもよかったのだろう。しかし日本製のテレビが輸出されたら、「あら、こっちがいい」となった。アメリカ人も文化風流に目覚めたのだ。日本はアメリカ人の心を変え、そして製品も売り込んでいることになる。そういう時代が始まって、今の貿易黒字につながっていると僕は思う。
日本型経営で「お互いに仲良く死ぬまで情報は共有しよう」という働き方でないと、日本のような高品質の製品はつくれない。だから、そういう経営をしている会社が黒字になって株価が上がり、アメリカ型でバッサバッサと社員の首を切った会社は株価が上がっていない。そういうふうに、もう結果が出ているのだ。合理主義というのは、もっと深い意味で合理的でなければいけない。
頭がよく独創性もありセンスもいい日本人
いま、日本国民が求めているのは、10年、あるいは100年くらい先の長期展望なのだ。これまでそういう話が全然なかったから、そろそろ誰か話してくれないかなということだと思う。では日本をどう見るか、どう心得ればいいか。今までは「日本は世界の片隅だ」とか、悪口ばかりだった。これからは、それを逆にして「日本人は頭がよく、独創性もある。真似だけじゃないし、センスもいいのだ。それはつけ焼刃ではなく、この風光明媚な日本列島がつくったセンスなのだ」というようになればいい。
日本には2000年を超える歴史があって、その間にセンスを培ってきたわけだ。だから日本人のマナーとか、身のまわりの道具とか、いろいろなところにそれが生きている。しかし欧米にはそのセンスがあるわけがない。もっとも、「欧米にはない」といい切ってしまうと、「いや、そのわりにはあるな」と思えるわけだが。とにかく、これからはそういう議論ができるようになるのではないかと思っている。
そのような視点からブッシュ大統領を見る。小泉首相を見る。さらに、その先を見る必要がある。やがて日本も発言する時代になったとき、アメリカはブッシュの次には何をするのか。何を考えるのか。今はアメリカの大統領は、怒鳴りつければ日本はついてくると思っているかもしれない。
でもそうではなくなったとき、品格あるアメリカのエリートはワシントンに、アメリカ政府に集うのだろうか。我々日本人は、そういう目でアメリカを見ていく必要があるのだ。
外交三原則を守って主張を示せ
日本は国際社会の一員としてではなく、国際社会のリーダーの一員になる。「サミットに呼ばれた」ではなく、サミットを日本が召集しなければいけないのだ。そこを基に、国連を変えていかなければいけない。「常任理事国に入れてくれ」ではなく、「国連をこう変えろ。変えないのだったら日本は脱退する」という態度を示さなければならない。そのように国際社会そのものを変えて、自然にリーダーの一員に納まっていくことが大事である。リーダーとして発言すべきことがあれば、口下手な日本は口の上手なアメリカ人やイギリス人にいってもらえばいい。
そういうとき、今までの日本人は“アメとムチ”の“アメ”ばかりだった。日本人が“ムチ”は使わないことは、すでに見透かされている。だから“ムチ”も使ったほうがいい。
正しい日本理解を話した人にはアメをあげて、曲がった日本論を展開した人は罰しなければいけない。日本ではそれは「仕返し」だとか「罰する」だとかいう言葉になってマイナスイメージで捉えられるが、生きていくためには必要なことなのだ。そういう“アメとムチ”の勉強をして、両方をやっていく必要がある。
日本には「外交三原則」というものがある。その1番目は「日米同盟が機軸である」ということ。2番目は「国際社会の一員であることを肝に銘じて暮らす」ということ。これは第二次大戦で世界中を敵に回すようなことをしたからだ。本当は日本は世界を敵に回したわけではないのだが、それでも世界は怒った。
日本はそのことに懲りて、それ以来、世界のことに口出しはしなくなってしまった。「世界がお決めになったらそれについていきます」というのが外交原則の2番目だと理解していいだろう。そして外交原則の3番目は「アジアの一員であることを忘れるな」ということ。
僕は、この原則の通りにやればいいと思う。いつの間にか、1番目だけを意識してアメリカのいうことを聞くだけになってしまった。それはイージーすぎたと思う。それでは「外交一原則」になってしまうのだから。
ちゃんと「外交三原則」に戻して、その上で日本がリーダーシップを取りなさい。日本の主張として「世界の21世紀の精神はこれだ」と示しなさい。そういうことが日本の自信回復につながっていくのだ。